井上満の翻訳
シーモノフの『プラーグの栗並木の下で』には井上満の新訳がある。
「プラーグのマロニエの下で」という題名で修道社の『ロシア文学全集』第22巻に収められて1958年に発刊、同じものが平凡社から1965年『ロシア・ソビエト文学全集』第34巻として再刊されている。
その訳が、より原文に近い訳だと思われるので、参考のために掲げておく。
おいらの生れはここではないが、
マドリードから遠いけど、
胸にはおなじ心がおどり
おんなじ旗が頭上にもえる
容赦もしないし、情けもうけぬ、
そんな目あてで来たのじゃないよ。
第七旅団がひとたび起てば
ファショはお陀仏、通しはせぬぞ!
どこかにいい娘や、婆さんを
残してきたのも、退かないためだ、
世界を半分まわってきたのも
半分もあとには退かないためだ。
おいらは数こそ、少いけれど、
まさかの時には死者まで起つぞ。
第七旅団がひとたび起てば
ファショはお陀仏、通しはせぬぞ!
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