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社青同第六回大会と解放派の任務

一九六六年一月

二宮 司

 同盟第六回大会が去る一月一七日−一九日まで、東京で開かれた。デマと陰謀でぬり固められたこの大会は、しかし我々と我々を支持する全国の同志の闘いによって社会主義協会派の惨めな政治的敗北に終った。彼らの東京地本に対する「統制処分」の陰謀はついに粉砕されたのである。この「処分問題」は決して偶然に出されたものではない。それは、我々自身が立っている階級的位置と、社会主義協会派の我々に対する立場の一端を表現するできごとであるという点で、今大会の象徴的な事実だった。この意味からすれば、「処分問題」は、今大会のかなり本質的な構成要素であり、それをめぐって今大会が紛糾し、動揺したことは理由のないことではなかった。勿論、それだからといって、この問題が大会の全てであるということにはならない。我々は、大会で行われた余り多くない論議とこの問題との関連に於て、大会に集約されたところの現実の社青同の姿をつかみ、我々解放派の同盟における今日的任務が何であるかを明らかにし得なければならない。全ての同志がこの問題を真剣に考えることを訴える。

1 処分問題は何を明らかにしたか

 1 処分を準備したもの

 言うまでもなく処分問題の本質は「暴力行為」や「規律違反」ではない。それは、約半年に亘って、社会主義協会派によって周到に用意されてきた。五周年記念行事なる代物は、そもそも同盟に於て、現実の階級闘争におくれをとることによって先進的部分の間で権威を失墜しつつある社会主義協会の威信回復の一策であり、第六回大会をのり切るための官僚主義的な思いつきであった。
 ここに、五周年がセクト的行事としての性格を色濃くもった理由があり、実に全同盟のものにならないばかりか、予め先進的部分との対立的な要素を内包していた原因があった。そして、このことは日韓闘争の発展の中で、事態が進むに従って次第にはっきりし、日韓闘争の終息と共に東京地本と中央本部の対立関係は一挙に全面化した。問題はここに至った事態にどう対応するかということにあったが、協会派はいち早く我々に対する全面攻筆に転じた。”五周年を機忙東京地本忙全面攻撃をかける”と公言した中央オルグの言葉は、社会主義協会の真の意図を吐露している。こうして彼らは東京地本を挑発し、三多摩分室になぐりこみをかけ中央本部の権力を利用して、東京地本を陥し入れることを画策したのである。「暴力行為」をデッチあげ、「規律違反」をデッチあげたのも、全て自からの組織破壊を隠蔽し、解放派を攻撃するための協会派の陰謀だった。彼らは、処分を大会の二日前に突然通告することによって、東京地本に備える余裕を与えない方法をとった。
 中執は、議案書オルグ、五周年オルグと称して、反東京キャンペーンを全国的に張り巡らした。かくて、フタをあけた大会に於て、東京地本は虚偽の孤立にある自分を発見せざるをえなかった。まさしく処分を準備したものは、社会主義協会派の徹底したデマ宣伝と反東京キャンベーンによる陰謀だったのである。確信ある政治方針と姿勢のない協会派の常套手段である。彼らは、東京地本の処分に反対する先進的同志に対して、民同のボスを使ったしめつけ、恫喝、脅迫、甘言とありとあらゆる手練手管を駆使して、社会主義協会への忠誠を誓わせたのである。

 2 何故東京地本を攻撃するのか

 協会派は何故に今東京を処分し、全面攻撃をかけなければならないのだろうか?このことを、彼らの陰謀を粉砕した現在に於ても、甘くみることは重大な誤りを犯すことになるであろう。それは単に東京地本に対する攻撃ではなく、極めて根の深い問題である。それは、全逓における、東交、東水労等における我々の鋭い反合職場闘争、日韓闘争における実力闘争、東京反戦青年委員会の闘いの前進……全てこういったものと無関係でないばかりか、それと最も密接な関連がある。我々の聞いは一年間に大きく前進しつつある。それは同時に資本と労働組合官僚に恐怖感を急速に高めさせてきた。東京地本はこれらの生産点の闘いをもって、政治闘争、経済闘争に於て同盟本部を激しく突さ上げてきた。このことは、基本的に民同と利害を同じくする社会主義協会にとって重大な危機を意味していた。かくて、社青同東京地本に対するトロッキスト攻撃が、組合民同からしつように開始され、太田総評議長が自らのり出して東京地本弾圧の中心に立ち、社会主義協会はその尖兵として、社青同中央の権力を動員して東京地本への全面攻撃をかけたのだった。
 これらの事実は次の事実をはっきりと物語っている。即ち、我々の不屈の闘いが労働官僚、民同にとって、内容的にも量的忙も一大脅威になりつつあること、そのような闘いが社会主義協会の理論と実践と明確に対立することである。
 日韓闘争の敗北的終息の過程で、我々は資本及び労働官僚からの反動が革命的、先進的部隊におそいかかるであろう、と指摘した。今それが始まっているのである。反動化は社青同を巻きこんで進行している。そして民同の下請け機関にすぎない社会主義協会によっては、これを排除することはでさないばかりか、自らその尖兵になり下らぎるをえないのである。このことを我々はわきまえると同時に、我々の立たされている立場が、容易ならぎるものであることを深く認識せねばならない。

 3 大会における協会派の敗北

 このような根の深い背景をもち、社会主義協会によって周到に準備された「処分」は、大会に於て事実上粉砕された。何故か?我々はこれを基本的に我々の原則的な立場に立った断乎たる姿勢によると考えてよい。
 協会派の陰謀には次のような弱さがあった。第一に「処分」が同盟規約を公然とふみにじるものであったこと、第二に、彼らの「団結」が一方的なデマと官僚的、セクト的恫喝によって辛うじて維持されていたこと、第三に、純粋協会派以外のものをも含めてだましていたことがそれである。我々の強さは、我々が単に原則的な立場(運動上の相違が本質であること、規約に厳密にのっとること)をとったというだけでなく、最も断乎として絶えずこの立場を大会全体の中で貫徹しょうとした姿勢にあった。このことは、代議員と傍聴者の不動の団結の中に示されていた。又、構造改革派が、独自の立場から、規約問題について断乎として原則的な立場を貫いたことは、我々にとって決定的に有利な条件となった。
 東京地本の代議員は、議長団のあらゆる妨害工作にも拘わらず、徹底して合法的に闘い、三多摩の代議員、書記長、委員長の弁明の中で、本件「処分」の本質と真相を明らかにし、逆に中央本部の規律違反、セクト性、官僚性、腐敗、任務放棄等をあばき出し、弾劾したことにより、彼らの「団結」をつさ崩すことに成功した。このどたん場に至って、重要な鍵を握っていた福岡地本の代議員の半数が途中から退場し、残った部分も完全に動揺し、非公然に棄権を示唆し始め、宮城、山形を中心とする東北各地本の代議員は採決の際は保留することを非公式に意志表示し、忠実な協会派の地本に於ても若い代議員等の動揺は明らかにみてとることができた。形勢の不利をみてとった中執は、最後の瞬間に、規約の正しい解釈と適用に立つことを意志表明し、これが満場一致で可決されたのだった。かくて協会派の陰謀は、一部協会強硬派の不服を残しながらも、実質的に粉砕されたのである。
 しかし、我々がこれを勝利と呼ぷことが許される程情勢は甘くないのである。大会での部分的な勝利は、既に述べた労働運動の情勢から言えば何でもないのであり、我々への攻撃の手は依然緩められてはいない。我々は敗北しなかっただけである。この「事件」から我々が、社会主義協会の本質とその手段を充分に学びとることなしに、今回の成果を打ち固めることはできない。

2 大会討論の中から

 1 四回大会以来の壁の顕在化

 社青同は第四回大会で大きな転換をとげた。民同の青年ボスと構造改革派の独裁がくずれ、社会主義協会が、それ自体複雑な色合を内包しながら未分化のまま、社青同中央の権力を掌握したのが四回大会であった。ここで、“改憲阻止・反合理化”が基調としてしかれた。しかし、当時我々は既にこの権力を「ケレンスキー政権」と呼んで、社青同のより革命的な一歩前進のための過渡的な、それ故に反動的な性格をもった権力であると指摘したのだった。そして、このことは今日はっきりと、事実をもって証明されている。四回大会以来同盟の闘いの壁は何かということが常に叫ばれてきた。しかし、その壁が基調そのものであることが明らかになりつつある。誤解を避けて言えば、基調の、平和革命−長期抵抗−経済主義め系列による把握が、同盟の闘いの壁であることが、とりわけ今大会で示されていたのである。このことは、四回大会に於て既に顔をのぞかせてはいたのであるが、第一に「右」から「左」への転換の喜び(?)の中で誰にも気づかれなかったこと、第二に、同盟の全国的な実践がまだ不徹底であり(東京地本も含めてだが)そのことが壁に気づかせなかったことによって四回大会では殆んど意識されなかった。
 我々にとっても当時それは理論的に予測されえたにすぎない。しかし、この二年間に我々の闘いは飛躍的とも言える程前進してきた。この実践的な成果は、現在の同盟のもっている限界や欠陥を次々に明るみに出し、我々自身に自己変革を強いると同時に、社会主義協会派の理論的無内容と実践的無指導性を暴露してさた。又全国に於ても、福岡を初めとして兵庫、群馬、宮城等の同志の闘いはこの一年間に大きく前進し、理論的な問題点を実践的にとらえる段階に達しつつある。そしてこのことが、問題点をかくし難く表現した。実践の豊富化が理論的貧困を明るみに出し、それが今壁となって我々の前にそびえ立っているのである。

 2 主体性への還元か現状の突破か

 問題は次のように提出された。兵庫の同志は「とことん闘ったが、結局社会主義だということがわかった」と述べた。福岡の同志はそれを更に一歩進めてはっさりと発言した。「職場抵抗を進めてゆけば必ず壁にぶち当る、そこで我々は主体性を問われる、根性をもたなければだめだ」と。労働者が賃金奴隷としての自己を認識するということは重要なことである。だがそのことの中味は何か? 我々がただ言葉として自己の社会的地位を自覚するということは殆んど何をも意味しないであろう。認識=主体性は実践的であり、階級としての自覚、自立も又そうである。我々は彼らがいかなる闘いを闘っているかということに於て、労働者の、そして我々自身の認識がいかなるものであるかを知るであろう。労働者が賃金奴隷としての自己をどれだけ認識しているかということも又、日々の彼の闘いの具体的な姿に於てのみ評価しうるものであって、単に頭の中でどれだけ革命の必要を痛感しているかという問題ではないのである。
 我々も各地の、各職場の闘いに於て、いく多の壁に突き当っている。それは様々である。そして同様にその度に主体性の問題を問われている。ここで問題を段階的に主体性に転換して還元するとすれば、そこには出口のない無限の混迷と停滞への道が残されるにすぎない。資本との苦闘の末に得たものが「やっばり社会主義だ」という確信では、“次は何か”という現状の変革的突破への道は切り開かれないであろう。我々にとって、闘いがいかに進もうと、いかに巨大に思われる壁にぷち当ろうと、絶えず次の一歩前進は何かということが問題であり、組合員大衆にとってもそうであり、主体性ということも、単なる自覚の問題でなく、自覚的実践とそのための方針の問題なのである。そうでなければ主体自身の一歩前進もなくなるであろう。
 社会主義協会は、問題を限りなく「主体性」(極めて非実践的な自覚)へと還元し、根性の問題にまでつさつめてしまうことによって、現実的な諸条件から切り離された思想を諸個人にうえつけ、これをもって革命の主体的条件の成熟と名づける。その内容はともあれ、思考方法に於ては革共同革マル派に共通したものがある。かくて、客観的には、実践的に現実に順応しながら思想的にのみ現実を超越しようとするものとして現われる。ここに彼らの現実の闘いにおける日和見主義と言葉の上での尊大な革命家意識の根拠がある。今大会の議案書はこの誤りを浮きぼりにした。「資本との二四時間の対決」などの言葉の上での強調に比べて、労働運動の革命的発展のための具体的な方針、反幹部闘争、組合民主主義の革命的な奪還の方法、労働者権力のための組織的闘争の課題、革命的多数派への統一戦線等が全く本気で扱われていないのである。このことなくして社青同が闘いの中で大衆を結集してゆくことはできない。そこで議案書は「大衆路線」と称して、“大衆と共に喜び共に悲しみ……”という大衆追随に陥っている。
 福岡の同志の発言は、社会主義協会のこのような思考方法を極限にまでつき進めた一つの極として理解することができる。そしてこの思考方法そのものが実は社青同の前進をさえぎる壁なのである。この壁を打破する力はかかる思考方法の内部から、つまり社会主義協会に期待することはできない。その力を示しうるものは、我々解放派以外にないであろう。我々は社青同がこの壁を突き破って更に革命的に前進するために闘う任務を負っている。それを可能にするものは、我々の実践から遊離しない理論闘争であり、相互批判である。我々は進んで全国の同志に理論闘争を呼びかけねばならない。社会主義協会との論争は不毛である、という考え方は誤りである。確かに学生出身で様々の専従職にあって向坂理論に拝跪している分子は、我々の真剣な同志的批判をまじめにうけとめることを回避するにちがいないし、今までそうしてきた。しかし、工場、経営にあって闘っている協会員は、かかる思想を頭に載いて実践的につきつけられる矛盾の中で坤吟している。我々は彼らにこそ現状打開のための革命的方向について明らかにし、立場の一致をかちとらねばならない。

 3 明らかにならなかった現状突破の道

 だが大会に於ては、必ずしも労働運動の右傾化、同盟活動の壁を突破する方向は明らかにならなかった。兵庫の同志は「やっばり社会主義だ」と言うことによって、問題が解決されたかのように錯覚し、その先を追求する志向を行なわなかった。福岡の同志は、主体性への追求を行ないながらも「これでいいのだろうか」と問いかけた。東京の同志は、反合闘争を階級闘争の発射点として規定し、闘う学習会の位置づけを明確にし、労働官僚との闘いの必要を説さ、現状の革命的変革の方向を志向した。だが全面的、系統的にこれを明らかにするには、大会という場のもつ限界もあって充分ではなかった。若干の代議員を除いて、東京の発言に殆んど関心が払われなかったことは、協会派のセクト主義がいかに同盟の科学的追求を阻害しているかを物語るものであった。しかし、発言こそなかったとはいえ、東京の発言を聞いた同志は、心の中で考えているにちがいないのである。我々は今、自己主張しようとか、協会派への批判を浴せようとか、ということを考えているのではないし、そうであってはならない。社青同が全体として突さ当っている困難をどう克服し、社青同の革命的発展をどのように保障するかという全体的な視点を主体的に追求しなければならないのである。
 今日、日本帝国主義の海外進出が具体的に進行し、このことが深刻な労働問題として我々自身にはね返ってきている時、この矛盾の深化した情勢の中で、戦闘的労働運動の創造のために何が必要かということは、決してとおり一ペんの根性論や道義的説教によっては解決されない。この問題について、詳しく論じるのは別の機会に譲るとしても、少くとも我々が大会で明らかにしようとしていた点についてここで述べておくことが必要である。
 第一の点は、音をたてて進行しつつある労働組合戦線の右翼的再編成は、協会派の諸君が主張するように、現存幹部の思想性(企業意識)の問題に帰着させられるべきではなく、日本帝国主義の具体的な労働攻撃が現実的な基盤を見出しつつ成功しているものとして考えなければならない。社青同は、学習によって企業意識にとらわれない幹部になろうとするのではなく、このような傾向と具体的な策動に反対して闘い、同時にかかる敗北を許してきたこれまでの民同指導そのものを根本的に批判的に検討するという作業を始めなければならない。
 第二の点は、我々が今日労働運動のよき指導者にならなければならないということを、「信頼される組合幹部」(議案書)になるということは全く別のことである。という点である。信頼されている何と多くの幹部が合理化を認め、大衆の利益を陰に陽に裏切っていることか。組合の幹部にならずに同時に労働運動指導者であることはできる。それができないと考えるところに、今までの運動の限界、幹部(請負い)闘争の誤りがあったのである。幹部闘争でなくて真の大衆闘争を、このことこそ強調されねばならない。これは実に多くの問題点を内包しているが、一言で言えば、大衆の自立への運動なしには何事も達成されないであろう。
 第三点は、従って組合民主主義の問題が再検討されねばならない。上からの一方通行でなく下からのパイプを完全なものにするには、大衆のイニシアティブを発揚するための具体的な戦術が必要である。この問題は職場闘争をぬきに考えることはでさない。そしてこの下からの部分的な団結を拡大する闘いが一度始まるや否や、既存の官僚化し形骸化した組合秩序(統制)と甚しいあつれきを生じさせるのであり、それはある時には反幹部闘争であり、特定の条件の下ではヤマネコ闘争でもありうる。そして窮極の問題としてこのことを想定せずに闘争を進めることはできない情勢の中に日本の労働者大衆は立たされている。
 第四点として、これらを推進するための組織戦術が必要である。東京地本の提起した闘う学習会運動はその初歩的段階のものとして評価することができるが、我々としては、それの行動委員会、ストライキ委員会、工場委員会への発展の問題を真剣に考えねばならない時期にある。この戦術を忘れて、労働者階級の自立を主体的に推進することはできない。これと合せて問題となるのは、プロレタリア統一戦線の問題であり、組合内左翼反対派ブロック等である。これについては、我々は未だ殆んど実践的な形で発展させえていない。
 第五点として、政治闘争への志向をこの職場行動組織を中心としてもってゆくということは、労働者大衆の階級としての自立と成長という観点から不可欠であるということである。我々はこの点に於て、三池の長期抵抗が何を教えてくれるかを期待したのであったが、むなしかった。労働者大衆の政治闘争への登場と権力への志向は、団結の質的発展と既成指導部からの訣別という点で、とりわけ議会主義への幻想の破棄という点で重要欠くべからざるものである。かかる視点をいかにして獲得するかという点が、長期抵抗路線が看過している最大の問題である。三池の同志は言う。「同盟視点で長期抵抗をどうとらえるかということが未だ充分でない」と。三池の闘いが、職場闘争としては至高のものだとしても、なお同盟視点に立てば、かかる限界をふみこえていないということを指摘しなければならないし、これを克服する課題は、三池の、福岡の同志の重要な任務であり、勿論我々にとってもそうなのである。我々にとって、三池への批判的評価をもちつつも、未だに二目の三池をつくり出しえていない現実を克服してゆくことこそ重要な実践課題である。
 これらの点を社青同としてはっきりと確認し、方針化するのでなければ、現在の民同下請け機関的性格を変えることはできないし、民同と共に右への傾斜を深めざるをえないであろう。

3 我々の任務

 最後に今大会にふれて我々の任務が何であるかをはっきりさせねばならない。

 1 同盟内部の情勢について

 満五年を経る中で社青同は体質的な変化をとげてきた。それが今どこまで進んでいるのか、これを明らかにする中で、今同盟の中でしめている我々自身の位置と立場を自覚すべきであろう。
 四回大会で構改派は野に下り、同盟内の少数派に転落した。彼らはその後二年を経た今大会で、明らかに二年前とは異質の構造改革派として立ち現われた。左派との対抗による敗北の中で、彼らは厳しい自己批判として、自己変革として総括を行ない、安易な民同ボスとの癒着を清算し、戦闘的構造改革として再生しつつある。彼らは自ら社会主義協会に対して左派を名乗り、実践的に鋭い追及を協会派につさつけている。この勢力は大阪を中心として鹿児島、石川、埼玉、北海道等の主流的存在としてある。
 社会主義協会派は第四回大会の左派大同団結以来分解化傾向を辿っており、今日それは主として三つの勢力へと分散しつつある。一つは福岡を中心とした流れであり、もう一つは三多摩と宮城を中心とした東北諸地本の流れである。これらはいずれも本来の協会派とは異質であり、拡大傾向を辿っているが、未だ社会主義協会特有の民同幹部を通じたしめつけに対して、これをはねのけて自立するに至っていない。だが、これらが協会中央に対して明確な批判をもち、大衆闘争の必要からますます対立を深め、訣別へと発展せざるをえないことは、今大会の処分問題をめぐる、これら諸地本の動揺の中にもみてとることがでさた。今後このような分解は、基本的に促進されるとみて間違いでなかろう。
 こうして協会中央派はとり残され孤立を深めている。起死回生をねらい、失われた団結をとりもどすためのトリックが、今大会で無残にもひき裂かれたことによって、結果は期待とは逆に現われ、協会派内部の協会中央への不信さえ現われながら、ますます危機に立たされている。この協会中央派は主として兵庫、新潟、岩手などの地本に支えられる以外になくなっている。このような協会派の分解と協会中央派の孤立は、まさしく職場、地域で闘いを進める真面自な活動家が協会理論に対し不信を抱いてきたことを意味しており、従ってそれは同時に今後の推移と協会中央派の衰退を暗示しているといえる。それぞれの党派的内容からみれば、協会中央派が今大会で半数近い代議員を擁していたということも、彼らにとって少しも不安をとりのぞくことにならないことは明らかである。社青同は今やいわば多元化傾向にあるといえる。

 2 民同のしめつけに抗せ

 我々は最も早く四国大会直後から、現実の運動の進め方をめぐって協会派と訣別し、社青同の革命化のために先頭に立って闘ってきた。今日この闘争は一段と強められなければならない。一般的に言って次の全国大会に至るまでに、新たな協会派の権力は弱体化し、連合権力へ向う趨勢にあることは事実である。だが、今回の処分問題をめぐって、総評太田議長、有力単産幹部、県評実力者、社会党佐々木派幹部、江田派幹部等が多かれ少なかれ動かされたり動いたりしたことにも示されるように、社会主義協会派は民同勢力の氷山の一角にすぎないということ、彼らが問題にしているのは我々の言葉ではなくて我々が職場で実際に行っていることであること、これらのことを忘れるならば、我々は社青同の革命的変革をめざしながら、逆に粉砕されることになるだろう。我々の闘いは一年や二年の勝負ではない。我々は現実の運動を変革しなければならないし、それなくして社青同の変革を考えることは愚かである。生産点での資本との聞い、民同のしめつけと弾圧に対する闘いと突破、この点に基点をしっかりと据えた聞いの前進のみが、同盟内の日和見主義を克服する闘いの保障なめである。この意味で我々は、上に現われるよりも多くのものを下で進行させねばならない。このような闘争によって、一層中間分子の分解を促進することが可能であり、彼らとの理論闘争を通じて、既存のドグマを越えた、日本の革命運動を創造してゆくことは、より重要な階級的使命である。
 同盟の中にあって、表面に現われたものとしてこのような課題を追求してきたのは東京地本だけであった。その故に東京地本は協会派によって異端視され、パージと解体を画策されてきた。第六回大会以後その工作は一層熾烈を極めると予想する充分な根拠がある。東京地本の闘いの前進、協会派に対する勝利を一層不動のものとして固めるための闘争は、東京の同志の特殊に重要な任務である。我々は、協会派の(特に同盟中央)東京地本に対する攻撃に対して、中間的な諸党派がいかなる態度を示すかを見逃さない。闘う部分への弾圧に対して、いかなる立場をとるかは、それによって我々は彼らがどの程度民同に癒着して大衆を裏切っているかをあばき、闘争するであろう。

社青同解放派(東京)機関紙『解放』3号
1966年2月1日


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