巨大な大衆ストライキで、ブルジョアジーの野望を粉砕せよ!
 その準備と貫徹に一切を凝集せよ!

 一、日韓・ヴェトナム闘争をゼネストで闘い抜け!

 日本帝国主義の戦争とファシズムと合理化への突破口が、日韓会談の十月批准であり、佐藤政権の手でもって開かれようとしている。我々の全力を傾むけてきた日韓阻止闘争は、六月二十二日の調印を残念ながら許したが、今、最も緊急に必要なことは、最終局面に入るや、ますますその無能さを暴露する小ブル運動に対し、全戦線を組織的・理論的に整備し、日本プロレタリアートの前進の方向を明らかにするこどであろう。特に国会開催冒頭より、日韓阻止を全力を挙げて闘い抜くストライキ委員会と、政治ゼネストの具体的な方針を日本階級闘争の中に位置づけなければならない。そして、ストライキ委員会を軸にした労働者党建設のプランを、来たるべき破局に備えて実践的な課題として提示することが今こそ必要であろう。何故なら、社民とスターリニズムに裏切られた全世界労働者の解放の先駆となるべき日本プロレタリアートの展望は、日韓闘争にかけられているといって過言ではないからである。
 日韓をとりまく世界的政治経済的状況はいかなるものであろうか不死身であるかのように繁栄の一途をたどってきた世界資本主義は、ドル危機−ポンド危機を経て、世界通貨体制の崩壊の前夜に刻一刻突入せんとしている。過剰生産の露呈と不況局面への突入はアメリカをも例外とせず、帝国主義諸国を覆っているし、ロンドン金融市場の危機はドル・IMFを通じての各国援助と国内に於ける労働党政権を誕生させたにもかかわらず、早晩、世界金融恐慌の爆発の危機をはらみつつある。そして、この経済過程の歩みは、同時に後進国の植民地支配によって矛盾の露呈をインペイする過程でもあると同時に、ますます先進国の危機が深められるものとしてある。すなわち、今でこそ後進国の革命がその世界資本主義の矛盾の部分的爆発としてあらわれているが、〈金融恐慌(国際通貨体制の崩壊)→戦争とファシズム〉への突入の過程は、先進工業国帝国主義諸国自身の社会的政治的危機をして、全面的矛盾の露呈=世界革命へと進行しつつあるのてあり、後進国革命が全世界にとって増々体制的危機として先進国革命との紐帯を強めていることを意味しているのである。
 ヴェトナム侵略戦争の事態を質的に進化した時代−すなわち後進国革命を擬制的な体制間戦争的様相を帯びさせることで反革命的に抑圧しようとする帝国主義支配者にとって、自らの内部の危機として後進国プロレタリア一段階革命を受けとめざるをえないという時代への突入である。特に、帝国主義が、この日韓条約をテコに、矛盾の解決に血道をあげている今、日帝−韓国の紐帯の政治的社会的強化は、世界危機の前進に日本を押しだし、三矢作戦に顕われたように〈韓国革命→日本革命〉に備える安保改定、改憲=反革命抑圧戦争(擬制的な体制間的反共戦争)に備える安保改訂、改憲と、国内に於ける対応策としての合理化、ファシズムを準備するのは明らかであろう。
 日韓闘争とは、安保改定=憲法改悪阻止闘争の前哨戦であるのみならず、世界人民、特に後進国人民の階級的前進に決定的な方向を与えるであろうことは明らかである。
 世界資本主義の矛盾の爆発がますますその心臓部、先進諸国へと進行し、なかんずく“帝国主義の最も弱い環”としての日本へと進行し、ますます深まりつつある日本資本主義の矛盾が政治過程に於いて爆発し、階級決戦の時期が迫りつつあるならば、我々は日韓闘争をその前哨戦として、しかも世界プロレタリアートの日本に於ける普遍的課題をもった部分的な決起として、断固として推し進めることが必要であろう。そして、この闘いの条件は、正に熟しつつあるのである。チャンスは到来したのである。日本に於けるブルジョア支配は、爛熟から崩壊への兆候が現われ始めてきているのである。日韓会談は日帝の崩壊の延命策にかかわらず、危機を深め拡大する以外にはないのである。すなわち今までに於いては、日韓阻止闘争が日米安保体制の下に於ける反革命的体制を、東南アジア及び韓国の政情不安に対して備える反革命的色彩が全面に出ていた昨今の段階と異って、佐藤政権の登場(構造的停滞への突入)は、韓国市場及び東南アジア市場を構造的危機の解決にせざるを得ないが故に、ヴェトナム抑圧戦争の拡大、韓国の政治的、社会的危機−日韓会談−日帝の政治的、社会的危機への転化は、増々可能性の濃いものとして出てこざるを得ないのである。これが反革命階級同盟の性格をはらんだ従属圏形成の生む矛盾である。
 一九五五年、日本生産性本部を発足させて一路高度成長につき進むと共に、ブルジョアジーの諸分派を労働者階級に対抗するために、“保守合同”をし自由民主党という名でもってブルジョアジーの議会的独裁を成し遂げた。
 そして、安保の政治的危機を岸から池田の政権交代として、政府危機へすりかえたブルジョアジーは、池田から佐藤へと交代を経てブルジョアの議会的独裁と同時に、増々肥大する官僚、警察、軍隊の行政権力が外見的にも自立してくる方向へと歩みつつあるのである。高度成長から安定成長へ、そして輸出倍増をスローガンとしている佐藤は、ブルジョアジーとの密接な親密さをもっている。
 世界市場争奪戦にうち勝たねばならず、かと言って世界革命を引き出してはならないが故に、反革命的にプロレタリア革命を絞殺すべく同盟を形成し、殺人的労働強化と職場の組織的分断支配をなさんとする合理化に狂奔しながら、韓国を従属国形成の第一歩とせんとする日韓条約をバネとして、来たるべき破局に備え、“議会制独裁”から行政権力のテロリズム独裁への転化の準備をなさんとしている。
 戦争とファジズムヘの突破ロ−日韓会談は、この様にミクロに於ける社会的危機(合理化)と、ブルジョア的支配の反動的強化のため議会主義的外被を脱ぎすてざるを得ない政治危機の一体化への突入前期に行なわれようとしているのである。権力のマスコミ操作に於ける日韓会談のニュースの慎重深さと、福祉国家的政策による合理化危機のインペイは佐藤政権の至上命令としてでてくるのは、このことなのである。従って、九月冒頭からの我々の日韓阻止闘争に於ける、プロレタリアート、学生の任務は、政治過程に、日韓闘争を階級と階級との激突した政治闘争として前面に引き出すことであり、労働者階級の団結を日韓阻止の街頭デモストレーションと政治ストライキとでもって獲ち取ることなのである。
 これなくしては、労働者党の建設は空語でしかありえない。この根本的な歴史的転換点をなすこの闘争を徹底的に戦う中で、小ブルジョア的労働運動を乗り超えた革命的プロレタリアートの確固たる根拠地と前進基地を築いていくことは、決定的な歴史的試練である。−この歴史的転換点をなす闘いを戦い抜くためには、労働者階級の創意と政治的成長でもって支えられた大衆的な無期限ゼネストでしかありえない。

 二、政治ゼネストを結合した闘争力へ!

 このゼネストの実現は、ただ大衆的ストライキ委員会によって可能である。かつこのストライキ委員会運動を通じてこそ、労働者の自立した自らの行為でもって、小ブル的労働運動をこえることが出来るのである。
 「夏から秋にかけて人員整理を含む合理化が必要だ。」資本の合理化攻勢は、「モノとカネの合理化から人間の合理化に重点が移行して行く」(前田一日経連専務理事)であろうことは疑いない。証券界、セメント業界を始めとする希望退職“人員整理”がすでに進んでおり、成長産業であった電機業界でも日立、三菱電機を始めとする帰休制が実施され、又、東芝や、三重工合併の三菱重工業、貿易会社などの配置転換、系列会社への転換、大学卒の新規採用の中止ないし大幅削減である。そして全産業的な殺人的労働強化、安定賃金、職務給、そして職制のきわだった再編強化とそれによる職場の労働者の牢獄的支配の強化である。そして、階層的に言うならば、管理職員層の地位の上昇と肥大化、現場管理者の地位強化などの、労働者階級の支配の再編強化を推し進め、企業主義的支配を強化せんとし、他方下層に於ける中高年層の没落、中小企業、農村に於けるプロレタリア化が進行している。すなわち、二重構造の社会的、経済的再編強化が新たな合理化=直接的な労働強化に対応するものとして進行しているのである。高度成長時代の設備投資とは決定的に訣別した、新たな合理化の時代に突入したのである。社会的権力としての資本のむきだしの搾取と支配の強化は、上層部の右傾化と同時に、ひとつひとつの職場を深刻な状態に陥し入らせている。このような資本の攻勢は、九月期決算の見通しが明らかになる八、九月頃から全面的な体制的準備を行うであろう。そうであるが故に、十月日韓・ヴェトナム政治ゼネストは、大衆的ゼネスト−結合闘争として遂行されなければならない。
 個々の職場がこうした重い闘争に全力をふりしぼっても、思うようにならない時に日韓政治闘争を推し進めることは困難に見えるかもしれない。しかし、結合闘争力は、個別闘争とは異なったひとつの特別の力である。ひとつひとつの職場の個々の闘争力を見つめれば、資本家階級の現在の強さの前に耐えがたいかのようにさえ思われ、実際それを徹底的に凝縮した密度の高い個別闘争を高めることなしには、個別資本に敗北するのである。しかしそれにもかかわらず重要なことは、労働者階級の偉大な闘争力は、この個別的闘争力だけに止まるものではないということである。
 個別闘争力が結び合わされれば一つの新たな闘争力を生み出す−「ナポレオンの軍隊」のように、協業による結合労働力が個別労働力とは異なった新たな力となるように。そしてこの結合闘争力こそ労働者階級の政治闘争である。労働者階級の団結した力は政治闘争で証明されるのだし、労働者階級は政治闘争によって団結した力を発展させるのだ。個別闘争を大きな政治的問題に向って結集して、結合闘争力を発展させなければならない。そして我々の前には、「日韓−ヴェトナム−三矢」という極めて深刻な政治的課題がつきつけられている。誠実な職場活動家は今、危機感をかみしめながら自分の職場の状態を見つめて職場の闘争の密度を高めるために全力をふりしぼっている。このことは疑いもなく正しい。しかしその目が自分の職場という範囲をもし超えていないならば、その職場への凝視を全国の職場への凝視に拡大し、その職場の資本家、当局の出先、職制から全国のそれに拡大するならば、“職場”の活動家は、同時に“階級”の闘士として、全資本家階級の全労働者階級への攻撃として受けとめ、階級対階級の闘争、すなわち政治闘争の先頭に立つであろう。
 実践的な階級意識の形成は、大衆自身が政治的な舞台へ登場することであり、政治闘争でしかあり得ない。そうするならば選挙闘争や、労働組合などの小ブル政治社会闘争が二十年間かかっても与えられることのできなかった階級意識の形成を、二ヶ月の結合闘争に於いてやり遂げるであろう。労働者階級は個別闘争力のなかにもう一つの闘争力をもっている。それが結合闘争力である。たしかに個別闘争力なしに結合闘争はできない。しかし結合闘争力は個別闘争力の単なる寄せ算以上のものであって、それは政治闘争となって大きな威力を発揮し、また政治闘争力のなかで急激に発展し、資本家階級に身ぶるいするほどの打撃を与える。そして、小ブルジョアと中間層から訣別した組合の先進的活動家、労働者を生み出した安保闘争から五年経た今、彼らの苦難に満ちた格闘の成果を日韓政治闘争を結合闘争として結実するということは、小ブル既成指導から大量に革命的労働者を解き放ち、遂に組合官僚、中間層を革命的労働者の側に引きつけるものとしてあるであろう。個別闘争力は、初めからいわば目に見えることが出来、結合闘争は初めは目に見えないようなので、労働者の闘争力は個別闘争力しかないかのように思われがちだ。しかし結合闘争力は、政治闘争としてだれの目にもはっきり見えるものになる。
 安保闘争及び戦後二十年の階級闘争が示す通り、ブルジョアジーの連合した攻撃に対しては、プロレタリアートの広範な、かつ断固たる戦いの中での団結の強化のみが、勝利をもたらす。そして、それ以外には来るべき勝利を保証しえない。総評、民同、社会党は十月の議会闘争のために、その圧力手段として日韓・ヴェトナム闘争を戦おうとしており(しかも重点はヴェトナムである)、総評、民同は春闘方式、日本的労働組合主義の破産による六四〜五年春闘の自らの危機を「平和と民主主義」の国民主義政治闘争でもって、下部脊年労働者の憤激を解消せしめようとして、社会党との統一戦線を強化せんとしている。又、経済闘争に於ける社民化と、「安保共闘再開」の「政治」スローガンでもって、六四年四・八声明が引き起こした職場における組織的ピンチを切り抜け、社会党・総評の「反共」へまきかえしをなそうとしている日共・民青の民族排外主義と幅広い団結が一方にある。
 社会党、総評、共産党の日和見主義的な量的な拡大が、革命的な団結の拡大再生産か。これが個別闘争力を政治ゼネストヘ向けて結合闘争として全国的・大衆的に闘うなかでこそ明らかにしなければならない。
 かかる意味に於いて職場・個別闘争での「予備的組織化」を階級対階級の政治闘争政治ゼネストとして発展・強化させなければならない。

 三、政治闘争をテコに経済闘争の飛躍的前進を!

 それでも、こうした現在での政治闘争での強調は、日常不断の深刻な職場攻撃に直接身をさらしているものにとって、この個々の資本家どもの職場労働者に対する日常不断の執拗な生活と権利の破壊から目をそらせる「政治主義」に聞こえるかもしれない。確かにこれだけではそうである。しかし日常不断のますます深刻になる職場攻撃を凝視し、その職場闘争という労働者のゲリラ戦を急激に強化して、職場の重圧を下から飛躍的に押し上げることになるものこそ現在の強力な政治闘争なのだ。労働者階級が政治闘争を強力に闘うなかで、いつも労働者の職場という牢獄の条件が緩和され、著しい場合には麻痺してしまう。ローザ・ルクセンブルグが「大衆ストライキ、党及び労働組合」で生き生きと、かつ鋭く描いたように、一九〇五年のロシアの労働者階級は、政治的決起の中で至るところの工場でロシアの労働者が労働条件の飛躍的な向上をかちとり、労働組合の権利が目ざましく拡大して職場闘争のうずとなった。それに比べて、当時のドイツ労働者、最強の社会民主党をもちながら、政治闘争の強力な推進というテコを利用しなかったドイツ労働者の惨めな獲得物が一体伺を意味するのであろうか。
 新しくは安保闘争の昂揚の状態の中での職場の状態の緩和と、堰を切ったような職場闘争の上向線−病院での組合づくりのような進み方に象徴されている−に比べて、その後の政治闘争の下火の中でむき出しの戦場となった職場で、いかに資本家ともが勝ち誇った横暴振りを発揮したかを比較しよう。ベトコンは郡庁、県庁を攻撃することをテコにして、末端の農村を麻痺させてゆき、地主共を都市へ逃亡させた。そして、発展した資本主義の国、日本の労働者の闘いは、資本家階級の政治委員会の大きな政治攻撃に、政治闘争として強力に立ち向うことをテコにして、職場の資本家とその手先共の支配を麻痺させ、普通の状態ではとうてい勝ちとれない職場要求がこの政治闘争の波の中でぐいぐいと飛躍的な成果をおさめることが出来る。
 政治闘争の上向は同時に経済闘争の上向を引き起こす。すなわち普遍的な資本の共同体に対する労働者階級の闘争−政治闘争が拡大するなかで労働者が日韓闘争の意味と日本階級闘争に於ける自己の歴史的位置と役割を意識すればするほど、その政治闘争の強化は、経済闘争の後退を招くどころか、ますます政治闘争と歩調を合わせて、拡大強化し、政治闘争と経済闘争は結合闘争として完全な相互作用に入るのである。そして政治闘争の後退は地域、産別、工場等に於ける個別闘争として転化していくことを意味するのである。すなわち、「第二段階の経済闘争」は政治闘争という「経済闘争の土壌を豊かにするための周期的な施肥」を受けて個別資本の私有財産制に対するより以前の経済闘争をより深化ささせた経済闘争へ転化するのである。この下向する経済闘争は「政治闘争の一つのつぎ目から、次のつぎ目への媒介者」として結合闘争をうながすのである。この革命全体の階級闘争の論理を把握することが決定的に重要である。安保「共産主義者同盟」の党建設のプランはこの論理が把握できなかったが故に、急進政治主義闘争の担い手として、ジャコバン化し、彼らの獲得物は総評民同・民青の労働組合主義幅広主義という小ブル経済闘争に収奪されていったのである。
 日韓条約と、体制的ではあるが、個別的な徹底たる新たな合理化への突入はブルジョア政治委員会をして日韓闘争及びそれに続く合理化によって引き起こされる政況的、社会的危機を国家独占資本主義的にインペイせしめんとするであろうけれども、日韓政治闘争をテコに経済闘争の飛躍的前進を獲ち取る方向が重要であるのである。全国的結合闘争を歴史的背景にしてしか、個別闘争は勝利しないのである。
 職場闘争こそが日韓闘争だという部分がある。「社会主義協会」がそれである。職場闘争はそのものとしては、労働者の生活と権利に対する個々の資本の日常不断の侵害に抵抗するゲリラ戦としての経済闘争であり、それがそのまま政治闘争でない。しかし彼らのこのすりかえの背後には、資本の体制的な合理化の現実を前にして、この職場闘争を“階級的視点”“政治的視点”から把えかえせば職場闘争は階級的、政治的性格を帯びるという考え方がある。職場闘争はどんなに“階級的政治的視点”から把えかえしても職場闘争であることに変りはない。
 個別資本の攻撃をただ個別的偶然的に把えている限りでは成熟した階級闘争へ発展させることはできず、また労働者大衆の政治運動がいつも労働者階級的なものとは限らず、くり返しブルジョア的、小ブルジョア的政治運動におち込む。全階級的関連で、しっかり把握して階級的敵対の鮮明な意識を引き出す思想闘争は、労働者運動を階級闘争として実現するために不可欠である。だが労働者階級の闘いが階級的政治的闘争となるのは、それに政治的主観をくっつけるところにあるのではなくて、現実に政治権力に対抗する階級闘争=政治闘争になることである。経済闘争が事実的に政治闘争へと押し上げられなければならない。学園の諸要求闘争はいかにそれを階級的政治的に把えかえしても、その主観のくっつけだげでは、その闘争の性格は微動だにしない。と同じ様に、直接の諸要求のための職場闘争はいかなる政治的階級的主観のくっつけによっても、それだけでは政治的性格を帯びるこどはできない。政治闘争は自ら大衆の経験によって得られる「政治闘争自体の論理」があるのである。経済的要求と政治的要求という形式二元論がある。しかし、春闘のような経済的要求も、その単なる政治的把えかえしによってではなく、事実的に全国統一闘争となるとき、それは政治的性格を帯びる。日韓闘争は、日韓条約粉砕を階級的な要として、職場闘争が階級対階級の全国統一闘争へ発展するときはじめて、労働者階級の政治闘争となることができる。
 「政治的には攻勢闘争を、経済的には防衛闘争を」という部分がある。第四インターがそれである。一つの闘争期にこういう区別をするとは! 労働者階級が政治闘争として上向線をたどるということの中で、すでに強調したように経済闘争としても爆発的に前進することができるのである。
 だから政治闘争を徹底して前面に押し出さなければならない。ただ厳重に注意すべきは、政治闘争の波の中で、それによって職場闘争の有利な状況が開けて、自然発生的に経済闘争が前進するのであって、この自然発生的な力を意識的につかまえてその組織的定着を怠れば、「協会」や「民青」は政治闘争の闘士たちが切り開いた状況を利用して、その闘士たちを一揆主義だとがなりたてながら、成果だけを自分のものにし、職場日和見主義者の部厚くふくれた層を築くであろう。特にこの危機は、政治闘争の波の一応の終結とともに恐るべきものになってゆく。安保闘争後の状況がそれである。こうならないためには、我々は政治闘争の最も断固たる推進者となると共に、それによって切り開かれる状況をフルに利用して、それをテコとし、経済闘争の最も断固たる組織者にならなければならない。

 四、街頭デモを政治ゼネストとともに推進せよ!

 しかしながら、政治闘争がブルジョア政治委員会の撤退を単に要求したり、政権交代としてではなく、内在的には社会の階級関係の根底的転覆のために衝突せざるを得ないブルジョア国家との暴力的対決を意味するが故に、この政治ストライキとともに街頭における労働者と権力の激突、街頭デモストレーションとの具体的関連をも把えなければならない。何故なら、いかなる部分的闘争であろうともその政治闘争は権力・右翼との対決をおこさざるを得ないことが、六〇年安保以降のますます顕著になる本質的特徴であるから。(今春闘に見られる様に、そして学園に於ける学内闘争に見られるように諸個別闘争に於いても権力介入が、ますます暴力的になっていることも、同じ意味で注目しなければならない。)
 全国政治ゼネストは、それだけでもっては長期に闘い抜くことはできない。それが労働組合の弱体化をおこすことは全国のストライキ闘争がしめしている。それは安保闘争の時に同時に闘われた韓国の闘い、ベルギーの自治体労働者のストライキから始まるゼネラルストライキ、或いはイタリアの反ファッショ闘争のイメージが必要であろう。すなわち、部分的拠点から始まる「日韓条約批准阻止、ヴェトナム侵略反対」のストライキが急速に拡大し、何十万のデモ、と相まって、二十四時間(四十八時間、無期限)のゼネラルストライキとなり、それは街頭へあふれ出すと共に、無期限ゼネストとなって爆発する。短期間のゼネストは、この様な街頭デモンストレーションを「一つの極点、一つの契機」として無期限ストヘと行くという把握が必要である。
 プロレタリアートが結合闘争として、プロレタリア層を革命的行動へ結集させ、自立した階級へと組織的に形成して行く手段としての大衆ストライキは、直接的な政治行動を、個々の職場、個々の地域を飛び越えて街頭へ出ることを極点にするということが、決定的に重要である。個別利害の部分ではなく、普遍的利害の部分として拠点ストライキ、街頭デモンストレーションは示威ストライキ=デモンストレーションとして、運動の初期の段階に於いては極めて高度な政治性を要する。
 そして、街頭行動はゼネストを増幅する。すなわち、初期の街頭実力闘争は宣伝闘争としての性格を強く持つが、普遍的利害を掲げた部分的暴力的行為として闘われるならば、全労働者階級の全面行動と階級感情を燃え上がらせるのである。一点突破だ。そして、この拠点から始まった街頭実力闘争は運動が成熟するに従って、職場という根拠地を強化していくとともに、全国実力闘争を展開することによって政治ストライキを引き出し、政治ストライキを強めてつき出す根拠地をもった権力闘争が必要になってくるのである。この様な街頭デモンストレーションは、まさに政治闘争の極として成功させるためには、少数であっても戦闘的な実力部隊が組織されなくてはならないだろう。特に、安保闘争以後の東京都に於ける街頭デモが示しているように、新暴力法の成立と相まって機動隊を核とする暴力抑圧機構の整備強化は、急速に進んでおり、況んや大衆的実力闘争の局面への突入は、早晩、右翼公明党の親衛隊との激突を街頭において生みだすことは歴史的に予想できることである。
 我々は実力部隊を組織化し、街頭戦術の先進的指導部隊として、大衆的街頭デモを成功させなければならないだろう。

 五、ゲリラ戦を、拒否闘争をゼネストヘ!
 ストライキ実行委員会を!

 ゲリラ戦とは「小さな戦いであり、根拠地をもった人民の武器をとって立ち上った闘い」であり、「陣地戦」であり、街頭デモによって増幅する政治ストライキを、拠点ストライキをテコに、階級戦=ゼネストヘもっていくことが必要である。そして、この闘いこそ社民官僚の計算形式化させたゼネスト指令の待望によって始められるのではなく、血肉をもってかみしめられた労働者自身の創意と自発的決起が必要なのである。労働者階級の共同利害を高く掲げた拠点スト――これこそが全国ゼネストの第一歩であり、労働組合の革命的機能の役割は、この政治闘争の拠点建設と密接不可分のものとしてあるのである。安保の時と違った自発的ストライキの拡大こそが闘争の階級的深さを示すメルクマールなのである。
 拠点スト→ゼネストは、その発展を保証するものとして当然こうした労働者の自発的な組織−ストライキ委員会を必要としなければならぬ。ストライキ委員会は、単なる組織形態の問題ではなくて、帝国主義段階での労働運動の本質的な問題である。ロシア革命前後から、すなわち二〇世紀の世界のゼネストの歴史は、僅かの例外を別にして、常に既成の労働組合以外のところからゼネストがはじめられたことを示している。日本においては二・一ストがゼネストらしいゼネストを提起したのみで、それも失敗に終っている。五七年の国鉄新潟闘争も結局は、総評民同の本部の裏切りに屈服し、六〇年三池闘争も、総評炭労本部に屈服させられ苦しい長期抵抗を続けているのである。
 すなわち、ありきたりの賃闘に於けるストライキでさえも満足ではないが、勝利か、悲惨な敗北かという闘いにおいては、増々ストライキ委員会的な自発的な大衆組織が必要なのであり、それは労働組合であっても良いのである。要するに、本質において闘う労働者大衆の組織が必要であり、従って、資本家の労務管理機構と化した特に大企業労働組合においては、労働組合の中に、公式の機関とは別な活動家組織が必要である。それは、今現実には形成されつつあるが、ストライキを目的にしてつくられたもの、いわば激動期の組織がストライキ委員会であり、安定期においては、以前において提起された「改憲阻止・反合理化」行動委員会として存在する。
 ゼネストの現実的な可能性は、ストライキ委員会の結成にかかっている。なぜなら、「安保のように闘おう」という共産党や、総評・社会党のスローガンの日和見主義性は闘争のなかで暴露されざるを得ない。その軸となるであろう総評は、アメリカのハノイ爆撃という事態が起ればゼネストに突入するといっている。これはしかし下部の突き上げを解消するための手段とし、しかも、結局大規模には発展することを押えるものであるならば、私鉄のスト権確立の例を別として、上からの官僚的統制と日和見があらわれるのは必然である。
 そして、「北ヴェトナム軍事介入反対」を呼合する民社−同盟会議への大企業労組の合理化による右傾化、民同右派の強固さとみあって、「日韓阻止・ヴェトナム侵略阻止」の政治ゼネストは、労働組合での、あるいは非公式の広範なストライキ委員会を組織的基礎と闘い取らねばならぬ。
 そして、そのストライキ委の運動の条件である、一定の流動的情勢は形成されているし、又一方、必要とされているのである。既成指導部に不満をもった大衆が、それを明確な不信として表明すること、従って一方では、既成指導部の交代が部分的に始まり、他方では、労働者大衆自らの自発的運動と組織の形成が部分的に始まっていることが不可欠の条件であり、更にそれを一つの潮流に押しあげる、党派ないしは集団が形成されていることが必要である。
 第一に、既成指導部にかわる戦闘的指導部が部分的ではあれ東京及び公労協において形成されつつある。第二に、今春闘にみられる青年労働者の激しい幹部突き上げと戦闘的グループの非公然、公然の闘い。これらは、職場段階で、特に総評内部において自然発生的「左翼反対派」としてある。が、これらは、職場段階の戦闘的活動家の集団、党派性の存在なしには考えられなく、日韓闘争の明確な方針と組織戦術をもった指導部分を、早急に形成するということが必要であるのである。そして、その指導的部分は社会党・共産党・社青同・民青同・革共同・共産同・第四インター・社革新・共青・統社同・日本の声等等の戦闘的部分の反帝統一戦線指導部として結成しなければならない。
 そして、同志諸君及び活動家諸君! その中核体は、我々がならなければならぬ。それは、セクト的な意味ではなしに、我々以外にこの展望を明らかにしている党派がないからである。ストライキ委員会は、職場から産別へ、地域へ、地域から市町村区へ、都道府県へ、そして全国ゼネスト委員会へと発展しなければならない。

 六、革命的根拠地・前進基地を!

 ストライキ委員会の運動を通じて、労働組合の中へ革命的・政治闘争・経済闘争・思想闘争の根拠地を! いたるところの戦線に革命の前進基地を! 革命的ブルジョアジーにとっては中世のコミューンに当るものが、革命的プロレタリアートにとって労働組合である。それを革命的根拠地にし、政治闘争の拠点建設を、日韓闘争の中で迫りくる破局の歴史的瞬間をプロレタリア革命の勝利へ導くべき準備をしなければならない。
 ヴェトナム抑圧−革命戦争は、永続的に続かんとし、日韓条約、協定の韓国側の批准は、形式上終ったが、韓国人民の闘いは終ちず、今、日本の闘争と呼応する条件をもっている。
 後進国の政治危機→先進国自体の危機→世界的危機が訪れつつある。構造的停滞期に突入した日本帝国主義の戦争とファシズムと合理化への突撃の突破口=日韓条約は、この歴史的転換点に爆発的階級闘争をもって闘われなければならないという歴史的任務を日本の革命的プロレタリアートに押しつけている。
 前参議院選、都議選にもブルジョアジーが、政治支配能力に不安を感じるファッショ前期へのぎざしが、見えはじめた。そして、総評民同は分解と右傾化の行く手にとどまっている。時は今だ! 全力をふりしぼって、すべての活動を、ストライキ委員会の形成と全国ゼネストに集中し、無数の革命の根拠地に解放派(党の現在的形態)の旗を高く掲げる時が来たのだ。
 日本労働者階級が一点突破し、この日韓闘争に於いて、どの程度ブルジョアジー、小ブルジョア、労働官僚から自立した“労働者階級の独立した党”が“地上から天上へ”確固たる地歩を築くかが、日本と公然たる世界革命の開始に巨大な影響を及ぼすのだということを肝に銘じて確認しよう。

 九月政治ゼネストの前進基地として、全国職場・学園の体制を直ちに準備せよ!

(森本 伸)

(『解放』二号 一九六五年九月)