『解放bU』の生命力と現代

角 行成

1.『解放bU』とマルクス主義の復興

 「ヘーゲルの死からマルクス主義の確立までの間、青年ヘーゲル派運動というかたちの過渡期があった。そしてマルクス・エンゲルスの死後、共産主義は、二〇世紀的ヘーゲル主義の支配するところとなったが、レーニン主義=ボルシェヴィズムの「逆立ち」を直立させること、述語を主語にすること、現実の生きたプロレタリアートが直立した巨人として、世界史の舞台に完全な主人公(=主体)の雄姿を示すことなしには、共産主義=革命的マルクス主義の真の創造的復活は決してあり得ないのである。」(『解放bU』)
 『解放bU』が切り拓いた地平は何よりも、スターリン主義をマルクス主義のヘーゲル化と捉え、いわゆるスターリン批判からハンガリア事件への推移の過程で復活した、自称他称の「トロツキスト」達を現代の青年ヘーゲル派と規定し、革命的マルクス主義の復活の課題をマルクス主義の青年ヘーゲル批判を通した形成に重ねるように展開したことにある。
 ヘーゲルとマルクスではなくて、ヘーゲルからマルクスへということこそが問題である。そしてそのヘーゲルからマルクスへという道は青年ヘーゲル派によって媒介されていたのであり、なによりもマルクス主義の形成にとっての不可欠の位置にフォイエルバッハを捉えることが鍵である。
 いわゆる「新」左翼が青年ヘーゲル派のレベルでしかないとはどういうことか?
 それは、理想主義に対するにエゴイズム(その裡=裏に潜むニヒリズム)的反発でしかないということである。
 単にスターリン主義をマルクス主義の客観主義化と捉え、それに対して主体性を立てる限りにおいては、青年ヘーゲル派のエゴイズム=ニヒリズムのレベルに止まり、その意味において近代主義の枠に止まるのである。
 ポスト・モダンを唱える現代哲学もまた、ヘーゲル=マルクス=理想主義と捉える点でマルクス主義をヘーゲル化したスターリン主義をマルクス主義として批判しているにすぎない。
 そして、マルクス主義は単にヘーゲル批判ではなくて、この青年ヘーゲル派との格闘を通して確立されたということが重要である。客観主義・理想主義に対して、主体主義・個人主義を対置する限りの反発は、いまも「現代思想」がくり返し再生産しているし、そしてそれは、かの「現代宗教」に対して無力をさらけ出したではないか。
 普遍性は既成のものとして「外部」に「観念的」に存在するのではない。依然として現実的普遍性の協働による現実的形成こそが問題なのである。このことの困難から逃れて別の妙案を求めるのは悲喜劇的である。
 かくして、『解放bU』の地平とは、「レーニンが権威を持たなくなった現代においてはもはや意味をもたない」どころではない、現実的普遍性の形成という課題が課題である限り、それを越えることはできない。

2.八〇年代の格闘

 すでに、七〇年代中期以降の戦略討論の過程で、自らと党派の出発点への反照の作業を開始していた滝口弘人は『解放』誌第九号(一九七八年二月)に闘争史・党派史をまとめて発表(「われわれの問題追求史」と本人メモに則して改題、第三巻に収録)。また、「ソビエト運動が対決する国際同盟」(機関誌『解放』一〇号 一九七八年九月)は、階級形成論にもとづく国際同盟論の到達地点を示す。
 八〇年分裂を受けて、さらにのっぴきならない課題として、総括をつきつけられ、それに踏まえつつ、総括を含む展望をも指し示さんとした。
 その一つの核心点である「反合・反差別の結合」という課題をめぐって、我々の限界として何を突き出しているのか、と。日本労働者が背後に歴史的なムラをかかえマチをかかえイエをかかえている、そのイエ・マチ・ムラの排他性。その「日本労働者の歴史的な存在形態」を我々は現実的な問題として問題にしきれていなかったとして、経済学的現状分析のみならず同時に歴史史学的な現状分析へ!と向かう。
 「日本のブルジョア社会の歴史的現実との衝突を、旧来のムラ(村)とマチ(町)へのプロレタリアの団結の本質論的な現実的貫徹(原則的貫徹)へ!」は、そうした問題の所在を明らかにするものであり、「日本における労働者の歴史的存在形態の総括と展望」は日本史学との格闘・概念的把握を果さんとする。
 そして、その成果の上に立って『何故「国鉄の分割・民営化」なのか、何故「国鉄の分割・民営化」反対なのか』において、八五年G5(今日ではプラザ合意と称される)以後の時代を「農地流動化」と〈農民滅亡の時代〉ととらえ、だからこそ、「全日本の労働者と労働者を通じて農民、小・零細企業者に訴える!」とする。
 「だがこれは、「小経営」の「資本主義的経営」への転化にとどまらない。しっかりとつかまなくてはならないのは、この〈農地流動化〉は国家権力による土地制度、すなわち土地所有制度の歴史的な一大変革としてあるのだということである。日本歴史上の四大土地制度変革、すなわち第一の古代律令制国家の成立による土地制度変革、第二の太閤検地による土地制度変革、第三の明治地租改正による土地制度変革、第四の戦後農地改革による土地制度変革、これらに次ぐ日本歴史上第五の大土地制度変革なのである。」
 この時代は、プラザ合意の必然的帰結としてのバブル期とその破裂後の複合不況、そこからの必死の脱却の努力の過程を経ながら、いまなお渦中にある。
 「経済学的現状分析のみならず同時に歴史史学的な現状分析へ」という課題を「宇野段階論がタイプ分析に終わるのは、宇野における史的唯物論の欠如(原理論において史的唯物論は完成ないし証明されるという)」と言ってきた問題と併せるように、二一世紀の世界史において、この滝口弘人の思想的営為を引き継ぎ発展させていかなければならない。