七〇年代ソヴィエト運動と党派闘争
――革マル派との闘いを軸として――

 1 階級闘争の現段階とプロレタリア革命の任務

 戦後世界体制の根本的な動揺と再編の波が、帝国主義の心臓部から「後進国」のスミズミまで洗っている。資本主義は「死の苦悶」の中でプロレタリア人民に矛盾を集中しつつなんとか生きのびんとしている。
 プロレタリア人民は、支配階級に対して新しい革命的闘いの高揚をもって応えている。中近東、ベンガルの闘い、そしてベトナム人民の頑強な抵抗と発展。これに呼応しつつ帝国主義の足下からもプロレタリアの叛乱が本格化している。アイルランド人民とイギリス炭鉱労働者の決起と連帯、イタリアの激烈果敢な行動委員会運動と街頭市街戦、アメリカの新なる反戦闘争の高揚とプロレタリアのストライキの波――。
 日本においても、民同・JC―同盟の足下から力強いプロレタリアの政治的社会的叛乱が発展し、潮流化しつつある。
 六〇年代の後半から始まった世界資本主義の戦後体制の根本からの動揺と再編、これに対するプロレタリア人民の叛乱という構造は、同時に大きな問題も内包している。
 歴史的にも証明されているように、社会的、政治的矛盾の深化の中でプロレタリア人民のそれに対する対抗は、もし明確な革命展望の下に闘われなければ「両者の手詰り」状況にはいり、外見上はプロレタリアとブルジョアジーの対立に対して「第三の立場」をとるファシズムの勝利の道がひらける。南ベトナム、インドネシア、韓国の軍事ファシズム政権のみならず、「先進国」においてもイタリアの「新社会運動」、ドイツのネオファシスト、アメリカの独立党等々、すでに強大な政治勢力として登場しつつある。
 これは一体いかなる資本の政治的・社会的な動きの中でなされているのだろうか? 産業合理化をテコとした独占の集中・合併運動及び国内、国際的な分業の再編、及びこれと結びついた政治支配の強化として現出している。
 前者についてみるならば、「資本の結合と労働者の分断・支配」として要約しうる。すなわち、現下の「不況」に対する資本の対応は次のようになっている。
 徹底的な「首切り」(省力化)――労働強化――夜間労働の拡大――分断(分業)の拡大――低賃金大衆収奪、が一つのものとして「セット」になって出ている。「首切り」(省力化)は、一方で、残った労働者に対する徹底的な労働強化と共に、機械を一年中動かして労働者の生き血を吸いとるための夜間労働の拡大となる。四直三交替制は、民同の「時短要求」とアベック的に提出され、インチキな時短が、四直三交替によって行なわれる。こうして、非人問的な夜間労働が、日々労働者の身体を破壊してゆくのみならず、機械の制約の下に、労働者はガッチリ組み込まれ回転させられるために、休日は全く不自由になるか、とれなくなってしまう、(四直三交替はほとんど人員増なしに行なわれる)。更に、休憩時間が短くなり(昼休みが二十五分等)、労働強化の中で疲れがたまり、昼はうるさくて眠れない上に、交替制により、組合活動が全へ分断されてしまう。
 こういう中で注目すべきことは、資本のこの種の合理化が、一方で徹底的な労働者相互の分断を生み出している点である。今みたように、交替制の導入による分断、本工内のZD・QC等による相互競争の激化、この上にたって臨時工・パートの拡大、様々な仕事をどんどん下請にしてしまうことにより労働者がズタズタにされてしまう。こうして労働者は、それぞれの特殊利害の下に分断と競争が激化し、組合はズタズタになり、その上に官僚主義が発生し、強まっていく。
 こういう差別と分断は、民族差別、男女差別、封建社会から支配者が引きついでいる部落差別の拡大を背景に、労働者人民をズタズタにしていこうとする。つまり資本主義社会における生産活動の発展は巨大な資本の集積と集中による「結合力」を生み出すと共に、それは、プロレタリア人民に対しては、おそるべき、「分断―競争」の拡大として、その意味で、支配の強化として現出する。そしてそれに対するプロレタリアート人民の抵抗に対しては、刑法全面改悪、火災ビン立法、自衛隊の治安体制強化―アジア人民抑圧のための海外派兵などという政治的抑圧体制がまっている。
 七二年沖縄返還をもって収約されんとする社会的体制の強化と、それを背景にした政治支配の強化は、おそるべきものがある。不定期刑の設置、保安処分、労働者の団結権の意識的破壊、全体としての重刑化、という反革命的刑法改悪は、七〇年代の革命運動の抹殺をねらうものであり、四次防を背景とした自衛隊の治安出動体制と沖縄派兵は、日本資本主義の対内的・対外的全面展開なのである。そして、こうして、「上からのファシズム」と共に、ファシスト的体質をもった公明党の進出が労働戦線にも不気味なカゲを落とし始めている。
 こういうプロレタリアヘの分断、支配、搾取の強化、政治的抑圧の強化の中で、闘いが単に自然発生的な、または、小ブル的なもの(つまり矛盾に対して本格的に突破、解決していく力をもたぬもの)である時、ファシズムが勝利してしまうのだ。
 こういう時代において、正面から問題になっているのが、ソヴィエト(コミューン)運動である。ソヴィエト運動こそは、プロレタリア人民の矛盾を新なる共同体の産出を背景とした突撃力で突破していくものなのである。それは現実的な分断と競争を現実的な団結によってこえて発展していくという運動なのである。

 2 七〇年代。日本左翼運動における党派闘争の基調

 1において、既に見て来た問題は、日本の反体制運動をめぐる路線上の問題としては、どのように現出しているのであろうか?
 それはまさに、日本の左翼運動が、ファシズムを越えて、「解決能力」をもった革命の路線的方針を如何に提示していくかという問題である。そして、それは、今見て来たように、「ソヴィエト運動――プロレタリア大衆の革命化」ということであり、より具体的にいえば、労働組合とソヴィエトをめぐる問題でもある。
 日本左翼運動は、「新」旧左翼ともに、この点について、二つのブレをもっている。一つは、労働組合主義への埋没とその中でのイデオロギー的「統治党」の傾向であり、もう一つは、労働組合運動を改良主義的にとどめたまま、街頭主義的政治(小ブル的政治)へ走るものである。
 「左」右のブレは、共にこの問題を基軸にしている。日本社会党内の向坂派は、組合主義と「イデオロギー的統治党」であり、社会党の「左派」なるものは、組合運動の放棄の上にたった地域的小ブル政治、(議会主義的左派)である。日本共産党は、伝統的に組合運動の放棄と小ブル的地区政治路線を走ってきた。日本共産党の「左」右へのブレも結局この範囲の中でしかなかった。「新」左翼なるものも結局こういう形での小ブル的路線でしかなかったのである。革共同中核派は、労働組合運動(反合理化闘争)の全くの民同的埋没、屈服の上に若干街頭でハネ上っていたにすぎない。そして革マル派は本質的には、組合運動の民同的推進とその上に立つ「イデオロギー的統治党」の形成としてある。プロレタリア運動の革命化を放棄した小ブル急進派は連合赤軍の如く、またML派の如く壊滅、破産した。ブンドの分裂、フロントの混乱、共労党の分裂の如きものも、結局、この波の中でひきさかれていったものであった。七〇年安保決戦をめぐる小ブルの破産と混乱―動揺は、こういうものとして存在したのである。
 我々は、この問題をもう一歩つっこんでみなくてはならない。この二つの傾向は、外見上は異なりつつも、実は本質的には同一のものなのである。それは共に次の点において全く共通している。すなわち《反合理化闘争の改良主義への固定化―労働組合の改良主義への固定化》を一切前提にして「革命」や「ソヴィエト」を夢想しているのである。ここには労働者運動への絶望と小ブル的蔑視があり、「革命性」とは現実のプロレタリアの矛盾と別に、外から「賦与」される何物がである、とする路線が存在するのである。まさにこれば「左」右、「新」旧のブレにあるにしても、小ブル運動によるプロレタリア運動への物理力化路線に外ならない。もう一歩つっこんで問題を立ててみるならば、結局、小ブル運動は工場(職場)におけるプロレタリアの矛盾を本質的につかみきっておらず、したがって、それを苦痛として感じ越えていかんとするプロレタリアの闘い(力と熱情)以外にはプロレタリアの革命性が存在しないということがわからないのだ。プロレタリアの階級的政治性とは、この反合理化闘争を根底にし、その地区―産別の結合を基礎としその力による政治権カへの対決によってのみ生まれるのだ。
 更に、それを組織路線からいうならば、次のようになる。組合はたしかに「賃金と労働時間をめぐる労働組合の第一の資格」を闘う。しかし、労働組合の大衆運動は、それに永遠に固定化されとものなのだろうか? 決して、そうではない。その第一の資格を闘いつつ、不断にその中から、その発展としての革命化の運動が、労働組合運動としても追求されていかなくてはなちない。これはマルクスが『賃金・価格・利潤』の中で明確に提起したことである。それでは、それは一体どういう形でなしとげられるのか? それは、組合運動と無縁な「イデオロギー的外部注入」によって行なわれるのか? 組合運動を改良主義に固定化したまま街頭小ブル急進主義や議会主義にのめり込むことによってか? 決してそうではない。組合に内在しつつ、同時にそれを越えていかんとする現実の大衆運動(行動委)として発展させられ、そして、それは行動委を結びつける分派闘争を通しての革命党建設として戦略・展望をもっていくのだ。行動委運動は、工場内の反合理化闘争を基調とした政治運動も、社会運動も闘いぬくものとしてあるのだ。つまり、工場内、産別―地区の行動委と共に、あらゆるしいたげられた人民の闘いを推進する行動委と結合し、それをテコとして組合の階級的政治化を推進していかねばならない。
 そういう意味で、反戦・全学連、部落解放闘争、婦人戦線、公害闘争等とのタテ・ヨコの連合が不可分なのだ。こういうものこそ、労働組合をソヴィエト運動の軸とする路線であり、真実の組合の革命化の道なのだ。この路線は、組合主義(民同)への埋没でもなく、組合かちの「トビ出し」でもない階級的路線なのだ。我々は、この路線を、六三年の段階で提起し、六五年日韓、早大闘争、東交反合闘争、全逓・水道反合闘争で発展させてきた。そして労組青年部運動の革命的発展を実現してきた。
 こういう蓄積の上にたって、六九〜七〇年の安保決戦を闘いぬいたのだ。六九年春の組合の中からの戦闘化、秋の反戦の突撃と、戦闘的労組青年静の羽田における連帯(これは総評・社共が全く闘争放棄する中で闘われた)等々。更に、七〇年六月の反戦の突撃と組合内における闘いの呼応。まさに我々は行動委運動をテコとして組合の戦闘化を断固として推進してきたのであった。
 七〇年代に入って、この闘いは更に発展し、沖共闘の形成、総評青年部運動における闘いの前進として一一・九闘争、更には一一・二二闘争として、七一年秋には我々は、着々と成果をあげてきた。まさにこれこそ、ソヴィエト運動の軸としての組合の階級化の道であった。これは、「大衆運動の結合としての革命化」――「革命的突撃と組合への波及」――「組合と行動委、労学連帯」として我々が蓄積してきた路線なのである。この路線の中にしかソヴィエト(コミューン)革命の道はないのである。

 3 プロレタリア革命運動における党派闘争の論理と倫理

 さて、今までみてきたような状況の中で、プロレタリア人民の闘争は、反帝国主義の闘いと共に様々な小ブル諸潮流のプロレタリア運動への敵対に対する党派闘争を闘いぬかねばならない。すでに、我々は『解放』八七号において「プロレタリア革命運動における党派闘争の論理と倫理」という形でこの問題に対する基本的態度を明らかにして来た。それを要約すれば次のようになる。
 〈第一に〉党派闘争の原因は、すでに今までみて来たような帝国主義の矛盾の激化の中で、諸階級、諸階層の利害の分岐が深まり、それぞれの階級、階層が自分の利害こそ真実の人間的利害だと思い込んで行くことによって始まる。プロレタリア革命運動においては、「プロレタリア革命」を語りつつ「現実のプロレタリア大衆の革命化」と無縁な運動と理論をもった潮流がプロレタリア運動を物理力とせんとして行くことによる。しかも、すでにみてきたような矛盾の激化は、階級総体としては生かしつつも、個々のプロレタリアに対して抹殺を容赦なく行なう所へ来ている。したがってプロレタリアは生きるために団結し敵を打倒して進まねばならない段階へ来ており、そういうものとして、現段階的武装闘争が不可欠な段階に来ている。それとは区別されつつも小ブルジョアのプロレタリアヘの物理力化が深まり、小ブルジョアとの闘いも全存在をかけた闘いを闘わねばならない段階に来ている。
 〈第二に〉プロレタリア革命派の党派闘争の基本方針は、マルクスが言ったように〈反ブルジョアジーの闘いを組むかぎり小ブルとも共同闘争を行ない、それが自分の利害のためにプロレタリアを物理力にせんとして立ち向ってくるならばそれを粉砕せよ!〉というものである。
 〈第三に〉プロレタリア革命運動にとっての党派闘争の基本軸は〈現実のプロレタリア人民の闘いの結合のために!〉であり、小ブル派にとっての党派闘争は、「小ブル・セクト主義のために運動を分断する」ということである。勿論「分裂か統一か」という問題は、現象的に判断することは出来ない。小ブル的制約を突破してプロレタリア運動の団結を獲得するためには、外見上は小ブル派との分裂ということもありうる。こうしてプ口レタリア運動の結合とは、実際に文字通りの生きた現実のプロレタリアの共通の利害によって形成されるものである。したがって団結―結合の決定的ポイントは、生きたプロレタリアの共通利害ということである。
 〈第四に〉このことを軸として、ブルジョア的または小ブルジョア的政治の「生と死」をこえて行くということが重大である。ブルジョア的または小ブルジョア的な生と死は次のようになっている。分業(私的所有)の中に、とらわれて生きかつ死ぬ、ブルジョアや小ブルジョアは、現実的利害としては相互に反発し競争している。したがって「共同性」「普遍性」は、個々の生きた諸個人の外に定立され(疎外され)、そして諸個人は、その疎外された宗教的(イデオロギー的)利害のために物理力として抑圧され、抹殺される。これに対してプロレタリアの闘いは、生きた諸個人が、階級的利害(要求)により、現実的に結びつき、その団結を通して諸個人も全面的に発展せんとするものである。
 ここにおいては「個人と共同性」は統一されつつあり、その意味において、その発展をおしとどめ、絶望と摩滅と抹殺の中にたたき込まんとする敵対物に対しては、それを突破するために自らの全存在をかけて(死をもかけて)、闘わねばならぬ。何故ならば、ここにおいては、自らの類的共同体的(人間的)目的と、現実的な個人の「生」は統一の道を生みつつあり、ブルジョア的、小ブルジョア的(宗教的)な死の如く個人の肉体と普遍的目的が分断され、その分断の故に個別的な意味での死が自己目的化されるものとは、全く異なるからである。プロレタリア革命運動における「死」は、現実的な生きた団結の中の「不滅の大目的」の中に、結びつき「生き」つづけるのだ。こうして、プロレタリアの「生きんがための闘い」は、同時に、「不滅の大目的」のために全生存在をかけて闘う(死をかけて闘う)ことをも意味するのである。
 〈第五に〉すでにみて来たように、現代の階級闘争は現段階的武装を不可欠としている。それは、プロレタリア革命の暴力性の現段階的表現である。その現段階的武装は、ささやかなものであり、「必殺の武器」ではない。しかし、たとえわずかであっても何パーセントかの死の可能性もふくんでいるものとしてある。したがって、闘うプロレタリア人民は、この「危険性」に団結と突撃力、階級的な勇気をもって立ち向い突破せねばならぬところへ来ている。

 4 革マル派の宗派的(セクト的)敵対の事実経過

 すでにみて来たように七〇年代階級闘争の地平は、プロレタリアソヴィエト運動によってのみ切りひらかれて行く。小市民運動とプロレタリア運動の党派闘争は、一方では、反戦・学生運動で闘われると共に、もう一方では労働組合運動をめぐってきびしく闘われていく。現在の党派闘争の地平は街頭「左翼」の破産として表現されている。連合赤軍、ML派、フロント等々の破産と混迷、中核派の混乱と凋落。こういう中で、中核派的傾向の裏返しであるにもかかわらず、民同的労働組合運動とその中における「イデオロギー的統治党」として生きのびんとして策動をつづけているのが革共同革マル派である。そういう意味では、労働組合のソヴィエト運動としての発展を目指すべき七〇年代階級闘争にとって、革マル派との闘いは、とりわけ重要な意味をもって来ている。そういう中で三月三〇日以降、我々と革共同革マル派との間に生まれている党派闘争の事実経過とその背景の本質を明らかにしなくてならない。
 @三月三〇日、大阪地評青年協集会参加をめぐって、我々と革共同革マル派との衝突がおこり、集会が一時的に混乱した。関西の地において、我々と革マル派との闘争は昨年より闘われており、その一環としてこれが存在していた訳であるが、組合青年運動の現段階及び共闘の現段階に我々の配慮が足りなかった点があり、我々はこれを卒直に自己批判した(地評青年部段階へ提出した)。
 A四月二〇日、同じく大阪地評青年部段階で、集会がもたれ、我々も革マル派も集会に参加したが、この時はすでに我々は先の点について組合段階で自己批判しており、この集会・デモは何の混乱もなく終った。
 B四月二一日、東京日比谷公園において、全青協の集会デモがもたれた。これは総評・民同、社共が沖縄・反合闘争から一切逃亡して行く中で、闘う青年労働者が総結集して行かんとする場であった。勿論この集会自体、民同官僚と闘う青年労働者との対決の場でもあったのだ。この全青協集会はまた七〇年代階級闘争の先程みたような展望(つまり組合運動の階級的発展)が問われているものでもあった。したがって闘う青年部運動と共に、それと連帯する反戦、全学連の登場は不可欠のものであった。プロレタリア統一戦線は、六〇年代、更に七〇年七一年とつみ上げて来た水道青婦部を軸とする戦闘的組合青年部運動との連帯・結合を更にうちかためんとしてこの集会場に登場していった。六時一五分ごろ、反戦・全学連は日比谷公園噴水前に登場した。この時革マル「全学連」・反戦は、我々の部隊をみて一たん退却(?)したが、再び我々の隊列が野音に向う通路の二つの内の一方をふさぐような形でかたまり竹ザオをかまえた。しかしこの時はそれ以上何もして来なかった。六時三〇分すぎ、公会堂前で集会をもっていた水道青婦部が全学連・反戦と連帯するため噴水前にやって来てならんで集会をもった。これは何も今にはじまったことではなく、昨年来つづけられているスタイルである。この時も革マル派は何もして来なかった。我々は、「革マル派が何をどう考えてそこにいるのかに関係なく」、革マル派がいない方の通路から集会場に向うことにした。デモの隊列が、すでに先頭は公会堂近くに来たころ、革マル派は突然、卑劣にも、水道・反戦・全学連を背後から襲撃した。
 我々の隊列は背後からの襲撃で一たん乱れたが、再び隊列を立て直して公会堂前で再三再四革マルを撃退し、最終的には彼らを公会堂前から追い払い、彼らは野音の中に逃げ込んだ。我々は隊列をととのえて、集会をもち、野音の中にはいり集会・デモを貫徹した。
 以上の点で注目すべきことは、革マル派は水道青婦部と反戦、全学連の隊列を明確に区別できたにもかかわらずそれを行なわず、しかも背後から襲撃したことである。これは、要するに組合青年部運動を「機関のっとり」運動、「イデオロギー支配」として収約せんとしてきた彼らが、我々の闘いの発展に恐怖し、三・三〇問題を政治的に利用して、地青協・全青協への宗派的敵対の全面化にふみきったのである。四・二一は「水道青婦都への敵対」「闘う共闘への敵対」としてきわだったものであった。
 C以上の過程を経て、四月二八日、沖共闘及び戦闘的労組青年都の全国的闘いが爆発した。首都においては、日比谷野音において一万の労学業会がもたれた(中核三千五百、革マル一千五百)。これに呼応して大阪においては大阪城公園において大阪府民共闘の集会がもたれた。我々は戦闘的労組と連帯してこれに参加せんとしていった。我々が南入口からはいらんとした時、噴水近辺で集会をもっていた革マル派が突然竹ザオ等で武装し、我々に急襲攻撃をかけてきた。四・二一と同様ここでも彼らが戦端をひらいた。我々は当然のことながらこれに対応し、短い時間の衝突があった。この中で革マル派系の木下君が死んだ。言うまでもなく、我々の対応は一切原則的なものであった。
 Dこの二八日の直後、革マル派は、更にこの構造を強めていった。二八日から二九日にかけて、革マル派の全都の部隊は、総力(約三百)で全学連の部隊に攻撃を加え、寮に封じ込めた。彼らは、食料・水を断ち、電気を消すなどの行動を行なった。言うまでもなく我々は一歩もひかず闘いぬき、また寮生が革マルに反撃し、結局、革マル派は攻撃をやりきれずに終った。

 5 革マル派の宗派的敵対の構造と本質

 革共同革マル派は、プロレタリア運動の本格化の中で、ますます「民同的運動」と「イデオロギー運動」というスタイルを強め、組合機関―地青協・全青協の乗っ取り運動に熱中していっている。しかし、労働組合の底からの現実的階級的闘いが、我がプロレタリア統一戦線派によって推進され、発展していることに恐れをなし、あらゆる問題を政治的に利用し、戦闘的組合青年部への敵対、闘う反戦・学生との共闘への敵対をますます深めていったのだ。こういう宗派的路線の下に、今まで見たことが起きているのだ。
 まず我々は、革マル派の路線の本質をみてみよう。

 (1) 「大衆運動」と「革命運動」の切断
 革共同革マル派の本質は「民同的大衆運動」プラス「現実的プロレタリアの矛盾と無関係な小ブルイデオロギー運動」だと、我々は述べてきた。これは、彼らの言葉をかりれば「大衆運動」と「革命運動」の切断・分離ということになる。大衆運動は永遠に大衆運動であり、革命運動はこの大衆運動の中からは一滴も生み出されず、それは「教祖のイデオロギー」の中にあるというのである。
 これは、政治運動と社会運動についても同じであり、政治運動と社会運動(反合理化闘争〉の双方の推進を語るが、双方は永遠に結合しないものとして定立されている。彼らの運動構造は、全学連運動にしても、組合運動にしても、大衆運動は「チミツ」に小市民的に行なうが、それが如何なる意味で革命運動へ発展するのかが全く不明である。例えば、彼らは「革命的反戦闘争」なるものを語るが、その中味は、大衆の直接的な「核兵器」への反発、小ブル的反戦気分を組織化しても、それを〈革命化〉するという時、単にとってつけたように「のりこえ」と語るのであって、「のりこえ」の中味が全くない。反戦闘争で彼らは「ベトナム侵略戦争反対」(侵略反対民族自決)以上何ものも語り得ていない。
 同じように教育闘争についても、その分析が一体何を「軸」にしているのが不明確なままであり、現下の合理化に対応した教育の専門化を本質的につかみ得ていたい。教育問題のつかみ方において「産学協同政策」なる把握を行ない、資本の社会的権力としての労働力商品の再生産過程における分業と競争がみえない(合理化問題でも彼らには、分業の深化、拡大、競争の激化がみえない)。したがって、教育の帝国主義的再編といっても、極めて政治主義的把握になっているか、さもなければ社会矛盾をアレコレとあげつらってもその底にあるものがわからず、その意味で、一体何に対決しているかが不明になってしまっているのである。
 労働運動においても全く同様になっている。今革マル派の『解放』二二二号及び二二三号の春闘方針をみてみよう。彼らの把握は次のようにたっている。「不況」は「日本独占ブルジョアジーをして労働者人民に対する一層の搾取と収奪へかりたてている。重化学工業部門においてとくにドル・ショック以後吹きすさぶ合理化・組織攻撃の嵐は、その一端を示すものといえよう」。こういう把握の上に立って「造船重機共闘各単組の『技術革新―生産向上協力』に支えられて、首切り、配転、労働強化の諸攻撃をスムーズに実現してきたのである。……郵政における目標管理攻撃、および郵便事業におけるEDPSの導入と労働力削減、配置転換などの諸攻撃の激化。さらに電々公社における『拡充七カ年計画』による従来の電信電話を主体とした事業から情報通信公社への質的転換をはかる膨大な合理化計画とその具体化。そこでは全体として三万名以上の労働力削減計画が実施されている。……他方では、全体として労働密度が著しく強められているのが今日の端的な状況だろう。……支配階級は七二春闘を徹底的に力でねじふせんとしているのみならず、攻撃的に合理化の貫徹、それに見合った職務、職階給の導入、その拡大をも実現せとしている」。こういう情勢把握の上に立って、労働戦線の右翼的再編成について事実をあげつらっているが、その本質的分析は全くない。つまり、右翼的再編成の本質が全く不明確なのである。したがって、方針なるものも、まことにいい加減なものとなっている。
 「(一)……各個別企業における合理化諸攻勢、その一形態としての機械化=技術革新、およびそれに見合った労働力配置の転換、労働強化、首切りなどの攻勢に対してはまずもって合理化絶対阻止の闘いを組む以外にないのである。また、工場閉鎖―全員解雇反対の指針の下に闘争形態としては工場占拠の闘いも含めて闘い抜くこともまた位置づけられねばならないのである。……(二)不況、生産過剰傾向という現下の日本経済を物的基礎とした工場閉鎖、全員解雇攻撃、主客両面の合理化攻撃―首切り、配転などが著しい。資本家階級は、労働者人民へ経済的矛盾をシワヨセしながら、資本の更新をはかり、同時に賃金抑圧攻撃をも貫徹することによって『能力主義管理』を確立し、経済的危機ののりきりと春闘に対する強圧的おさえこみを策している。労働組合員として闘うわが同盟員は、右にみた資本家階級による合理化攻撃、賃金抑制攻撃の物質的基礎の同一性を暴露することによって、反合闘争と大幅賃上げをかちとる賃金闘争との結合の必然性を明らかにし、組合員大衆を賃上げ闘争のみならず合理化阻止の闘いをも担いうる実体へと組織化しつつこの反合闘争と春闘を形態的に結合していくのでなければならない。今日、支配階級は、単なる賃金抑制攻撃のみならず、職務給、職階給の導入、あるいはそれらの拡大、整備をも意図し、その物質化をはかってきている」。
 こういう形で、反合闘争と賃金闘争の結合を語るのであるが、問題はこの中味である。
 「……すなわち『白書』で労働力の再生産の標準的水準を引き上げさせるといっても、それは意味付与、あるいは結果解釈でしかない、現実は資本家による職務給、職能給導入攻撃に対してあるべき賃金体系の対置を迫る以上でないことである。……したがって、こうした要求形式はかの労働分配率なる概念による基礎づけともあいまって、労働者大衆をして賃金闘争を通して賃金制度の本質を、それの労働力商品としての存在を自覚させることなく、ますます彼らをその即自性のうちにねむり込ませる役割を果すだけなのである。わが革命的労働者は、反合闘争と結合して職務給・職階給導入断固阻止の闘いを組織化しなくてはならない。その場合、右にみたようなあるべき賃金体系という角度からアプローチされている個別賃金方針なるものの反労働者性を明確にしながら闘うのでなければならない。いうまでもなく我々は、『資本家は技術革新にともなう客体面の合理化と、それに見合った形での……熟練労働力にかわる知的で適応力の強い若年労働力の充用という主体面の合理化、これら主客両面の合理化を推進していくにあたって、若年労働力不足からくる初任給上昇を企業としての賃金支払総額をふやすことなくのりきっていくという事を考慮している。それのみならず資本の有機的構成の高度化にともなう可変資本部分の相対的減少という条件のもとで賃金総額の絶対量を若干増大させ賃上げを容認することとひきかえに労組に職務給導入を認めさせ、よりスムーズな労働者管理をねらっている。』」(以上、革マル派「解放」二二二号)
 この中で非常にハッキリしているのは、資本の攻撃の本質的把握と、闘いの中味が、分離してしまっているということである。一体、職務給・能力給の本質は何なのか? それと機械体系の導入とはどういう関係になるのか? ここが少しも明確になっていない。したがって、闘争方針の中味は、民同の方針を「批判」して「のりこえて闘う」とか反合闘争と賃金闘争を「結びつけねばならぬ」とか言っているにすぎない。一体結びつける中味は何なのか、民同的方針をのりこえる中味が何なのかが少しも明らかにならない。
 合理化の把握にしても「主体面の合理化、客体面の合理化」などと言っても、その本質的中味が全くないのである。本質とは現実の矛盾の中にあるのであり、したがって把握、分析は、そこまで行きつかねば、方針にならぬ。何故ならば、革命性の中味は、かかってくる矛盾を苦痛として感じ、これをこえていく新しい力、関係として生まれるのである。
 ところが、革マル派のような形になっている以上、いろいろアレやコレやの情勢把握をいっても本質把握がなく、したがって方針は全く出ず、「民同的実際展開」と、現実の闘いと無縁な小ブル・イデオロギー運動、フラクション運動になってしまうのである。

 (2)革マル運動の歴史的ジレンマ
 「……このことは、いいかえるならば、のりこえの立場を、戦術内容に表現することがなされていず、『階級性』を基準として他党派を断罪するという原則対置主義的なイデオロギー闘争に陥っているということである。このことの背後にあるものは、そもそも、闘争的立場=のりこえの立場が立証されていず『有効性論議』の立場、ないしは、『のりこえの空語化』された立場である。………運動組織路線において、それは、既成諸党派のイデオロギーののりこえをなしとげた全学連フラクの形成を実体的基盤に運動上でののりこえを実現していくことにかかわる問題が、その前提をなす“人間変革”や“プロレタリア的人間の形成”の次元の問題に解消され、抽象化されているのである。いわば運動=組織論上の一種の『主体形成主義』『人間変革主義』である」(『学生戦線』六六年五月)。
 「反帝反スターリン主義世界革命戦略をスローガン的に形骸化させしかも、わが反スターリン主義革命運動の独自性をそれにとっての哲学的前提(たとえば、主体性論など)に、つまり、哲学的地平に解消し、還元させてつかみとろうとしてしまう場合、しかも、それが組織成員としておのれの限界認識と結びつく時には、必然的に主体形成主義が生み落とされる。……わが革命に向けての党組織の意義と役割は何か?……このような組織論的追求から解きはなれた地平で、組織成員としてのおのれの限界は、一個の個人として“プロレタリア的主体性(自覚)の未確立”にあるとすることが、おのれに対しても、そして反スターリン主義運動の独自性にも忠実であるかの幻想は一切唾棄さるべきものでしかないのである。右のような理論的現実的理由からして主体性論(人間論)あるいは自覚の論理と組織論あるいはプロレタリアート組織化の論理との区別に関する基本的理解がどうしても必要になってくる。……
 V、主体形成主義的組織建設路線……第一、主体性論の直接的もちこみ。……第二、主体形成主義および理論主義……第三に組織と人間に関する主体主義的理解……第四、戦略の適用主義(以上の批判……筆者注)……組織建設における主体形成主義、このような傾向から我々は最終的に自由でなければならない。むしろ戦後主体性論の核心をうけつぐ哲学的苦闘と、これを前提としながらかのハンガリア革命のうけとめを基礎として〈革命的マルクス主義の立場〉を獲得した反スターリン主義の革命運動を創り出していくこの両者によこたわる断絶を明確につかみとらねばならない」(『共産主義者』七一年七月号所収「マル学同建設のために」)。
 今、要点的に彼らのジレンマをみてきた。「大衆運動」と「革命運動」「主体性」の分離と断絶は、革マル派である限り決してこえることが出来ない。六六年の革マル派内の大混乱から五年たっても、同じ「主体形成主義」と「大衆運動」の分離に悩まされ、「のりこえ」の空語化に苦しんでいる。これは、彼らが自分の口からいみじくも語っているように、彼らの「哲学」と「運動」が断絶しているからなのである。もっと言えば現実の資本の矛盾と無関係な存在(小ブル)だから「闘い」と「主体性」が切断されるのだ。
 これは、我々は彼らの反合理化闘争方針の中でみてきた。こうして、彼らの運動は「民主主義的」又は「民同的」運動を行ない、その外に、運動と無関係なイデオロギー運動(フラクション作り)を行ない、「機関のっとり」「暴力的戒厳令」をしていくのである。こういう彼らの構造は、学生運動のみならず労働組合の革命化の問題をめぐって、あるいは、産別と地区の問題をめぐって鋭い矛盾を内包してきている。
 こうして、現実の大衆運動とその中からの革命化に敵対し、その外にイデオロギー的な支配を貫徹する宗派路線が生まれてくるのである。
 これはまさにソヴィエト――階級独裁に無縁なばかりか、現実の労働運動や学生運動の発展に無縁にますます孤立し、小ブル自我・自己意識の自己増殖以外になしえないのである。だが、我々は、彼らのエネルギーが、ますますこういう孤立の中で「機関のっとり」と「イデオロギー支配」に熱中して行くことに対し、ハッキリと対決し、七〇年代階級闘争の使命として、この敵対を粉砕しつくさねばならない。
 我々の革マル派との党派闘争は単にセクトとセクトの争いなどというものではなく、日本プロレタリア運動が、ファシズムを粉砕し、革命へ発展しうるソヴィエト運動へ前進しうるか否かの鍵にもなっているのだ。彼らは、闘う組合と反戦・学生の共闘を心底から恐怖しているのだ。それはこの間の彼らの一運の攻撃の構造をみれば明らかである。

◎革マル主義を全戦線で暴露せよ!
◎革マル派は四・二二〜四・二八等の闘う共闘への敵対を自己批判せよ!
◎闘う労組と反戦・全学連の階級的連帯を更に深めソヴィエト運動の発展を!

 1972年5月、機関紙『解放』94号、機関誌『解放』第3号
(中原一執筆・『著作集』未収録)