革命期におけるプロレタリア革命(派)の戦略問題
――解体戦はいかに展開されるべきか?

 1 路線討論のための問題の所在

 (1) 綱領確立を目指す路線討論を!
 サイゴン陥落、ポルトガル革命、東チモールの革命、アフリカ革命(アンゴラ)の進行、イギリス、フランス、西ドイツ、日本におけるプロレタリアートの長期ゼネストの波と鋭い政治闘争の拡大。七〇年代中期に、世界階級闘争とその中における日本階級闘争は、一層の深まりをとげている、
 我々は、天皇訪米闘争を頂点とする秋期政治闘争、公労協スト権闘争と共に反革命的宗派革マルとの党派闘争の戦略的対時における死闘に突入した。
 七〇年代初期における六〇年代階級闘争の総括の上に立って、我々は七〇年代中期から後期、更に八○年代階級闘争に向けて、革命的労働者党建設に総力をあげている。それは、基本組織骨格の建設の完遂と共にプロレタリア革命思想による思想的、理論的強化、及びその上に立つ戦略、戦術の強化である、具体的には綱領問題へと絞り上げられるだろう。
 この間、我々の戦略の基本的構造についての強化が問われた。この点について以下の内容を全同志に提起する。その主目的は〈戦後第二の革命期における階級的戦略・戦術〉の基本的確立である。これは現在、最終的確定の段階に来ている、「分派闘争の総括と組織路線の確定」に引きつづいてなされる戦略路線討論である(そして、次に76春闘、労働運動の高揚をひかえて「革命期における労働組合運動路線」が討論され提起されるだろう)。

 (2) プロレタリア暴力革命路線の深化、発展を!
@ この文章において主要に問題としている点は、プロレタリア暴力革命路線の小ブル「暴力」革命と区別された深化である。一般に革命方針については社民的議会主義と小ブル「暴力革命」路線が語られる。だが小ブル「暴力革命」路線の破綻は歴史的にも明白である。プロレタリア革命派は、当然のことながら社民的議会主義、平和革命路線と自からを厳格に区別し、更に小ブル「暴力革命」路線と区別されたプロレタリア暴力革命路線を解明しその道をバク進しなければならない。我々は、党派の姶元的発生以来プロレタリア暴力革命路線をとってきている。それは、我々潮流全体、更に我々の党派の構成員にとって当然のことである。だが、それが階級闘争の階級的発展に対応して強化されてゆかないときには、一方において暴力革命一般を語りながらも、事実上そこからズリ落ちる傾向を生み出すと共に、もう一方では、それへの反撥も含めて小ブル「暴力革命」路線へのブレが生み出される。
 革命期の深化の中で、我々の潮流の中に明白にこの二つの徴候が表われていることをしっかりとみつめ、それを突破しよう。
A プロレタリア革命は「プロレタリア武装蜂起――革命戦争」としてしか貫徹しえないということは、証明されきっている。革命党派ということは、労働組合、自治会、諸大衆組織の階級的発展の中で、革命そのもの(蜂起――革命戦争勝利――プロレタリア独裁樹立)を目的意識的にひき出し、推進するのが根本的任務である。特に革命期においてそうである。さもなければプロレタリアートの暴力性が狭い個別利害、特殊利害の中に押しこまれ、確実にやってくる資本主義社会の崩壊と内乱の中では全滅させられることは目にみえている。
 このプロレタリア暴力革命路線の深化と発展は、ブルジョアジャーナリズムや「左翼」小ブル評論家の世界に流布されているものを根本的に越えるものでなければならない。「赤軍派を最左派として社会党を最右派」とするというこれら評論家的な皮相な目で作られる図式の中では、我々は中間派に見られるのは当然である(ロシア革命の中でマルクス主義の原則を追求したボルシェビキは、テロリズムの歴史をもつ社会革命党と、メンシェビキの中間にみられていた)。この図式にひきずられること自体が社民性と小ブル急進性への不断のブレの一表現でしかない。マルクス主義の根本的思想と戦略についての確信の喪失は、このブレを不断に生み出す。我々以外の「新左翼」は、完全にこの状況におちこんでいる。思想にうらづげられた戦略の頑強な系統的貫徹によってのみプロレタリア暴力革命路線は現実化するのである。
B ブルジョア社会がもし、様々な補修によって根本的破局なしに存続しえるならば、プロレタリア暴力革命など不必要だし、また不可能である。だがブルジョア社会が経済恐慌により根本的破局に直面し、そこではプロレタリア大衆が大量に餓死し、あるいはその矛盾の政治的解決のために、数百万、数千万の虐殺を行なう帝国主義間戦争に突入したことは古い話ではない。今、日本プロレタリアートが、わずかに与えられている「市民生活」や体制的語組織は、資本主義の破局の中では、完全にふきとはされる。たった七〜八十年の間に、数百万から数千万の大量の言語を絶する虐殺、戦争を経験したような社会に生きながら、尚かつ「市民的体制的安定」の中に埋没することは、なんとか現実から目をそむけ、「幻覚」の中に逃れようとすることに外ならない。
 いかなる過去の階級社会も決して比較することのできない残虐な人民の虐殺を、しかも数千万単位で一挙に行なうことによってしか存続しえない社会を粉砕する闘いにおいて、「死をおそれず闘いぬく」ことは、あまりにも当然のことである。しかも歴史は、またもや資本主義の破局の明白な徴候を示しているのだ。プロレタリア人民の生活やその子弟の未来もこの血みどろの戦闘によってのみ切りひらかれるのだ。日和見主義は自らのみならず、その子弟もまた仲間も、支配者による虐殺を許す地獄への道案内以外の何ものでもない。一切の死闘を〈プロレタリア革命―蜂起〉のための党と統一戦線の強化からとらえかえさねばならない。

 (3) 革マルとの戦略的対峙下における死闘への突入
@ こうした課題を貫徹せんとしている我々にとって更に重大な課題が存在している。それが反革命的宗派革マルとの死闘の展開である。我々は七五年夏以後、戦略的対峙段階への突入を決定した。
 そして6・24報復を当面の主軸とする死闘へ突入していった。死闘とは、アジテーションの為の修飾語ではない。敵への階級的テロルを含む暴力的鉄槌の貫徹、及び6・24石井同志に加えられた虐殺攻撃を、我々すべてにかけられたものとして思想的現実的にうけとめ死をも恐れず闘い抜くことを意味する。そして、10月8日、6・24虐殺の当事者Aに対する階級的テロは爆発した。我々はまさに死闘に突入したのである。
A この反革命的宗派との党派闘争の死闘の真只中でプロレタリア革命戦略をいかに深化するかということが、重大な任務となっている。我々の戦線の中にも現下の党派闘争に対する批判的見解が出ていることは、決して軽視してはならないものである。出されている問題を正面からみつめ、プロレタリア革命の戦略戦術を全組織的に強化しなくてはならない。
 世界革命運動の歴史の中で、党派闘争が苛烈に闘われた例は沢山ある。ロシア革命の中におけるボルシェビキとエスエル、アナーキストとの闘争、スペイン内乱におけるスターリニストとアナーキスト、トロツキズム的傾向のPOUMとの党派闘争は、全面武装闘争=戦争によって決着がついている。だが、蜂起以前の段階で、このような苛烈な暴力闘争を含む党派闘争が闘われた例はほとんどない。ここに日本におけるプロレタリア革命の特殊性における困難性と複雑性がある。
 六〇年代一杯かけて、反帝闘争から逃亡しつつ、反革命的暴力的攻撃を戦闘的運動に加えてきた革マルは、七〇年代に入るや否や「小ブルバミダシ派の解体」――「暴力革命主義者の絶滅」を叫んで他党派破壊の党派闘争に突入した。この彼らとの党派闘争の全面化をプロレタリア革命路線の下に思想的、戦略的にいかにとらえかえし強化するのか。この問題が「戦略的対峙戦への突入」下において重大なことになって来ている。
B 日本階級闘争の特殊性は革マルという疎外され切った反革命宗派を生み出した。革マルとの党派闘争の全歴史をふりかえれば明白なように、又、革マルの思想と戦略が自ら明白に語っているように、革マルのプロレタリア革命派や他の「戦闘的潮流」に対する破壊攻撃は、一時的な、又は戦術的なものではない。それは彼らの生命線なのだ。階級的反戦闘争と全国学園闘争の真只中で、背後から早大解放派に加えられた反革命的暴力攻撃、青年協の闘争の只中で水道青年部に加えられた攻撃、6・24反革命殺人攻撃。
 彼らは我々の反革命宗派に対する闘争の体制の弱さにつけこんで、その他党派解体戦略を貫徹してきた。国家権力の大弾圧を条件としてなされるこの破壊攻撃を戦略的につかみきり、粉砕し、彼らを解体に追いこむことなしに、革命運動の前進はありえない。プロレタリア革命の勝利は、革命的労働者党の存在によってのみ可能となるのであり、その党派への破壊攻撃を許すことは、革命運動の放棄以外の何ものでもない。
C 今、深められるべき課題は次の諸点であろう。
「革マルの解体とは、一体いかなるものでありいかに貫徹されるのか」
「政治的闘争、軍事的闘争といわれるものの構造は、どのように推進されるのか」
「社共との闘争と革マル解体戦との関連は何か」
 これらが主要に深められるべきものである(尚、労働組合運動をめぐる党派闘争についての総括方針は、革命期における労働組合路線討論の中で提起される予定)。

 (4) 組織的討論を!
@ 組織内において活発な路線討論が行なわれるということは、革命派の生命である。しかも「内容と討論の組織化」は不可分なものであり、「階級的な中味が非組織的に討論される」などということはありえない。非組織的に問題を提起するということは小ブル的なことであり、それは必ず中味の小ブル性の別の表現でもある。活発な討論を組織的に展開することによって初めてそれは党建設とつながる。我々の党派は、この点について非常に未熟である。主要な路線に対する批判がない党派などありえない。その段階にとっている路線が正しくとも、不充分な点が含まれているのが当然である。
 スターリニストの家族共同体的家父長的な「ゆ着」の上に立つ「一枚岩的団結」なるものは、科学性を失った停滞と批判者のぶった切りとバージしか生まない。
 家父長的な指導都の展開や科学性の裏付けのない「直感」や思い付きの託宣をきいて、討論が欠落する。杜氏のなれあいと個別利害の連合組織の中では、そもそも路線討論が行なわれないし、始まれば中途で放棄するか、提起者のパージとなる。小ブル急進主義者の組織は、分業と競争と小ブル的自我の分断の中で、路線討論は必ずその分業に対応した七花八裂の組織分裂を生み出す(ブンドがその典型である)。
A 我々はプロレタリア革命派にふさわしい活発な路線討論を組織しうる党派へと成熟しなくてはならない(その為には、自らをマルクス主義の原則的な地平へと立たせることが大前提であり「マルクス主義文献」の読破を再提起しておく)。
 その為の原則は次の諸点である。
 第一、中央の提起について所属する組織・機関の討論を充分行なうこと。
 第二、現在の方針について批判する権利は、全てのメンバーがもっている。しかしその権利は所属する組織又は機関の充分な討論をくぐることの義務とウラハラの関係にあることはいうまでもない。我々は評論家の集団ではないし、又、アナーキストの集団でもないのだから――。それは指導的メンバーであればある程、この点について厳しくなければならぬ。
 第三、個人的見解と組織とを厳格に区別すること。つまり我々の決定執行構造は「大会―総務委員会―地区委―地区総細胞―工場、大学細胞」という順になっており、それそれにより上級の決定と別に行動すべきでないのは当然である。その種の行動は最高除名処分まで含む統制処分にかけられねばならぬ。
 第四、レッテル貼りを徹底的に拒否し、頑強な内容討論を行なうべきこと。レッテル貼りは自己の路線討論能力の喪失を意味し破産を意味する。「レッテル貼り」の横行は、その組織、又は個人の無内容さと討論能力の破産の証拠であり、発展のない小ブル的分裂の開始である(充分な組織討論が不足していれば、情勢が煮つまる程部局や委員会や地方性やの分業的な骨化が始まり、最後には問題意識が個人のセンスにゆ着し、内容討論不可能な個人的対立、実体的対立――解決する力のない物と物の関係のような対立にいきついてしまうだろう)。

 2 政治(戦略)と軍事(戦略)の関連について

 政治ということは、階級社会における階級闘争についての概念であろう。階級社会において国家が成立しその国家権力を巡る闘争として政治闘争が闘われるのだから――。従って政治ということは、階級社会における「階級的力」=「普遍的力」=「共同体的力」についての概念である。ところでブルジョア社会では、階級社会は次のような立体構造をもっている。個別資本の下に包摂されている労働者は、精神労働は外在化しており、肉体労働という分業に感性的に隷属している。個別資本家は、資本の社会内力の下に、感性的、暴力的支配と精神的支配を行なっているのである。
 ブルジョア社会では、市民社会と国家が分離しており、個別資本の支配力は「国家権力」として「共同体的」に、普遍的に疎外されている(上都構造)。つまり幻想的共同性の下におけるイデオロギー的支配と公的暴力による支配である、つまり支配階級の政治力とは、この幻想的共同性の下に統一されているイデオロギー的支配と公的暴力による支配である(この関係は分業として存在するが)。
 プロレタリアートの政治力とは、この階級的政治的支配力に対抗して思想闘争と階級的暴力的闘争を階級的団結(共同性)の下に統一して「力」としてつき出される。政治力又は政治闘争とは、本質的にこの統一力をいうが、具体的な現象形態は思想闘争、暴力的闘争が相対的独自に分化してあらわれることはいうまでもない。
 闘争とは敵への対抗ということだから「組織面」を闘争としてあるのだから次のように要約しうる。
〈プロレタリア的政治闘争は思想闘争、暴力的闘争、組織的闘争の統一力によって実現される。〉
 ともすれば「政治的、軍事的」という形で使いやすいが、これは厳格にいえば誤りであって、多くの場合「政治」ということが「政治技術的」ということで使われている。
 このように整理してみれば、この間の批判、つまり「政治的解体方針が不充分ではないか」という疑問は、現下の我々の革マル解体戦略そのものの不充分性をいっていると理解すべきであって「政治技術が不充分だ」という風に理解すべきではない。
 政治戦略という用語を次の二つの規定としてつかんでおこう。第一は、その科学性からみた使い方であり、「洞察された必然性」である。第二に、敵との対抗としてみれば、「敵の全面的センメツ、解体の方策」である。このように整理すれば、我々はプロレタリア革命における「戦略」という概念をいかに使用し、またプロレタリア革命派の戦略の立て方がハッキリしてくると思われる。
 政治戦略というのは以上のことからいえば、軍事的闘争と思想的闘争と「組織的闘争」の統一体を表現する概念である。
 従って「プロレタリア革命の戦略」という時に、この政治戦略を意味する。「革マル解体戦略」についても同様である。そしてこの政治戦略の下に軍事戦略が存在する訳である。

 3 プロレタリア革命派の戦略

 ところでプロレタリア革命派の戦略はどのような特徴をもっているのか? それは洞察された必然性の目的意識的貫徹によって敵を全面的に解体絶滅する方策の体系ということである。
 プロレタリア革命派が何故ブルジョアや小ブル宗派に勝利しうる必然性をもっているのかということを社会科学的に明確にし、それを目的意識的に貫徹するのが戦略だということになる。
 それは、次のように要約しうると考えている。ブルジョアジーは、資本主義社会を維持せんとするかぎり、プロレタリアートがいなくては存在しえない。またプロレタリアートを不断に、政治的社会的に搾取し支配せねばならない。しかも資本主義社会の本質から恐慌という全社会的破局を同時にくぐらなければならない。そして資本主義社会が発展すればするほど、この破局の規模は拡大し、深まり、プロレタリアートの悲惨は極限的になる。こうしてプロレタリアートの人間的欲求とブルジョア社会とは全面的矛盾に突入してゆく。
 つまり、ブルジョアジーは、プロレタリアートなしに存在しえないにもかかわらずプロレタリアートを不断に政治的社会的悲惨にたたきこまざるをえない。こうしてブルジョアジー又は全有産階級による反労働者的、反革命的行動が、集中し密集すればするほど人口の大多数を占めるプロレタリアートヘの支配力を本質的には失ってゆくという矛盾をもっている。つまりブルジョアジー又は有産階級の「集中力」は、「社会的な集中力、支配力の喪失」と共に進行するという矛盾をもっている。
 一方、プロレタリアートにとっては政治的社会的矛盾の拡大とそれへの闘争力―集中力は比例し発展する。こうしてブルジョアジーの階級的集中が、全社会的分裂、支配力の喪失となり、プロレタリアートの政治的集中力が累進的発展になる。
 ここに双方の政治戦略の特徴とプロレタリアートの勝利の必然性がある。こうしてプロレタリア革命の戦略は次のように要約しうる。
〈「政治闘争」=「暴力的、思想的、『組織的』闘争」によって、敵のもっている本質的矛盾を拡大成熟させ、その政治力(思想的、軍事的、組織的)を崩壊においこみながら、決定的な時点において、味方の力を集中し、センメツする。〉

 4 戦略方針の破壊作用

 (1) 我々が戦略と戦術を分化して考えるとき「戦術とは戦略の下に駆使される具体的方策」と規定しうる(又は戦略は戦術を媒介として具体的に実現される)。この場合、第一に重要なことは、戦略は戦術の算術的総和によって決っしてスリカエルことはできないということである。戦略は戦略として独白に問題にされなくてはならない。戦術の総和はいかに量的に拡大がたされようとも敵のセンメツにはならない。戦略とは、敵の本質的、普遍的問題にかかわるものであり、戦術とは、その下における具体的方策だからである。

 (2) 戦略の貫徹と戦術の貫徹は、空間的、時間的に差があることを知ることが第二の重要なことである。戦略方針が直ちに実現されて、効果が上がるなどと戦術と同一視した場合は、混乱が生ずるだけである。この意味で戦略は、科学的洞察によってのみ支えられる。
 (3) 第三に大切なことば、戦略的攻撃、戦略的方針は、一貫性をもって、系統的に持続的に保持されることによって、初めて効果が上がる。
 戦略的次元の問題は、敵もそれに対応した処置をとるのであって、一回や二回で効果が上がるものではない。徹底的に系統的に頑強に貫徹されて初めて戦略の意味がでてくる。チョイチョイかえられる様な戦略は戦略でない。戦略方針は、中途半端で変えれば、それ以前の攻撃は無意味になる。何故ならば、戦略的地点の防禦は敵も全力を集中する為、中途でやめれば逆に弱点が補強されてしまう。

 5 近代的ブルジョア国家の特徴

 国家論を全面的に展開することが目的ではないが、この戦略論にとって不可欠な点を明白にしておこう。

 (1)階級支配
 ブルジョア社会はいうまでもなく階級社会であり、それは、ブルジョア的所有(私有)を基礎にして、無産階級を隷属せしめている。この所有をめぐる支配は、感性的な支配を基礎としており、一方プロレタリアートにとっては、感性的活動それ自体が隷属させられている。ブルジョア国家はこの賃労働に対する資本の支配の階級的普遍化を本質としている。プロレタリアートに対するブルジョアジーの暴力的支配、イデオロギー的支配の普遍的「共同体」的実現である。

 (2) 市民社会と国家の分離
 封建社会等においては、領主の土地所有と政治的支配(裁判権、警察権)は不可分である。しかし、資本主義社会では、経済活動は価値法則を通して実現されており、封建社会の様に、土地所有を基礎とする共同体が経済活動の力になっている訳ではない。個別的な資本家を規制しているのは価値法則である。そしてこの経済構造の上に、政治支配の機構は個別資本の支配力とは別に独立している(分業を基礎とする疎外)。
 これは市民と公民の分離でもある。またこの国家の役割は、資本の賃労働に対する支配の普遍的階級的実現、及びブルジョアジー相互の利害調整である。

 (3) 民族を前提とする幻想的共同性
 近代国家の前提には古い共同体がある。部族―胞族―種族の上に成立した民族を近代ブルジョア国家は前提としている。民族は言語の同一性にもっとも端的な表現をみることができる共同性である。近代ブルジョア国家は、いずれかの支配的民族が、他の民族を従属させることを含めて、民族性を前提とする国家―国民として成立する。
 ブルジョア社会は、古い共同体の解体によって新たな国民統合を行なう訳であるが、これは近代ブルジョア国家が、一つの「共同性」を形成することを意味している。
 実現されているものは、支配階級の共同社会であり、プロレタリアートにとっては幻想的共同性に他ならない。

 (4) 膨大な官僚機構を中心とする中央集権国家
 封建社会の特徴が封建領主の土地所有を軸とする地方分権的権力構造であるのに対して、近代ブルジョア国家は、発達した生産力をテコとした徹底的に中央集権的な全国統一権力という構造をもっている(個別資本は、警察権や裁判権はもたない)。しかもその中枢は膨大な官僚的、軍事的統治機構を形成しており、地方末端権力は、この中央集権的権力の一分肢という意味以上のものではない。

 (5) ブルジョア国家と階級支配
 資本主義社会を国家という面からみれば、 「ブルジョア国家」と規定しうる。これは資本制生産の上に成立する国家という意味である。だがそれは、直接ブルジョアジーが政治支配を行なうこととは異なる。つまり資本制生産様式(ブルジョア的私有の上に立つ生産)の上に立っ国家権力をいずれの階級が握るかは、それ独白の問題としてあることである。

 6 階級闘争と革命闘争

 (1) 階級闘争と革命(革命戦争)
 マルクスは『哲学の貧困』の中で、「階級闘争の全面的に発達したものとしての革命」と規定している。ここでは階級闘争と直接的な権力打倒闘争としての革命との連関性と区別性がある。革命は階級闘争と別のものではないが、その全面的に発達したものとして、階級闘争一般から区別されている。この「階級闘争の全面的発達」とは、一体何なのか? それは思想闘争、暴力的闘争を含む共同体的対立(組織的対立)が全面的に成熟したということに外ならない。それは具体的にいえば、「内乱―内戦」又は「革命戦争」を意味する。
 ブルジョア国家に対するソヴィエト(コンミューン)が突き出し、そのソヴィエトとブルジョア国家が全面的に思想的・暴力的に闘うのが革命戦争である。戦争とは従って、本来政治闘争のもっとも全面化したものである。戦争を暴力的闘争という面から独自にとり出してみれば、それは「敵の殺傷を主要手段として敵戦闘力のセソメツを行なう闘争」=「無制限の暴力の行使」である。
 従って「蜂起―内乱」=「革命闘争」の段階ではすべてこの革命戦争に集中されるし、他の闘争形態は、全く補足的な役割しかもちえない。
 問題は「敵の殺傷を主要な形態とする敵戦闘力のセンメツ」のみである。
 従って革命闘争と区別される意味での階級闘争とは、プロレタリア階級の思想性、暴力性、組織性が全面的に発展していない段階における政治闘争を意味する。

 (2) 政治戦略と軍事戦略の関連について
     ――敗北的軍事主義と軍事的投降主義から明確に区別せよ
@ 我々は、第一に政治戦略なき軍事戦略は徹底的に批判しなげればならぬ。政治戦略の下で初めて軍事戦略が有効な力を発揮しうるのであり、政治戦略が誤っていたり敗北していて、軍事戦略のみで勝った戦争などどこにもありはしない。これはいかなる歴史上の戦史をみても明白なのであり革命戦争についても同じである。
 帝国主義間戦争では第一次大戦のドイツの敗北、第二次大戦の日本、ドイツの敗北がその好例である。また勝利した革命戦争としては、ブルジョア革命としてのイギリスのピューリタンの革命戦争、フランス大革命戦争、ナポレオン戦争、アメリカ独立戦争、日本の明治維新革命戦争、西南戦争etc、近くはロシア革命、中国革命、ヴェトナム革命。いずれの場合でも勝者は、政治的に敵対者を内部崩壊させる政治的、階級的力を最大限に生かして敵対者の本質的矛盾を拡大させ、軍事的決着をつけている。
 多くの場合、兵士の強さにおいて劣る場合でさえ、政治戦略の優越性は、最終的軍事的勝利を生み出している。
 政治戦略の誤りの上に立つ軍事戦略は何故敗北するかといえば、敵の殺傷が結局敵の憎悪を深め強化するのみで、出発点では勝利しても、最終的には敗北してしまう。つまり、相手の本質的内部矛盾を深化させる政治性の下、暴力的打撃を加えてゆくことにより、初めて軍事的勝利が、政治的全面勝利につながる。この好例が、第二次大戦のドイツ・日本のファシスト軍隊の諸戦における圧倒的勝利と最終的全滅である。
 クラウゼヴィッツが正しく述べているように、「戦争は政治の延長」であり、又、戦争の勝利は結局「闘う意志」の問題にかかわる。どんなに圧倒的な軍事的な勝利が一時的にあったとしても、それが相手の政治性を解体させる政治性をもたず、単なる「憎悪=闘う意志」を拡大させるのみであれば、それは最終的勝利ではなく、一時的な勝利であり、最終的に敗北する。
 我々は、これを「敗北的軍事主義」と名づけておこう(中核や赤軍の路線)。
A 次に我々が突破しなくてはならないのは、「軍事的投降主義」又は「政治技術主義」である。
 国家権力との闘争、又は反革命的宗派との闘争の双方において、その根本的利害は私有(分業)を巡る感性的なものなのである。
 従ってその階級的利害又は支配力が破局に直面していても、プロレタリア革命派を暴力的、軍事的破壊攻撃で粉砕し危機をのり切ってしまう。
 どんなに思想闘争において相手の矛盾を拡大し、また様々な政治技術によって相手を包囲しても、この暴力的軍事的闘争から逃亡するかぎり、絶対に相手を粉砕することはできない。それどころかプロレタリア大衆や先進的プロレタリア戦士を大量に虐殺させプロレタリアートの利害をうらぎることになってしまう。
 プロレタリア革命は本質的に暴力革命であり、それは「武装蜂起――革命戦争」=「階級闘争の全面的に発達したもの」として爆発する。従って暴力的闘争や革命戦争をさけて、プロレタリア革命を目指すことがおかしなことなのである。
 しかも、革命運動として非常に重要なことは「戦略一般や原則的なものの一般的確認」のみではない。それが現実の階級闘争の中でどのようた具体的なあらわれ方をしてくるのかということについての徹底的な解明と戦術化なのである。こうしたことを欠落したとき、「暴力革命の一般的確認」が現実的日和見主義者に転化してしまう。とくに革命期においては、その「具体的な問題としての解明」と戦略―戦術化である。
 こういう意味では、戦闘組織の確立と軍事的戦略・戦術の推進は、我々の党派が、集中的に強化し、この分野における革命的地平をやりきらなくてはならない。

 7 革命期における戦略・戦術

 (1) 問題の所在
@ 我々がもっとも力を集中して確立すべきものは、革命期における戦略である。この場合、革命期というのは直接的な蜂起の時点ではない。我々が戦後第二の革命期というのは、第二次大戦後の世界資本主義の体制が崩壊し、帝国主義的再編に突入した六九―七〇年以降を指している。つまり、いわゆる「相対的安定期」ではなく、時期として「革命期」に突入している時の戦略である。いいかえればそれは、〈政治闘争(思想的、暴力的、組織的)を階級的、革命的に推進し、現実化しつつある階級支配の本質的矛盾を徹底的に拡大、深化させ、ブルジョア国家の政治支配力を崩壊においこみながら、プロレタリア革命党を核とするプロレタリア統一戦線を主軸としてあらゆる階級闘争―組織を「プロレタリア武装蜂起――革命戦争勝利――プロレタリア独裁樹立」のために再編的に発展させる戦略、戦術〉ということになるだろう。相対的安定期とは区別された革命期に突入しており、それが「蜂起―階級決戦」にまで煮つまってゆく時期の戦略である。
 この時期における戦略、戦術の確定において、我々は次の二つのブレを突破しなくてはならない。
 第一のブレは、革命期以前の「相対的安定期型」の運動の単なる延長に闘争―組織方針を考える誤りである。第二の誤りは、蜂起―決戦の時点における問題を戦術主義的、技術主義的に、現在にひきよせて、闘争―組織方針を立てる誤りである。
 第一の誤りは、すでに階級闘争が革命期に突入しており、ブルジョア社会の本質的矛盾の表面化とプロレタリア階級闘争の革命的発展が始まっていることを見落している。従って、当然のことながら、あらゆる階級闘争を階級決戦―蜂起からとらえかえして、再編的に発展させることをしないことになる。これは自然発生性への拝脆そのものである。いや、むしろ、自然発生的にはそれをこえたものが始まっているのに、自らは、それ以前の視点から現状をみてしまうという傾向におちこんでしまう。
 第二の誤りは、プロレタリア武装蜂起は階級社会の政治的・社会的矛盾の拡大の中でプロレタリア政治闘争がたたかわれ、それによってブルジョア国家の政治支配が崩壊してゆくということを決定的条件として成功するということを忘れている。むしろこの面は小ブルジョア的政治性又は自然発生的改良主義的政治闘争にまかせ、自らは小字宙の中で「蜂起の技術」に熱中するということになる。
 問題の核心点は、革命期にふさわしい階級的革命的戦略・戦術の展開により、ブルジョア国家の政治支配力を崩壊させプロレタリア武装蜂起(決戦)の内実をいかに準備するかにある。
A さらにもう一つの重要なことは、一般的には各国階級闘争に共通化しているにしても、独特の強度をもって闘われている、日本における党派闘争の日本階級闘争の中での戦略的位置づけの問題である。
 この問題は、直接的対応のみならず、思想性、戦略、戦術の次元においても日本革命運動の死命を決するものとして、正面から「戦略論」としても問題にしきらなげればならない。いうまでもなくそれは、反革命宗派のみならず社共等を含むものである。

 (2) プロレタリア革命戦略における直接性と媒介性
@ プロレタリア革命の戦略は、いうまでもなく「帝国主義打倒」である。これは世界革命、永続革命としてのみ貫徹しうる。
 だが、このプロレタリア革命が貫徹されるためには、不可欠なものとして宗派の解体闘争が勝利的に推進されねばならない。何故ならば、反帝闘争一般のかぎりでは、様々な小ブルジョア中問階級の利害の下にプロレタリアートが収約されてしまう。従って反帝闘争をプロレタリア的に貫徹しきるためには、反帝闘争の断固たる推進と共に、小ブルジョアジーの利害を党派的に体現し、プロレタリアートを物理力にしている宗派との党派闘争によって宗派を解体しつつ、同時にその闘いを通してプロレタリアートをおおっている小ブル的なものを解体し、プロレタリアートの階級性、革命性を深化発展させることが不可欠になる。
A こうして、帝国主義打倒という方針にとってその展開構造を正確につかみとるならば、直接的在帝国主義との闘争と宗派との闘争は、本質的に相互媒介的な関連となっている。
 反帝闘争は、直接には小ブルとの闘争ではないし、また小ブルとの闘争は、直接には帝国主義との闘争ではない。この二つの相異はハッキリさせておかなくてはならたい。このうえに立ってこの相互関係をみれば次のようになる。
 第一に、反帝闘争の激化は、必然的にプロレタリア的な反帝闘争と小ブル的な反帝闘争の区別をひき出してゆく。
 第二に、こうして小ブルとその下に収約されているプロレタリアートの間の対立の激化をもふくめて、プロレタリア革命派と小ブル宗派との対立の激化がはじまる。それはプロレタリア革命派と小ブル宗派の党派闘争として、反帝闘争とは相対的に独自に闘われることになる。
 第三に、このプロレタリア革命派と小ブル宗派との党派闘争により、プロレタリアートの階級への形成と党への形成は深化し、従って新たなる深められた目的意識性をもってプロレタリア的反帝闘争が闘われることになる。
B このプロレタリアートの反帝闘争の中にふくまれている反帝闘争と小ブル宗派との闘争の直接性と媒介性は、プロレタリア革命運動にとって本質的な構造としてあるのだということをしっかりとつかみとらねばならないだろう。
 この場合、絶対にふまえたくてはならないのは次の点である。
 プロレタリア革命派以外のすべての党派は結局のところ「反帝―人民主義」なのである。この「人民主義」の中身は、いろいろであるが――。プロレタリア革命派にとっては、反帝闘争一般では、不充分なのであり、その闘いの真只中で小ブル的なものからプロレタリア性を独立させる闘争が必要なのである。従って小ブル派にとっては、自分の「小ブル反帝闘争」にすべてを従属させるということが「党派闘争」になり、本質的なところでは、戦略的な位置がないので、その党派闘争が激化すれば党派闘争と反帝闘争が同一化されざるをえなくなってしまうのである。中核の「K―K連合」「ファシスト」、革マルの「謀略論」「黒三角同盟」などがそれである。こうした政治主義的規定は、一般的に通用するように思えてもプロレタリアートの階級化、革命化には少しも役に立たないゴマカシである。またこれは、「反帝闘争」と「スターリン主義打倒闘争」とを並列化してしまっている「反帝・反スタ戦略」の別の表現でもある(完全な裏がえし)。
C 我々は日本革命における解体すべき主要な宗派として、社民、スターリニズム、反スタ・スターリニズムをあげることができる。この他に「反スタ・スターリニズム+ブランキズム」としての中核、「スターリニズム+ブランキズム」としての赤軍派がある。
 これらの宗派の解体闘争がそれぞれどのような構造をもって展開されるのであろうか。
 日本階級闘争において諸党派の政治地図をみてみるならば、次のようになっている。
 新中間層的な利害を代表している社会民主主義(協会派を軸とする)としての社会党は、没落しつつもなお総評を通して日本プロレタリアートの主力を支配している。たしかに民間は右派に制圧され、組織は官公労主軸となっているが、革命期が深まる中で結局戦闘力をもつ官公労が日本労働運動総体を依然としてリードしている。そして、この官公労の組織されたプロレタリアートを組合主義的に固定化しつつ社会党が支配している。
 社民化しつつあるスターリニスト党=日本共産党は没落しつつある都市小ブルの利害を代表し、同時にプロレタリアートヘの支配力をつよめんとして、総評への切りこみを策している。この社共は、既成の小ブル党派として、日本プロレタリアートを収約しているが、その構造は次のようになっている。
 すでに革命期の深まりの中での矛盾の拡大により戦闘的プロレタリアートは、社共の支配下から離脱しているが、一方でプロレタリア大衆全体の「戦闘化」は、反自民、反民社、反公明という点で、逆に社共を一定程度浮上させるという現象をおこしている。
 日本革命の命運は、マルクスやレーニンの引用を行なうまでもなく、大産業の組織化されたプロレタリアートの力に左右される。このプロレタリアートが杜氏及びスターリニストの支配の下にとどまるか、プロレタリア革命派へと発展するかが極めて重大な意味をもつ。従って社(共)を突破せんとする潮流にとっては、社会党の基礎及び社会党そのものの解体は戦略的な位置をもっている。日共にとっても依然として当面の主軸はそこにある。
 社会党解体の方針は、小ブル派にとっては、「加入戦術」と外からのゆさぶりの組み合わせである。これは、日共が伝統的にとってきた方策であり、又、革マル、中核がとってきた方針でもある。我々にとってこれは、分派闘争路線として定式化してきた(現在のそのあり方は別に提起)。
 ところで革命期の中で、すでに一定の大衆的基礎を背景にして社共と区別された潮流と党派の建設が現実化してきている。六〇年以降発生した「新左翼」といわれる諸潮流の分岐、再編も戦略的次元では一段落し、プロレタリア革命派としての我々以外、反帝・反スタの革マル、中核、第四インター、スターリニズムヘ屈服を開始したブンド諸派という状況になっている。
 この中でブンド諸派は(ほんの一部を除いて)ほとんどプロレタリア革命路線を放棄してしまっており、ゲリラ戦主義に埋没している。そして毛沢東主義、ベトナム労働党路線などのスターリニズムに屈服を深めている。
 しかし、革共同車マル、中核、インターの三派及び我々は、産業プロレタリアの組織化を、様々な闘争―組織方針上の差異はあるにしても、主軸にすえている。革マルは「イデオロギー主義+組合主義」として、中核は「大衆暴動主義+組合主義」、インターはあらゆる意味で本質的な中間派として――。
 こうして杜(共)の足下から、プロレタリア運動が独立を開始した段階では「社(共)から独立した闘争―組織の確立及び社(共)の更なる解体闘争」ということが、形は異なるにせよ、これらの党派の方針となっている。中核は六〇年代中期までの加入戦術を六七〜六八年段階で完全に清算し、反戦による外からのゆさぶりに切りかえた。革マルは党派的には加入戦術という形での独立を保ちながら、むしろ労働運動では社会党への加入戦術を強化している。
 世界的にも日本的にも社(共)の破産は既成事実である以上、「新左翼」にとっては、社(共)から独立した闘争―組織を確立しつつ、更に社(共)の基礎とその党そのものの解体闘争を推進することが革命期の方針となる。逆にいえば、社(共)からの党内独立と運動上の独立、更に社(共)への更なる解体闘争を唯一だし切った党派が日本革命の主流派として登場しえる。これは路線のいかんにかかわらず直面している問題である。
 この構造の中で六九・七〇闘争から逃亡した革マルが、闘った部分に対し、国家権力の大弾圧を条件として、杜(共)の左に突き出した闘争―組織への破壊攻撃を全面化したのである。これが後にくわしくみるように六九〜七三年革マルが「オセオセ」スタイルで図にのって拡大した党派闘争の構造である。
 社(共)の基礎、及びその本体の解体は、革命期に突入している現段階では、社(共)から独立した闘争―組織の確立ということが絶対条件となる。それは〈分派闘争路線〉の発展である場合でも〈加入戦術の延長と清算〉の場合でも同じである。だから革マルは、我々や中核をつぶしてしまえば、日本プロレタリアートの主力を自分達が支配できると思ったのである。しかも革マルは反帝闘争を市民主義、組合主義として固定化した上で、他党派解体攻撃を唯一の「革命運動」としている宗派である。この疎外構造は、正に日本的小ブルジョアジーの特殊性をもっている。
 後に詳しく述べるにしてもそれを要約しておけばプロレタリア人民の自然発生的闘争の中には、階級性、革命性が一滴もないとして、それから断絶したところで小ブルイデオロギー運動を推進する。
 しかも彼らは「基底体制還元主義批判」なるものによって思想の社会的基礎を問題にしないため、「イデオロギーの粉砕」=「イデオロギーの実体」としての他党派の暴力的破壊になる。こうして反帝闘争の市民主義、組合主義的固定化と他党破壊攻撃の全面化という方針が出てくる。ここに日本的小ブル党派の反革命性の特質があり、蜂起―内乱以前における党派闘争の死闘的展開の根拠がある。D 以上を要約すれば、次のようになるだろう。
 第一――反帝闘争と反宗派闘争は、本質的な媒介構造をもっている。
 第二――日本革命の勝利にとって、社(共)の解体闘争は依然として戦略的な中心軸である。
 第三――だが革命期においては、社(共)と独立した闘争―組織が確立され、それをもって社(共)にかかわることが問題次のである。
 第四――日本的小ブル宗派、反革命的宗派としての革マルはその特質からいって反帝闘争における改良主義と他党派解体攻撃を戦略としており、革命期に突入して以来、社(共)の左に突出する潮流の破壊攻撃を全面化した。
 第五――こうして我々は、当面反革命的宗派革マルの解体戦を、社(共)から独立した闘争―組織の確立と共に、勝利的に推進しつつ、社会党解体の戦略的高地を確保するための闘いという方針が展開されねばならない。

 (3) 革命期における帝国主義打倒闘争の戦略方針
A プロレタリア武装蜂超勝利――プロレタリア独裁樹立を目指して進む階級的革命派の政治戦略とは何か?
 @勝利したプロレタリア革命の唯一の例はロシア革命しか存在しないが、我々はこの中から重大な教訓を学びとらねばならない。逆にいえば敗北したいくつかの革命の例の総括の視点にもなる。
 プロレタリア革命の勝利の時の決定的条件は、第一に、広義の国家つまり幻想的共同性が根底から破壊され、国家による人民の収約が完全に破綻していることである。これは資本主義の経済的破局を基礎にした政治的破綻によってのみ生まれる。こうした経済的、政治的破綻の中でのみ、国家機構の破壊(官僚的、軍事的統治機構の破壊)が可能となるのである。
 第二に、いうまでもたく、革命を遂行する主体が「死をも決意して闘う」体制を組織的に確立しきっていることである。具体的には共同戦線を展開しうる能力をもった党と統一戦線の確立にほかならない。
 A歴史的にみた場合、ブルジョア国家の政治的崩壊は、次の二つのパターンにわかれる。但し、この例のうち、スベインの場合は国家論的により具体的な分析が必要であるが。
 第一の部類は帝国主義間戦争で敗戦国側又は弱い側の国家の政治支配が崩壊してゆく場合である。第一次大戦のロシア、ドイツがそれである。
 第二の例は、必ずしも帝国主義間戦争と直結せず、具体的には選挙の結果成立した中間政府(人民戦線)により、政治攻防が激化し、内乱へ突入してゆく場合である。スペイン及び最近ではチリ―の例がある。
 更にこれらのこと自体が歴史的な階級形成に大きく規定されている。例えば第一次大戦への突入の段階では、ファシズムの勝利が戦争に先行した訳ではない。そして大戦の敗北の結果におきた政治的崩壊と大衆の矛盾の極限化の中で革命が起きている。ところが第一次大戦後、ロシア革命が勝利したため国際的なブルジョアジーや有産階級の階級意識が一層進行する。こうして第二次大戦をめぐっては、戦争突入以前に階級決戦が闘われ、ファシストが勝利した上で戦争に突入する(一九二二年イタリアファシズムの勝利、一九三三年ドイツファシズムの勝利)。更に第一次大戦の教訓により「先進国」では勝利した連合国側か、アメリカが軸となって、革命の高揚を粉砕してしまう(第二次大戦直後の革命の勝利は、アメリカの軍事力が及ばなかったヨーロッパ東部戦線と中国大陸のみであった)。
 B第二次大戦以降の階級闘争の前進の中では、階級決戦以前に帝国主義問戦争に突入するというようなことはほとんど考えられない。
 階級決戦の到来の仕方は、次の三つ以外に考えられない。
 第一は「後進国」革命の爆発により「先進国」が反革命的介入戦争に突入し、それにより国内の階級矛盾が激化する場合。
 第二は、スターリニズム国家と帝国主義の「体制問戦争」。
 第三は「先進国」階級闘争における中間政権の成立等を契機とした決戦の到来。
 第一のパターンは、その「後進国」革命のプロレタリア性の度合と「先進国」への影響の度合で決まるだろう。ヴェトナムはその点、この二点においてブルジョアジーが許容しうるギリギリの範囲だったろう。
 現段階で日本階級闘争が一国的に、国内的にのみ煮つまることなどありえない以上、実際は第三の国内階級闘争の煮つまりと第一又は第二のものが結合する形で、階級決戦がやってくるだろう。
 日本ブルジョアジーが第一、第二のものへふみきりうるとしたら、国内におけるプロレタリア革命派のセンメツを条件としてのみ可能である。
 逆に又「後進国」階級闘争(とくに朝鮮階級闘争)の急速な煮つまりと革命の勃発は、日本階級闘争を急速に促進させるだろう。
 C第一次大戦の直後の革命のように帝国主義間戦争によって、支配階級の政治支配力が崩壊してしまうというようなパターンがほとんど考えられない以上、プロレタリア革命派の戦略は、次の点に集中されねばならない。つまり、世界的な経済恐慌の到来と前後する政治過程の急速な煮つまりを巡って階級決戦がおこる。ファシストの勝利は、プロレタリア革命派の全滅を意味する以上(ドイツ、インドネシア、チリーを見よ)中間政権の成立又は崩壊をめぐって「ファシズムか革命か」の決戦が闘われることになるだろう。
 この場合、我々が注目したげればならないのは、帝国主義間戦争の只中で政治支配力が崩壊するというのでない以上、経済的破局の中で進展する政治過程で、ブルジョアジーの政治支配力を崩壊させてゆく闘争が目的意識的に推進されねばならたいことである。
 Dプロレタリア独裁の中身が「働く階級が同時に政治支配を行なう」ということである以上、プロレタリアートの革命運動はこれを展開するものでなければならない。
 そもそもプロレタリア階級が、社会的隷属の根底から資本と対決しつつ政治的頂点を攻撃するのでなければ、ブルジョア国家は決して崩壊はしない。こういう意味でブルジョア国家の「経済的基礎をゆるがしつつ、政治的頂点を攻撃する」という基本的方針はゼネストを内包した政治闘争に収約される。
 ブルジョア社会の経済的基礎への攻撃とは、企業への物理的破壊攻撃ということではない。
 資本に社会的に隷属しているプロレタリアが、その社会的隷属への闘争と共に、それを通して階級へと形成されてゆくことが敵への打撃なのであり、企業への物理的破壊攻撃によって、資本主義の経済的基礎が崩壊するのではない(いわゆる企業爆破なる戦術は、サンディカリズム又はアナーキズムの思想、戦略へのブレを持っている)。
 ゼネストを内包する政治闘争ということを構造的に整理すれば、次のようになるだろう。それは、次の三つの要素に政治的に分化しうる。
《第一は》大衆ストライキ→ゼネストの闘争である。それは、個別資本との闘争を背景としつつそれを政治的に結合し、政治ストライキとして発展させる闘争である。このストライキの政治的意義は、今のべたように、プロレタリアートの社会的隷属の場そのものを階級的団結で制圧し、政治的攻撃に向かうということである。これは、更に大量のプロレタリアの階級的変革のテコとなるであろう。今後階級闘争が強まるにつれて、民間個別闘争の本山型の激化、官公労の長期ストが拡大してゆくだろう(類比としていえば六〇年代階級闘争において、六六年の早大闘争から、六八〜六九年の全国的教育闘争の爆発がある)。
 プロレタリア運動が、圧倒的多数者の決起となるためには、直接的な生活上の要求と革命的要求が結びつく場合のみである(ロシア革命における「平和とパンと土地」のごとく)。
 我々にとってのこの分野における闘争は次の諸点であるだろう。
 第一点は、官公労、民間、予備役プロレタリアートを貫く各産別、戦線行動委の形成と地区的結合よりなる全国行動委連合をつくりきること(ソビエト運動の目的意識的追求)。これにより民同が主軸となって闘われるストライキ闘争を不断に階級的、革命的に再編する闘いを強めること。この場合、我々が歴史的に教訓化している点は、「行動委と組合は直接には対立して出てくる」という点である。従って行動委による組合の再編という時には、下部組合機関、青年部更に親組合の機関の拠点的制圧が、一定の長期的展望の下になされていなくてはならない。つまり行動委的闘争と組合的闘争の結合点を拠点的に確立してゆくことが大切である。更に戦闘的組合相互の共闘の系統化が重大な意味をもつ(労組青年部共闘)。
 それが可能なためには、組合機関メンバー、行動委メンバーを路線的に統一している革労協産別委がなければならない。これによる路線的、戦略的指導がなければ、「行動委主義」と「組合主義」に不断に分裂するしかない。これは運動論的には、社会運動の階級的政治的発展のルートの組織的確立を意味する。これが路線的に確立されていないかぎり、「個別闘争」と「政治闘争」のひきさかれを突破しえない。
 第二点は、政治ストライキの性格の把握である。政治ストライキは、一定の歪曲がありながらも闘われているスト権闘争やイタリア、イギリスのゼネストのように「要求闘争」と「権力闘争」としてのゼネストがある。
 我々の方針は、「要求闘争」を「階級的要求闘争」へと再編しつつ、「権力闘争」への発展を統一戦線をテコとして推進するということであろう。
 第三点は、ストライキ闘争がもつブルジョア国家の幻想的共同性の破壊という側面を目的意識的に展開するということである。ストライキと結合した大衆デモのもつ帝国主義軍隊に対する破壊力は、我々が徹底的に重視しなくてはならないのである。この点、軍隊関係労働者の組織化、攻撃の焦点に軍隊を常に設定してゆくことは非常に重要である。
 第四点に、このストライキ闘争は、被差別プロレタリアを軸とする予備役プロレタリアの闘争と結合しつつ、全階級的な地区共闘へのエネルギーを出発点からもっていたげればならない。予備役プロレタリアートの闘争との社会運動面における結合は非常に弱いが、歴史的に部落解放同盟を軸としてつみ上げられている社会運動との結合がこのポイントであろう。我々にとっては、行動委連合の戦線と産別の地区における結合であろう。
《第二は》大衆的実力闘争、大衆的武装闘争の発展である。これはストライキと相互関連をもちたがら、あるいはそれを背景としながら、その闘争を政治権力中枢へ突き出してゆく為には、非常に重大な力をもつ。「スト権闘争」に典型的たように官僚ストライキはストライキによって生まれる階級的闘争力を分散させてしまう。ストライキは、拠点制圧の上に立って、大衆的実力闘争デモとして集中力を発揮してゆかないかぎり、決して政治闘争の物理力という意味を超えることはできない。しかも、この闘争によって、ストライキによって生まれる大量のプロレタリアの戦闘化が具体的なプロレタリアートの政治部隊となって、組織的に実現されるのである。これは民間、官公労の区別、更に現役と予備役の分断の突破たりうるのである。
 この闘争にとって重要なことは次の点である。
 第一点は、あらゆる共同戦線の中核として闘争を階級的、革命的に推進させるプロレタリア統一戦線の政治部隊(反戦青年委、全学連等)を強力に確立しきること。これは実践的には、プロレタリア解放闘争の中心的推進力となるものとして鍛え上げねばならぬ。しかも、この部隊は、反帝闘争と共に宗派との階級攻防戦を究極的にも闘いうるものとして建設されねばならない。
 第二に、組織形態は地区を基軸に形成されるべきであろう。次に述べる共闘関係を含めて闘う地区共同を基礎とする政治部隊として建設されねばならない。
 第三点は、プロレタリア統一戦線を軸とし、更に断固たる宗派との闘争の推進と共に、共同戦線の広大な発展の推進力たらねば、決して革命の貫徹はできない。断固たる反革命宗派との死闘と共同戦線展開能力とは統一的に展開されるのである。
《第三は》プロレタリア都市ゲリラ戦の現段階的貫徹である。我々はこれを「プロレタリア都市ゲリラ戦の現段階的貫徹」と正確に表現しなければならない(その理由は後に詳しく述べるが、ゲリラ戦・パルチザン戦等は、軍事用語であると共に政治性をもあらわす用語なのである)。
 この闘争は政治的には次のことを意味する。
 第一、すでに述べてきたように「先進国」革命においては、「蜂起―革命戦争」であって、「内乱・内戦―蜂起」では狂い。これは戦略上とのような意味をもつかといえば、蜂起以前においては、ブルジョア国家の政治支配力の崩壊のために、一切の闘争―組織が収約されねばならない。
 このことを前提とした上で、革命期においては次の点において、相対的安定期とは異なって、明白に軍事的要素が闘争―組織上、目的意識的に展開されねばならない。
 それはまず、〈ブルジョア国家の政治支配力の崩壊の促進〉のためであり、また今みた性格の中で、〈蜂起―革命戦争への転化の質を準備する〉ということである。
 この革命期におげる〈階級的革命的戦略、戦術〉の中でこの要素を位置づげるならば、この戦闘行動の成果は、それがどれだけ政治支配力の崩壊を促進したかという政治的効果から判断されるべきである。この上にたって、この展開それ自体からみれば、闘争―組織上軍事的論理に貫かれていることはいうまでもない。更に、次にくわしく見る様に、この闘争の単なる延長上に「蜂起」があるのでは在いが、その準備の性格をもっている。
 第二に、こうした闘いである以上、この闘争はストライキ、デモと内容上、明確に結合して闘われねばならない(形態上、組織上の区別は当然存在する)。そして、この攻撃は主に次の目的で闘われるだろう。〈政治的権威の失墜〉〈憎しみの集中点へのテロを含む打撃〉〈政治的又は軍事的撹乱〉
 第三に、この戦闘行動=「軍事行動」の質は、正確に階級形成の段階を踏えながら闘われねばならない。プロレタリアートの目的意識的戦闘行動とは、直接的な暴力的打撃のみならずそれが国家権力の弾圧に直面しつつも更に、その階級の階級情勢に応じて〈党と統一戦線の階級的・革命的発展につながる〉という組織的準備を統一して貫徹されない限り、まさに自然発生的な又はゲリラ主義的な「戦闘」であり、いかに「過激」に闘われようとも分断され壊滅する。我々の戦闘行動の賢いかんは〈階級情勢―政治過程〉〈総体の階級形成と党建設の度合い〉によって正確に判断されねばならない。
B 「蜂起の序章期」、「革命前夜」、「蜂起の時点」
 革命期全体の政治的把握については今までの整理をこえた深化が必要なところにきている。このことを前提とした上で、今まで行なってきた把握の整理をしておこう。
 戦後第二の革命期という把握は、革命期全体についての「期間」としての把握である。この革命期という把握は、直接レーニンのいう蜂起の時点をさしている訳ではたい。
 我々は今までこの革命期の中での「革命前夜」――「蜂起の時点」以前を「蜂起の序章期」とつかんできた。これは革命期全体が「階級決戦――蜂起、革命戦争」からとらえかえされねばならぬという理由からそのように内容規定したのである。更に、より具体的にみれば「革命前夜」、「蜂起の時点」ということが革命期には含まれることは当然である。
「革命前夜」というのは蜂起直前のある時期を示す。ロシア革命をプロレタリア革命という点からとらえかえせば、一九一七年二月〜十月までの時期が「革命前夜」である。この「革命前夜」は、それ以前の階級的革命的政治闘争―組織を全力で「蜂起、革命戦争」に向けて再編成する時点である。
 この時期は歴史的にみれば、中間政権の崩壊期にあたり、崩壊しつつある中間政権の下で、それと別に自然発生的にか目的意識的にかソヴィエト権力が二重権力的に成立している(ロシアのソヴィエト、チリの産業コルドン、ドイツのレーテ、スペインのコミューン的権力)。従って政治的には、ソヴィエト権力の樹立とそのヘゲモニーをめぐる攻防に総力を集中している時期であり、軍事的には常備軍の解体と軍事的決戦に向かってすべての力が集中されねばならぬ時期である。
「蜂起の序章期」の「階級的・革命的戦略、戦術」は、この「革命前夜――蜂起」の中味をどれだけ準備しえているか、という問題をめぐっている。要約すれば〈あらゆる苛烈な闘争に勝利しえる党建設〉〈ソヴィエト運動の展開〉〈武装蜂起の準備〉の三点である。
 ブルジョアジーの動向、人民戦線の分析、ファシストの解明をこの時期にあわせて一層深めた研究が必要である。
C 「赤衛隊、赤軍建設――武装蜂起」からみた「階級的・革命的戦略、戦術」の展開
 @「プロレタリア革命の勝利――プロレタリア独裁の樹立」は、全国的に成立するソヴィエトとファシズムとの具体的な革命戦争で決まる。
 世界的な経済恐慌の爆発を根本的原因としておこる階級決戦は、ソヴィエト(コンミューン)とファシズムの決戦という政治的決戦をひきだす。すでにみてきたように、ファシズム政権の成立は、ほとんど左翼の全滅を意味する以上、歴史的にみればほとんど中間政権の崩壊時が決定的なポイントである。資本主義の経済的破局は、プロレタリアートの政治的、社会的対応をひき出し、自然発生的にも生産と政治を統一した「コンミューン」を全国的にも生み出す。この「コンミューン」がどの程度プロレタリア的、革命的なものかは、それ以前の闘争が決めるだろう。両階級の階級意識がいちじるしく発達している第二次大戦以降は「中間政府―→ファシズム」の過程が予測よりもはるかに早くなることも考えられる。また自然発生的な「コンミューン」の成立の早さ遅さもより注意せねばなるまい。いずれにしても「階級闘争の全面的発達として革命」(マルクス)とは、コンミューン(ソヴィエト)とファシズムの全面戦争を意味する。
 Aところで、この問題は結局コンミューンの武装という点に最終的に収約される。歴史的に勝利した革命は次の二つを絶対的な条件としている。第一は、支配階級の全人民的な政治支配力の喪失。第二は、第一のことに伴う常備軍の解体。断固たる反革命政府に指揮された解体されないく正規軍としての力を十二分に保持したままの反革命軍〉と闘って勝った革命は一度もない。政治支配力の崩壊の促進という「階級的・革命的戦略、戦術」としての政治闘争方針については今まで述べてきた。その上に立って、それがいかにして革命戦争の準備になっているのか、いかに転化するのかについて基本的な点を述べよう。
 B〈革命の武装〉と〈蜂起の勝利〉は歴史的にみて、次の点にかかっている。
 第一に、いかなる軍事戦闘にも死を恐れず突撃し、闘いぬきうる戦闘部隊の存在。これは蜂起時における奇襲の主力であり、また正規軍戦における士官群になるべきものである。従ってゲリラ的能力と共に正規軍指揮能力をも持った部隊の建設である。この部隊は、革命期全体における帝国主義と反革命的宗派とのゲリラ戦的死闘によってのみ生み出しうる。
 第二は、少なくとも数千から数万の断固たる正規軍的突撃の主力となるべき部隊の存在。ロシア革命を例にしていえば、蜂起の主力となった赤衛隊となるべきものである。これは主に反戦青年委運動等の大衆的武装闘争によって産出されるべきものである。しかもそれは、プロレタリア統一戦線として目的意識的に組織されていなくてはならない。
 第三に、帝国主義軍隊の解体の具体的な推進である。これは隊内工作と外部からの政治闘争によって形成されるだろう。これについては、「先進国革命」の決定的ポイントであり組織の力を集中せねばならない。
 チリ革命の敗北は、結局チリの軍隊が政治的に無傷のままのこり、アジェンデの政策を逆手にとって軍隊がさかんに労組注どの「武装狩り」を行なって革命派の武装解除を完全に行なっていたことによる。ポルトガル革命の困難性もこの点に集中している。
 C「革命の武装」については、歴史的には次の二つのパターンがある。
 第一のバターンは、ロシア、ドイツ型のパターンである。つまり帝国主義軍隊の崩壊により兵士ソヴィエトや兵士レーテが成立してゆく場合である。だが、帝国主義間戦争がほとんど考えられない以上このバターンはあまり考えられない。第二のバターンは、スペイン革命の武装パターンである。「王制の崩壊」―「共和制の成立」――「ファシストの勝利」―「人民戦線の勝利」という政治過程が「選挙」という形態として進行する。この人民戦線の選挙における勝利により、おいつめられた軍部を軸とするファシストが反乱を計画するが、人民戦線側の圧倒的な大衆デモが兵営に突入し、人民が一挙に武装してしまう。これが全国的におきる。こうしてスペインではファシストは完敗し、植民地からファシスト軍の反乱がはじまっていく。
 我々は、この二つのパターンを徹底的に研究し「革命の武装」の日本における方針を確立しなければならない。一般的に見通しうることは、第二のバターンに近接すると思われる。つまり帝国主義軍隊が政治闘争の革命的高揚の中で崩壊してゆくというパターンが重大な指針になるだろう。但し、その具体的なあり方は、かなり異なるだろうが――。
 D蜂起の勝利は、歴史的にみて次の要素より成立していると思われる。
 第一は、奇襲攻撃により政治、軍事を機能マヒさせる。第二は、正規軍的突撃。より詳しい研究が必要であるが、トロツキーの指導したロシア革命における十月蜂起は、この組み合わせだったと思われる。孫子の言う「奇襲と正面攻撃の組み合わせ」である。これは基本線として射程にいれてよいだろうと思われる。
 E我々が今早急に更に深めるべきは、〈蜂起の序章期〉における、より「科学的且つ具体的な経済分析と政治過程の分析」と「方針の具体化」である。それは、ブルジョア議会制独裁の崩壊―中間政府の成立の問題、日本におけるファシズム運動の判断、そしてファシスト、反革命宗派と蜂起以前に闘われる暴力的軍事的戦闘の問題である。この点で我々は、先程述べたように階級形成の質をふまえて正確に推進しなければならないが、「死をも恐れず闘う思想性」と、必要に応じた「××の質的発展」については、頑強な意志一致を早急にかちとらねばならない。

 8 「蜂起の地平」をめぐる戦略的攻防と党派闘争

 (1) 「蜂起の地平」をめぐる戦略的攻防
@ 6〜7に書かれていることは、七三年段階でいったん総路線的に提起されたもののくりかえしと、七五年年頭の路線提起のくりかえしを含んでいる。これを行なう理由は、当時組織の基本骨格が極めて不充分だったため提起された方針が基本組織段階でほとんど討論されなかったか、読み流されたかの傾向があり、従って現在の戦略討論がその段階の討論の再論議を含むことはやむをえないという判断からである。現在の討論の中で「蜂起の序章期」あるいは「蜂起の地平」ということが再度討論にたっているが、これについては誤解のたいようにハッキリさせておこう。
「蜂起の序章期」という把握を行なったのは次の整理による。それは戦後第二の革命期ということは、階級決戦ということからとらえかえしたつかみ方ではある。しかし我々が暴力革命路線をとってきているその中味が、革命期に対応した形で深められたい限り一般論になってしまう。しかも革命期を更に階級攻防戦から区分し、それぞれの段階と任務を明白にしようという意図で使用された。いうまでもなくそれは「蜂起の前夜」とか「蜂起の時点」とかいう意味で使用されたことは一度もないし、そういう誤解を生む用語については革命期における戦略、戦術が相対的安定的とは区別された階級攻防戦であり、すでに部分的にあらわれている革命性の中味をソヴィエト運動と党建設を軸として階級的に発展させようという意味で使用されている。
 そもそも「ソヴィエト運動」という用語はレーニンがはじめて使用した言葉であり、「武装蜂起―プロレタリア独裁権力樹立」のための革命運動ということである。従って相対的安定期における運動ではない。明白に革命期の権力闘争の運動を指している。革命期のソヴィエト運動ということは、そのまま階級決戦を射程にいれた党―統一戦線の権力闘争を意味しているのである。なおこうしたことを前提とした上で、革命期の政治的、経済的区分の明確化とそれに対応した戦略方針の深化が今一層問われている。この点についての深化を行なった上で、これまでの提起も更に厳密にしてゆかねばならない。
A この段階の闘争は次の点で決定的な役割をもっている。相対的安定期における運動と区別されであらゆる闘争―組織を〈武装蜂起――プロレタリア独裁樹立を射程にいれた権力闘争〉=〈ソヴィエト運動〉として再編―発展させるか否かということである。これに失敗したり、敗北したりすればすでにこの段階でプロレタリア革命は破産、敗北したといっても過言ではない。
 従って「蜂起の時点」の問題を技術的なものに落としこめて現段階に幻想的にもってきて、逆に現下の任務を放棄してしまう「前段階武装蜂起」とか「先制的内戦戦略」は誤りであるが、我々が規定した「蜂起の序章期」の攻防が階級決戦の勝敗を決する質をもって闘われるのは当然である。
 従って、これをどのようにスローガン化するかは更に検討するにしても現段階で内部討論用に今までの用語を使ってあえて表現しておけば、「戦後第二の革命期における蜂起の地平をめぐる戦略的攻防」である。その中味を要約しておけば次のようになるだろう。
 第一――非合法・非公然展開能力をもった蜂起目指して進撃する党建設。
 第二――あらゆる闘争・組織をソヴィエト運動―プロレタリア統一戦線の強化・発展へと結合する。
 第三――革命期における暴力的・軍事鉗戦闘を組織的目的意識的に強化する。
 第四――反革命的宗派を集中環とする宗派解体闘争の促進。
 第一〜第四の中味は、戦略的な展開の中味であるが、これを現下における闘争、組織方針の順序としていえば、第四の闘争を通して第一〜第三の階級性・革命性を深化・拡大するということはいうまでもない。
B 現在の時期の確定と方針の確定をめぐって諸潮流の間に様々なブレが存在する。右のブレは議会主義的・平和主義的ブレであり、相対的安定期の運動の単なる延長を考えている。小ブル急進派のブレは、蜂起とか内乱とかいう問題を技術的・戦術的に現在の時点にひきよせて組織の戦略論の破産をくいとめようとする。
 我々にとって重要なことは革命期の厳格な把握とその推展の区分、及びソヴィエト運動の厳格な把握と展開である。ソヴィエト運動というのは、蜂起――プロレタリア独裁権力樹立を射程にいれた権力闘争をいうのであり、従っていうまでもなくその中には帝国主義及び反革命的宗派とのゲリラ的戦闘(防御と攻撃)を重大な要素としてふくんでいるのである。

 (2) 革命期における「ゲリラ的戦闘」=「戦闘行動」の位置と役割
@ 革命期の政治過程が、具体的にどのような経過をたどるかは歴史的な階級形成に大きく規定される。ロシア革命以前―以後では特に大きく相異がある。一七年ロシア革命の影響は両階級に激烈な衝撃を与え、日本では米騒動という大衆の自然発生的暴動に欠きた要因として働いた。イタリアでは既に一九二二年段階でファシストが勝利し、ファシズム権力下で二〇年代相対的安定期をすごす。イタリアファシズムの反革命的衝撃力は各国に拡大、独のナチズム、日本の軍部を軸とする三〇年代ファシズム運動、スペインファシズムの台頭に力を与えた、
A ファシズム運動の歴史的特徴は権力奪取への暴力的闘争という点からみれば次の様に要約しうる。
 第一に、革命期におけるプロレタリア運動の台頭に対して方針を失うブルジョアジーにとって代って反革命的抑止力として登場する。特に労組やストライキ破壊活動が重要な意味を持つ。伊ファシズムがロシア革命の衝撃と伊経済の混乱の中で闘われるゼネストを暴力でつぶし、それをテコとして大きく発展してゆくのが典型的である。
 さらに、この反革命テロルは、政党及び政党指導者への反革命テロルとして発展する。イタリア黒シャツ隊による左翼指導者の暗殺、ファシストの政権成立直前のナチ党と社民・共産党の暴力的衝突の恒常化等がそれである。
 第二は、このファシズム運動が帝国主義軍隊と結びつくか友好関係を形成するという点である。ファシズムの突撃隊は、イタリアにしてもドイツにしても独自に形成され、後で軍隊と結びつく形になっている。
 第三に、独自な党を作らず、軍部がそのままファシズムの政治組織、軍事力になることがある。戦前の日本、チリのピノチェト、インドネシアのスハルト、スペインのフランコ政権等のパターンがある。
B 革命期における区分を「蜂起の序章期」――「革命前夜」――「蜂起」とすれば、「序章」〜「革命前夜」にかけて、革命派と反革命派とのゲリラ好戦闘が開始されてゆく。この「ゲリラ的戦闘」というのは、その質、量において、限定された戦闘という意味であり、その中で決戦の質が準備されている。
 この意味で、我々は、これは「プロレタリア都市ゲリラ戦の現段階的貫徹」と呼んでいる。
 この「序章期」における「前段攻防」は戦争の論理ではなく〈双方の政治力の破壊のための戦闘行動〉の性格だが、この戦闘行動における屈伏―敗北はそのまま決戦における全滅につながってゆく。イタリアにおける二〇年〜二一年のファシストによる政党・組合・ストライキ・デモヘの暴力的破壊活動に対して左派が手を打てなかったため、そのまま二二年ファシズムの制圧の前になすべき術もなかった(もちろん、イタリアにマルクス主義政党が存在しなかった条件を考慮せねばならぬが)。こうして「序章期」における戦闘行動は厳格な路線の下に組織的に貫徹されねば勝利することはできない。すでに労組の争議拠点(全金本山や南大阪)での反革命暴力ガードマン、権力との攻防戦、スト権闘争への右翼ファシストの本格的対決等が激化しており今後一層熾烈になるだろう。
C 革命期への突入と決戦の準備という観点からみればイタリアよりもドイツ・スペインが多くの教訓を与えてくれる。理由は(特に)ドイツの場合強力な党派が存在していてファシストに敗北したからである。従って革命期における戦闘的攻防は党建設――ソヴィエト運動―戦闘行動と蜂起の質的準備の統一的視点からみてゆかねばならぬ。ドイツ共産党の敗北は大量の党員を有しつつもファシズム制覇前後の決戦期に対ファシズム戦略を完全に誤り、しかも組織プロレタリアートを社民の下に残したため、ストライキも蜂起も指導しえずナチスに磯城されるという大敗北を喫した。政治戦略の決定的な誤りであった。
D 序章期におけるゲリラ的戦闘行動の目的意識的貫徹は革命の勝敗に決定的な軍事的役割を持つ。蜂起という軍事的問題はそれより以前の攻防によりその質が準備され、また帝国主義問戦争による軍隊の崩壊――人民の武装というコースがほとんど考えられぬ以上、増々そうである。闘争と組織の防衛から開始されてゆく戦闘行動は、プロレタリア革命派の存立に関わるものであると同時に軍事的能力を鍛え上げてゆく唯一のものである。
E ロシア革命を担ったプロレタリアートは第一次大戦(大量殺りくを目的とする血みどろの帝国主義問戦争)の只中で革命化し、軍事的諸能力を身につけていった。ストライキやデモの暴力性と戦闘行動(武器を持ち職域戦として闘われるそれ)は明確に区別がある。前者は「死の危険」とは直接結びつかないが後者はそれを思想的に見つめ切り、それを突破したものにしか捉えない。武装水準を間わずそうしたものである。プロレタリア階級にとっても蜂起に勝利する軍事能力は敵味方の死をかいくぐってしか鍛え上げられない。
 本来的には味方だったはずのドイツ人民と戦争に突入し殺し合うことによってしか、軍事能力と革命性を身につげられなかったロシアプロレタリアートよりも、いかに苦しくともこの過程を目的意識的組織的に厳格にくぐり切れる我々の方がずっと「楽」なのである。しかしこの有利さは、逆に不断に軍事的なものに対する日和見主義を生む危険性も含んでいる。
 今までの叙述によって明らかたように、我々はストライキやデモの意味を過少評価してはいたいし、最大限に強化しなければならない。しかし、同時に革命期への突入は〈死を恐れず武器をもって敵を倒す〉という戦闘行動、戦闘能力が徹底的に強化されねばならない。これは反帝闘争、反宗派闘争の双方において不可欠の要素としてすでに展開されている。
 あらゆる思想性や運動の経過も「死を恐れず闘う」「長期投獄をも恐れず闘う」という点から再点検されねばならぬ。例え自己の任務が直接的には別のところにあるにしてもこの思想的同一性は早急に形成されねばならない。
 これを支える思想性は、最初に述べたような資本主義の本質(プロレタリアートの大量虐殺を周期的に行なうことによってのみ存在しえる社会)の正確な把握とプロレタリア革命は、武装蜂起――革命戦争によってしか勝利しえないという点についての厳格な一致である。

 (3) 党派闘争の展開とプロレタリア革命の戦略
@ (1)でみてきたことを党派闘争という点からとらえかえしてみよ
 すでに、戦略の直接性と媒介性の項(7の(2))で整理したように、日本階級闘争の一定の特殊性も含めて、反革命的宗派との攻防は、革命期における闘争上の戦略的位置をもっている。革マルという反革命的暴力を主要な手段として組織的な解体攻撃を加えてくる宗派との闘争は、日本プロレタリア革命の勝利にとっていかなる推進力となりえるのか?
 それは一切の小ブル性と区別されたプロレタリア階級の革命性を闘争―組織上、また思想上確立し、小ブル宗派を死闘を通して粉砕することにある。
 それがどのようなものであれ、プロレタリア永続革命の貫徹にとって、小ブル宗派との敵対と攻防は、いずれ必ずやってくる。ロシア、ドイツ、フランス、スペイン等において状況に応じて表われ方の相違はあるが。
「アジアにおける唯一の帝国主義」日本における革命は、スターリン主義、反スタ・スターリニズム、社民との苛烈な党派闘争を不可避とする。日本革命は「後進国」階級闘争の影をひきずりつつ闘われる「先進国」革命として、独特の世界史的位置の中で闘われるのである。従ってここで闘われる宗派との闘いはおそらく世界にも例のない複雑さと苛烈さともって闘われてゆくだろう。
 従って蜂起―内乱以前に闘われているこの党派闘争は、たとえ革マルによって戦端が開かれたものであれ、それを目的意識的にとらえかえし、勝利的に推進することによってのみ、日本革命の推進になりうるのだ。
A その質において重要なことは反革命的宗派革マルの反革命的テロ攻撃との対抗、粉砕を含めて、プロレタリア革命派の思想上、組織上の深化が、もっとも深い思想を背景として展開されているという点である。
 これは革命期における戦略的環である〈党と統一戦線〉あるいは〈党の運動を含むソヴィエト運動〉が暴力的戦闘の死闘的展開を内包してのみ維持され発展しうるのだということを示している。こうして〈党ーソヴィニト〉の運動(闘争―組織)がそのプロレタリア革命性を深化、確立するためには、軍事的要素を不可欠なものとして推進、発展せねばならない。
B 宗派との党派闘争が革命の質の深化・確立をめぐるものであれば、たとえ直接に反帝闘争でなくとも、そこで確立される党―統一戦線、およびその軍事的暴力性は、自然発生的な反帝闘争より、階級性、革命性において、さらに深く鋭いものをもってのみ展開可能となる。従ってそこで建設される闘争―組織上の質は、より目的意識的でより鋭い反帝闘争の準備となるのは当然である。
C 日本におけるプロレタリア革命派が、階級決戦以前に反革命的宗派との死闘を展開せねばならぬということは、日本階級闘争の世界史的位置からくる必然性である。これを避けて通ることはできない。例えば、他党派の暴力的な解体ということが一定の党派にとって偶然に行なわれたということと、市民主義運動、組合主義運動以外は、他党派の暴力的解体に全力を注ぐことを戦略としている革マルと対決することは異なる。歴史的にみても党派そのものの解体戦に踏みこんできたのは革マルであるということによっても明らかである(大きなポイントとしては、六八年の早大学館闘争への攻撃、七二年木下間題直後の組織骨格への攻撃、七三年神大夜襲、七四年四・三〇指導部中枢への攻撃、七五年石井同志への殺人攻撃 ―なお石井同志について彼らは、今まで数回名前をあげてきていた)。いうまでもなく、革マル解体戦については多くの不充分性があり、原則的な点での深化、戦略・戦術の整理が必要である。
D こういう意味で、革マルとの解体戦は、革命期における闘争―組織の階級的革命的試金石である。何故なら、反革命的宗派革マルと国家権力は次の点で相互協力的である。つまり一革命期においてプロレタリア大衆運動とプロレタリア的党派が小ブル派と区別された運動と党建設をやらない限り、それを放置し利用する。しかしそれが革命運動にふさわしいソヴィエト運動と党建設に向かう限り、粉砕し、職滅しようとする。従ってそもそも日本において反革命的宗派との解体戦は、党と統一戦線の任務である。逆にいえば、日本における党建設と統一戦線は、国家権力との死闘を通してのみ革命期型に再編しうる。
E そして、この革マルとの解体線は、反帝闘争の階級化、革命化を条件としつつ、思想・組織・暴力的闘争の三位一体的展開によってのみ勝利しうる。これはいいかえれば、総体としてのソヴィエト運動の目的意識的推進の中で展開される革命的労働者党建設とゲリラ的暴力的戦闘として闘われるのである。
 この闘争の目的意識的展開によってのみ(1)〜(2)で述べた革命期型の闘争が建設されるのである。

 (4) 「蜂起――内乱・内戦」か「内乱・内戦――蜂起」か
 プロレタリア革命はブルジョア国家権力の質とプロレタリアートの闘争の質からいって〈一時期に凝集された一斉武装蜂起〉としてのみ貫徹される。「前段階武装蜂起」とか「先制的内戦戦略」とかいうのは選夢想又はデッチ上げに外ならない。
 中国やアフリカ大陸、中南米のように前近代的土地所有、又は古い共同体が残存しており、近代ブルジョア国家としての統一性はほとんどないか、希薄である国においては地方的権力が残存している(土地所有を基礎にして)。こういう国では、一地方における革命戦争の持続はありえるし、そういう一定の長期における内戦の中で革命が完遂しうる。
 ところが、日本、アメリカ、ヨーロッパのように完成されたブルジョア国家では、一地方における戦争などはありえないし、「前段階における戦争」ということもありえない。それが実際、戦争として闘われる限りにおいて、内容的にも帝国主義軍隊の解体と同時でなければ、一挙的、全面的敗北をもたらすだけである。近代資本主義国家における戦争は一挙的全面的にしか勝利しえない。
「前段階武装蜂起」や「先制的内戦戦略」なるものをそのまま額面どおり受けとるとすれば、階級闘争がすでに革命戦争という形態をもっていて、その下に一切が従属させられていることを意味する。その意味でいえば、デモやストは全く補助的恋手段しかもちえていない。それどころか「内戦=革命戦争」が闘争の主軸にたっているとすれば、その主要な形態は「敵の殺傷を主要な手段とする敵戦闘力の殲滅」である。そういう意味での攻撃がなされなければならぬ。赤軍派の「前段階武装蜂起」は、このバターンを真面目にやろうとして完全に殲滅された。中核の「先制的内戦戦略」なるものは、革マルとの党派闘争を「対ファシスト戦」としてスリカエルことにより革マルとの戦闘を「内戦」としてデッチ上げているのである。確かに、革マルに対して中核は、かなりの殺傷を行なっている。しかし、それも内戦といえるものではなくて、より激化したとしても国家権力の許容の範囲で闘われているものに外ならない。この意味では、「革マル=ファシスト」という規定の誤りが中核の「内戦」デッチ上げの根本にある。
 内戦又は革命戦争は、厳格に「国家権力をめぐる攻防」上してのみである(革マルが権力についている場合は別であるが)。ここに中核の思想上、戦略上、の破綻がある。本当に中核が内戦をやるとしたら、今の水準の打撃を権力に向けただけでも一挙に殲滅されてしまうことは百も承知だからやらないのである。
 我々が提起している「ゼネスト――大衆的武装蜂起――プロレタリア都市ゲリラ戦」という場合は、「プロレタリア都市ゲリラ戦」は前二者との関連でのみ意味がある。つまり闘争の形態が内戦・革命戦争になった時の「正規軍の後方カク乱としてのゲリラ」というのではない。
 蜂起―革命戦争に向かって、敵に打撃を与えつつ、いかに敵の本質的矛盾を拡大し、味方の闘争力・組織力を発達させるかという戦略の下における戦術である。戦略上重要なのは次の三点である。
 第一に、「戦争」を思想・組織的闘争の手段に使わないこと。これは、「戦争を観念化」させるか「誤った全減の方針」の原因となる。「戦争は戦争」で「敵の殺傷を主要な手段とする敵戦闘力の殲滅」=「無制限の暴力の行使」である。赤軍派にも若干、イデオロギー闘争の手段にする傾向があったが、中核は極端になっている。中核は思想的に革マルに屈服しており、それを戦術的面での算術的一総和で補っているからである。その根本には「革マル=ファシスト」という規定に表われる路線上の破産がある。
 第二に、プロレタリア革命戦争としての「武装蜂起=内乱」=「革命戦争」は、一時期に集中されるものであり、「内乱―内戦」の発展の中で蜂起があるのではない。
 第三に、党派闘争と権力闘争を厳格に区別すること。

 9 革命期における戦闘についての誤れる一傾向

 (1) 現下における我々の飛躍について
〈1〉 革命期に突入しての我々の闘争は六〇年代の闘争−組織の成果をひきつぎつつ、七〇年代にふさわしい飛躍、発展を勝ちとる課題をかかえている。個々の例は別として組織・路線総体としてこの作業をしっかりやりとげぬ限り歴史的蓄積と無縁な直接的対応に終り、発展なき戦術の単なる積み重ねに終る。逆に又、情勢と闘争に対応して歴史的蓄積が飛躍をとげぬ限り、現下の革命期に対応出来ぬ日和見主義に終る。
 我々の苦闘は歴史的蓄積をふまえて現下の飛躍をなし切ることにある。
〈2〉 この問題は基本組織骨格の形成と共に推進されねばならぬが、現情勢への対応の中で各戦線が直接対応せねばならぬことの重みに引きずられ、さらに基本組織の階級的革命的発展が必ずしもスムーズに進まぬ結果、一定の誤れる傾向を生み出すことがある。これは学生戦線のみではない。しかし学生戦線に一部生起したものは一定の傾向が極端化され、しかもビラ等で外部に流されたこともあるので正確な批判が特に必要である。但しくり返しておくがこれを基本組織としてみる場合、決して単なる批判ですませぬことはいうまでもない。基本組織の党内発展が立ち遅れている結果多くの困難が現下の党派闘争をめぐり学生委員会に集中しており、誤った傾向もこの集中した困難、矛盾を突破せんとする苦闘の過程で生じた点を見逃すならば無責任な批判に終る。ただ、いかなる困難をかかえていようともそれによって誤りは正当化し得るものではないことも又自明であり、誤りは批判され克服され全組織的に路線にかえして受けとめ発展させねばならぬ。
〈3〉 問題の経過は次の様になっている
 第一−−6・24敗北を受けA同志がその総括と方針をめぐり問題提起を学生委員会に行なった。その文章は個人的提起・討議資料という形式であったが一部に組織文章の様に流され、又は受けとめられた。簡単な文章であり、用語の意味etc.が次にみる様に十分に煮つめられたものではなかったが、文章表現としては次の二点に関して組織的方針とは一定異なっていた。「6・24をうけ、革マルを小ブル反革命と規定して闘うべきである」「日本革命は内乱・内戦の頂点として蜂起が闘いぬかれねばならぬ」。これらの中味が「パルチザン戦」として提起されていった。
 第二−−これは直接間接に影響を与え、十月に全学連ビラで秋期闘争を「パルチザン戦争への突入」と大衆的にまかれた。更に組織の一部に「内乱・内戦」「パルチザン戦争」「革マル民間反革命」なる文章が流された。
 第三−−中央は路線討論の中にこの問題をくり込んで討論を開始した。A同志は自分の正確な意図を伝える為に文章を作成し全同志に配布することを希望し、中央は討論と併行してそれを行なうことを承認し決定した。この中で次の点が明白になった。A同志の真意は、日本の革命において「蜂起−革命戦争」という構造を否定しているのでなく、その蜂起以前の「内乱的、内戦的状況」及び現在からそれに至る過程を問題にしていること、つまり「内乱・内戦の頂点としての蜂起」という表現は「蜂起−革命戦争」という意味での「内乱・内戦」ではない(A同志には内乱・内戦という用語についての独自の問題意識がある)。直接的には「蜂起−革命戦争」に至るまでの革命期の戦略戦術の確立をめぐりそれを正確にせんとする問題提起であること。「革マル=小ブル反革命」規定についてはA同志としては再度、中味を提起するつもりであること。
〈4〉 A同志からは整理された文章が提起されるので詳しくはそれを読んで討論してほしい。
 ここではこうした討論の経過により次の様な形で重点的な批判を行なう。
 第一は、当人の真意に反した形ではあれ、文章用語の曖昧さを含んでA文章にも責任があり、その結果組織の一部に拡がった誤れる傾向についての批判である。これは「内乱・内戦→蜂起」という意味での「パルチザン戦争」云々についての批判である。確かに真意を歪曲して批判するのは誤りであるが、九月に配布された問題提起(又は資料)の中では「内乱・内戦の頂点としての蜂起」という提起が綿密な説明、詳しい論証ぬきでなされている以上、この文章がそのままの形で受けとめられ誤った路線を引き出した(A同志は「パルチザン戦」といっており、「パルチザン戦争」といっていないが、後者の形で流れてしまりている)。また、たとえA文章への誤解又は極端化であるとしても組織の一都にこうした中味の文章が流れ、それに基くビラが出されたことは厳然たる事実である。故に「内乱・内戦→蜂起」論の批判はそれとして要点として行なっておかねばならぬ。
 第二は、「革マル=小ブル反革命」論の要点的検討、批判を行なう必要がある。
〈5〉 路線討論に際して踏えるべきは、階級情勢の深化と闘いの深化の中で、それが学生戦線であれ労働戦線であれ、最も真剣に闘っている同志の中にこの種の「組織問題」が二、三生じていることである。故に次の様な構えが不可欠である。
 第一−−直接には理解し難い様な問題意議にみえるものも討論以前的ブッタ切りを絶対にせぬこと。最先端で闘っている同志ほど一面化は起きるものであり(それ自身は、だからといって正当化できぬが)、それをいかに階級的革命的なものへ再編しつつ全組織が発展していく様に指導してゆくのかということが大切なのである。従って徹底的な内容討論が必要である(最先端で闘えば必ず一面化するというのではない。最先端で闘っていようと階級的原則的中味が問われるのであり、一面化それ自体は徹底的に批判され尽されねばならぬ)。
 第二−−組織性についてこれまでのあり方を抜本的に総括し点検を強化し厳格にせねばならぬ。いかに鋭い問題意識、革命的見解でも組織討論にかけられぬものは個人見解にすぎず、組織討論−決定抜きの行動はまさに「自然発生性」への拝脆であり、一面と一面のぶつかり合いになり組織建設につながらない。
 第三−−基本組織が崩れたりキャップが討論を組織化せぬと、問題を共有化する場所が少なくなるのは当然であり、徹底的にネバリ強い路線討論を行なう組織能力を形成せぬ限り、今後の、今日とは比較にならぬ、困難、複雑な過程をたどって成功されねばならぬ、プロレタリア革命など担える訳がない。基本組織の強化が生命線である。

 (2)「内乱・内戦→蜂起」−−「パルチザン戦(争)」の誤り
〈1〉 内乱・内戦とは国家間の戦争に対して国内の権力をめぐる戦争をいう。内乱も内戦も同義と理解すべきであり、いずれも革命戦争のことである。従って内乱や内戦を「内乱状況」とか「内戦状況」とか曖昧にすべきではない。自然発生的暴動や小ブルの暴力的闘争が激発しあるいはプロレタリアートのゲリラ的戦闘が激化している場合でも、それが「蜂起−革命戦争」なのかそれ以前の政治支配力の崩壊をめぐる闘争なのかは厳格に区別せねばならぬ。それは闘争−組織方針として決定的な差異があるからである。小ブルが主観的に「内乱・内戦に突入した」と叫んでも、それがプロレタリア階級にとっていかなる意味を持つかという、小ブル暴力革命路線の「意義と限界」をはっきりさせ厳密な評価を下さねばならぬ(少なくとも、ブンド赤軍は六九年に「前段階武装蜂起」を叫び、行なったのだ)。
〈2〉 近代ブルジョア国家においては国家の本質的構造からいって「蜂起−革命戦争」は一挙的、一斉−全面突入しかあり得ない。個別資本は警察、軍隊を持たず、それは中央集権的統一機構としてしか存在せぬからである。これに関しては要約的に述べておいたが、日本の小ブル革命派は結局、中国・中南米etc.の「後進国」階級闘争を国家論や革命主体の問題を抜きにして日本へ適用せんとする傾向があり、純化したブルジョアに対するプロレタリア暴力革命路線たり得ず、破産するという点についてきびしく批判し、我々の路線を鍛え上げねばならぬ。
〈3〉 「戦争」規定については正確に規定し用いねばならぬ。「敵の政治(支配)カの崩壊の促進の為の戦闘」と「戦争としての戦闘」とは性格が異なる。戦争の中では敵の殺傷は戦闘員に関する限り「無差別」である(但し、この場合でも革命戦争においては一定の状況に応じた判断が必要だが!)。しかし前者の場合には階級的暴力の対象は厳格に政治的に絞り上げられて貫徹されねばならぬ。戦略抜きの攻撃は相手を弱めるとは限らぬ。
 もちろん我々の同志がこういう方針を主張している訳ではないが、「戦争」ということを中途半端に方針化すればこうした混乱が生じるのであり、それについては明確に区別を立てておかねばならぬ。従って「パルチザン戦争」etc.は使うべきでない。
 更に、革命期の中でも蜂起以前と以後の戦闘の闘争−組織上の質的差異である。蜂起以前の戦闘行動の単なる延長上に蜂起があるのではない。この間には軍事的にいえば「常備軍の解体」−−「革命派の本格的武装」という、極めて困難な課題があるのであり、組織的な一切を革命戦争に向けて再編するという飛躍があるのだ。
〈4〉「パルチザン」と「ゲリラ」は軍事的には同義と理解できる。共に「一定の大衆的支持を背景に少数の奇襲部隊が正規軍を攻撃し消耗させていく戦闘」である。しかし「パルチザン」も「ゲリラ」も単に軍事用語ではなく政治性を持った歴史的用語である。正規軍戦の敗北後、戦争の延長として闘われたスペイン・ゲリラ戦争(対ナポレオン戦争)。一九〇五年の革命−武装蜂起の敗北後のロシア・パルチザン。アイルランド独立戦争の延長に闘われているIRAのゲリラ戦争。パレスチナ解放闘争ゲリラetc.。
 いずれにしても民族、人種問題をめぐる戦争が、敗北した蜂起後の戦闘形態として過去のパルチザンやゲリラは存在した。こうした点で我々のとるべき戦略方針とは異なるのである。従って「ゲリラ」「パルチザン」等の軍事用語を使う時の政治内容、政治性について厳密にしてゆかねばならない。
 そうした理由で、我々は「プロレタリア都市ゲリラ戦の現段階的貫徹」と規定したのである。したがって「ゲリラ」と「パルチザン」が同義だからとして、あえて「パルチザン」という風に言いかえる必要はない。もし別の政治的意味が付与されて使用が提起されているのであれば、その意味を明確にし組織的討論に付すべきであろう。

 (3)「革マル=小ブル反革命」規定について
〈1〉 内容規定とは「社民」とか「スターリニスト」とかであって、「小ブル反革命」といったところで内容を規定したことにはならない。例えば「社民」とか「スターリニスト」とかの規定はそれらの本質とその解体方針を引き出す。これらをも含めひとまとめにして「小ブル反革命」といっても解体方針が出てくる訳ではない。
 革命運動、革命党派に対する反革命敵対行動という点からいえば、歴史的にスペイン内乱におけるスターリニストのトロツキスト、アナーキストの虐殺、一九一八年の社民フライコールのローザ等スパルタクス・ブントヘの反革命虐殺という理由をもって、「小ブル反革命」と規定しようとしても中味をいったことにはならぬ。
〈2〉 我々は革マルについて「反革命的宗派」、「反スタ・スターリニスト」と規定してきた。「反スタ・スターリニスト」規定はスターーリニストに一面的、小ブル的に反発しつつも、根底においてスターリニストと同質のものを内包しているという意味である。革マルはスターリニストに対して近代小市民的「主体性論的」反発を行ないつつも、日本近代社会(ブルジョア社会)の独自の構造に規定された「旧い共同体」をその小ブル的自我の背後に「ゆ着」させている。
 「反スタ・スターリニスト」規定は勝手なレッテルではない。それは大衆運動面においては「宗教的右翼改良主義」として現出する。これが「のりこえの論理」の階級的規定である。
〈3〉 ところで社民、スターリニストを含めて、宗派は階級闘争の政治的過程でその内容をプロレタリア革命に対する反革命そのものとして展開する局面がある。一九一八年の社民権力がそれである。この場合、正確には「社民反革命粉砕」となるだろう。
 革マルの反革命性の全面展開ということは、革マルと我々の全面戦争を意味する。丁度、一九二一年のアナーキストの反乱とボルシェビキの戦争、一九一九年の左翼エスエルの武装反乱とボルシェビキの戦争のようなものである。この様な状況は階級情勢が革命そのものへと煮つまる段階でその前後に起こるであろう。現在の革マルの行動は、プロレタリア暴力革命派に対する反革命虐殺行動−−反革命テロルの開始と把握すべきであり、「反スタ・スターリニスト反革命の全面展開」とそれに対する「戦争としての闘争」段階ではない。現時点においては国家権力との関係をも含めてそうなのである。革マル解体闘争方針はその意味で先程規定した「階級的、革命的闘争」方針であろう。
 それでも次のごとき反論があるかも知れぬ。「反スタ・スターリニストと規定した上で、彼等は今、反革命行動にふみ切っている。そうした意味で小ブル反革命そのものなのだ」−−と。注意すべきは「本質」とその「現実化」の区別である。それは客観情勢の深化との関係で初めて問題になる。現在は議会制ブルジョア独裁期(その崩壊期)である。革マルがブルジョアジーに徹底的に利用されつくされたとしても、今の時点で革マルが我々に「反革命戦争」をしかけてくることはできない。できることは反革命テロルと思想闘争、組織戦であり、この政治的現段階における弾圧とその利用なのだ。「その様な判断は甘い」等の批判は間違っている。「甘い」「辛い」等は何らの科学的分析ではない。現下の帝国主義ブルジョアジーの弾圧は、ファシストのそれと異なって、我々の思想性、組織性、暴力性の統一的強化により本質的に粉砕し得るのであり、対革マル闘争もそこを徹底的に重視せねばならぬ。中核のごとく無理矢理「戦争」をデッチあげることは戦略的破産、思想的破綻を構造化せしめ、「蜂起−革命戦争」の本格的準備とその貫徹−勝利とは無縁のものである。現象的「左翼性」「急進性」に幻惑された「左翼小児病」「左翼スターリスト」が中核である。
 ロシア革命で最もマルクス主義的であったボルシェビキは、一七年革命までロシア革命運動の現象的「最左派」ではない。テロリズムの系統をつぐエスエルの方が「左」に見え、ツアー権力も一時は彼等を最もマークした。
 今、我々が革マルとの闘争を「戦争ではない」と規定する理由は、「戦争」規定することによっては、現在、最も集中的に強化されねばならぬ思想性、組織性、暴力性の統一的展開を放棄することになるからだ。万一、革マルの攻撃を「反スタ・スターリニスト反革命の全面化」と規定するとすれば、革マルとの現実的戦争にふみ切ると方針化すべきであろう。組合運動、自治会運動、思想闘争等は補足的なものとして、「戦争=殺傷を主要な手段とする敵戦闘力のせん滅」に全力を挙げねばならぬ。しかしこれは明らかに誤りである。
〈4〉 我々のとるべき方針、戦略的対時段階の方針は〈暴力的闘争、思想闘争、組織的闘争の統一的展開をもって革マルの持っている本質的矛盾を拡大深化させ、その政治力の崩壊を決戦に向かって促進すること〉にある。この段階の革マルを我々は〈反スタ・スターリニスト(反革命的宗派)の、テロルを軸とする反革命行動の展開期〉とみるべきである。
 繰返して強調するが、社民、スタ、反スタ・スターリニストの本質とその歴史的段階的展開の双方からの把握が必要である。本質からいえば、これらはすべて最後にはプロレタリア革命に敵対する反革命そのものとして立ち現われることは当然である。だが問題なのは階級情勢の中で、いかに歴史的段階的発展をとげるか−−なのである。
 我々は革マルを宗派一般と区別し特に「反革命的宗派」と規定し、それが反革命行動に踏み切っていると把握しているのである。こうした点を欠落させれば(「小ブル反革命」規定はそうである)対革マル闘争をめぐり、プロレタリアートとプロレタリア革命派が現時点で獲得し発展させてゆくべきものが押し流され、結局革マルに対する根本的破壊力を獲得できぬであろう。
〈5〉 帝国主義ブルジョア政府の崩壊またはその前後における政治状況にあって、国家権力の完全な許容の下に革マルが全面戦争をしかけてくることは可能性として存在する。国家権力が数千の部隊の相互絶滅戦を許容するということは、それ自体国家権力の崩壊状況の中でなければ不可能である。こうした情勢分析と政治過程の正確な分析−方針は更に具体的に煮つめ確定せねばならぬが、我々はいつでも決戦に突入し得る体制と思想性を形成してゆかねばならぬ。それなくして戦略的対峙戦の勝利的展開、更には我々の有利な条件の下、我々の主導権による決戦への突入とその勝利はあり得ないのである。

補 革命期におけるプロレタリア革命(派)の戦略問題――そのU――

 議会制ブルジョア独裁の崩壊が現実的に開始され「中間政権」――「ファシズムか革命か」の時代へ突入しようとしている。我々は七〇年代前半までの成果を踏まえ、それを革命期にふさわしい内容として飛躍、発展させ革命的労働者党建設をやり切らなければならない。そのために戦略論、組織論を主とした路線討論を持続してきた。
 この間の討論の主要な環は次の点である。第二次大戦までの帝国主義問戦争による国家の解体状況の中でプロレタリア革命を実現せんとする戦略(それは「帝国主義戦争を内乱へ」というレーニンの戦略に典型的に示された)は、国際共産主義運動の敗北的前進の中でその発展が間われてきた。もはや全世界のブルジョアジーは、資本主義の矛盾を帝国主義間戦争に転化する力を失い、相互に競争しつつも、プロレタリア革命に対しては反革命的に密集するという構造を全面化した。この段階でプロレタリア暴力革命をいかに実現するかという課題が我々に迫まられている。革命運動の苦い敗北を通して、プロレタリア革命は再び決戦への陣型を形成せんとしている。中国、ソ連でのスターリニストの破産、そして「先進国」スターリニストの杜氏化の中で、「後進国」プロレタリア人民の闘いの衝撃を受けつつ、「先進国」プロレタリア階級の指導性が間われている。
 全世界のあらゆる矛盾を拡大再生産しつつある帝風主義工場制度に対する、本工―予備役を貫ぬく闘争を出発点とする階級的政治闘争は、この革命期で重大な発展が間われている。ただプロレタリア階級のみがこの世界資本主義を打倒しうるのだという、マルクスによって解明された科学的洞察を思想の根幹とし、それによって戦略―組織論を発展させてきた我々が、いま問題にしなければならないのは、革命期に固有な困難な課題にほかならない。すなわち、相対的安定期における闘争と階級形成の上に立って、それと区別された階級的革命的闘争をいかに推進するかということである。それは、あらゆる闘争―組織上の問題を「プロレタリア武装蜂起――プロレタリア独裁樹立のための闘争」へと再編成してゆくことである。
 多くのプロレタリア革命をめざした党にとって、もっとも困難なことは、安定期の闘争―組織の構造を「革命(蜂起―プロ独樹立)の為の闘争―組織構造」へ再編することであった。そしてそれが、マルクスによって打ち立てられたプロレタリア革命の原則の上に立って、この第二次大戦後の政治的段階の中でいかに行なわれるかということが中心的な問題なのである。
 コミンテルンの破産に示されたロシア革命とボルシェビキの限界露呈の後、この流れは「後進国」におけるスターリニズム的暴力革命路線、「先進国」における社民化へと分解し共に腐敗の中にある。マルクスによって打ち立てられたプロレタリア暴力革命路線をめぐる苦闘はうちすてられ、杜氏と小プル急進主義が大手をふって歩いた。
 我々が苦闘してきたこの課題、つまりプロレタリア独裁権力の樹立をめざすプロレタリア階級自身の暴力革命路線の戦略―戦術を、この革命期の特殊な困難性の中でいかに発展させるのか? 一体、帝国主義間戦争がもはやありえず、プロレタリア革命四対する反革命的密集がますます強まる中で、革命期にふさわしい闘争、つまり「蜂起―プロ独樹立のための闘争」とは一体何なのか?
 この問にこたえるためには、少なくとも次の課題にこたえなければならない。
 第一に戦争とファシズムについての現段階での解明―深化(国家論を含む)。
 第二に、合理化と帝国主義工場制度の解明、帝国主義論を含む現状分析。
 第三に、プロレタリア暴力革命の準備、発展、展開の戦略的把握。
 第四に、革命期における労働組合方針。
 第五に、組織論。
 ここに提起するのは、第三のものである。これは討論の現段階での到達点である。叙述は、始めに主要な用語の内容を確定し、中心課題に入っている。中心点は、プロレタリア階級の革命―的暴力性の革命期での発展構造である。

 (一) 基本的な問題と用語の整理

 (1) 階級闘争と革命闘争
 階級闘争は本質的に革命性(革命闘争)を内包している。それは客観状勢の煮つまりによって全面的に発達し革命闘争に転化、発達する。マルクスの『哲学の貧困』における「階級闘争の全面的に発達したものと」ての革命」という要約がこの関係の端的な正確な表現である。

 (2) 戦争
 戦争とは、国家と国家の、又は国家と革命の全面的な政治闘争(階級闘争)である。レーニンは、クラウゼヴィッツの規定=「戦争とは、政治におけるとは異なった手段をもってする政治の延長である」という規定を正しいとしている。我々もこのレーニン、クラウゼヴィッツ規定をふまえて、発展させるべきである。
 こうした政治的な本質的な把握と規定の上に立って暴力的闘争という面からの戦争の把握も不可欠である(クラウゼヴィッツは、このようにしている)。それは、「暴力の全面的又は無制限の行使」としてつかまえなければならない。つまり敵の殺傷を主要な方策として闘われる国家と国家との、又は国家と革命との暴力的闘争である。これは、言いかえれば、政治闘争(階級闘争)は少なくとも敵の戦略的中枢の「存在そのものの粉砕」(軍事的センメツ)によって、最終酌な勝敗が貫徹されるということである。

 (3) 蜂起、内乱・内戦、革命戦争
 革命戦争は、蜂起として開始される革命戦争なのであるが、これは歴史的に支配階級相互の戦争に対して内乱、内戦といわれてきた。マルクス、エンゲルス、レーニンも同じである。従って我々もマルクス主義的にみて、内乱、内戦、革命戦争は同義語として使用すべきである。

 (4) ゲリラ戦、パルチザン戦
 「ゲリラ戦」「パルチザン戦」は、それぞれ歴史的な背景の中で語られてきたものである以上、それに規定された政治上の意味、ニュアンスの差異を含んでいる。これらはしかし、軍事用語としてみれば同一のものとして理解すべきである。歴史的にはクラウゼヴィッツが要約し、又個々の例でわかるように、正規軍の存在を前提として闘われたか、又はその敗北後に闘われた一形態であった。それらは共に正規軍に対する小数部隊の奇襲戦で、消耗、撹乱をねらう戦争の一形態である。だが、ここに含まれているものをマルクス主義的に本質的にとらえせば、〈政治的、従って軍事的に劣勢なある勢力が、優勢なある勢力に対して闘う戦争、又は暴力的闘争の一形態〉であるととらえるべきであろう。

 (二) 革命期(蜂起以前)の戦略問題の特殊性

 (1) ロシア革命以降の「先進国」革命の敗北の歴史は「先進国」階級闘争の独自な困難性を我々に突き出している。それは、ロシア革命においては中間政権は非常にもろく、かつ短期間(せいぜい数ヶ月)だったのに対して、独、仏の例をみるまでもたく、第二次大戦をめぐる攻防の段階ですら、数年間の時期をもっている。このことは、相対的安定期後に到来する革命期における戦略、戦術が、相対的安定期におけるそれとは明白に区別されて、かつ決戦を質的に準備する特殊なものとして独自に目的意識的に定立されることを要求している。
 我々は、この革命期での特殊な時期での特殊な戦略、戦術を明白にするに当って、二つのブレにおちこんではならないことを明白に意識化しておこう。一つは相対的安定期と同質の「階級闘争」の一般的推進におちこみ階級闘争の革命的発展をそれ自身として問題にしえない傾向である。もう一つは、この時期の特殊性を欠落させて、蜂起―革命戦争の論理を直接もちこむことによって問題が解決したかのごとくする傾向である。

 (2) この時期において、それ自身として特殊な困難性を帯びて中心的に問題になることは次のことである。つまりブルジョア的な国家の根底をゆるがしつつ、ブルジョア国家の幻想的共同体としての収約力にいかに打撃を与えてゆくか、そしてその中で革命闘争の中で極めて重要な役割を果す革命的暴力をいかに他の闘争形態と有機的に結合して実現してゆくかである。別記したごとく永続革命の現段階におけるプロレタリア革命の戦略は、「プロレタリア統一戦線をもって中間政府を突破し、ファシズムと国際反革命戦争の危機をプロレタリア蜂起、内乱で粉砕し、プロレタリア独裁権力(ソヴィエト権力)を樹立せよ!」である。これをいかなる形で推進するかが問題なのである。

 (3) ロシア革命を一つの典型とするプロレタリア武装蜂起は、本質的なものとして次の内容をはらんでいた。蜂起の第一段階は、国家の基礎を根底的にゆるがし、かつソヴィエトを実現しつつ闘われるストライキ、大衆的暴力的街頭闘争が主要な闘いである。これによってブルジョア国家の存立の基礎をゆるがしつつその共同体的収約力(統合力)に決定的な打撃を与えるべきである。主体的にみれば、プロレタリア大衆が革命的階級へと一挙に転化してゆく時期である。この双方の面から第一段階が闘われる。第二段階は国家の存立の基礎をゆるがし共同体的収約力をゆるがしつつ、一方で、プロレタリア大衆が大量に革命化してゆくことを決定的条件として、党を軸とする統一戦線の革命的武装勢力による反革命中枢(政・軍中枢)に対する武装蜂起(センメツ攻勢)が敢行されねばならない。これは第一段階の闘争の中で反革命常備軍が大きく解体に入っていることが絶対条件である。
 第一段階のない単なる中枢攻撃は、センメツされるか、又は一時的に成功しても短期間の生命しかもちえないし、第二段のない第一段階のみの闘争は、権力の粉砕たりえない。そしてこの第二段階の成功の後に全国的統一が行なわれてゆく(これを独自の第三段階として分けるかどうかはなお検討中)。

 (4) 革命は、ブルジョア国家の存立の基礎を根底的にゆりうごかしつつ、幻想的共同体としての収約力を粉砕してゆく大衆的暴力的闘争(ストライキと大衆的暴力的街頭闘争)と政治・軍事中枢及び反革命暴力装置を実体的に粉砕センメツする暴力的軍事的攻防戦の統一されたものとして存在する。これは主体的には、プロレタリア大衆の革命的階級への形成と革命軍の建設の問題である。革命期の闘争は、この構造を革命期の特殊性において内包して展開してゆかなければならない。つまり、「当面の要求」――「階級的要求」の系列を整理したうえで推進される〈ゼネストを目指すマッセンストライキ(大衆ストライキ)〉――街頭政治闘争、そしてその中に含まれている暴力性を組織的系統的に確立しつつ、その上に立ってこれらと有機的に結合して推進されるゲリラ的、暴力的攻撃である(我々はこれをプロレタリア都市ゲリラ戦と規定してきた)。党としての核心的問題は、これらの独自な定立とその内容上の有機的結合の問題である(空間的、時間的に一緒という意味ではない)。
 革命期における革命(闘争、組織)の現在性の特殊性は、それらが党―ソヴィエトによる武装蜂起として統一されて普遍的にあらわれるのではなく、その本質的革命的要素がそれぞれ確立されつつ、特殊的相互連関をもって現われ、その相互連関の中に普遍性があらわれる点である。従って党を軸とする統一戦線の役割が決定的に重要なのである。

 (三) 戦後第二の革命期における戦略問題
     ――ストライキ、大衆的街頭闘争と有機的に結合したプロレタリア都市ゲリラ戦の意義と任務

(1) まずはじめにいわゆる相対的安定期、革命期、革命闘争の時点(蜂起の時点)の革命運動上の基本戦略の明白な把握をしなければならない。
 〈第一に〉相対的安定期における階級闘争の中心問題は、階級闘争を推進しつつ行なわれる〈階級形成〉にある。闘争と組織は統一的につかみとらねばならないし、生み出される組織は推進される闘争に規定される。このことをしっかりと踏まえた上で、〈勝利は一時的ではあるが全体として発展する団結が大きな目的〉だとマルクスが規定していることをいっているのである。
 〈第二に〉革命期の闘争―組織上の特徴は第一の性格を第三に向かって再編成してゆくことが核心となる。つまり〈革命期の闘争を展開しつつ革命(蜂起ープロ独)の為の階級形成〉を行なうのである。革命期の闘争は相対的安定期の闘争と区別されて、闘争上の革命的要素の系統的、目的意識的推進が(二)でみたように不可欠である。そしてその闘争の中味が団結(階級形成)を規定してゆくのである。このことをしっかりとふまえた上で、その段階の大きな目的は、革命(蜂起―プロ独)を目的とした階級形成である。〈第三に〉革命闘争は、それまでの階級形成(党―統一戦線)をテコとして敵の打倒それ自身が一切の目的となる。ことにある。これは、二つの面から路線上定立されなければならない。第一はプロレタリア階級の革命的暴力は、小ブルジョアジーのそれと区別されて、どの様な構造で発展、展開するのかということ、第二は、革命期の暴力的闘争のそれ自身の意義と任務である。

 (3) 第一の問題は次のようになるだろう。
 つまりそれはプロレタリア階級の根源的矛盾(賃労働と資本という下部構造における矛盾)に、闘争上、組織上根ざしたものであること。そこにおける闘争上、組織上の拡大再生産と結合した暴力性の拡大再生産であること。各政治性の段階に対応した暴力性をそれぞれ内容上の関連性を統一戦線によって明白にしながら区別性を立てて展開することである。要約すると、
 〈第一に〉社会運動の階級的政治化、階級的大衆的政治闘争の中で、資本、政治権力、宗派、右翼と闘うプロレタリア大衆の防衛隊を行動委、組合段階で形成すること。
 〈第二に〉統一戦線の戦略的政治部隊を軍事的に正規軍部隊として形成すること。
 〈第三に〉第二のなかでさらに革命的要素を独自に定立すること。

 (2) これをプロレタリア階級の暴力性の問題に絞ってみれば、次のようになるだろう。
 革命期における革命運動の重大な任務は、安定期には政治闘争の中に同一化していた暴力性(暴力性は政治性のたかに本質的に含まれている)を闘争―組織上目的意識的に独自にひき出して定立する

 (4) 第二の問題について
 革命期の闘争は、ブルジョア国家権力に、階級的革命的政治闘争の一環として暴力的打撃を目的意識的に加えてゆくことが不可欠なこととしてある。しかもそれは、ブルジョア国家内における暴力的攻撃である以上、ゲリラ戦形態によっての。み先端的闘争は貫徹しうる。それは革命闘争の質を特殊的又は部分的に内包するにせよ、限定された暴力的攻勢である。そしてこの闘争は、それぞれの闘争における打撃がそれ自身として独自な意味をもつとともに、全体としては敵に対する軍事的破壊の度合によってはかられるものでなく、〈国家の政治的支配力の解体の促進とプロレタリアートの革命のための階級形成〉(政治的打撃)の為に行なわれるものである。つまり、この意味での〈ゲリラ戦(パルチザン戦)〉攻撃が革命戦争の一環として、つまり戦争の一部として行なわれ、その単純な延長上に革命戦争をつかむのは誤りである。
 この上に立って更に次のことも明白にしておかねばならない。暴力的闘争は、それ自体独自な論理をもつものであり、蜂起―革命戦争に勝利しうる闘争―組織、思想性の階級的革命的暴力性の質は、この闘争のなかでのみ鍛え上げられてゆく。特に帝国主義軍隊が明白に治安部隊としてあり、反革命的目的をもって、むしろ徴兵制でたく、「少数の雇兵」制をとっている現段階、更に帝国主義開戦争の革命的利用が戦略的にはありえない現段階でははこの意義は重大である(帝国主義軍隊は、革命勢力が死をも恐れず闘争を決意し展開することを重大な条件としてくずれてゆくのである)。

 (5) 我々は、現段階の時期規定として、経済的現状分析、政治過程の分析の双方からより正確な把握をしてゆかねばならない。この点については次回提起にまわすしかないが、少なくとも次の点を明白にしておきたい。
 革命期とは、各国の政治状況による議会制ブルジョア独裁の崩壊期を含む中間政権期、及びファシズムか革命かの時期をいう

 (6) 最後に用語上の問題であるが、以上の整理を含めて、〈マッセンストライキ、大衆的街頭闘争と結びついたプロレタリア都市ゲリラ戦(パルチザン戦)〉として再確認し、用語もこのように統一したい。

(七五〜七六年)

『中原一著作集 第三巻』