社会党の敗北と社民内分派闘争路線の現段階
−−総選挙闘争総括の中から新たなる革命的労働者党建設の展望を切り拓くために−−

 今次総選挙の結果は七〇年闘争にどう影響するか、とくにわれわれの社会党内分派闘争路線がこの結果によってどのような段階に入ったのかについて、われわれは根底的な把握をせまられている。
 六十一国会の示したものは、もはや「プラスの成果をかちとるために議会を利用しつくす」図式が明確に否定さるべき段階へ突入したことの実証にほかならなかったが、逆にこうした段階における総選挙の実態は、社会党を除くいっさいが口を揃えて暴力反対の大合唱を謳いあげ、党もまた、例によって例のごとく動揺をくりかえしながら、最終段階では一一・一七羽田現地動員中止に見られるような党中央の恥ずべき裏切りによって、結果的にはこの大合唱に加わってしまった。このコーラスのタクトをふったのはいわずもがな帝国主義ブルジョア政府であったが、そのことは彼らにとって最大の問題こそ、この暴力集団すなわち工場からの反乱とそれを基軸とする徹底した街頭闘争を闘い抜いたわが青ヘルを先頭とした自立する労働階級の闘争にほかならなかったことを示している。
 われわれが「安保粉砕・帝国主義ブルジョア政府打倒」のスローガンをかかげねばならなかった段階への突入をもっともよく理解していたのはほかならぬブルジョアジーであったし、従って彼らこそがもっとも断乎として階級的にこの総選挙というセレモニーを貫徹した。
 このような内容をふまえ、それを「十・十一月闘争の議会主義的集約反対、帝国主義ブルジョア政府打倒」として党内においても唯一、鮮明に出しきったわれわれは、その立場から明確に総括しきらなければならない。以下それを展開するが、その前に、総選挙への具体的なかかわりかたについて十分に出しきれなかった点への率直な自己批判をふくめて、選挙とは何か、政策とは何かについて提起しておきたい。

帝国主義段階における選挙闘争の意義と革命的労働者の政策

 われわれが選挙闘争にかかわるしかたは、第一にプラスの成果のため、第二にブルジョアジーの暴露のため、第三に議会制度自体の暴露のため、第四に選挙制度の粉砕のための四つの段階があろう。
 いうまでもなく、プラスの成果のために利用しつくすといってもその本質に階級間の一定段階の平衡状態の確認としてブルジョアジーにとっての安全弁としての機能を持つものであるから、われわれとしてはそれを極限まで獲得したとしても資本制生産関係が結局は労働者階級を社会的隷属から解放することはないという本質を突き出すものとして、つまり第二の段階への方向を内包する点においてのみ、第一の段階にかかわる。
 第二、第三についてはともかく第四の段階については「佐藤訪米を阻止するのではなく、その意図を阻止する」という、いかなる革命家もいかなる落語家もかつて思いつかなかった“すばらしい”文章を創作するわれらの愛すべき党中央に対しては説明をしておかねばならないが、労働者党が完全に非合法化され、翼賛議会のみがこのセレモニーないしは茶番劇に参加が許される状況のとき、あるいは韓国に見るように銃剣のもとで“おごそか”に行なわれ、しかも結果に対しても銃剣がサンドイッチ(上と下に政府への信任票を、その間には不信任票を束ねる)を料理するような実例の示す状況が到来した場合には、これしかあり得ない。
 その点についてはともかく、六十一国会の示したものは、もはや単なるブルジョアジーの暴露だけではなく、その最後の拠りどごろであるブルジョア議会制度を暴露しなければならない段階への突入が大衆的にあきらかになったということにほかならないが、第二、第三の段階というのは、議会制民主主義に名を借りるブルジョア独裁を労働者大衆に徹底して暴露し、その階級的自立に向けて宣伝、煽動を行なわなければならない段階である。
 とりわけ、第三の段階においては、革命的労働者は、ブルジョア議会に対し、ただそれと闘うために大衆を動員することを目的として、ブルジョア選挙にかかわるのである。もし党中央がこのことを否定し、いまだに議会主議クレチン病からなおりきらないなら、六十一国会(だけではなく、日韓や六〇年安保、教育二法、破防法等々ありとあらゆる重要な問題のときをふくめてのことだ)について説明をしたまえ。すくなくとも「日本における社会主義への道」においても「いわゆる選挙闘争のみによっては議席数の拡大そのものが困難であるばかりか、たとえ多数を獲得しても樹立した政権の安定は期しえない」とし、ブルジョアジーの労働者革命に対しての「妨害、抵抗、圧迫を無視するところに語られるものではなく」「それらを抑制し粉砕する」条件の存在について確信していることになっているではないか。これはただ楽観者的に条件の存在を信仰しているのではあるまい。(なお、第二、第三の段階の分離は若干便宜的にしているが、これは労働者階級の疎外の実態を現象面でとらえる段階と、国家論、権力論の本質にまで触れざるを得ない段階として、階級形成の過程をあわせて考察している。)
 こうした選挙闘争の意義と同時にわれわれは、革命的労働者の政策について触れておかねばならない。すなわち、政策とは、労働者の疎外状況を対象化して突き出すことである。いいかえれば、労働者は疎外という言葉によって疎外されているのではなく、自らの労働が作り出すものが自らにとって外的存在としてあること、その労働の過程が低賃金、長時間労働、合理化等々によってますます絶望的に社会的隷属を強いるものとしてあること、さらに自らにとっては外的な状態から解放されたと思いこめるとき、つまり労働力としての自己から生活者への自己に還元されたときにおいてすら、住宅難、高物価、公害等々の再度の疎外から労働力再生産過程のなかにしか生存し得ない実態な見つめ、これらの疎外を対象化してブルジョアジーに向かって突き出すものが労働者階級にとっての政策そのものなのであった。
 従って、最低限綱領をあれこれならべたてていくつか獲得したから勝利だというトイレットぺーパー路線として政策があるのでもなければ、個別の政策には意味がなく、ただ最高限綱領のみが問題であるとするのもまた、労働者諸個人の生きた現実を対象化しきって、その現実から出発しようとするのではない点を表明するものとして誤りである。
 革命的労働者の政策は、従って体制をそのままにして実行可能ないわゆるリアル・ポリティクスとしてはたたない。そのことは、しかし、労働者のおかれている社会的隷属からくるところの社会的悲惨に対し一歩でも獲ちとっていくことを否定するものではない。ちょうど労働者運動は賃上げという形態で賃金闘争を行ない、その闘争の過程が賃金制度の打破にまで突きすすまざるを得ないこととパラレルである。
 住宅間題について例をとって見ると、これがリアル・ポリティクスでございとばかり控え目に五年間に二百八十万戸の公営住宅をとたてるのでなく利潤の追求のためには厖大な設備投資をすると同時に百人乗りの電車に三百人詰めこみ、四帖半に親子四人も押しこんで労働者の生活のかわりに生存させている本質を突き出し、さらに「合理的な利用によれば」東京の真の住宅難などたちどころに解決するという事実をも提起する。もっともこれは「今日の所有者からの収奪」を前提にするが、超高層ビルや高級ホテル、マンションの林立を見ての労働者の感覚としては党のリアル・ポリティクスよりむしろリアルにうつるだろうし、階級形成の力学的視点からしても、また階級間の平衡状態の移動が労働者にとって一歩でも獲得させるのだという事実の点からしても、実際にもリアルなのである。
 現代数学が、群論のような数字や図形のみでなく“はたらき”まで問題にしたところに飛躍約な発展をとげたように、「自分たちの共同による自分たちの労働の支配を」獲得せんとする革命的労働者の政策は、その方法論をも内包させたものとしてたてられる。ここにおいて階級形成の力学的視点がきわめて重要なファクターとして考察されねばならない。
 マルクスが「共産主義はわれわれにとっては、つくりだされるべき一つの状態、現実が基準としなければならない一つの理想ではない」と、現状廃棄の「現実的な運動」を提起した内容は、幻想のバラ色さの競いあいとしての政策や、このマルクスの指摘をべルンシュタイン流に歪少化した「現状の改善」なるいわゆるリアルポリィクスでもなく、階級形成論を内包した労働者階級の疎外の対象化としての「現実的な運動」の一環なのである。これは住宅にかぎらず物価、公害、社会保障等から対外政策にいたるあらゆる問題についていえることである。

最も“階級的”であった自民党

 今回の総選挙を通じて最も階級的であったのは自民党にほかならなかった。
 第一に彼らこそ、現在進行する危機の深さを真に理解していた。われわれはすでにSDRをめぐる情勢の分析を通して帝国主義諸国が相互に競争しながらもプロレタリア革命に対しては共同してあたること、それは国際的規模での大合理化とそれに見合っての国際分業の再編、またその中での独自の帝国主義経済の形成を進行させ国内的にも帝国主義的産業再編と海外進出を目途としてあること、こうしてアジア太平洋圏安保を頂点として帝国主義ナショナリズムを形成しつつ、政府行政権力の強化−上からのファシズムと、それに対応する小市民の大衆運動としての下からのファシズム(公明党)の、対立をふくみながらの相互発展を媒介的に進行させての、アジアの反革命階級同盟の盟主としてその性格をあらわにせざるを得ない段階に入ったことを指摘してきた。
 このような段階は彼ら自身にとっても危機であり、従ってそのような意図を貫徹するためにも徹底した抑圧の強化をすすめ、帝国主義ナショナリズムの秩序を強制し反暴力キャンペーンの大合唱のタクトをふったのである。
 このようなブルジョアジーの危機の認識の深さに較べ党中央の把握は依然として体制間矛盾であり平和と民主主義であり、メイン・スローガンが「平和憲法を守れ、許すな徴兵再軍備」でしかなかった。
 このあたりの対比からも、自民党はまさに階級的であったし、社会党はオプスキュア(あいまい)であった。
 第二に彼らはこうした認識にたって、彼らなりにやりきっているところを見なければならない。巨大な産業合理化と労働者の社会的隷属の強化、教育工場の過程や情報革命といわれる状況をももっとも先取りして利用しきっていく過程、警察や機動隊の増強とか東大裁判等の示す中央行政・司法権力の肥大化の貫徹、自治体等を通して人民の掌握管理体制の強化、そして闘う部分に対して「催涙毒ガスまで使用しきるという貫徹性を見なければならないのである。
 こうした彼らの貫徹性が六十一国会に明確に象徴されている。彼らは、議会制民主主義の外皮をもかなぐり捨ててブルジョア独裁の真の姿をあらわにし、それだけではなく、これにけなげな抵抗をする社会党を「何でも反対党」ときめつけ開きなおりをするにいたった。まさに階級的でなくて何的であろうか。
 小田実氏のように「何でも反対党」になりきれというのはこうした階級状勢に対応している労働者大衆の要求そのものであったし、党は二千万という厖大な棄権票に対してこそ最大の責任を負わねばならなかったのである。
 第三に彼らは、これが基本的に重要なことだがこのような危機を予見し恐るべき周到な準備過程を積みあげてきているのであるといわれている。六十一年制定された災害対策基本法にもとづく防災計画が戒厳令計画であることは有名な事実であり、新宿、蒲田などの自警団の発想は警備心理研究所などにおいて新潟地震のときすでに研究されている。あるいは防衛研修所の調査、研究等々からしても、中核派に代表される肉弾路線が権力を狼狽させて弾圧のエスカレートをもたらしたのではないことを明確に見ておかねばならない(このことに関してほかならぬ都内某地区において党の候補者自身が自警団に関係していたというのは日共・民青の自警団づくりと共に看過できないこととして、いずれも基本的に問題にしていかなければならない)。
 こうして安保・沖縄を柱としながらブルジョアジーこそが最も断乎として階級的に闘った実態を見るとき、われわれは逆にブルジョアジーの最も怖れていたこととしての実力闘争を突き出すこと自体が党にとっても最大の課題であるべきだったことがわかるし、それが同時に単ゲバ路線内にではなく、また日共流の単ゲバ単純裏返し路線(いつかやがて来る日における実力闘争を口にはするが)でもなく、ブルジョアジー総体の攻撃を総体としてとらえながら政治支配権力と社会的権力に現実に対決する唯一の方策、職場からの反乱とそれを基軸とする徹底した街頭闘争の展開をおしすすめるものとして十・十一月闘争にあたったのだし(現在ますますそのリアルさは増している)、その上に立って総選挙も闘い抜かなければならなかったのである。
 このような内容の問題を抜きにして成田三原則(議員党的体質、日常活動の不足、労組機関依存の克服)とか、五つの柱(新しい党風の創造、党の知的革新、国民生活との密着、どこにでもいる党、若いエネルギーの吸収)とかを呼号しても、所せん、それは無力なものたらざるを得ないであろうし、革命的労働者党の態度とは無縁であることは明白である。
 いま必要なことは、このような党の実態に対して「労働者階級として行動する党」建設としての断乎たる分派闘争を展開することであろう。

進行する社会党の動揺

 これまでのところからしても、党中央の方針は一一・一七に見るような下部からの闘争をご親切に介入してつぶすといったやりかたがその特性ともいうべきものであった。そして党はロイヤル・オポジット(院内反対派)として「許された反対」をするにとどまっていた。それは個別の政策にもあらわれていたがこのような階級形成の過程を欠落させたロイヤル・オポジットは積極者の運動をつくり出すことはあり得なかったし、従って社会党は共産党、公明党の動員力に敗れたというよりは、そのような動員力しか作り出せなかった路線において敗れたのである。
 民同運動が左派社会党の進出とともに成長してきた初期の段階では、労働組合の第一の領域の問題として賃金や労働時間の問題に対しそれなりに積極者を包含し得たが、今日の産業合理化運動に対応すべき第二の領域への段階的発展を放棄しかつ拒絶するにいたった現在、すなわち日韓以後の日本帝国主義の帝国としての発展の段階においては、現状維持的なロイヤル・オポジットの運動とは帝国主義労働運動、帝国主義社民党運動とをいいかえたものにほかならない。
 このような運動しか展開し得ないならば、そのもとに包摂される労働者に対して積極者たれとお説教することはできないし、安保繁栄論の幻想に対決することもできない。むしろ、虚構を現実と受けとり、安保繁栄論のかげに公害や住宅難等々があるというだけでなく繁栄の内容すなわち物的豊饒自体が労働力の価値の下落、いいかえれば人間としての労働者の価値の下落をのみ意味するという、帝国としての繁栄自体の虚構を暴露しつくすこともできなくなる状況を逆規定してしまうのである。そうして、このような方向性はますます「現実政党論」への傾斜を深める。
 「現実政党論」は議会主義クレチン病の症状の一つであるが、この流行病には何期かの症状があるらしい。第一期は、ブルジョア議会で多数派になることのみが権力獲得の道であると思いこみ、しかもそれが可能であると信じごむのだが、第二期になると多数派になったときの幻覚や幻聴があらわれるもののようだが、「日本における社会主義への道」のような妥協の産物でさえ、クレチン病の予防注射の意義を含めめざるを得ないのにワクチンが弱すぎるようで第二期をすっかりこじらせてしまった。
 もっとも、こじらせたのにはそれなりの理由がある。それが革新自治体である。革新都政に集約的に象徴されるものは革新市長派(ビュルゲルマイステル・フリューゲル)の圧力をおおいに受けてドルトムント綱領からバート・ゴーデスブルク綱領にいたってマルクシズムと最終的に離婚した西独社民党の道、大連立から社民党内閣への道がせいいっぱいのところであり、日本においては日共の社民化や下からのファシズムとしての公明党のそれぞれにそれなりの必然性を持ちながらの進出の前には、票の拡大を意図しようにもこのような西独流の処方箋さえリアルな薬効はないし、その上、ブラント内閣が革命とは無縁であることはドチュケ君たちも実証している明白な事実である。
 もともと党が労組に依存していたなどということは、あったとしてもほんの一定時期のことでしかなかったろうし、実際にあったのは労組幹部依存だったというごく自明の事実さえも見ようとしていなかったクレチン病患者たちは、この選挙の結果から「組合に頼るのはもうだめだ。これからは地域の日常活動だ、もっと世話役をやらなければ」とウワゴトをいうほど高熱が出てくる。
 こうして機動隊の力を借りて東交合理化をすすめ、その機動隊の増員もスムーズに通してしまう革新都政が、労働者の革命的団結の作り出す運動としてのそれでもなければ、それを指向するものでもない世話役活動の延長上に天来の妙薬に見える幻覚もあらわれてくる。都議選における「青空をひろげよう。心にくらしに」のスローガンはその象徴であった。
 こうして日本におけるビュルゲルマイステル・フリューゲルに活路を見出そうとする動きが展開すると同時に、新たなクレチン病患者の、運動としての発生の衝動が他方に起こってくる。全逓の合理化と引き替えの公社化は、それによって在籍のバッジ族を保証してくれるが、こうした方向性を指向して宝樹路線は彼らの組合支配の新たな段階を模索する。そして重要なことは現在の社会党の派閥がどちらにしても党の分裂を賭けるだけの意志も能力もないが、その基盤である民同運動の方向によっては泣き泣き従わざるを得ない状況は充分に考えられることである。
 この民同運動の再編過程こそが日韓以後の日本帝国主義国内体制の完成としてのIMF・JC路線、すなわち帝国主義労働運動としての内答を持つということが日本の労働者階級にとって、実は最大の課題として突き出されていることを見ておかなければならない。ここでは日本労働党構想も単なる思いつきとしてではなくしかも党内の体制内左派も新党に流されるという分裂の形態をもふくめて分裂の問題は極めてリアルさを持っている
 このことは、現実に今回の総選挙においても、四国や北海道などで反戦青年委の意義を評価し、自らもそのような運動の先頭に立って闘うことを鮮明に提起した候補者が、マス・メディアの懸命な否定にもかかわらず上位当選してきているという事実が見えないクレチン病患者たちには、党内の良心派の追放に全力をあげなければならないときがきたと判断させる根拠となるであろう。
 少なくとも日本労働党構想には抵抗しようと考える部分(総評内部では岩井路線に代表される)にしても、日共との統一戦線への傾斜をますます深めながら、一方ではべ平連などに垂涎を感じつつもトロ攻撃を強める決意を早晩せまられることになろう。
 安保体制打破同志会(旧平同)もこうした状況に対応しきれず没落しさってしまったのは彼らの路線が根本的に問題であったことの露呈であるが、こうしたなかにあって党内の良心派にとっては今回の総選挙の大敗のなかからも革命的結集の芽を見出し、前進をかちとっていくものとして、日常闘争のさらなる展開のなかで飛躍すべき機会をとらえることがリアルな問題とならざるを得ない。

どの党派が最も“ばら色”であったか?

 今回の総選挙で闘われたのは安保、沖縄をはじめ、物価、公害、住宅、大学問題等々のように見えていた。しかしながら、現実にはさきにも述べたようなブルジョアジーの労働者階級に対する本格的な攻撃の基本的に重要な環としてかけられてきたものにほかならなかった。
 無所属候補というものはそれなりに自民党批判のはずだったのに選挙後の当選者の入党はともかくその票も自民党の票に加算するのはけしからんとマスコミでさえ指摘する。どのような批判であったかの内容こそ問題であるのだが、ともかく事実を改鼠するというやりかたについてはたしかに問題であるけれども、このような操作をしてさえ自民党の得票率が五〇%を割ったという厳然たる事実にもかかわらず、ブルジョアジーは安保、沖縄等々に関して「国民的合意」に達したと称する。
 この「国民的合意」に彼らの帝国主義ナショナリズムを依拠させながら、彼らは、三百という議席数をまさに階級的に利用しつくしてその本来の敵である労働者階級の闘う団結に対決してくることは明らかである。
 反合闘争、反産協闘争のなかで、われわれが語ってきた分業秩序への隷属にかわる革命的団結とは、感性の無限の発展、その対象領域の無隈の拡大をめざすものとしてあった。いいかえれば分業の拒否とは総合の獲得にほかならないが総合とは個別を個別として寄せ集めるものではなく、個別のなかに固定された個別をのみ見るのではなく、集約された個別が新しいものを産み出さざるを得ないものとしての総合である。すなわち総合とは創造にほかならない。
 こうした創造が人間の類的活動としての自田な意識活動をもたらすが、それはまた、そのために桎梏となるものに対しては徹底した破壊としての創造なのである。
 これがわれわれを先頭としてこの間の教育闘争、反戦闘争を闘ってきた労働者階級の革命的団結の内容であったが、この本質を最も見きわめ、それに恐怖したのがブルジョアジーであった。六十一国会での大学立法はブルジョアジー内部でさえ異論があったが、政府は結果からしても成功だったのではないかとその部分にも評価を強制している。ともあれ、ブルジョアジーの反暴力キャンぺーンは社会党の票を減らして有利にするための戦術ではなくて、本質的なものだったのである。
 これに対し、野党もあげて唱和したのは、彼らはまた彼らで本質の把握ができなかったためであるが、そのことは今回の総選挙に見られた政策ポスターなるものがほとんど大同小異の無内容なものでしかなく、政策の幻想のバラ色さの競合は印刷インクの実際のバラ色さの競合にまで転落した実態があったことからも理解できる。
 日共は、この中でマエタケとの対談等、恥も外聞もかなぐり捨てて「愛される共産党」、「暴力否定の共産党」というクレチン病のたしかな症状を呈した。選挙ポスターでいえば、日米共同声明に関して自民党の帝国主義ナショナリズムに唯一対決したのはなるほど共産党であったが、その内容はといえば「国会で審議せよ」でしかなかった。
 こうした自民党に「大人」であることを賞賛されるほどに成長した愛される共産党は、「民主連合政狩」の幻想をリアルな段階に入ったと深めさせながら、その基盤とするところの社共統一戦線をなおも追求する構造にすすむが、この統一戦線とは社会党に対しては、《抱きしめて窒息させる》原則を貫徹すると同時に、闘う部分に対しては武装して排除するものとして機能させることにほかならない。この日共の獲得票は、こと革命の観点からすれば「生命財産を守る共産党」の票、つまり小市民主義的なそれとして水ぶくれであるが、「暴力否定の共産党」としては水ぶくれでも何でもない。前のスローガンから示される革命否定の党、すなわち私有財産の秩序に手をかけない党を見て安心してそのもとに結集した部分は、それに手をかけようとする闘いに対しては本能的に防衛するものだからである。
 他方、プチ・ブルとしての自らがプロレタリアに転落していく過程を見つめ、その恐怖から防衛するために公明党に政治的表現を託すことによって、下からのファシズム運動を助長する。
 すでに中道左派としての路線を確定した公明党は、公明党の議員が創価学会の役職を離れることからはじまる新しい態勢に一歩踏み出している。出版妨害問題などで自民党との裏面でのつながりも暴露されたが、その安保段階的解消論もまた自民党と票を分担している実態として見ることができるのである。自民党をして「友党」呼ばわりされる所以である。
 公明党に関しては、その段階的解消論と異なった安保廃棄にもとづく大衆運動としての、新学同を通して、もう一段注視しておかなければならない。単独で日共をしのぐゲバルト部隊を唯一組織した公明党の街頭進出はいつか、どのような状況のもとにおいてか、そして、どのような進出の形態を持つか、について、われわれはリアルに検討せねはならない時期がきた。
 なお、企業まるがかえで出てきた民社党については、IMF・JC路線全体のところで見ておくべきである。今回の結果から見ても民社党内部のいわゆる旧い右翼社民は没落し、かわって近代的装いをこらした形でもっと露骨に労使協調をうたいあげた部分が登場してきた。
 従来は同盟が支待する候補に会社が隠然と協力したのが、今回は会社が支持を決めたから組合も推薦をするといった状態が公然と現出している。
 これらは、コンピュータ時代に相応する合理化の促進を、システム・エンジニアリング等に対応する労働運動を、と労働者階級への敵対を一層おしすすめ、トヨタ自動車、三菱重工、八幡製鉄など大独占が自民党の外様派閥を作り出したような形でその運動の代表として当選させている。
 この運動が帝国主義労働運動の陽性の形態にほかならないし、陰性の宝樹路線との結合は新しい段階を展開させるだろう。
 総じて、今回の総選挙の結果は一方でこうした諸党派の闘う団結の形成への敵対の進行をあからさまにした。急進主義者たちは、それみたことかと嘲り笑いながら十一月決戦の勝利という(これはいかなる革命家やいかなる漫画家も考えつかなかったのではなく日共というゴ立派なお手本を持っている)総括をするような路線を突っ走る。
 沖縄「奪還」路線が破産して方向を見失なっている単ゲバ派や、革命的な言葉をたくさん知っている神学者たちの両革共同を、両極としたいわゆる新左翼と、他方、べ平連のような未分化状態にあってそれなりに前進を模索する部分とをふくめて、二千万という厖大な棄権が示しているのは潜在化させられていたブルジョア議会の批判が明確になろうとしている段階を告げるものとしてあることをはっきりと把握しておかなければならない。
 われわれは、安保粉砕・帝国主義ブルジョア政府打倒・沖縄人民解枚の旗を高々とかかげて、スト実を基礎とした職場からの反乱とそれを機軸とする街頭での実力闘争を、日韓のときには予感的形態として、六九年秋には明確な開始として展開してきたが、この方向をさらに突き出して闘いきることがリアルに要請されている。こうした意昧で党内分派闘争路線も再度、重大な意義を持つものとしてとらえかえされなければならない。

(以下つづく)

〔47号より続く〕
 前号でわれわれの指摘したことが、すでにかなりの速度で進行しつつあり、社会主義政策懇談会(山本幸一派)などがビュルゲルマイステル・フラクツィオン(革新市長派)の教科書どおりの装いをこらそうとしている。
 願望と現実をときどきとり違える小市民単ゲバ氏が「宝樹一派の右からの再編構想も挫折してしまった」(『前進』四六四号)と、せっかく断定してくれたのに、現実世界では、大阪での民労懇と呼応する形で「生産性労組懇談会」という露骨きわまりないオバケの登場とあいなり、太田意見書等をふくめて、旧い部分の“反戦排除”という一点における完全な一致の上での論争がすすめられようとしている。これは巨大な右傾化−−帝国主義社民党への道をバスで行くか電車にするのか、あるいはタクシーに乗るかというだけの論争でしかないが、これらもまたわれわれの指摘してきたとおりの進行としてある。われわれは、だが、われわれの見通しのたしかさを誇ろうとするものでもなく、下からのファシズム(公明党)の分析さえ(しないのでなく)できない単ゲバ氏をあざ笑うのでもない。ただ、生きた現実を見つめきろうとするのだ。

社会党とは何党なのか

 われわれは、一一・一七の社会党中央の恥ずべき裏切りについて同時に、このような裏切りに象徴される「平和と民主主義」路線に対して糾弾せざるを得なかったが、この路線とは何か、そうした路線をすすもうとする社会党とはどのような党であるのかを見ておかねばならない。
 ここでは、戦前からの歴史過程もふくめた考察が必要であるが、きわめて要約的にいえば、日本における資本主義の後進性と後進国革命の象徴であるコミンテルンの強大な権威とがあいまって、わが国においては、労働者の階級への形成が非常に遅れていて、真の労働者党が階級形成の過程で建設されるまでにはいたらなかったと言える。
 この時期、労農派がさまぎまの制約を持ちながら一定の水準に達していたにしても、基本的には、階級形成は戦後の課題として持ちこされ、そこで日共の重なる破産のなかで産別が崩壊し、民同左派が総評をニワトリからアヒルに転化させる過程でそれなりに労働組合の第一の資格、元来の目的について機能し、同時に、その政治委員会としての左派社会党が、それなりに労働者党の第一の任務、労働者の階級形成を追求してきた過程があった。
 しかしながら、あとでみるように、日共と社会党それぞれが持つ独自構造によってこのいずれもがそれ自体として不十分であったしその不十分さそのものが第二の資格、第二の任務に対しては桎梏とならざるを得なくなった。そうして、そのことをふくめて、この過程全体が大きく日本資本主義の発達過程に照応していたことがいえるのである。
 いいかえれば、戦後民主主義とは、上からのそれでしかなかったけれども、日共は、これを解放と誤認して敗退し、その後を受けた労農派が一定の対応をしたが、日本帝国主義の復活、自立過程が進行して対応しきることができない段階に入りつつあるといえよう。
 このような客観的背景を見つめたとき、党が日本型社民といわれて、その戦闘性を評価されていた時期、反戦闘争の高揚に対応できず後退をする現在の時期についても、およそ、次のことが言えるであろう。
 それは、日本社会党=社会民主主義の党と、疎外された共産主義の党=日本共産党との相互補完と相互対立ということである。
 即ち、「プロレタリアートの階級的未成熟(それは、何よりも日本資本主薮の後進性に規定されているが)」の段階における、「革命」の党と「改良」=「社会」を民主化する党の対立である。
 この基本構造を、われわれは、しっかりとおさえておかなくてはならない。
 一方、「革命の党」=疎外された共産主義の党として、あらゆるブロレタリアートの社会運動を改良闘争とみなし、それらと区別された(!)「革命運動」の相対的独自性の強調としての、「政治運動」の展開−−実は、それらは、小ブル的政治運動=社会運動、しかも、没落しつつある旧中間層の不安を反映するものとしての社会運動=政治運動なのであるが−−他方はプロレタリアートの一面的固定化、「労働力の商品としての固定化の上に立っての種々の改良闘争の展開」(いわゆる経済主義的経済闘争)、従って、その「政治運動」はと言えば、たかだか、労働組合として資本から獲得した諸成果の防衛としての、あるいは、労働組合としては展開困難な、労働者の諸条件、諸要求の獲得、実現の手段としての各種議会への利害代表の送り込みとしての政治運動=選挙運動を主とした政治運動=議会主義としての構造を持つことである。
 このような基本構造を持つ両党は、また、一方が「改良」と「政治権力」を問題とするのに比して、他方は、「改良」と個別資本との対決を強調するという対立を持ちつつ、同時に、個々のプロレタリア大衆にとっては、一方は自己の「未来」の受託者として、他方は「現在利益」の護持者として、自己が自立的に活動せぬ当座の二つの機能を、振り分けて請け負わせることが可能な二人の代弁者としてあるという相互補足の関係にもあったということである。
 従って、日共の組織構造は、プロレタリアートの現実的利害を抹消することによって成立しうる(特殊、個別の抹殺の上での普遍の定立)。「鉄の規律」「一枚岩の団結」という宗教的団結=内実は没落しつつある旧中間層的規律となり、この意味で、戦後日共史は戦後の巨大拠点経営細胞の党中央への反逆の歴史でもあるのであり、他方、わが社会党についていえば、「現世利益」の党として、プロレクリアートの特殊利害の寄せ集めとして、各単産民同の縦系列と、国会=県会−市会−地域利害集団の議員派閥の連合として、彼等相互の間では無規律、無統制(但し、特殊利害の底から普遍的利害をつき出してくる部分には一致しての戒厳令)という社民的規律をもって、プロレタリアートの規律と背反する組織構造を持ったということである。
 いうまでもなく、これらの止揚は、プロレタリアートの将来運命の受託者、現世利益の護持者という、「党と大衆」の関係それ自体の揚棄しかない。つまり、指導部主義、大衆物理力主義の止揚であり、プロレタリア諸個人の真の自立=階級的自立である。
 共通性の確認の上に、さらに次のことを押えておくことが大切である。
 それは、日本社会党の日共への優位性の問題である。つまり、五一年綱領に基づく極左軍事方針の展開と分派闘争によって破産した日共に比して、第一次合理化運動によって深化するプロレタリアートの隷属を経済主義的対抗方法によってではあれ、避けようとする民同=左社が、総評におけるヘゲモニーの確立と、それを受けての今日の社会党体制の原型をつくりあげた歴史にみられるように「観念」による現実の収奪路線が、生きた現実の全面展開の中では即自的肯定路線に敗北するという事態である。
 日本社会党が、体質として保有する労働者の現状肯定の意識と、都市小市民の幻想性は、旧中間層の幻想性とその体質を色濃く持っている労働者の意識に対しては、日本資本主義の高成長の中では、勝ち抜く構造を持っていたのである。それ故、社会党の帝国主義社民への吸引と共に、日共の社民化傾向はほぼ同時に開始され、それが、「自主独立路線」の内実にほかならないのである。
 さて、わが社会党は、左、右、労農党の合同のあと、第二次産業合理化運動の波をうけて、五九年十二月西尾新党の分裂を契機として、その胎内から帝国主義社民の潮流を生み出し、同時に、その合理化反対闘争の敗北の中から、プロレタリアートの隷属をみつめた革命的部分を生み出して行く。
 そして、第三次産業合理化運動と、国際的な規模での分業秩序確立運動の政治的標識であった、六五年日韓条約反対闘争の敗北によって、片や、JCの本格的登場と他方、反戦青年委員運動を意識的に推進し、世界的な規模で進行する帝国主義的工場制度の発展の中に、自己の絶望的隷属をみ、それ故、単に貧困と悲惨に立脚するという旧い運動を全く超えて、かつ現在直下に進行する事態の中に将来をみる潮流を眼にみえるものとして創り出した。
 今日、日本社会党は、都市急進小市民の離反と、「現世利益」を資本の発展の中にみつめていく帝国主義社民の意識的運動の中で、急激にその相対的力量を低下させつつある。
 そして、その背後に、全社会的規模で、進行する直接的な工場生活のみならず、消費生活においても吹きすさぶ分業秩序確立運動の中に、数百万、数千万の孤独な大衆が、何らの防衛手段も、方法も(=即ち、団結)もなく放り出されているのである。
 選挙政党、議会政党と言われて来た古い社会党は、今や、文字どおり、革命的に再生されねばならぬ。
 それは、改良闘争と軽んじられて来たプロレタリアートの現実生活の総領域にわたる、生きた現実的欲求の中に、この社会の転覆の原動力をみる「改良」と「革命」の止揚の道の中に、部分的利害の和ではなく、個別、部分の中に普遍、全体をみ、目的意識的にプロレタリア人民の闘いを結合し、統一し、発展させる道の中に、自己を党の手段化することではなく、大衆諸個人の自立の中に、一切の力をみるという道の中に見出されるであろ。
 世界資本主義の構造的停滞期への突入、その中におけるアジア太平洋圏へ死力を尽くしての飛躍を図ろうという日本帝国主義の今日の時代の子として、帝国主義社民に真に対抗すべく出生した我々はこの道を全力で突き進まねばならない。
 労働者階級として行動する党へ革命的に再生せしめようとする我々の闘いの波及は、必然的に、社民化傾向を走る日共の疎外された団結をブチ破り、スターリニストの呪縛を突破した巨大な労働者階級の革命的労働党への前進が行なわれるであろう。

 小市民の党から労働者の手に党の革命的再生を

 われわれの観点からすれば「労働者階級の解放は労働者階級自身の事業」であり、労働者階級として行動する党は労働者階級自身が生み出すものでなければならず、この運動は必ず世界史的なものでなければならない。これまでの、どのような運動もまた、現実に世界史のいわば凝縮再生産過程を、それなりの部分としてではあるがたどってきている。
 この世界史の凝縮再生産過程はいわゆる相対的安定期においては徐々に、「平和な十年間が戦争の一日に匹敵する」ように激動期にはきわめて短時日のうちに、部分がくりかえし全体に近づきつつ進行する円環構造のなかでくぐり抜けられるが、闘う労働者は賃金の維持のための部分的団結を通してでも、その団結において労働者諸個人の世界史の凝縮的獲得がなされることによって発達し、普遍的団結に進み得るのである.
 この労働者の団結はブルジョアジーの敵対を生み出し、そのことによって、さらに団結が拡大、深化し、一層、密集した敵対を作り出すという円環構造をもつが、ここでいう団結とは、上からのさまざまの種類の強制によるそれとは無縁である。そのようなものは、どのような量的な広がりの外観を呈しようとも、部分でしかないことを見ておかねばならない.
 われわれが世界史的個人であるということは、われわれの運動が世界史の到達した地平から先に進む運動でなければならないというごとであり、逆に、どのような運動もまた、どのように部分でしかないとしても、世界史の凝縮再生産過程をたどっているということであるが、この世界史の獲得は、必ず、部分から全体へである。
 労働者諸個人にとって、階級闘争のサイクルにアプローチする契機はさまざまあるように見えてもそれはやはり、このカテゴリーに包含されるのであるが、労働者運動の総体としては「元来の目的」=第一の資格を通して、はじめて賃金制度の廃止をめざす普遍的な社会的、政治的運動につきすすむことが可能であるように、部分から普遍へという図式は、より明瞭に貫徹している。
 労働者党もまた、労働者階級の階級への形成という第一の任務を通してでなければ、帝国主義ブルジョア政府打倒、労働者政府樹立という第二の任務に向かうことはできない。いうまでもなく、ここまでが部分で、ここからが全体であるとか、これまでが第一で、この次が第二であるとが、劃然とたてることはできない(何をわかりきったことを、という者は、現実の運動を見ていない。われわれが行動委員会運動を、スト実運動を提起してきた過程を見たまえ。また、一方では、組合というものは固有の領域があるのだとか、自分たちが労働者階級を上から支配するまでは先にすすんではいけないとか、指導してくれる人たちばゴマンといるではないか)。
 ともあれ、世界史的な労働者は世界史の凝縮再生産過程を通して世界史的な必然を考察し、その上に労働者階級の世界史的使命を、すなわち、自分自身の未来を自分自身の手で獲得するという任務を遂行する。従って、旧い団結が部分であることを把握し、部分であることを固定化することによって全体の獲得に対して桎梏となるものに対して、それを突破せざるを得ないのである。

 旧い党の意義を受けつぎつつ、それを桎梏として突破する不可避的な分派闘争

 もう少し具体的にいえば、すでに述べてきたように、日共と相互に補完、対立しあいながらも「革命」と「改良」について追求してきた社会党は、たしかに未成熟の段階での労働者の団結を、しかも不十分に表象していたが、資本主義の発達の一定段階への対応を固定化するに至って桎梏と化し、労働者の団結の拡大、深化に対する阻害物となりつつある。日韓以後の日本帝国主義の帝国としての発展に対応できず、帝国主義社民化しつつある傾向に対する労働者の直感的な反応の表現が二千万の厖大な棄権票であり“動かない労組”であって、組合員の政治意識の低下などというキャンペーンは神話であると、たとえば、全電通の機関紙でさえ、認めている。
 これに対し、理念で「乗りこえる」神学者たちの思想運動ではなしに、現実世界において桎梏を突破しようとする労働者の闘う団結は、労働者の団結の未成熟という状況を見つめ、しかも、その不十分な表象でしかない党の実態を見きわめては、その本質に対応する運動を展開する。

労働者の団結の出発と、新たな団結の再生産のための行動委員会運動としての大衆闘争を基盤とする党建設

 この運動は、あくまでも労働者大衆自身の運動であり、大衆闘争として展開される。前衛的部隊はただ、内部からこれを結合させ、より新たな団結の形成のために闘う。
 部分的団結のなかで、階級的、政治的に発達した諸個人を党へと構成し、普遍的団結へと結びつけ推しすすめる運動に対し、上からの党をと指向するものが恐怖するのと同じく、旧い団結を固定化させようとするものもまた、これを忌避する。
 しかしながら、労働者階級の自立にもとづく新たな団結が旧い団結を桎梏として突破するときは、このような上からの党自体をも爆砕せざるを得ない。自らの運命をスターリニスト党やトロツキスト党など、上からの党なるものに託すということは、民同に象徴される旧い団結への、それなりの批判の絶望的な表現にほかならないからである。
 この総選挙の結果から、ますます、右傾化の道をたどろうとする社会党に対して、もはや、社会党の役割りは終ったとするのではなく、民同基盤をふくめて、ますます、巨大な桎梏となるであろうこと、帝国主義社民として成熟にいたるならば、スパルタクス・ブントを絞殺したノスケの道に進むであろうことの実態に対して、われわれの行動委員会運動としての大衆闘争を基盤とする党建設は、次の提起を、ますます、リアルなものと把える。

大衆闘争としての行動委員会運動を通しての社会党の革命的再生

 この再生という言葉は、山本幸一の総選挙の総括のなかにすら、語られているが、われわれが彼らと同じ表現を用いたとしても、むしろ、このビュルゲルマイステル・フリューゲル(革新市長派)に対して、その本質が、まさに旧い団結であることにおいて打倒すべき対象として用いるのにほかならない。
 労働者階級がブルジョア共同体のなかにあって分業秩序のもとに包摂されて労働者諸個人の自由な全面的な発達が疎外されていることを桎梏であると感じ、それに対して、自分たちの労働の、自分たちの共同による支配を獲得せんとの闘いを展開するにあたって、これらの小市民主義者は、新たな敵対として対応する。そして、党の革命的再生の可能性は、底流としてあるにもかかわらず、これらの小市民的な「再生」の基盤は、決して、小さくない。
 それ自体としても階級形成の未成熟にもとづく現象だからであり一一・一七の裏切りに象徴される党中央の示すものは、現在の党が「労働者階級のために行動する」党ではなく、良心的な下部活動家とは遊離した、従って、自立する労働者の革命的団結とは無縁の、小市民の代表たる社会民主主義者によって占拠されている党であるとみなされる。
 われわれは、従って、すべての闘う労働者と、すべての党内良心派とに今こそ訴えねばならない。
 社会党を、労働者階級のために行動する党に再生せしめるために、小市民主義者との闘いを、全国一斉に開始せよ!!

〔前号(48号)より続く〕
 過日の中央委員会はこうであった。すなわち、中間報告なる作文が否決され、ただ、活動の縮少をはかる財政問題が決定し、要するに、中執としては完全にお手上げとなって、一切の方向を見失なった。
 この官僚どもの討論の内容はといえば、たとえば、一一・一七に端的に象徴される党中央の裏切りを糾弾する良心派が、少数とはいえ、それでもいたのだが、彼らは発言の機会さえ、ほとんど与えられず、しかも、一一・一七に触れるや、中執は「党の決定(正式には、現地で断乎、闘うという都本部大会の決定はあるが、中止に関しては、機関としての討議はなかった)に反して羽田に結集した方が悪い」と、居直り強盗よろしく開き直った。
 この中央委員会について一口でいうならば、みんな、事実を認めることを何より恐れているということである。
 すでにわれわれが述べてきたように、党は、共産党・公明党の動員力の差に敗れたというよりは、そのような差をもたらす路線自体が敗北の原因だった。しかし、この事実を、認めることは、残った財産もさらに激減させはしないかと恐れるあまり、医学のかわりにお祈りをしようと考える。そのためには、事実を見てはならない。なるべく見ないようにしようというのが中央委員会の実態であった。
 こうした状態で、中央は「三里塚では、闘ったから票が減った。今後は、国会を中心にしたい」などといいだす。三里塚で闘った農民が党を支持し、闘わなかった外側の部分が没落に手を貸したのが実相である。だいたい事実として「物理的抵抗をやめて」何か獲得できる保証があるとでもいうのか。以前の議席数でさえ、六十一国会であのありさまだったじゃないか。
 三里塚にかぎらない。全体的に技術主義や精神主義のさまざまなユーレイが、それぞれ没落を糊塗しようとしながら、帝国主義社民への巨大な流れが進行する。
 われわれが主張するのは簡単なことにすぎない。ただ、事実を見つめ、そこから出発せよというだけである。

 1

 党内のさまざまなユーレイやオバケのなかで、技術主義は、例のビュルゲルマイステル・フラクツィオン(革新市長派)に代表され日本労働党への衝動を強く持っていて、他力、精神主義は社会主義協会(その理論を、ときには労働組合に、ときには政府機関に売りさばくことから「社会主義商会」とも呼ばれている)に代表されるが、たとえば、彼らの機関『社会主義』(これは人を笑いころげさせることを目的としているらしい)の二月号を見ると、「たとえば、学園紛争(彼らには闘争でさえないのだ)の際には、現場にいってなぐられてでも説得するという日常のファイトをもつこと」がたりなかったのを自己批判するというほどである。
 まことに恐れいって、ふき出すほかはない。
 この精神主義が「左派」のポールになりあがりたいとしているから、問題である。彼らにとっては党綱領は「ひとみのように大切にする」べきだが、そのような綱領になっていないから問題だと綱領論争を提起する。しかし、彼らの正しいのは論争の提起の点についてだけである。その内容はといえば、綱領に対置するのに「日本における社会主義への道」をもってし、しかも、「道」については、ほぼ全面的に評価しているのである。
 あまつさえ、「道」の不十分性は、平和革命を可能性と規定するところにあるが、「国家権力の平和移行は、内的法則件をもち、歴史的必然となっている」(協会テーゼ)ことを認識しないのがケシカランというわけだ。われわれは再び、脱帽せぎるを得ないが、彼らの論拠である国際平和勢力なるものの増大に対してはスターリニスト諸国間の亀製について、同じく、国内の「護憲」勢力の伸長によるファシズムの危機の問題に対しては「三矢作戦」について、公明党の分析についてなど、ぜひ教えて頂きたいものだ。
 こうした事実に目をつぶり「今日、国会は、たんなるおしゃべりの場所ではなく、国民が欲しさえすれば、そして、その意思を組織された力に転化することに成功すれば、行政官僚や自衛隊・警察や裁判所に対して、国民主権の存在として、その実力を示すことができる」(同テーゼ)とおっしゃるが、ひとつ、第六十一国会について、自衛隊の治安訓練について、予防検束や防災計画や自警団などについては、ぜひ、お教え願いたい。
 とくに「平和革命も、議会外の大衆の組織的力をもって、資本家階級とその権力体制を廃絶する意味では、社会的に明白な暴力である」(『社会主義』二月号)というが、反革命の暴力性は「独占資本がつくりだす矛盾と民主主義的条件」が「革命をになう主体勢力の形成を必然約にする」し、この形成の過程と「この民主主義的条件をまもる条件」とが相互媒介的に帝国主義体制に対しても「もはや、ファシズム的支配形態をとることは不可能になっている」とヤッキになって否定せねばならないのはなぜか。
 どうか、われわれ、労働者にわかる言葉をもって、説明をしていただきたいものである。
 自分たちが信仰を持つのはいっこうにかまわないとしても、それを労働者にあらゆるデマゴギーと恫喝を用いて押しつけることは許されない、闘う労働者なら、だれでも、自分たちのまわりの要求から出発して職場の闘争を展開していくなかで、労働者の闘う団結が拡大すればするほど、資本の敵対が強まることを身をもって体験してきている。三池はどうだったのか。
 それに対し、「貨金の維持にしかすぎない部分的団結から普遍的団結に進みうるのは、団結において労働者諸個人が発達するからである」(革労協テーゼ)という日本語を「まちがっても賃上げ闘争など、たたかわせてはならない」(『社会主義』二月号)と読みこなす驚異」の読解力の持ち主に対しては、もはや、吹き出したいのをとおりこして憐れみさえおぼえるが、ともあれ、すでに述べてきたように、ブルジョアジーは、もっとも危機を洞察して、もっとも“階級的”に攻撃を展開している。かくて、とくに日韓以降の、事実としての「密集した敵」の出現をも見ないで、ただ、「反独占」の長期無抵抗路線を続ければいいというわけにはいかないのだが、われわれは「労働者階級の日常的改良闘争」を「すべてあっさり否定して」いないし、労働組合の第一の資格から第二の資格へという段階的発展を、ほかならぬ彼らが、われわれにこのような中傷を加えるようなしかたで抑圧しようとするのに、断乎として対決するのだ。
 こうして、「社会主義商会」のセールスマンたちこそ、党の帝国主義社民化への方向を助長こそすれ、これと対決することはあり得ないことがはっきりするが、彼らが右から「道」を批判しているところが、実は、良心的党員にとっても問題となるところであったのは、これまでの論議からも判明している。われわれは、綱領よりも「道」が若干は前進しているといえなくもないことを認めるが、現在的には大衆からも見はなされつつあるものとして、自衛隊の治安出動などがリアルに考えられるようになった現在の問題として、綱領、総路線の論争を運動をとおし大会に提起しなければならない。
 綱領や「道」に述べられているなかでの問題点は少なくない。それに対しては稿をあらためて論じなければならないが、なかでも、政府構想はきわめてあいまいであるといわざるを得ない。左派のポールたらんとするセールスマンたちにしてもそうだ。「国家が『幻想の共同体』だと!』だと!!これはまた、珍妙な感心をするものだ。
 「権力」には政治権力(国家権力)と、社会的権力があり、国家という「共同性」は被支配階級の諸個人の発展にとっては敵対的性格を持った「幻想的共同性」でしかないのだ。
 この点におけるオプスキュランティズム(あいまいさ)が国民主義であり、事実としてのファシズムの可能性も頭の中だけで抹消することを可能にするのだ。われわれは、この幻想の共同体としての国家を転覆してコミューンとしての共同体をもち、プロレタリア独裁を打ちたて、社会革命を遂行しようというのだ。
 他人に対して「弁証法を知らない」ときめつけることを知っているセールスマンたちは、このような運動が、資本主義社会のもとにあって育ちながら、資本主義社会そのものを打倒するのだという弁証法を知らぬのだろうか。
 セールスマンたちは、この点において、あの「神学者」たちと酷似している。両者ともに、現実の行動委員会運動を否定することによって、革命とは現在的には理念でしかなく、いつか遠い将来にはじめて現実となるのである。彼らにしろ、綱領や「道」にしろ、革命の政府構想らしきものはあるようだが、政治権力と社会権力の区別さえもさだかではないのだから労働者革命の政府構想とはいっても、権力論の基礎が欠落するのは当然といえば当然であろう
 われわれの行動委員会運動とは部分的団結から普遍的団結への発展の中で、それによって生み出される密集した敵との対抗を通していわば、「相対的真理から絶対的真理へ」(エンゲルス)とアナロシカルに進む、コミューン的共同体として労働者階級の権力基礎を目指すものにほかならない。
 「自分たちの共同による、自分たちの労働の支配を」獲得する労働者階級の解決能力とは、個別において全世界を獲得する能力のことであり、その能力の獲得への指向を前提にするのでなければ、どうしてスターリニズムを克服できるといえよう。しかも、このことを抽象的理念として思いこむのでなく、現実の形態をもって語らなければ何にもならない。現に「反スタ」の諸君にしても、そこが欠落しているために、せいぜい「半スタ」になってしまっているではないか。
 かくて、われわれは「工場制度の足もとで、この資本に抗する断乎たる団結において、同時に、諸個人が自立し、発展してゆくための組織的運動」(革労協テーゼ)としての行動委員会運動=評議会運動を、フラクションとしてではなしに、それ自身で存在するところの、資本に対抗しての大衆の団結する運動として、労働者党の基礎として提起する。
 あらゆる職場・学園に行動委員会を構築せよ。
 われわれは、四月党大会に向けて、党内のすべての良心的党員に訴え続ける。大会はたしかに決定的に重要なメルクマールであるがわれわれは委員会屋、大会屋ではない。これまで主張していることも、従って、唯、運動を通じてのみ、大会にも提起されなければならないことは、基本的な前提である。
 われわれは、四〜六月闘争を大胆に、かつ、断乎として闘い抜くことをもって大会に登場するであろう。

 2

 われわれは、まず、「青年党員会議」の組織化を提唱する。北は北海道から南は沖縄に到る青年党員による全県、地区における「青年党員会議」の組織化をくりかえし提唱し、革命的に実践する。党中央も「全党が青年に魅力ある存在にならない眠り、問題は解決しない」(例の、大会準備委員会中間報告)などと泣きごとをいうならば、青年の真摯な声を聞かなければならないであろう。旧い団結を固定化しようとするものと対決する衝動は、青年にもっとも敏感に現われる。
 この衝動は、いまや、いかなる政策をも労働者のそれとして立てられなくなっているロイヤル・オポジット(奇妙なことに、政策を対置すべきであると主張する人達にしてからがそうだ)にかわってユリカゴから墓場までを問題にし切って、革命への衝動を大衆的に掘りおこす運動にほかならぬ行動委員会運動として立てんとする地点にたどりついた。六九年十一月闘争を闘いぬいた青年党員、闘う労働者、学生党員、闘う学生は今や、労働者の総生活・総領域を問題にし、その運動に着手せんとしているのだ。
 青年労働者は、青年党員は、学生は、学生党員は、闘う中で、必然的に労働者階級全体の階級としての組織化に入ってきたのだ。子供の保育の問題から、家族間題、定年を迎える老労働者の問題をも考え切実な要求の貫徹への行動に着手せんとしている。
 「青年党員会議」は、反戦青年委員会の断乎たる労働者的強化・拡大の討論から、かかる領域を討論し、着手する任務をもって、労働者階級のために行動する党への行動委員会運動の結集場として党内小市民主義者と闘うのだ。これは「青年対策部」ではない。この「青年党員会議」は、春闘・沖縄闘争を軸とするが、積極的に学生党員を加えなければならない。われわれは、現在の学園・教育闘争がまた、その中から政治闘争を見つめなければならない段階にきていることを、即ち、労働者・学生連帯の運動がきわめてリアルな課題になっているところまで到達していることを朗らかにしてきた。
 この学生・高校生・労働者の連帯闘争の中から、帝国主義社民として流れ流れゆく日本社会党の内部から、帝国主義ブルジョア政府打倒のスローガンをかかげる時代に突入している今日の情況認識に立って、積極的党員として「青年党員会議」の主要メンバーにならねばならない。自らが死闘して築き上げたプロレタリアートの利益を貫徹するために、我々は労働者階級の社会党へするために、党内に巣食う小市民主義者と闘わねばならない、
 「青年党員会議」を組織化せよ! 苦闘しつつ前進する社青同労働者・学生の階級的発展を受けつつ、更に発展するために。

 3

 すでに「全都(東京都)社会党活動者会議」が、闘う先輩党員の努力と青年・婦人・学生党員によって活動を開始している。更に、「全国活動者会議」へと発展せんとし、党内の良心活動家、苦悩している党員の結集を目指した活動が開始されている。われわれは、「青年党員会議」をバネとして、全国各県で少数であろうとも、大胆に勇気をもって「党員活動者会議」を提唱する。
 反戦青年姿員会運動を労働者的に発展させるために、労働運動の階級的、戦闘的防衛と前進のために、全領域の階級的前進のためにまず、大衆運動を問題にし、党の革命的変革の歴史を内容とする先輩との討論を行ない、共通認識と共通課題を鮮明化することはきわめて重要である。各地区、各県で準備を実践しつつ、「全国活動者会議」へと発展させようではないか。「全国青年党員活動者会議」を手始めに。
 われわれは、一一・一七羽田現地闘争に、中央執行委員会の裏切りにもかかわらず結集したが、この部分を母体にして、その新たな発展をとげようとする運動が始った。
 「春闘・沖縄闘争実行委員会」がそれである。
 2・4全国反戦青年委員会・全共闘共催の沖縄全軍労連帯闘争集会には、青と白の生地に赤字の実行委員会の堂々たる旗をもって登場したが、この実行委員会は、労働者的スクラム闘争を基調とする生産点・職場の限りない闘いを発射点に春闘・沖縄闘争の断乎たる発展、ストライキ闘争をもって中央権カへの闘いへ発展せしめるところの安保粉砕闘争へ、という4・28闘争を射程とする、すべての人々、団体に開かれた実行委員会である。反安保実行委員会がまさしく形ガイ化している今日、新たな労働者本隊の自主的加入を求め、組合加人をめざしている。すでに組合団体加入も、一つ二つとふえて来た。
 われわれは、この運動に積極的な評価をし、闘う先輩に敬意を表して、四−六月闘争の総力戦の構築へ、全国各県で、地区反戦、社青同・党・労組・市民団体・婦人団体の活動家によるこの実行委員会を組織化しよう。この運動は当然、反安保実行委員会を変革せずにはおかないであろう。
 今から来春の地方選挙にしか頭が向かないクレチン病患者たち(地方選挙と言えば、行動委員会の地区的結合の問題として、いわゆる、自治体論も「自治体改革の闘い」に語られているような、階級形成の全く欠落したそれと異なる共同体論、コミューン論として立てられねばならないことは、これまで述べて来たところからも結論づけられよう)と異なり、現に密集しつつある敵階級の総体的総攻撃(『解放』四七号参照)に対する総体的な反撃を展開する。
 すでに、赤十字精神から入った人たちをふくめた地域の救援会運動も、差し入れ救援会と言った端緒的な団結から始まって、警察署に対する抗議集会、東京拘置所に対する抗議デモから、十・十一月闘争において処分されたものに対しての反対闘争、更に、出入国管理法へと取り組むに到る発展を遂げて来ている。
 この発展が更に進行していくことによって、自警団(警察と消防署が指導して町会ごとに作られた)や町内会を通しての権力の人民支配に抗する新たな団結の重要な環になるであろう。
 職場における帝国主義的工場、職場制度における新たなる苦痛と桎梏、新たな要求の組織化、その解決のための行動委員会運動の発展、新たなる共同体の発展は、労組運動の形ガイ化と労使共同の抑圧に対抗し、その突破の闘いへと発展し、単なる賃上げ闘争に終らせるのではなく、その苦痛の原因への闘いへと発展させる労働者運動へとしなければならない。
 この大衆闘争を自らの発展として、政治支配能力をも間題とする労働者による職場党組織・職場支部の建設へ。
 それは、職場行動委員会運動の地区の同じ労働者との共通課題、共同の運命をみつめる闘いによって、全国、全世界的な労働者の階級性を身につけていくことなくしては、企業主義者と狂って終ってしまう。
 われわれは、職場・地区結合の行動委員会運動を通して、職場支部、そして、産別党員協、総支都の労働者的変革をかちとる。
 総支部はプロレタリア地区権力をめざすものでなければならない。
 それは、地区プロレタリア権カへの日常的、現在的闘争と職場闘争の地区結合によってなされる。労働者にとっては、総生活=労働生活・労働の再生産過程をつらぬく運動として、自らの政治支配能力をつくる闘いである。
 かかる闘いこそ、帝国主義が、深化しつつある今日における日本社会党の闘いでなければならない。
 これは、党中央の方針みたいに一年ほど前までは「佐藤訪米阻止」といいながら、いつの間にか、「訪米の意図を阻止する」というすこぶるつきの“名文句”を創造し、いざ、一七当日になると、わぎわざ、ごていねいにデモ申請をとりさげてまで「三食、格子、リンチつき」の部屋に、闘う部隊を案内してくれたり、日韓闘争の高揚期には「ハノイ・ハイフォンが爆撃されたならゼネストを」といっておきながら、実際に爆撃されたときはデモさえもつぶしてしまったり、という例のヤツではない。
 すでに予想されるわれわれに対する破防法適用までを突破する運動として、それへの対応もふくめて、力の限り、われわれの団結自体が、その諸個人の運動そのものを通して発展が検証されるときである。
 革命的労働者協会(社会党・社青同解放派)は、今や、六十年闘争以来、営々として築きあげた労働者自身の苦闘の中から生まれた社会党内分派として、労働者階級の名において、全国の労働者、沖縄労働者に、全国の党員に、大胆に呼びかける、
 労働者の限りない人間的発展のために、帝国主義者と、そして、帝国主義社民と闘うことを。
 もはや、党中央は、労働者の苦痛を解放する能力と権威を失っている。
 評論家の文章を中間報告に使用するとは、一体、何事だ。それを認めた中央執行部よ、ただちに、労働者として、合理化の乱れ狂う工場・職場の一かいの労働者になって再出発せよ。闘いの中から、党中央を任う党員は生まれているのだ。
 全国の党員、労働者の諸君!
 今こそ、春闘・沖縄闘争をもって、安保粉砕・帝国主義ブルジョア政府打倒へ、社会党の帝国主義社民化をゆるさず、革命的労働者の闘いによる党の革命的再生へ、決意をこめて立ちあがれ!

(注記・クレチン病という比喩は不適切であるが、単なる言葉の入れ替えでは是正できないし、レーニンの著述との連関が不明確にもなるので、原文のままとした。)


1970年1月15日付『解放』47号3面、2月1日付『解放』48号4面、2月15日付『解放』49号4面(51号1面正誤表により訂正)より