プロレタリア革命運動における党派闘争の論理と倫理
1 帝国主義の矛盾の深化と小ブル派のセクト主義
六〇年代後半から一挙に表面化してきた帝国主義諸国の矛盾は、七〇年代に入り一層深刻なものとなり、一方「後進国」階級闘争も新たな展開に入っている。内乱―革命の火はインドシナ半島のみならず、中近東、インド亜大陸(インド、パキスタン)そしてイギリス(アイルランド)と燃え拡がっている。それぞれ足下のプロレタリア革命に恐れをいだいて帝国主義者は反革命階級同盟を再編強化し、スターリニストも足下のプロレタリア人民の闘いの吹きあげの中で帝国主義者との平和共存路線の中でうつつを抜かしつつある。国連におけるソ連と中国の醜悪な論争を見よ!
七〇年代の世界はこうして各国の足下で内乱―革命の火が公然と燃えあがらんとし、一方帝国主義者とスターリニストは、それを見つめて反革命階級同盟の再編と平和共存に入るという鋭い対比を見せている。この矛盾の激化に対する帝国主義者の対応は合理化とファシズムと戦争である。社会的には大合理化により労働者に矛盾を集中し、工場をまさに監獄のように打ち固めつつ独占の犬集中・合併運動を行ない、さらに社会全体の再編に入っている。農業の解体再編・中小企業の解体再編・教育の再編――。政治的には沖縄返還をテコとした自衛隊の強化、刑法全面改悪(保安処分)、火災ビン立法として表われている。日本においてはこれらは七二年沖縄返還として集約されている。
戦後政治社会の一切が激動の中に叩き込まれ帝国主義者に都合よく作り変えられ、また切り捨てられつつある。一人一人の労働者は大型化した労災の中で殺され、日常的労働の中でスリ減らされていく。その政治的表われは、一切の闘う人民を政治的に抹殺するための刑法全面改悪、なかんずく保安処分である。そして、それに屈服した人問は帝国主義軍隊の中に叩き込まれ、他国プロレタリア人民の殺害を強制され、自分も殺されていく、まさにこういう時代にきている。闘いによって自らの世界を作るのか、然らずんば死か! この二者択一は全人民に突きつけられている。プロレタリア人民はまさに生き抜くために帝国主義者を暴力的に粉砕しきらねばならぬ時代にきている。すでにいくつかの闘いはそれを示している(三里塚をみよ!)。
こういう時代の到来は、プロレタリアのみならず一切の人民を激動の中に叩き込んでいる。それぞれの階級は自らの階級的利害の為に結びつき、社会は大きく対立の中に入っている。それぞれは唯一自分の矛盾が最も根本的であると思い込み、そして他の部分を自らの物理力とせんとする。プロレクリア革命派を除いては――。それは、「この社会の矛盾そのもの」を受けているプロレタリアの矛盾を隠蔽し、闘いを分断していくことを通して自らの政治的物理力にしていく。この構造は、左翼運動の中にも貫かれていく。矛盾の激化により、小ブル諸党派は不安を深めるとともに、自らの手におえないより深い闘いの矛盾が突き出されることに恐怖して、その分断、圧殺をはからんとする。そして個人を抹殺せんとする。そういうものとして革命的激動期は同時に強烈な党派闘争の時代である。
プロレタリア革命は帝国主義者と闘うかぎり、一切の部分と共同闘争を組むが、それが反プロレタリア的原則の下で敵対してくるのに対しては粉砕しつくさねばならない。この闘いに敗北するということはプロレタリア革命派の敗北を意味する。ロシア革命の中で広い意味での党派闘争にプロレタリア革命派は敗北し、スターリンの粛清の嵐が吹きあれた。スペインでは、スターリスト―アナーキスト、トロツキズム的革命派が三つ巴の党派闘争の中に入り、この党派闘争の革命的階級的推進に失敗し、革命に破産してゆく。
七〇年代階級闘争は、日本の左翼運動にこういう課題を突きつけている。
2 ソヴィエト運動と党派闘争
階級闘争の歴史の中で、党派闘争は何か不要な無用なものであり余計なものであるかのようにみなす見解がしばしばあらわれる。闘う人民の敵はブルジョアジーであり、それと闘う以外に「味方」同志が敵対することはまったく無駄だという者がいる。だが、階級闘争の歴史は権力との闘いと共に激烈な党派闘争を何度も経験している。スペイン革命、ロシア革命、中国革命の歴史等々――。ヨーロッパでも、ドイツ革命の歴史は最も極端な型では、ドイツ社会民主党指揮下のフライコール(義勇軍)とスパルタクスブントの死闘を経験している(但し、これは一方が政治権力を握っているという状況下のものだが――)。
それは決して一般的に「悲しむべき事」なのではない。あたりまえのことなのであるが、党派闘争は階級闘争の不可分な一翼をなしているのだ。ブルジョア支配の下で、諸階級は生活しているわけである。が、資本主義社会の矛盾の表面化は、ブルジョアジーとそれぞれの諸階級の対立のみならず、諸階級、諸階層の対立を激化させていくことは当然のことなのだ。そういうものとして、党派闘争は激化してゆく。プロレタリア運動にとっても、この党派闘争を通して他階級、他階層による戒厳令、物理力化を突破し、同時に自分の中にあるブルジョア的なアイマイさを消し去り、自分の階級的利益を闘いとり、発展させてゆくものなのだ。
あらゆる問題がそうであるように、この党派闘争においてもプロレタリア運動の論理と小ブル的なものとの区別は明確にある。プロレタリア運動は、一切の階級の止揚をなしうる運動なのである。もちろんそれは、市民的インテリゲンチャの言うように「話し合いによる解決」を意味するものではない。必要な闘いにおける暴力的闘いの貫徹は徹底的に闘いきらねばならない。問題は、その論理(路線)とその中での倫理の差異である。
それでは、どこが根本的に異なるのだろうか? それは、プロレタリア革命とは「階級総体の独裁」を目指すものだという点で他のそれと異なる。後でみるように、スターニストも「トロツキスト」も陰に陽にプロレタリア独裁を「党独裁」にスリカエている。したがって、ここから日常的な闘いの推進においても根本的な差異が生まれてくる。
一九一七年のロシアは、レーニンが語ったごとく、世界中でもっとも「民主主義的な国」であった。ソヴィエトが権力となり、働く階級が、その団結が一切を支配していた。ここでは真理を見抜く力を団結を通してプロレタリア大衆が獲得していた。だから、党派闘争は原則的に闘われていた。そして、反革命は、また日和見主義者は巨象のようなソヴィエトの力を背景に粉砕されていった。だがロシア革命のプロレタリア革命としての自然発生性はソヴィエトの力の低下となってあらわれ、党派闘争、分派闘争は一歩一歩悲惨な構造にはまり込み、ついにスターリン主義の制圧となり、ボルシェヴィキ内部の分派闘争は大量の粛清となって終結していった。さまざまな角度から検討しなくてはならないにしても、スペインの内乱における党派闘争の問題も究極的には同じ問題にゆきつく。
革命的プロレタリア運動にとっての党派闘争は闘うプロレタリア人民の闘いの結合の推進、またはその防衛のための闘い(ソヴィエト運動の推進)であり、一方小ブル諸党派のそれは闘うプロレタリア人民の闘いの分断、支配のための党派闘争なのだ。したがって、革命的プロレタリア運動の推進のための党派闘争は、後でもう一度みるように小ブル的政治の止揚を内包している。プロレタリア運動は「階級総体」の独裁を目指すものであり、そしてまたそれが「過渡期」から「社会主義」「共産主義」という階級支配の絶滅への突破口となるのだ。そして革命的労働者党とは大衆運動、大衆組織の目的意識的推進力、または大衆組織の連合をなしとげ、それを通して階級的結合(党)へ全体を発展させてゆくものなのである。したがって、革命的労働者党がソヴィエト運動を、したがって階級独裁を現在的に推進してゆくということは、大衆運動の形成とその連合の推進である。そして、プロレタリア革命党の党派闘争はここをめぐって問われるのだ。「共同戦線の形成」―「統一戦線の形成」―「党の建設」、これがわれわれのなすべきことなのだ。
3 スターリニスト・社民のゾヴィエト運動への敵対構造
一方、小市民運動の構造は、陰に陽にこういう形への敵対としてある。
日本共産党の戦略と戦術は、次のようになっている。
日常的社会運動の路線は――例えば反合理化闘争についてみれば「よい合理化、悪い合理化」論に完全にはまり込み、一定の闘いの後は完全に議会での一票にその闘いを利用するにすぎない。かれらの三井三池闘争の総括は、要するに「広汎な民主勢力の統一戦線がなかった」という点に収約されている。言うまでもなく、広大な共同戦線の形成は闘いにとって決定的に重要なことであるが、日共は反合理化闘争がそれ自身として、階級的、革命的発展をとげるか否かをまったく抜いてしまっている。日共においては闘う人民の共同戦線の基礎に反合理化闘争の「連合」を通しての革命化が行なわれるといったものではなく、反合理化闘争の敗北・分散の上に、風呂敷をかぶせるように「民主勢力の統一」が語られているにすぎない。これは、組織路線と権力問題に鋭くあらわれてくる。
こうして、かれらの党は、プロレタリア運動の基礎である工場の闘いの階級的発展の中に形成されるのではなく、工場の闘いを物理力とした一票をカキ集めるための党として形成される。その何よりの証拠は、労働組合の右翼的再編に対して「総評もニワトリからアヒルにかわったじゃないか」という形で、むしろ積極的に労働戦線の右翼的統一の中に埋没している姿に示されている。つまり、プロレタリアの矛盾への闘いが、それ自体として結びつきつつ発展することを否定している路線の結果なのだ。組合という大衆組織自身を、行動委員会の連合をもって変えていくということなど思いもよらない。
こうして成立してくる政治は、「国民の党、民族の党」と自ら語るごとく、まさに小ブルジョアの政治なのである。
それはどういう路線の下で進められているかと言うならば、次のようになっている。
「論文は、マルクス・レーニン主義者が革命のために議会や選挙を活用する範囲や形態は、……(イ)人民に対する宣伝と煽動の演壇としての活用 (ロ)労働者と人民のために改良をかちとる闘争の舞台 (ハ)労働者階級が議会で多数を獲得して適法的に政府をにぎるために闘う……。」
「論文は、まず国会についての綱領の路線が、マルクス・レーニン主義の革命的原則に貫かれたものであり、ベルンシュタインの日和見主義的路線とは共通ではないことを、次の三つの基本問題について説明しています。@綱領が、レーニンの原則的見解を守って権力獲得の方法については規定せず、革命の過程で「敵の出方」によっていろいろな局面が生まれることを考慮している……。A綱領が国会での多数者の獲得を、権力獲得を目指す出発点とみなし、革命の主要な推進力が労働者と人民の統一戦線と革命的大衆行動にあることを明らかにしているのに対して、第二インターは議会での多数者獲得を国家権力の獲得と同一視している。……B綱領が、人民が権力をにぎった時、できあいの国家機構をそのまま使うことはできないというマルクス・レーニン主義の革命的原則に、中心点に『反動的な国家機構の根本的変革』を、革命権力の主要な任務の一つにしているのに対して、第二インターは、官僚的、軍事的統治機構の破壊の必要性を最後までみとめようとしなかった。」
「……論文は、この点でレーニンの時代とは異った今日の重要な歴史的な特質が、ソヴィエト形態によらないでも、普通選挙にもとづく人民代議制機関――議会の形で、『ブルジョア議会制度なしの民主主義』を実現することが可能になった点にあることを指摘しています。このことは東ヨーロッパの人民民主主義革命によって具体的に実証されました。」(以上、不破哲三『人民的議会主義』)
ここでは、「議会主義」の日和見主義的本質の巧妙な隠蔽がある。「権力獲得の方法としての議会」―「大衆運動による国家権力の解体」―「ソヴィエトなき革命」。ここではプロレタリア革命のもっとも鋭い面がまったく骨抜きになっている。つまり、階級総体の団結の発展がそのまま権力であるというソヴィエトの意味をまったく消している。権力の母体そのものがアイマイであり、大衆運動を強調しているようにみえて結局のところ、議会での議席の獲得のための大衆運動になっている。プロレタリアの権力は〈ソヴィエト運動そのもの〉なのである。日共の路線は巧妙にこれを消し去っている。議会主義とプロレタリア革命の鋭い対立は、この権力の母体、権力そのものとしてのソヴィエトを巡って生まれる。ソヴィエト運動の発展のために議会を革命的に利用するのではなくて、ソヴィエトを消してしまって、ただ一般的に大衆運動を、議会を通して形成される政治権力の物理力として強化しているのが日共なのだ。ソヴィエトヘの発展を否定して成立している大衆運動とは、どう言訳をしようと他のもの(日共の場合は小ブル議会主義)の物理力なのだ。
こうして、日共はプロレタリアの政治・社会矛盾との闘いを圧殺する形での運動展開になっている。したがって、ここでは生きた矛盾の抹殺、隠蔽が必要となり、デマゴギーをテコとしたプロレタリア運動への敵対として党派闘争を推進してゆくことになる。
社会党のイデオロギー的軸たらんとしている向坂派も基本構造は同じであり、ただ日共よりも強力に社民性、議会主義を突き出している。一定の職場「抵抗」と逃亡――議会への物理力としての政治――。
4 「反スタ・スターリニスト」(革マル・中核派)のソヴィエト運動への敵対構造
社・共を批判しつつ、実は「ソヴィエト運動の否定」という点で革共同革マル・中核派は共通のものを持っている。
革マル派は『共産主義者bQ6』において協会向坂派批判を行なっているが、実は肝腎なポイントについては協会向坂派とまったく変りえないものなのだ。かれらは、われわれの合理化の本質把握をコッソリ真似して「主体面の合理化、客体面の合理化」などと「俗化」させているが、核心はやはり真似できるものではない。合理化を資本主義の根本矛盾と結合して把握していこうとすることは、次にはそれをいかに止揚するかに結びつかねばならない。協会向坂派の改良主義者としての本質は「政治と経済のゴチャマゼ」という点や「合理化の把握の改良主義的本質」という点にのみあるのではなく、その底にあるその止揚の方法に鋭く出てくる。結局、向坂派は反合理化(実は半合理化)をいいつつも、それはまったく改良主義的な条件闘争への埋没と、政治的には議会への一票への収約となる。しかも、反合理化実力闘争を日和る理由として「合理化は、革命によってしか粉砕できないので学習会による社会主義者作りが唯一の展望だ」(『社会主義』)とあげるところにある。わが「革命的」―「共産主義者同盟」―「革命的」―「マルクス主義派」殿にまことによく似ているではないか。
かれらはわれわれとの闘いの中で日韓、早大闘争において「内部動揺」を深め、「大衆運動主義」―「主体形成主義」の内部対立をくり返してきた。沖縄闘争をめぐる「プロレタリア的解放論」さらに「戦略の適用主義―主体形成主義」等の問題は結局のところ、「現実の闘い」とその中での「革命性」の関係が一向にハッキリしない点にある。「のりこえ」の空語化の結果、「のりこえ」―「高め」―「目ざす」などといってみることは結局「のりこえ」る「中味」が空洞化していることの別の表現である。自分の中に現実的な革命性の中味を持ち得ず、現実の闘いに対して、その不充分性をいろいろ探しては自分は無責任な闘いをやっておいてイデオロギー的批判を行なうということの結果、「のりこえの空語化」がおこる。「戦略の適用主義」なるものの発生は、革マル派の闘争方針においては依然として「他党派の批判をもって情勢分析に代えるような傾向」が六六年いらい続いており、情勢分析の中から闘争方針につながる「戦略」がいっこうに引き出せない――または革命運動の中での戦略にあたるものが抽象的な「主体性」以外に出てこない――結果の下部活動家の「アガキ」の表われなのだ。いっこうに革命化しない「大衆運動」と「主体形成主義―個人的自己否定」の二元論の中でのアガキなのだ。
「むしろ、戦後主体性論の核心を受け継ぐ哲学的苦闘と、これを前提としながら、かのハンガリア革命の受けとめを基礎として〈革命的マルクス主義の立場〉を獲得し反スターリン主義の革命運動を作り出してゆく、この両者によこたわる「断絶」を明確につかみとらねばならない。哲学的主体性論の延長上では世界に冠たる(マルクス主義の宗教化という点では?)独自的な革命運動は開始できなかったのだ」(『共産主義者』bQ5)というふうに居直ってみたり、「人問的自然がいかに客観的法則性を意識的に適用するかの技術論的追求がぜひとも必要なのだ。……いわばこの組織戦術は、このおのれの“みぞおち”のあたりから重く鋭く出ていって対象的に貫徹するのだとつかみとらねばならない」(『共産主義者』bQ5)などと『ウルトラマンのヘソ』のような形で「神ダノミ」的に解決しようと思っても駄目なのだ。
問題は、われわれが生きている資本制生産様式の中での矛盾の構造を本質的につかみとることであり、歴史的、現実的につかみとりつつ、それを止揚するプロレタリア運動の目的意識的把握と推進なのだ。現実の矛盾の本質的構造の中から、それへの否定、止揚としてのプロレタリア運動のあり方がつかみとられてくるのである。したがって、情勢の把握と闘いの方針は不可分のものとしてつかみとられてこなければならない。自然発生的大衆運動の中に革命性はふくまれているのであり、その目的意識的結合が革命運動なのだ。革マル派にとっては革命性は宇宙のどこかからやってくる「不可思議なもの」なのだ。かれらには「現実」と「革命性」は切断されたままなのだ。結局その根本原因は、革マル派の諸個人がブルジョア社会のどういう制約の下に生きているかがつかみとられていないという点にある。別の形で言えば、小ブル的個人が社会の中に位置付けられず個人のままでいるという点にある。だから、大衆運動という社会的な次元と無関係だところで個人的な自己否定―主体形成としての「革命性」が形成される。
かれら自身が告白しているように、かれらの大衆運動の現状把握と、その中からの革命化の断絶はいっこうに解決されていない。したがって、反合理化闘争はせいぜい民同の突き上げを越えられず、それを越える「突出」を「ハミダシ」といって批判する。また政治闘争において日和見を決めこんでいてあまりにも恰好がつかなくなると、とってつけたように中核派のような無目的な街頭闘争をやってみるのが「関の山」なのだ(かれらの「四谷暴動?」をみよ!)。
「武装闘争主義者批判」を「党派性」にしていたものが、少しばかりの闘いを大げさに「武闘貫徹」などといって喜んでいる姿は哀れをもよおす。いったい自分らのやっていることは中核派的な無原則な[闘争」とどこがちがうというのか?
こうしてかれらは大衆運動自身が革命化してゆくことを否定する結果、「ソヴィエト運動の現在的推進」などということを聞くと大騒ぎする。かれらにとってはプロレタリア独裁へ向っての大衆運動の一歩一歩の前進などは「粉砕」すべきものであり、大衆運動は永遠に大衆運動であり「革命化」してはならないものだ。大衆運動自体の連合は、革マル派という党派の「物理力」でなくてはならない。中核派の誤りは小ブル的大衆運動の単なる延長に革命性をみる点にあるのである。かれらは中核派を批判するときと同じ土俵にいるものだから、プロレタリア大衆運動の革命化もいっしょに否定してしまうのだ。スターリニスト(日共)がプロレタリア運動の議会主義への物理力化であるならば、「反スタ・スターリスト」革マル派は、プロレタリア運動の小ブルイデオロギーへの物理力化なのだ。「反スタ・スターリニスト」革共同中核派は、前にも見てきたようにプロレタリア運動の「小ブル大衆運動」への物理力化であり、革マル派と同様にソヴィエト運動への小ブル的敵対物である。
5 小ブル的諸党派のセクト主義的党派闘争の論理と倫理
六〇年代の初頭から、学生戦線では激烈な党派闘争が闘われていった。そして、それは六〇年代を通して深まっていった。そして、それのみならず、スターリニスト党、社民との党派闘争、分派闘争も六〇年代を通じて労学をふくんで激烈に展開されてきた。大きく見れば、それはスターリニスト派、社民、反スタ・スターリニスト(革共同中核・革マル)そして、われわれという四つないしは五つの大きな抗争があった。この構造は、六〇年から七〇年にかけて死者を出すまでに激化している。
まずはじめに、かれらの党派闘争の論理と倫理をみてみよう。
日共は、われわれが再三再四みてきたように、闘いの圧殺者として登場する。それは、闘いの質が市民主義をこえて革命化する時、必ず「ブルジョア民主主義の防衛者」としての敵対を開始する。ここには、現実の矛盾の隠蔽がある。したがって、党派闘争がデマゴギーによって貫かれるという特徴をもっている。まさに「黒を白といいくるめ」、「原因と結果」を逆にする。こうして、小ブル民主主義は、プロレタリア革命派に対してはデマゴギーをもった敵対者としてあらわれる。ここでは、したがって人間の抹殺の思想が働いている。これこそスターリン主義の本質である。
そして、これは、多かれ少なかれ、反スタ・スターリニストにも共通していく。それを、中核派と革マル派にみてみよう。
中核派と革マル派はともに「小プル個人的自己否定」を自らのエネルギーの起源としている。中核派は、それを大衆運動を通して行なう。かれらの運動は、現実のプロレタリア人民の諸矛盾、諸闘争を結びつけ、その中から自らの限界をも突破していくエネルギーを作っていくというプロレタリア革命のエネルギーと逆なのだ。かれらは、合理化にしてもファシズムにしても、戦争にしても、教育問題にしても、部落問題にしても、それとして問題にしきりそれを闘いぬくということはない。かれらにとって、これらの諸矛盾、諸闘争は、自分の個人的自己否定のエネルギーの「物理力」でしかない。まさに、政治的利用主義なのだ。この点は、日共と同じであり、異なるのは日共が市民主義の穏和派として出て来るのに対して急進派として出てくるということにすぎない。このことが意味するのは、かれらにとって階級性とは、現実の矛盾のあり方ではなく、かれらの頭にうかぶイデオロギーだということなのだ。しかも、現実の矛盾をつかみとりそれへの「闘い―団結」を通して自らの小ブル性を止揚するということではなく、自己の小ブル性の個人的自己否定をエネルギーとしているので、「自己否定」ということは「他者の否定」であり、したがって、内部矛盾の外在的転化なのだ。そういうものとして、セクト的対応は、かれらの体質になっている。日共と酷似しているのは、闘いが自分たちの手におえなくなると、それへ戒厳令をはり大衆や他党派をつぶしにかかるという点である。これは、他の党派の人間への対応にあらわれてくる。現実の矛盾の隠蔽、圧殺という論理は、他人の肉体の抹殺(階級的打倒ではなく、闇から闇へとほうむるとか、知らん顔して逃げまわるとか)の「倫理」となっていく。闘いが死をふくむ時代にはいっているということは言いうるが、それが「抹殺の思想」に貫かれているか否かは決定的に異なる。
一方、ほとんど中核派と同じ思想構造を、革マル派はもっている。ただ、革マル派は、それを「思想的」という外観をもって行なう。それを今、海老原問題の時の梅本克己や、高橋和巳への「批判」のあり方を通してみてみよう。梅本は、革マルの中核への「復讐」に対して、党派闘争が単なる「復讐」の論理をこえてそれを止揚するものをもっていなくてはならないのではないかと提起した(もちろんその出し方は、非常に限界をもったものだろうが――)。これに対して、革マル派は「キリストになることはできない」、「政治を止揚するにはやはり政治が必要なのだ」、「中核派は非組織的にやっているので悪い。われわれは思想闘争を行ない組織的にやる」と答えた。高橋和巳は、次のように提起した。「内ゲバ」は内部矛盾の転化である。それを越えていくためには、プロレタリアを前にして党派闘争をやらねばならぬと――。それへの革マルの解答は、党派闘争を正しく判断できるプロレタリア大衆などどこにもいない、そういう労働者は自分たちが「創造」していくしかないということだった(以上『革命的暴力とは何か』)。
ここに革マル派の本質が暴露されている。われわれは六〇年いらい革マル派とは激烈な党派闘争を闘いぬきつつあるが、われわれが見てきた「現実の矛盾の隠蔽」(デマゴギー)、「闘いへの敵対」という反スタ・スターリニストのあり方(正確に言えば、イデオロギー的には革マルの方が本家である)は、革マル・中核に共通であるが、それを自らの口で「思想的」に告白しているのがこの対応である。つまりかれらは中核を批判しつつも、中核派の止揚については一言もいっていない(それは、自分の方が本家なのであたりまえだが――)。つまりブルジョア的また小ブルジョア的な「政治の論理」を越えるものが一つもなく、ただただ組織的であったか否か、思想闘争をやったか否かということしかない。この革マル思想の核心を表わしているのは、高橋和巳への批判である。「内ゲバの善悪を判断できる大衆など一人もいない。自分がつくるしかない」――これこそ革マル・イデオロギーの核心である。
ここには、思想闘争の外観をもち「組織的」であればまったく無原則的なことを平気でやれるというかれらの「論理と倫理」の基礎がある。中核批判のところでみたように、反スタ・スターリニストは階級性を「現実の矛盾」としてつかまない。たとえ一人ひとりのプロレタリア大衆は限界をもっていたにしても、われわれの党派闘争の正しさは、現実の矛盾と闘う現実のプロレタリアによってしか検証されえないのだ。階級性は、主観的なものではなく、客観的な現実的なものなのだ。革マルイデオロギーをもった人間、革マル派が「創造」する人間(革マル的に作りあげた人間とよめ)が階級的なのではない。現実の生きた矛盾を正確につかみ、それと実力で闘い団結していくプロレタリアが革命的なのだ。革マル派も、合理化、戦争、ファシズム、教育、部落問題、民族問題等々について正面から解明したことがない。そんなことはあまり問題ではないのだ。かれらら自身のコトバによれば、現実の大衆運動は、決して革命化しないのだから――。まさにこれも、現実の矛盾の隠蔽、闘いへの敵対、イデオロギーの下への個人の抹殺の体系なのだ。
6 革命的党派闘争の路線は何か
われわれの前に次の問題が厳然とつきつけられている。〈プロレタリア革命を目指していかなる困難があろうとも闘いへの圧殺者を実力で粉砕しきり党派闘争に勝利しなくてはならぬ。しかし、同時にそれはブルジョア、小ブルジョアの政治の「論理と倫理」を止揚するものをふくんでいなくてはならない。〉
これへのわれわれの解答は、次のように立てられる。〈現実の矛盾から目をそらした上で成立している「闘いの圧殺と分断」のための「セクト主義的党派闘争」か、「現実の矛盾をみつめきり、闘いの結合と発展」のための党派闘争か〉と。ここに、一切の問題が凝縮している。
われわれの党派闘争は、正確に現実をみつめきり、その現実の矛盾への闘いを断固として結びつけるために、それへの戒厳令を粉砕していく。それは、個人にとっては、まさに一面的存在をこえた全面的に発達した人間への(自立の)闘いであり、ブルジョア社会を、したがってブルジョア政治を現実的に止揚していくための闘いなので、それは現実の矛盾を隠蔽するのではなく見つめきることから出発しているかぎり、デマゴギーからは無縁である。したがって、現実の矛盾の中に苦しむ「個人の抹殺」からも無縁である。
したがって、党派闘争は全大衆の前にそれが帝国主義へのいかなる闘いをめぐってのものなのかを明らかにし、全大衆自身の問題の発展として闘うことを明らかにする(まさにわれわれは東大闘争の最中に革マル派とこうして闘った)。これは、宣伝上も組織的にもである。このことにおいて、党派闘争の展開は、大衆自身の検証をくぐることになる。したがって一つ一つの合理化、沖縄等の問題をつき出しつつ闘わねばならない(もちろん権力に対しでは充分な、また必要な配慮をせねばならぬが――)。そしてその上で組織的にも全大衆に呼びかけつつ、戒厳令に対しては「非妥協的」に闘う。暴力的戒厳令に恐怖することによっては、人間の解放はありえない。われわれが、一九六八年の全学連運動の、中核派による分裂策動でみたように、かれらはまったく無原則的に「殺せ」などということを指導都が平気で口にする。しかも、それは、自分たちが闘いの中で追いつめられ、拠点大学から放り出されそうになるとデマゴギーをデッチ上げて、われわれに対してテロ・リンチを行なっている時にである。かれらにとっては、一人ひとりの活動家はその時々の中核派という党派の「浮き沈み」のための物理力でしかなく、したがって、一人ひとりの活動家や大衆の生命もそういうものとして扱われていく。それは、かれらが、革マル派と同じように、一人の人間を「イデオロギーを背負って歩いている人形」としてしか扱わないからなのだ。別の形で言えば、一人ひとりの人民の矛盾を、社会の根本的矛盾の中にしっかりと位置付けきっていないからなのだ。要するに、血と肉をもった一人ひとりのかけがえのない人間としてみていないからなのだ。この間のかれらの「闘い」における思想の荒廃ぶりは、この構造に輪をかけている。
いうまでもなく、マルクス主義は「テロ」を原則的に、否定をしはしない。また、反革命的な敵対者を実力で「粉砕」せねばならぬ状況もある。だが、それは、何でもかんでもメチャメチャなことをやってもいいということではない。捕虜の無原則的なテロや、無原則的テロ一般は許されるものではたい。法政の有力な活動家「T」は、「われわれは何でもかんでも、ブルジョア的なことでも、必要ならばやる」という「有名な」言葉を吐いている。あきれはてた「レーニン主義者」がいたものだ。ナロードニキのテロリストは、権力と闘う時でさえ、かれらなりのきびしい「倫理」をもっていたし、また、それだからこそ、人々の心をうったのだ。また、これを批判して登場したレーニンは、あらゆる状況において、一つひとつマルクス主義的原則をつらぬこうとして苦闘した。レーニンの活動をその革命的リアリズムを、「勝利のためには手段を選ばない」というふうに理解するのは、まったく馬鹿げたことだ。レーニンほど当時のマルクス主義の中で、一つ一つの問題に原則を貫こうとして苦闘した人間はいない。革マル派との現在の過程は、中核派のこうした荒廃の一つの表現である。もちろんわれわれは党派闘争の威しさ、それ自体を否定しているのではない。そのあり方を問題にする。たしかに、現在の闘いのきびしさば、「あらゆる問題」が突発する可能性を常にもっている。そのことを避けて通ることはできない。だが、中核派のこの間の状況は、かれら全体の破産と、思想の荒廃がいかにかれらの活動家に現われているかを示している。
一方の革マル派は、結局、中核派的な構造を、イデオロギーのオブラートをかぶせ「組織的」にやっているにすぎない(それは先程見てきた)。同じ内容を「非組織的」にやることと「組織的」にやることとに、本質的な差異があるわけではない。われわれは、かれらとの闘いの中で、まさに「白を黒といいくるめ」、「原因と結果を逆に宣伝」する反スタ・スターリニストの醜悪な本質をみてきた。それは、単なる偶然ではない。かれらにおいては、すでにみてきたように、現実のプロレタリア人民の矛盾の隠蔽と、闘いの切断に自らの党派性があるからに外ならない。
何度も述べてきたように、現在の闘いのきびしさは、あらゆる状況で敵、味方の「死」の可能性を常にふくんでいる。だが、われわれは、闘うブロレタリア人民が、まさに、生命の無限の発展のために、生きんがために団結を推進し、それを「殺さんとする」ものを粉砕するために闘う。常に現実の生きた矛盾を問題にし、闘いの連合、結合をなしとげんために闘う「生の体系」である。日共、社民反スタ・スターリニストは、「あり方の原点」においてプロレタリア人民の生きた矛盾の圧殺をふくんでおり、「死の体系」として存在する。
われわれの党派闘争は、中核派のように中味をゴマカし、自分のやったことをほおかむりして勝手なことをやるのでもなく、革マル派のように階級的真実を自分の主観的イデオロギーにスリカエてしまうのでもない。まさに階級的真実と、階級闘争を明らかにし、推進する形で、したがって自らの一切の活動は、そのプロレタリア大衆の目に検証される形を促進しつつ(つまり、プロレタリアの団結を推進する形で)行なう。われわれは革マル派との闘いも六月の中核派との闘いもそのように実現してきた。われわれは、ソヴィエト運動を目指してプロレタリア運動の団結の発展・防衛のために闘うであろう。
われわれは、階級闘争の推進をくもらせ、自らの破産を隠蔽し、階級闘争に敵対するものと闘う。
如何なる戒厳令をも突破して!
1972年1月、機関紙『解放』87号、機関誌『解放』第3号
(中原一執筆、無署名で発表、『中原一著作集』未収録)