{2} 賃金、それは労働力商品の生産費であるが、今日、どんな労働力が生産されなければならないのか? 賃金の金額をめぐる攻防は大切である、しかし労働者の社会的隷属状態こそが問題とされなければならない。そして資本が求める労働力商品が何であるかは、教育・学校制度にはっきりと見てとることができる。教育工場である学校において、賃金労働者である教師が生産するものは、教育サービスであるが、それを買って教養を身につける学生は、教育を受けることによって資本に隷属している。つまり、それによって資本に売らねばならない労働力商品を生産する。「産業と社会の要請」をふりかざして、戦後教育は画期的な改編期にありまたも、「教育は社会によって規定される」(『共産党宣言』)ということが、いま、激烈な姿で証明されつつある。そのスローガンは「産学協同」でありその真の意味は〈産業合理化への教育の適合〉にほかならず、その現在的な内容は、「多様性に基づく教育」なるものにつき出されている。すなわち、いまや帝国主義的工場(制度)の発達とともに、新たな帝国主義的教育(制度)がすでに始まっており〈分業と教育の帝国主義的改編〉というべき事態にある。“オートメーション”と“近代的労務管理”に鋭い特徴がみられる工場の帝国主義的改編とともに「教育の機会均等は、戦後あまりにも形式的平等であったがこれからは、多様性に基づく平等の教育でなければならない」と称する教育の帝国主義的改編が急激に進行している。「適性の早期発見」、「職業の偏見を打破せよ」、「各人は各人の能力に応じて」、「女性は女性の特性に応じて」と叫んで、専門奴隷と職業白痴、部分機械への隷属の道を突進する「多様性に基づく教育」は、諸個人の徹底的な精神的不具化、部分人間化のための〈労働力商品の生産・再生産過程〉の帝国主義的改編として、競争の強制法則を通じて、分業への諸個人の包摂=従属を深化・拡大するものである。