「安保共闘再開」論批判
 統一戦線の前進のために

1 はじめに

 全国の同志諸君! そして活動家諸君! 戦争とファシズムと合理化への突破口である日韓会談が、アジアの激動を背景にしつつ一〇月八日よりの臨時国会で批准されようとしている。そして日韓批准を七〇日の国会の延長でもって全人民の前につきつけた佐藤内閣は、安保闘争を量的質的にうわまわった労働者人民の一大闘争にもまれるであろうことは必至である。
 この一大政治闘争を文字通り生死をかけて闘いぬいた政治部隊こそ、革命的展望をもった根拠地を労働者の心臓部に確固としてもちえることができるであろう。そして、安保闘争につぐ歴史的経験であろうこの日韓闘争は、学生戦線においても「安保闘争の亡霊」である政治部隊と、根拠地を日本革命の前進基地と地として獲得した部分との没落と前進の合理化が行われるであろうことも予測さえできる。
 そして、我が解放派こそその前進基地の核となることができるし、それは歴史が押しつける必然でもあるのだ。権力奪取に至る学生戦線は、かくして我々の真の反帝全学連再建を軸に民青「全学連」との長期的対決を招来するし、その対決の粘着化は、今年の全国各大学、特に東C、京大を始めとする七帝大及び私立の雄早稲田大学に集中的に表現せられている。安保政治闘争以後、池田の低姿勢と資本の卑劣な合理化のなかで、ブンドが残した遺産は社民とスターリニスト党=日共によって収奪せられ、特に学生戦線においては革共同及び関西ブンドを中心とする安保新左翼の亡霊群と他方、日共・民青によってその蓄積が攻撃せられていった。そして、四・八声明を経た日本共産党第九回大会を機に、民青は平民学連を継承しつつ「全学連」を再建し、アジアと日韓の政治的激動に対応すべく過去の自治会サービス機関論的運動を修正しながら、七〇年安保闘争に一切の体制を整えるべく、統一戦線運動の一環である学生戦線を政治的部隊として登場させるという方針を取ったのである。そして自治会サービス機関論からのその修正的転換は、今春にみられる様に、地方大学から都市の拠点大学を集中的に攻撃してくるという意図を持つ、と共にその政治運動の中心的スローガンを「日中友好」と「安保共闘再開」としてかかげ、そこにすべての闘いの方向性を収奪するという方針としてだしてきている。
 我々は、民青との長期的対決(特に都市における)からみて、そして日韓阻止の一大政治闘争の決戦を前にしている現時点に、民青「全学連」の政治方針における「環」である「安保共闘再開」の統一戦線方針を、徹底的に批判し、全国の同志の革命的前進を遂げなくてはならないだろう。そしてこの作業は当然、単なるセクト的な誹謗と中傷に終らず、我々自身の統一戦線戦術を明確に打ち出しつつ、その批判をなさねばならない。衆知の通り、九回大会以後、日本共産党は「民主連合政府」という統一戦線政府的な政権を彼らの戦略的な展望として固定化させている。そして一方における日本社会党は「護憲政府」なるものを同じように、佐々木一派のもとに打ち出している。我々は、我々の統一戦線戦術を、これら既成組織に対し、日本プロレタリアート独裁を樹立すべき、革命的展望を持ったものとして打ち出す必要があろう。
 従って、この論は日本革命戦略において、日本共産党のいう安保共闘がいかなる戦略的誤謬をもっているかということを述べ、「反帝・反独占の民主主義革命」と「安保共闘」との関連性、戦略的批判を下す、のがまず第一の任務であり、そして第二に我々の統一戦線論を軸に日共−「安保共闘」−「民主連合政府」−「統一戦線政府」のスターリニズム統一戦線論を批判することである。そして最後に我々の統一戦線論を明確に提示していくことであろう。

2 「安保共闘」の戦略批判

@ 日共第九回大会と「安保共闘」

 日共、第八回大会で打ち出された安保改定阻止国民会議という統一戦線、共闘組織を日共のいわゆる民族民主統一戦線のもとに、発展強化する、という方針をいくつかのジグザグを経ながら第九回大会で更に定式化したものが、「安保共闘再開」のスローガンである。そして、その背景として、日共内部における宮本派と袴田中共派との分派争いを軸に修正主義者春日一派、志賀一派の分派争いをへた党内の経過があった。そして、当然その背景として、国際的には国際共産主義運動の正統派争いである「中ソ論争」があったということはいうまでもないであろう。が、しかし、革命戦略・共産主義理論をめぐる思想闘争である「中ソ論争」も正統派マルクス主義の継承をめぐる理論的なスターリニズム内部の争いとしてあるにもかかわらず、それは当然、思想・理論という独自な天上の世界の問題であるとだけいうことは観念的な把握であろう。それは世界階級闘争の構造的変化を物質的基礎としたスターリニズム理論界の歴史的変動であると、とらえなくてはならない。そして、日本共産党内部の思想的分派闘争の国際的な「中ソ論争」というスターリニズム−共産主義理論の分派抗争を受けつつも日本階級闘争に根ざす日本共産党の社会的基礎の変動に求められるのである。特に四・八声明を契機にした袴田・宮本派の分派抗争は現在もまだ、激しく続けられていると伝えられている。四・八声明を教条主義であり、セクト主義であると批判し、中共のお墨つきで第九回大会のヘゲモニーを握ったのは宮顕一派である。そして、その日共の分派抗争は当然四・八声明による労働戦線における日共−民青の社民(社会党政権)による赤追放と大衆における日共−民青に対する不信感――この様な労働戦線における日共の組織的危機が宮本派を主流に押し出したのである。
 すなわち、第九回大会、中央委員会の報告において、四・一七ストをめぐる幹部会の指導上の誤りとして、次の四点をかかげている。第一に「広範な大衆の経済闘争や経済的ストライキを過小評価したり、それに政治闘争を機械的に押しつけたりする左翼日和見主義的な誤りである。」としている。そして第二に「労働者階級のストライキに対して」支配階級の「弾圧と挑発の危険を回避すること自体を自己目的として、事実上労働者の要求を実現するための闘争を見失う右翼日和見主義的誤りである。」とし更に続け、第三に「原水禁運動、安保共闘再開をめぐる主問題」を機械的に他の分野でも適用し、「他の分野でも社会党、総評との統一行動の可能性を事実上否定しないし軽視するセクト主義的誤りである。」としている。そして最後に第四点として「統一戦線政策のうえにあらわれた弱点として、国際的なアメリカ帝国主義に反対する反帝統一戦線の任務をそのまま機械的に国内の統一戦線の任務にひきうつす一種の教条主義的な誤りである」として「国内の独占資本」との闘争を軽視しないで、「国内では反帝反独占の民族統一戦線の旗」を、反米国際統一戦線と統一的に闘っていくということである。「左翼日和見主義」「右翼日和見主義」「セクト主義」「教条主義」というレッテルは別としてもとにかくここででているのは、四・八声明を契機にした日共の組織的危機の切り抜けを、経済闘争を「正しく発展させる」ということと社会党、総評との統一行動を推進し、「反独占」の闘いを軽視せず民族民主統一戦線をめざすということで行うとする方針である。
しかしながら、これは日共が基本的には旧中間層に社会的基礎をもつが故にその無類の最小限綱領的な根幹の誤りを克服しえていないという限界を持っている。すなわち、それは過去のスターリニスト党の歴史が示す通り、組織的余裕があれば、社会ファシズム論的セクト主義に陥り、組織的なピンチが幅広統一戦線で、組織の水ぶくれを意図し、方針において大衆ベッタリ路線(社民化)を行うジグザグ路線の再現である。それらの方針は、今春闘において見られたように経済闘争における総評の方針に一体化するものであったし、事実上の労働組合主義への没落であり、そして、日共・民青の上からの統一行動を社会党、総評との共闘として幅広く行っていく路線であり、その為には経済闘争の強調と同様に反独占を強調した統一戦線をうちだすということであった。大きくとらえるならば、社民化への傾向であり、社民と区別する唯一の踏絵を安保共闘会議再開――統一戦線の強化を労働組合運動の軸とするのである。そして当面、社会党、総評の「反共主義」に対し労働組合内における労働組合員の政治活動の自由を唱えつつ労働者階級の統一――安保共闘会議再開、統一戦線の強化のスローガンを日本共産党の安保改定阻止闘争に向けて組織運命をかけたものとしてだしているということは明らかである。
 社会党の佐々木談話を契機にした「一日共闘」に対して、宮本顕治は『前衛』九月号において「安保共闘の再開による場合でも、他の場合でも、ともかく最近共同でみとめている正しいスローガンをかかげて文字通り共闘が進むというのが、情勢にこたえることになると思います。」と述べているように「安保共闘」を述べつつも、「文字通りの共闘」を安保闘争を上回るベトナム侵略戦争反対、日韓批准阻止闘争のなかで行うと述べている。党内における分派抗争が決着のつかない当面の見通しがあるとしても、宮本派を中心とする一派及び日本共産党は「安保共闘再開」をその政治生命線となすであろう。
 以上、日本共産党の四・八声明を契機とする党内分派闘争、第九回大会、宮本派の勝利、「安保共闘再開」のスローガンを軸に、日共と「安保共闘再開」のスローガンとの関連性を述べてきた。次の問題は、日本共産党の政治生命をもかけている「安保共闘再開」のスローガンの戦略的誤謬はいかなるところにあるのであろうかということであろう。

A 「反帝、反独占の民主主義革命の旗」と「安保共闘会議」

 統一戦線の聖典である一九三五年に定式化されたディミトロフの「反ファシズム統一戦線」は一国社会主義論−二段階革命論と社会ファシズム論の誤りをぬぐいがたくもっている産物だ。そして、ソ連社会主義国防衛とともに、西欧においてはドイツ・ファシズムに対する国際的な民族民主統一戦線として適用されてきた。
しかしそれは、第二次世界大戦及び大戦前後における東欧革命をソ連赤軍の占領によって成功させつつも西欧諸国(ドイツ、フランス、スペイン、イタリア)においては民族民主主義革命という新旧中間層の小ブル的利害のもとにプロレタリアートの普遍的利害を卑しめて革命を挫折させてきたのである。民族、平和、民主主義という小ブル的スローガンをもった統一戦線は、第二次世界大戦及び中国革命を契機に先進国を、ソビエトを中心とする「平和共存」路線――「国民民主主義統一戦線を主張する部分と中国共産党及び後進国を中心とする「中間地帯論」――「民族民主主義統一戦線」に分裂していった。いわゆる「中ソ論争」である。
日本共産党は「安保反対と憲法改悪反対の民主連合政府」を「民族民主統一戦線政府」の樹立に大きな役割を果たすものとして「統一戦線政府」の一つの形態として重視している。そして、その為にこそ中央、地方の安保共闘の全面的再開を打ち出している。
三二テーゼにおいて定式化された二段階革命は、第二次世界大戦――「解放軍」規定、二・一挫折、戦後初期の激動に見舞われながらも日本共産党によって安保共闘を経て、日韓一大政治闘争をかかえた現在においても堅持されている。これは、日本資本主義の後進性と二重構造に日本の共産主義運動がその基礎をもっていたが故に他ならない。そして、一方第二次世界大戦と後進国革命=「社会主義諸国」の出現、それに対する米帝を中心とした各国資本主義の世界革命に対する反革命階級同盟の強化という世界階級闘争の過渡的であれ、構造的変化にスターリニズム的に対応したのが反米帝―民族独立、そして国内においては、反独占、民主、平和、中立の侵しがたいブルジョア的ブルジョア的政治課題をかかげたのである。
日本社会党が日本的社民として新中間層に社会的基礎を置き、広範なプロレタリアート大衆を総評を通じて獲得しているのに対し、日本共産党は、旧中間層に社会的基礎をもつが故に中小企業、下層プロレタリアートに後進国的戦闘性を求めている。そうであるが故に、日本資本主義の二重構造に唯物的に乗っかている日本共産党は日本社会党・総評に対し、「社会ファシズム論」的傾斜を含みつつ組織的体質のために「民族民主革命」「反帝・反独占の民主主義革命」をかかげ、中共クレムリンに接近していったのである。
アメリカ帝国主義と社会主義諸国の体制間矛盾を根拠にして、その中間にある資本主義国、後進国に矛盾が爆発しつつあり、それは米帝国主義の崩壊を強めているという把握はかの有名な「中間地帯論」であるが、今更いうまでもなく、この論は一国社会主議論と二段階革命論の産物である。
現代とは、後進国の政治危機が先進帝国主義の危機へとますます一体化する時代であり、先進国同時革命を契機とする世界革命の時代である。そして、ロシア革命以来の後進国連続革命による「社会主義諸国」の出現は先進国革命の挫折によるスターリニズム(一国社会主義建設論等)という汚物を生みだすとともに先進帝国主義の世界資本主義を反革命的体制として維持するという世界階級闘争の均衡過程に入った時代である。
そして戦後米帝を軸とする反革命体制は、「社会主義諸国」に「反共」「中国封じ込め」として対していくという現象的に示しつつも、その矛先は、生みだしつつあるがいまだ生みだされていない「プロレタリア一段階革命」を抑圧すべきものとして、帝国主義諸国の分裂と抗争を激化させながらも、世界プロレタリアートに一体となって世界ブルジョアジーが団結している体制である。
そしてこの基本的矛盾がいまだ賃労働と資本にあることはいうまでもなく、その部分的止揚であるプロレタリア一段階革命へ突進している後進国革命、そして後進国革命という政治危機と、ドル・ポンド危機に根底から動揺している帝国主義国の賃労働と資本にあるのである。この矛盾の革命的止揚は、後進国ファシズム=ボナパルティズム打倒の後進国人民の闘いに対する先進国支配者階級の反革命階級同盟の性格をもつ帝国主義的植民地支配及び戦争政策の意図を阻止する先進国プロレタリアート・人民の反帝政治闘争の闘いのみであるし、又先進国支配者階級の国内でのブルジョア的な矛盾の解決であるファシズムと合理化を阻止する闘いである。そして、先進国同時革命を遂行することである。そしてこれらの追求こそ、後進国革命にまとわりついた、共産主義の汚物であり世界革命を放棄したスターリニズムを、先進国プロレタリアートが同時に止揚することなのである。
とするならば世界階級闘争をこのような過渡的なものとして把握できない中間地帯論のごときは、いくつかの矛盾(そのような矛盾はないが)をあげ結局は、反米の民族的尺度でもって、現象論的折衷主義によって現代を把握し、反米帝を世界戦略的課題とし、全ての戦争をそこに収約させ、結局は反米のアンチとして“中国万歳”の路線=「中共防衛」という一国社会主議論へと転落してゆく理論なのである。「独特の(毛沢東)矛盾論」をバネとした「世界構造論と世界戦略論を統一」したといわれる「中間地帯論」は、このようなものなのである。このナンセンスの例として次の引用文をかかげれば充分である。
「二種類の中間地帯」を提起した六四年一月二一日づけ『人民日報』社説は、アジア、アフリカ、ラテンアメリカ後進諸国を第一の中間地帯とし、「もうひとつは、西ヨーロッパ全体、オセアニアとカナダなどの資本主義国でこれは第二の中間地帯である。第二の中間地帯である国々は二重の性格をもっている。これらの国々の支配階級は一方では他人を搾取し抑圧しているが、他方ではアメリカの支配、干渉、侮辱をうけている。」というのである。そしてそこから出てくる誤った情勢判断として中仏友好条約の承認前後にあらわれたように、フランスの中国「承認」をアメリカの「中国封じ込め」政策の破綻として次のごとく小躍りして喜ぶのである。「アメリカ帝国主義とその追随者の中国の孤立化の陰謀がかならず徹底的に破産する運命にあることを、またしても立証した。」と。なんのことはないイカレタ である。日共も、これと基本的には代らないことはいうまでもない。「大衆の日常的要求である」経済闘争及び「独立、民主、平和、中立」諸々の政治闘争は、断固闘うといいつつも、一切の闘争を、反帝(反米であり、反独占闘争も反米闘争へ収斂される)へ向けるとともに、待機主義ではないといいつつも七〇年安保改定―安保共闘会議再開に闘う方向と主体的準備(?)を唱えているのである。
第九回大会の「わが党の当面する諸任務」としてわが党の中心任務を六つかかげている。第一に「日本の独立、安全、中立化をかちとること」であり、基地闘争、沖縄返還闘争そして「安保条約破棄」を課題としてあげている。第二に、「アジアと世界の平和を守り、社会制度の異なる諸国の平和共存をかちとる」ことであり「独占資本を中心とする売国的反動勢力の対米従属的、反共的、侵略的外交政策に反対し」日中国交回復をアメリカ帝国主義の「中国封じ込め政策とアジア侵略政策に打撃をあたえ」るとし、独立、平和、中立をかかげている。第三には、「アメリカ帝国主義を先頭とする帝国主義に反対する民族解放平和の国際統一戦線」を押しすすめる日本版「中間地帯論」の所産である。第四に、「米日支配層の軍国主義復活と政治反動の政策に反対して、戦後の日本人民が勝ち取った民主主義を守り、拡大する課題である。」第五に、「米国独占資本の搾取と収奪に反対して、日本人民の生活を守り、日本経済の自主性、平和的発展をかちとり、生活の安定と向上をたたかいとる。」第六に、「アメリカ帝国主義の思想、文化侵略、日本独占資本による思想・文化・教育の反動化・軍国主義化に反対して、日本文化の民族的、民主主義的発展とその普及をはかる」と述べている。
この六つの中心任務のもとに、「民族民主統一戦線」を結成すべき、「安保共闘組織をはじめとするすべての共闘組織を中心に」発展させ「労農同盟を確立」する予定なのである。
一国社会主義建設のための平和共存、中国擁護そしてそのための反米闘争なのではなく、世界革命であり、「民主主義革命」ではなくプロレタリア革命を、「反米帝闘争」ではなく日帝打倒をであり、「独立、安全、中立化」は、旧中間層の危機意識の産物であることは批判するのに多言を要しないであろう。そして「日中友好―米帝の「反共」中国封じ込め反対」が、アジアの平和を共に勝ち取るのではなく、反革命階級同盟に対して闘うことであり、それを結んでいる各国支配者階級の帝国主義的戦争政策、植民地支配を実践的に阻止することなのである。それは、又、当然、現在のベトナム抑圧戦争及び日韓闘争を見ても明らかな通り「民族」的枠をこえたプロレタリアの真の政治闘争でしか阻止することはできないのである(詳しくは別論文「日韓闘争の日本階級闘争における位置」を参照されたい)。このような反革命体制に対しての打撃を各帝国主義打倒の権力奪取の闘いとして組むことこそ真のインタナショナルな闘いであり、国際統一戦線なのである。
そして、いうまでもなくこれらの闘いは、日本帝国主義の戦争とファシズムと合理化を阻止する闘いであり、その突破口としての日韓会談批准阻止を全生命を賭けて闘いぬくことなのであり、ベトナム革命を反革命的に抑圧する戦争を阻止する闘いであり、日韓―ベトナム抑圧戦争の政治的な反革命的な関連を明確に大衆に暴露し、日韓闘争を一大プロレタリア的な反日帝政治闘争として押しだすことなのである。
 我々は、共闘自体は拒否しないけれども、日韓批准を前にした現時点において「安保共闘再開」を叫ぶことに以上の観点から反対するし、いわんや一国社会主議論と「反帝、反独占の民主主義革命」のための「安保共闘」「民族民主統一戦線」には断固反対する。それらは、旧中間層の危機意識のたまものであり、プロレタリアの真の階級的前進の阻害である。
 以上「一国社会主議論」と「二段階革命」のもとにはまりこんでいる「民族民主統一戦線」−「安保共闘再開」を戦略的立場から批判してきた。そして次の課題は、いうまでもなく「統一戦線論」自体の批判である。なぜなら、これこそコミンテルン第四回大会よりだされた統一戦線が、スターリンの汚れた手を受け、ディミトロフによって定式化された「人民戦線戦術」であり、「社会ファシズム論」とならんで、スターリニズムのもつ重要な組織戦術、闘争形態の環であるのだからである。

B 「安保共闘」と統一戦線

 共産党の「四つの旗」の第二と第三は、「民族民主統一戦線」の結成を、「労農同盟」を確立し、「強大な日本共産党の建設」=「大衆的前衛党」を建設することと述べている。このことは、統一戦線戦術が、党建設と切り離すべきものではないということを、暗に示している。しかし、我々は、まず「労農同盟を基礎とする広範な人民の団結、民族民主統一戦線」に批判の矛先を当ててみよう。
 まず第一の誤りは、すでに述べたごとくプロレタリア独裁を否定したブルジョア革命の誤った革命戦略であることは、すでに述べたが、これは、三二テーゼを契機にした日本資本主義論争の講座派経済学の誤った継承物であると共に「最小限綱領主義」の誤謬の継承である。そしてレーニンの二つの戦術を教典とする労農独裁論というプロレタリア独裁の否定である。具体的な二段階革命の批判は現在的には先程述べたので省略するが、日本共産党のもつ理論的な流れとして宇野弘蔵の指摘する様に経済学の貧困さがあり、『資本論』の機能主義的適用――経済学三段階論の政治主義的否定にあるだろう(この点については帝国主義論、国独資論として解放bRでくわしく述べられるであろう)。しかし、この様な日本共産党の共産主義理論の特殊性は別として統一戦線と労農独裁――ブルジョア革命に若干の批判を加えなくてはならない。
 これは、ディミトロフ統一戦線論の教条的利用である。より詳しく言うならば、ディミトロフ統一戦線論は普通いわれるコミンテルン大四回大会(一九二四・一一・五)で定式化された統一戦線のテーゼとも違っている。レーニンが[ロシア革命方式に普遍的価値を付与する傾向]があると自己批判したのがこの大会であり、二一年三月行動の敗北を受けたこの大会は、三回大会で述べられた「大衆の中へ」を引き継いで、いわゆるレーニン的統一戦線を打ち出したのである。ここにおいてかの有名な「全統一戦線戦術から不可避的に生じてくる」労働者政府の可能な現実形態を五つ述べ、その統一戦線政府=労働者政府は、五番目に述べられたプロレタリア独裁であり、真にプロレタリア的な労働者政府としたものである。しかし、ディミトロフはプロレタリア独裁にいたる過渡的政府として「統一戦線政府」=「反ファシズム人民戦線政府」を置いた。しかしながら、レーニンをかりるまでもなく労働者政府はプロレタリア独裁というほか過渡的形態はあり得ないし、過渡的政府、「統一戦線政府」とは結局中間階級の政府であり、ブルジョア革命のワクの中にあるものであり、結局はブルジョア反革命、ファシズムに倒されるものとしてあるのは、スペイン人民戦線、フランス人民戦線が示しているとおりであろう。
 ブルジョア革命をすすめるものとしてある労農独裁も、早くは一九〇五年においてパブロフ及びトロツキー(「結果と展望」)、そしてレーニンによっては一九一七年三月の「遠方からの手紙」及び「四月テーゼ」によって否定されているではないか。例えば「四月テーゼ」の理解のためと古参ボルシェビイキとの論争のために書かれた「遠方からの手紙」で、ブル民革命は終了した、との批判に立ったレーニンは「古い考えでは、こうである。ブルジョアジーの支配のあとにくることのできるもの、またこなければならないものは、プロレタリアートと農民の支配、彼らの独裁である、と。しかし生きた生活では、すでにこれとちがったことがおこっている」と述べて、プロレタリアートが小ブルジョアである農民、兵士からソビエト内部において影響力を勝ち取るということであり、同時にプロレタリアートをそれら小ブルジョアと決定的に切り離すことであるとし、その様なものとしてプロレタリア独裁は自らの社会主義革命前進のために民主主義革命を徹底的に利用しうると述べたのである。この様に労農独裁及びブルジョア革命はボルシェビイキ内部においてレーニンによって、徹底的に批判されつくした。そして、この引用文は同時に次のことも指摘している。
 「統一戦線政府」とは「ソビエトという最高の統一戦線」を基礎としたプロレタリアート独裁である。「統一戦線戦術」とはソビエト建設の戦術であり、そしてプロレタリアート独裁のための戦術である。党こそがそのようなソビエト建設の心臓部をなすものである。日共統一戦線はソビエト建設は一切語られておらず、それは、日共、社会党、総評に政党間の共闘会議もしくは日共支配下の地域における大衆組織の共闘会議を通じて「民主連合政府」――「統一戦線政府」をつくろうという貧困極まる展望なのである。そして、日共は、その誤った戦術をもって「大衆的前衛党の建設」という水まし組織的拡大を行おうとしている。従って第二の誤りはソビエト建設の方針をもたないが故に、当然おち入った組織戦略論的誤りである。
 コミンテルン第三回大会で打ち出した「大衆的共産党」の日本版として出している九回大会の党建設の方針は、すでに述べたプロレタリア独裁を軸とするソビエト建設を党建設と正しく結びつけて展望を出し得ない結果である。
 レーニン的ボルシュビイキ党と大衆的共産党との区別とはいかなるものであるのか。私はレーニンにさえも問いつめなければならないであろう。コミンテルン第一、二回大会において打ち出した「ボルシェビイキ化」の方針はいかなるものとして総括されたのであろうか。それは第三回大会でいかに「大衆の中へ」と「大衆的前衛党」の建設を叫ぶことにより、技術主義的に乗り切ろうとしてもダメではなかったろうか。いかに革命退潮期であろうともである。それは、組織戦略論的誤りを根幹的にかかえているのであり、我々の組織論(『解放創刊号』参照)にも明らかにしたように、前衛と労働者党の区別と同一性の問題である。
 労働者党とは前衛と大衆の矛盾を統一、止揚したものであり、ソビエトの軸であり、プロレタリア独裁を指導するものである。前衛とは、ソビエト建設の過程において大衆と労働者党の媒介物となり、自らのもつ革命的理論と方針を労働者の心臓部へつきつける事により労働者を階級へと形成せしめ、労働者自らの行為をもって党を建設せしめるべく、手段となるのである。従ってソビエト建設は、党建設と不可分のものであり、その建設過程は、前衛と大衆の間にある矛盾を止揚するものであり、前衛の労働者党への止揚的解消であるはずなのである。ロシア一七年二月革命から一一月革命の間におこなわれたボルシェビイキ党の組織的変遷は、まさにこのことを示しているのではなかろうか(例えば、五月二八日に出された「我が国の革命におけるプロレタリアートの任務(プロレタリア党の政綱草案)」以来の変遷を検討する必要があろう)。
 統一戦線とは一九〇五年革命、一七年革命にしめされたようにソビエト戦術に他ならない。そしてそれは決して政党間の取り引きや、各政党支配化の大衆組織、労働組合間の単なる共闘会議の設置のみではなく、ソビエト建設のための組織戦術を現在的に追求するものでなくてはならないのである。それは、労働者評議会を各産別・地域に設立する運動であるのだ。
 日本共産党の「安保共闘再開」「統一戦線政府」と「大衆的共産党」のスローガンは、この様に固く結びついているのである。すなわち、第一点の誤りは、事実上プロレタリア独裁を否定した労農独裁であり、「民主連合政府」→「統一戦線政府」の中産階級の政府の意図である。そして、第二の誤りは、労働者党――「ソビエト建設」のための組織戦術、闘争形態である統一戦線戦術の否定であり、これは根幹的な組織論の誤謬を根にもっているのである。
 トロツキーの「統一戦線を通じて統一戦線の最高機関としてのソビエトへ」という把握は正しい。「ソビエトの結成にとりかかるのは、プロレタリアート全体の状態が、社会民主党の指導者の意志に反してでも、ソビエトを実現させるような時期でなければならない。しかし、そのためには社会民主主義の基底部を、その上層部から奪取しなければならない。」(「次は何か?」より)そして、ソビエトの結成にとりかかる以前において、統一戦線政策の重要性は、社会民主主義の指導部に包摂されている大量の労働者を、大量に組織的にひきちぎる準備をなすことにあるのである。すなわち、社民指導部の権力と革命的ソビエトの権力の多数派を党がになう二重権力を準備しなければならないのである。そして、この作業こそ相対的安定期、前ファシズム期の組織戦術として、統一戦線戦術を打ち出していく、ということが必要なのである。「あらゆる権力をソビエトへ」というスローガンをかかげ、ケレンスキー権力に革命的権力を対置し得たレーニンの戦術はこれであった。又、ドイツ一八年一一月革命、十九年一月、三月革命を通じてのローザ・ルクセンブルグの敗北は、「レーテ・ソビエト」内部において多数派となり得なかったことであり、スパルタクス団を通じたローザの党建設が明確な展望を早期に打ち出し得なかったということである。ソビエト内部に小ブルジョアと区別されたヘゲモニーの確立を! 労働者の心臓部に党の根拠地を! これは社民下にある労働組合、労働者を運動を媒介にして、組織的にひきちぎることであり、「工場委員会」運動を通じて、「労働者評議会」の細胞を創設することである。そして、その様な路線の貫徹のもとにおいて、各「工場委員会」間の、労働組合間の下からの共闘としての統一戦線戦術が必要なのである。日共の「安保共闘再開」論は、すでに明らかであるように、この歴史的重さに耐えていけないことはすでに明らかなであろう。では最後に、当面の「安保共闘再開」に対する我々の統一戦線戦術について、簡単に言及しなければならない。

C 我々の当面する統一戦線戦術

 日共の「安保共闘」は、日本社会・総評の現在の力量から推測するとしても一時的であり、到底「民主連合政権」は、安保改定―改憲を通しても、ほぼ可能性がなく、社会党の「護憲民主政府」なるものがより現実的可能性をもってでてくるであろう。なぜならファシズム前期には社民化が歴史的流れであり、独占ブルジョアジーは、社民に政権を渡そうとしても誤っているが後進国的戦闘性を保持する日本共産党にだけには、その政治委員会を渡す気はないであろうからである。
 現時点において、ベトナム抑圧戦争及び日韓批准を「安保を上回る闘争」として取り組み、「一日共闘」を出している社会党・総評は、小ブル政治闘争として右翼的日和見主義的闘いを例のごとく展開しようとしてきている。日共も「安保のように闘おう」と「一日共闘」に賛成の意を表しつつ「安保共闘再開」を前面に押し出すであろう。動揺しだした総評にとっても、昨春闘の痛手を一挙に取り戻そうと目論んでいる日共にとってもチャンスなのである。我々の任務は、国民主義的・民族主義的な誤りをもつ社民と日共に対し、真のプロレタリア的な政治方針のもとに政治闘争をゼネストでもって立ち上がる事である。
 そして、ゼネストの軸となる職場・地域にストライキ実行委員会の運動を軸に、労働組合に根拠地をつくることである。ストライキ実行委員会の運動は、レーテ・ソビエトの萌芽的なものとして各職場、各ストライキ実行委員会の相互交流、統一行動を行うことであり、これが拠点ストライキ職場を軸に動き出すならば、街頭デモンストレーションを媒介にして書く職場・地域の拡大するゼネストとして成るとともに日本ゼネストの萌芽は、まさしく階級闘争の全面に躍り出るであろう。そして、それを正しく指導する部隊こそ、労働者党の建設のヘゲモニーをとるであろう。
 社会党は八月二四日に東京地本・中央本部を軸とする日韓反対ベトナム戦争反対全国青年委員会を設置すると発表している。
そして九月五日には、東京地本、総評、中立労連、三多摩労組、都学連の五者によって青学共闘が結成される。先進的部隊の街頭における固い実践的結合こそストライキ実行委の成功のための不可欠なものであるし、ストライキ実行委員会運動もそれなくしては危ないのである。我々の任務は、正当に青学共闘を評価しつつ、ストライキ工場委員会を萌芽として創出し、職場に革命の根拠地=労働者解放派を現在的な党の萌芽として生み出すことである。青学共闘とストライキ実行委共闘会議の設立は二重権力を樹立する初期的なものとして、断固たる統一戦線戦術として推進し、各工場委員会の交通である統一戦線により工場委員会の量的・質的拡大強化を行うべきであろう。
従って我々はあらゆる共闘会議の設置は賛成であり、「安保共闘」もその例にもれない。要は青学共闘を縦にストライキ実行委員会を横にした正しい統一戦線戦術を展開できるかどうかなのである。これが我々の共闘会議・各政党間及び労働組合間の統一戦線戦術に対する尺度である。拠点ストライキからゼネラルストライキへ!と共に、拠点的統一戦線戦術から全面統一戦線戦術へ! 地方、産別のストライキ実行委員会を全国共闘会議(労働者評議会へ)! そして、職場の社民指導部を革命的なストライキ実行委員会へ奪取せよ!

(『解放』二号 一九六五年九月)