後  記

 多数の人達の物心両面の協力をもって、『中原一著作集・第三巻』を発刊できましたことを、感謝をこめて確認しておきたいと思います。
 この『中原一著作集』全三巻の最終巻である『第三巻』を発刊するということは、ただ単に中原一を追悼するためのものではなく、第一に、中原一を虐殺した反革命的宗派革マルの解体宣言であり、第二に、私達が生み出した中原一の思想・路線を引き継ぎ、発展・深化させていくという決意の表明に外なりません。
 この『第三巻』に収録した諸論文は、七〇年代中期に至る組織的作業をほぼ全面的に明らかにするものです。そういう『第三巻』を、今日発刊することは、『No6』をもって公然と登場した解放派が、六九・七〇闘争を結節点として、いかなる思想的深化と路線的発展を遂げてきたのかを、革労協という政治的組織の組織的格闘として実現してきたということを明らかにするとともに、その中味は、未整理であったり不十分であったりしながらも、間違いなく日本労働者階級の歴史的、現在的苦闘を正面から見据えたものであり、そしてあらゆる「左翼」がこの点において、一面化したりすることを通して脱落してしまっていることをはっきりとさせなければならないと考えるからです。そして八○年代こそこの様なことを革命的労働者人民の共通のものとして確認することが可能な時代であり、したがってこの『第三巻』を発刊していくことが私達も含めて全体の発展の条件たりうるという判断が可能だと思うからです。
 中原一を生み出したことは、この著作集の全体の中でも明らかになっていることですが、情勢にふまえ、階級闘争の総括にもとづいた方針(任務)の提起という構造で、くりかえし自己自身を規定しながら前進していくという方法にも端的なように、一般的にいえば日本労働者階級の闘いの成果であり、直接には解放派の組織的苦闘の成果に外なりません。
 だから中原一をひとりの「思想家」として扱ったり、あるいは「中原路線」というような形で言ってみたりすることは、正確ではないと同時に、中原一という形で表われたものの実質を見失うことになるでしょう。
 私達は、階級闘争の推転とその中での階級形成の段階段階の正確な把握の中に、とりわけ革命的労働者党建設と革命闘争の推進のための組織だった努力、「革命期の闘争を展開しつつ革命(蜂起ープロ独)の為の階級形成を行なう」(『第三巻』三四六頁、以下頁数のみ記す)ということに基軸をすえた共通の格闘の中に、中原一をしっかりとすえつけていくことが大切だと考えています。
 私達に重要なことは、何よりもまず中原一が表現した階級闘争の戦略的基軸をはっきりとさせることです。それは次のように表現されているものです。つまり「戦後第二の革命期における特殊な問題」(四二頁)あるいは「戦後第二の革命期における戦略問題」(三四五頁)というように提起されている問題です。
 これについて次のように展開されています。
 「これまでの叙述でも明白なように、二つの大戦を経験した全世界ブルジョアジーはもはや資本主義の矛盾の爆発を帝国主義間戦争に転化する力を基本的に失った。これはいいかえればレーニンの如く帝国主義戦争による敗北、その結果おこるブルジョア国家の解体状況を利用して革命的内乱を推進するという戦略が、永続革命の段階的推転の中で変化せざるをえなくなったということを意味している。『後進国』における矛盾の集中、『後進国』階級闘争の爆発−反革命階級同盟の形成という連鎖における『後進国』人民の革命運動と『先進国』プロレタリア革命運動の相互増幅的関係の中で、決戦に到来するわけであるが、それは階級闘争の構造の変化の中で革命運動の推進上はいかに主体的(主観的にではない)に切りひらいてゆくのか? これが戦後第二の革命期におけるプロレタリア暴力革命路線における特殊な困難性なのである」(四二頁)、「多くのプロレタリア革命をめざした党にとって、もっとも困難なことは、安定期の闘争−組織の構造を『革命(蜂起−ブロ独樹立)の為の闘争−組織構造』へ再編することであった。そしてそれが、マルクスによって打ち立てられたプロレタリア革命の原則の上に立って、この第二次大戦後の政治的段階の中でいかに行なわれるかということが中心的な問題なのである」(三四二頁)、「このことは、相対的安定期後に到来する革命期における戦略、戦術が、相対的安定期におけるそれとは明白に区別されて、かつ決戦を質的に準備するものとして独自に目的意識的に定立されることを要求している」(三四四頁)、「政治闘争(思想的、暴力的、組織的)を階級的、革命的に推進し、現実化しつつある階級支配の本質的矛盾を徹底的に拡大、深化させ、ブルジョア国家の政治支配力を崩壊においこみながら、プロレタリア革命党を核とするプロレタリア統一戦線を主軸としてあらゆる階級闘争−組織を『プロレタリア武装蜂起−革命戦争勝利−−プロレタリア独裁樹立』のために再編的に発展させる戦略、戦術」(三一九頁)
 このようなことを基軸として、「まさに必要なのは、七〇年代中期にふさわしい、思想上、戦略上の飛躍なのであり、この点からの六〇年代の闘争・組織の総括なのである」(四九〇頁)とし、組織路線的には「分派闘争の総括と組織路線の確定」(ゴニ○頁)ということを明確にしています。
 そしてこの作業について、「この問にこたえるためには、少なくとも次の課題にこたえなければならない。第一に、戦争とファシズムについての現段階での解明−深化(国家論を含む)。第二に、合理化と帝国主義工場制度の解明、帝国主義論を含む現状分析。第三に、プロレタリア暴力革命の準備、発展、展開の戦略的把握。第四に、革命期における労働組合方針。第五に、組織論」(三四三頁)と提起しているのです。
 さらに同時に、次のようなことをもってさらに問題をはっきりさせています。
 「全世界のあらゆる矛盾を拡大再生産しつつある帝国主義工場制度に対する、本工−予備役を貫ぬく闘争を出発点とする階級的政治闘争は、この革命期で重大な発展が問われている。ただプロレタリア階級のみがこの世界資本主義を打倒しうるのだという、マルクスによって解明された科学的洞察を思想の根幹とし、それによって戦略−組織論を発展させてきた我々が、いま問題にしなければならないのは、革命期に固有な困難な課題にほかならない」(三四二頁)、「我々が日本階級闘争の中で画期的な役割を占めるのは、〈2〉でみた傾向をはらむにしても〈組織された産業プロレタリアートの階級性、革命性をいかに発展させるのか、という点に党派性をかけている〉点にある。もし、〈2〉で指摘したことが単純に貧農のエネルギーの再評価とか、小市民的暴力性の再評価に流れるとすれば、それは安易な道である。『矛盾の原点としての帝国主義工場制度』への闘争を始元として、そこから本工と予備役の闘争の結合を図ってゆかなければならない。もし、〈2〉の指摘が、予備役や小市民的闘争の再評価になるとしたら、それは何もいったことにならないのだ(すでに破産が証明ずみのことだから)」(三七四頁)、「我々は、党派の始元的発生以来プロレタリア暴力革命路線をとってきている。それは、我々潮流全体、更に我々の党派の構成員にとって当然のことである。だが、それが階級闘争の階級的発展に対応して強化されてゆかないときには、一方において暴力革命一般を語りながらも、事実上そこからズリ落ちる傾向を生み出すと共に、もう一方では、それへの反撥も含めて小ブル『暴力革命』路線へのブレが生み出される」((三一○頁)
 これらの上に立って、「直接的な帝国主義との闘争と宗派との闘争は、本質的に相互媒介的な関連となっている」(三二〇頁)、「帝国主義との闘争と相対的に区別された独自の解体闘争」(五〇六頁)というように、六九・七〇闘争から激化してきた党派闘争、とりわけ宗派革マルとの党派闘争を整理しています。
 そもそも、労働者階級の階級的組織性を問題にする時、宗派のもつ組織性をいかに粉砕・止揚していくのかということは最も根本的課題である訳です。およそ日本階級闘争において真剣に闘う者(組織)にとって、宗派革マルとの闘いはさけて通れるものではありません。いやむしろこの闘いは、日本労働者階級の闘争−組織の階級的革命的発展にとって戦略的位置をしめているのです。それは「『アジアにおける唯一の帝国主義』日本における革命は、スターリン主義、反スタ・スターリニズム、社民との苛烈な党派闘争を不可避とする」(三三四頁)からです。
 この著作集の全体を貫いて、とりわけ『第一巻』の「日本左翼思想の総括の視点は何か?」(八三頁)、「共産主義革命論・序説−−史的唯物論の確立のために(一)」(二八九頁)「同(二)」(三二七頁)、『第二巻』の「史的唯物の確立のために」(一一九頁)、を受けながら『第二巻』に収録されている「マルクス主義における“認識論”の問題」(二八一頁)、「革共同革マル派批判」(三一三頁)、「日本的小ブルイデオロギーと黒田観念論批判(仮)」(四〇九頁)等において展開されている宗派革マル批判とその解体戦略の構築は不可欠なものです。
 その中で、思想的核心としては、「革マルイデオロギーの思想的根拠たる『場所的立場』に示される革マルイデオロギーの思想的核心について、共産主義的思想次元の粉砕がなしえていなかったことにある」(五〇五頁)というように問題をしぼりながら展開している内容は、本質的に宗派を越えていくしかないプロレタリア的組織性の根源的問題を、日本階級闘争における宗派革マル批判という形で整理しているといえます。これは、「普遍的特殊」(四一頁)というように「我々が鍛え上げてきた」(四五頁)カテゴリーの思想次元の整理の一環です。そして中原一の初期の問題意識として出している、「六〇年以後の左翼戦線における基本的問題点とその思想的総括」(『第一巻』三二頁)の中の「二重の二元論」(『同』三八頁)を出発点とした問題解明の発展であるという位置を持っています。
 私達は、これらのこと今日的にをますます深化させていく為に、『第三巻』を作製しました。一方で、「中原路線」なるものが一部のグループによって、政治的かつ一知半解に宣伝されています。彼らは「引き継ぐ」と称して、実は手前勝手な「引き継ぎ」しかできず、自分達が中原一の全内容において根本的に粉砕されていることに無自覚です。確かに「革命期における闘争を推進しつつ」ということである訳ですが、しかしその一面をとりだすばかりでなく、それを固定化し、実は他の面との関係性においてしか本質的な発展をなしえないにもかかわらず、一面から他の面を抑圧し、もってその一面すらも結局は破産させてしまうという構造をもっているこれらの部分は、階級的、革命的格闘から本質的に脱落してしまうでしょう。
 私達はこれらの部分をも止揚しつつ、八○年代における「階級的遅れ」を克服していく決意をもって『第三巻』を発刊していくものです。なお、収録した諸論文において、その当時の発展段階の制約として含んでいる不十分さについては、今日的には克服してきているものであっても、そのまま収録しました。言葉使いなどもそのままにしてあります。
 最後に簡単に収録した諸論文の説明を行なっておきます。
 冒頭の「せまりくる世界資本主義の破局−反革命戦争とファシズムの危機に対決する党−軍−ソヴィエト建設へ進撃せよ!」、「深まる世界資本主義の危機の下、決戦勝利の陣型形成へ」、「国際反革命戦争をプロレタリア蜂起−内乱の国際的爆発で粉砕せよ」の三論文は、それぞれ七七、七六、七五年年頭の機関紙に掲載された政治論文です。とくに最初のものは、反革命的宗派革マルの手で虐殺される直前に書かれたものであり、それと共に組織討論の成果を政治論文として表現したものとして銘記すべきものでしょう。
 次の「強力な非合法−非公然能力をもって蜂起めざして進撃するプロレタリア革命党の建設を−−全国産別・全国戦線展開能力をもった強力な地区党建設を」は、組織論、組織路線をめぐる討論の一段の収約として出されたものです。以上は、個人としてではなく組織文書として書かれたものです。
 「権力闘争とプロレタリア階級の軍事能力−−プロレタリアの軍事能力の展開と帝国主義軍隊の解体」、「七〇年代階級闘争とソヴィエト運動」は、『第二巻』に収録した『党・ソヴィエト・武装蜂起』と同時期のもので、次の「スターリン主義国家研究」、「帝国主義研究」、「ブルジョア国家とプロレタリア革命戦略」等の論文と共に、戦後第二の革命期における戦略、戦術の確立に向けてのベースとなっています。これらは個人署名文書として公表されてきたものです。
 これらの整理を受けながら、七五年から七六年にかけて、組織討論をへて出されてきたものが、戦略路線における「革命期におけるプロレタリア革命(派)の戦略問題−−解体戦はいかに展開されるべきか?」、「宗派革マルの破局補修−延命策動を粉砕しつつ、戦略的高地か攻撃し、決戦を切り開く死闘戦に勝利せよ!−−戦略的対峙段階の戦略−−」であり、組織論、組織路線における「非公然−非合法展開力をもって、蜂起−プロ独樹立を目指して進撃する革命的労働者党を建設せよ!」であり、そして「革命期における労働運動の基本戦略」です。したがってこれらは組織文書として書かれています。
 最後の三つの論文は、主要に組織的、思想的総括をめぐって書かれたものであり、七五年から七六年にかけての路線討論とその時点での確定の作業の前段をなしています。これら「革命的労働者党建設の現段階と現下の中心的課題」、「総括と方針の基軸について」、「七〇年代中期における革命的飛躍のために−−革命思想および路線の限界突破のために!」は、それぞれ個人署名文書として出されたものであり、とくに最後の二論文はいわゆる「日野論文」として提起されたものです。
 以上簡単に文書性格の説明を行ないましたが、最後に七五年から七六年にかけての収約的諸論文を基軸に、プロレタリア階級運動(革命運動)の原則にふまえ、正確な評価を共同作業として進めていくことを訴えたいと思います。

中原一著作集編集委員会