日本社会党の歴史的転換と革命的労働者党創設の現段階

 弔砲と祝砲は二つながら一どきに打ち鳴されようとしている。左右の解体的分派闘争は破産した〈日本における社会主義への道〉にしがみつく成田執行部をしてずたずたに切り刻まれながらも瞬時は生存し得る〈蒼ざめたトカゲ〉の姿で浮びあがらせている。ある人びとがバラ色と呼んだ江田ビジョンは政権のパスポートたり得るか、お前の栄達が約東されているんなら裏切りにも値しよう。カウツキーにあこがれてマッカーシにもなり得ぬ敗走者よ、お前の保身につながるならかえり血をも甘受せよ!
 労働者階級は断じて自己の解放を他人の手にゆだねるものではない、仮借なき闘争に共に立て、戦後社会党は二極分裂の時代に突入したのだ!

注目せよ!
何が始まろうとしているのか

 四月二〇日から東京九段で開催を予定されている第三三回党大会は、折りしも日米安保条約。固定期限終了期を二ヶ月後に残して、70年代の政治過程に,重大な影響を与えるべく調催されようとしている。政府党の圧倒的多数を背景とする爛熟した《議会制独裁》は、すでに自民党以後(ポスト自民党)への手探りを開始した。公明党と財界の癒着、公明党の中道左派宣言。「ボナパルティズムか、社民化か」とブルジョアが選択しかねている時、われわれに突きつけられているのは「ファシズムか革命が」という問いであろう。議会制独裁の伝統的な態度は、すでにヨーロッパが直面しているように社民政権による危機の救済であり福祉政策の防衛の名による闘争の圧殺であった。奴隷の管理は奴隷からのなりあがりであった日本社会党に変容を迫っている。
 反革命階級同盟の下で、従って国際協調の時代の企業ナショナリズムを基点にビッグ・ユニオン連口たるIMF・JCがいまや日本労働運動を席捲した。そしてIMF・JCは帝国主義時代のナショナルセンターにふさわしく自らの党を要求し、社会党および民社党に対して強固な〈帝閑主義社民連合党〉を〈日木労働党〉なる新党の名称まで見つけて強要しているのである。民社党の新方針はすでに「民主社会主義の道をわが党のみがセクト的に独占するものではない。他党勢力への強い呼びかけも、必要」だとしているのに対し、江田書記長は全電通中央委員会で「その時期ではない」として一応拒否したものの、企画担当中執の秘密メそによれば、労働戦線統一の波におされて民社党は第二自民党的な姿勢を変えざるを得ないだろう」と記されているのだ!
 革命を志向する部分を切りおとして、「ボナバルティズムか、社民化か」というブルジョワジーの問に答えること、捨てられそうになった女の厚化粧、そして心を鬼にするのだとしてヒステリックにわめきたてている。革労協を切れ!潰せ!婦人会議を刷新せよ!右派四派(江田、勝間田、旧河上、山本)と中間派で結成している議員懇談会は「このまま大会をひらけば、同派(解放派)の“不穏分子”が代議員として大会に出席し、大会をかき回して党のイメージを、いよいよ悪くする」として大会の延期か、大会までに「社青同解放派などに所属し、あるいはこれを支持する党員の統制処分を行なう」よう要求している。去就を注目されていた社研(佐々木派)は12月総選挙でその議席を半減させ、加えて中堅幹部の山本派への脱落によって、抵抗力を失い、「殺し屋に転落した」、こうして全国大会を前に、党規約第三一条に違反して開催される東京都本部大会は、「革命的労働者協会(社会党・社青同解放派)の戦略・戦術・組織について」なる都本部理論小委員会の決定を大会議案とし、社青同東京地本がその路線を採用しているとして、これと絶縁し、反戦青年委の反安保実行委員会からの排除、救援会活動の禁止を決定しようとしている。これは10・11闘争への敵対から本格化した階級闘争への敵対=革命からの疎外過程への純化である。

党内の三傾向を二極分解を通し革命的に止揚し労働者党創設の地平を!

 二極分裂を言うとき、それは次のことを意味するものではない。左派社会党の革命的再生ないし、これを主要な構成軸とする戦後ヨーロッパ型の統一社会党等の中間形態はこれを拒否して前進する。党の性格から言うならば「社民の党としての社会党」の徹底的な解体を通して、かかる擬制的労働者党の存在を許さず、まさに労働者自らが、行動委員会を通してソヴエトと党を自らのものにすることによって、世界同時革命の、従って労働者革命の時代のプロ独を実現することであって、それは革命への敵対物に転化しつつある日本社会党の内部で古い桎梏を突破する闘いを通して実現しようとするものであって、従って実現されるべき党をイメージ化して言えば次のようになる。「すさまじく自立的に発展する労働者階級の新たなメンバーによって、党官僚およびその親衛隊の追放された日本社会党である」と。分裂化の社青同東京地本の歩みがそうであったように、この道が平担であり得よう筈はない。
 一九六九年九月一日、自らの存在を公然と内外に明らかにしたわれわれは、党員一人々々と癌細胞のように肥大しつつある帝国主義社民への右翼的解党運動に抗し、一千万支持者の革命的変革を含めて、党の旗を大衆の前面に押し立ててきたのである。日本社会党が革命の党であろうとするなら、われわれのたどりつこうとしている道を歩かなくてはならないであろう。われわれが解体しようとしているのは、社民的体質であり、古い桎梏であり、党の前進にただの一度でも反対したであろうか。
 「渇しても盗泉の水は飲まず」という古い諺がある。カウツキーの役割すら危ぶまれている社研・向坂派連合の諸君よ! 君らは死をおそれて死角に怯える腰抜け兵士だ! 敵は君らも蛙を睨む蛇のように睨んでいると忠告しておこう。アナーキストに銃を渡さず打倒されて行ったスペイン共和国政府の轍を踏むな、君らといえども敵対をやめない限り、これを粉砕して右翼解党分子との仮借ない闘争に鮮烈な旗をかざして前進する。血塗られた出立は旗色をますます鮮明にするであろう。
 右翼四派の諸君よ、君らにささやきかけるブルジョアジーはもう一方で、ボナパルティズムの道を考えているのだ。その上「生き残った民社党」は、企業と一体となった秩序をすでに構成している。「相対的安定期に肥大し、政府危機に際してその救済者になる」、「これは静かな革命だ、あなたの安全を保証するから目的地まで行かせてほしい」、その権力基礎なき〈のっとり〉の末路を少しでも考えているのか。ブルジョアの議会制独裁が何を基礎に成立しているか考えたことがあるのか、「それが、無自覚な選挙民に、支えられている」のだと、とんでもない。他ならぬ君たちが新党の基盤と考えている資本の下に包摂されたプロレタリアこそが問題であり、こうした包摂を可能にしている「資本の力」こそが問題だ! 資本の力、この物化された人格的表現、社会的権力の集積のうちに政治権力があるのだ! その頂点だけを奪取しうるとすれば、社会的権力は頑強に武装して立ち向ってくるだろう。資本の下に絶望的に隷属し、その生産および再生産過程に組み込れているプロレタリア人民に、この社会の古い桎梏を打ち破る力、自立した労働者による革命的団結を作り出す、総過程および運動の直面する総領域の対象化を持って、全社会的に反乱を準備することなしに、革命を夢想するものはすべて現実の革命に敵対せざるを得なくなるのだ!
 右翼四派の諸君! 社研・向坂派連合の諸君よ! 君らの10・11月闘争にすでに実験済の動揺は次の如きものだ。
 「俗流マルクス主義者の目にはブルジョア社会の基礎が動かしえないものとして定着しているので彼は、その動揺が最も明白な瞬間においてさえも、それが『正常な』状態へ復帰することを願うだけであり、その危機のうちに一時のエピソードしか認めず、そしてこのような時期の闘争でさえもともかく無敵の資本主義にたいする軽率者の非理性的な立上がりとみなすからである」(G・ルカーチ)。従って、バリケードの戦士たちは迷える者にみえ、犯罪者にさえ見えるのである。
 即ち「日本における社会主義の道」に固執する社研・向坂派連合、それに対する右翼的歪曲を押し進め、分裂の恫喝をもって前者をして「殺し屋」に仕立てあげるゼントルマンは、動かし難い〈ブルジョア社会の基礎〉を見て見ぬふりをし、だからせめて「議会でせめて政権に就きたい」と言う願望を、革命への不渡手形を、ビジョンだ、プロセスだ、イメージ転換だと、種切れのマジックボックスをかきまぜるのだ。その挙句、客寄せ顔をかなぐり捨てて、大道香具師の本性をむき出しにして攻撃を仕かけているのだ!
 そしてわが革労協を推進力とする第三の傾向「スト実共闘」と「11・17佐藤訪米阻止現地闘争実行委員会」の前進は、折から職場反戦を基軸とする反戦青年委員会の第四期反戦への水路となり、全国反戦および全国全共闘を既成指導部に代る新たな全国政治闘争の中枢に構成せしめた。「11・17佐藤訪米阻止現地闘争実行委員会」は新たに「春闘沖縄実行委員会」となり、その鮮烈な旗をもって全国反戦と共闘としたのみならず、沖縄全軍労との公然たる交流を開始した。
 さらに、この闘争を通して強化されつつある「全都活動家党員会議」は、すでに「全国活動家党員会議」の結成にむけて第一回の会合を行なった。もとよりそれは共同行動の論理を通して一致すべき傾向の違いを含みつつ、「帝国主義社民化反対!」の一点で結集し今回の右翼的攻撃は、一切の大衆闘争がその党員の召還、従って古い桎梏を打ち破る〈原動力〉の遮断である点を重視し、この断固たる推進を軸に据えようとしているのである。新旧右派連合は、結束して、人員整理に名をかりた書記局解体再編を試みたのであるが、六七名の希望退職、および指名解雇の結果、正常に機能しているのは、議会の補助機関たる政策審議会および総務局、組織局である。機関紙局は一部を民間に下請させ、農魚民部、中小企業局、国民運動局、青少年局等は機能マヒである。即ち、クーデター権力として分裂の恫喝の下、労働者的要素が削り落されようとしているのである。
 このクーデターの勝利は、昨年の八月、四五回中央委で準備され四七拡大中委で確定的なものになった。国会議員を全員、中央委員と同等に扱うというものである。
 国会議員団、機関での大量入党を背景とする労働貴族集団、地方議員およびその候補者のための党への純化、こうして帝国の支柱が準備されようとしている。「これなら生きのびりれるだろう、発展できるだろう、政権にもつけるだろう」と、「これは間違いだが、今闘っても不利なのだ」とつぶやくものをも伴って……。
 われわれはこれに組みすることを拒否する全党員に訴える。都活・全活に結集し、70年代闘争の展望に向け、六七年以降の闘いの意義を鮮明に突き出し、中期路線の破産、ヴェトナム戦争以前の国内外情勢の認識にもとづく〈日本における社会主義の道〉の回帰を許してはならない。ニクソン・ドクトリン、インドネシア全域戦争従って、反革命階級同盟に対決する“インドシナ労働者共和国”への衝動を孕んでようやく後進国革命が一国主義的幻想を突破せんとする時、パワーポリティクスの論理に屈服し、実際には国内にあっても、階級間の対立の頂点でその調停者として登場することに一切の望みをかける「護憲主義者」の危険な役割を阻止しなければならない。
 要するに社民官僚の考えていることは、ボナパルティストとまったく同じなのだ。ただ「護憲主義者」は議会による正常な秩序の回復を、後者は有産階級の最終的な支配形態として必要とあれば、武装した反革命となることだ。自警団を見よ! より無力な反革命分子になるに過ぎない彼らに「社会主義の党」を僭称させてはならない。われわれを排除しようとする策略は、右翼解党派のクーデターを正当化し、彼らを居坐らせるために仕組まれた卑劣極まるものである。われわれは今こそ、公然だる結合を開始しなくてはならない。われわれは都活、全活を革命的に前進せしめ、反戦闘争からの逃亡をくわだてる山崎一派を全国社青同から追放し、社青同の革命的再生を勝ち取るであろう。中央本部書記局の七名の指名解雇の白紙撤回を始めとしてすでに反撃は開始されている。四月十一、十二日、党規約に違反し、中郵自動読み取り区分機導入の当日強行される東京都本部大会にはかかる卑劣な策略を粉砕すべく〈絶縁を通告された〉一切の大衆組織が自己の当然の権利を行使して大会へのかかわりを持つであろう。

「左派」の凋落と東京社研の分裂状態の進行

 すでに昨年八月の四五中委が、今回の大転換の準備の開始であったと述べたが、美濃部都知事をブラントに見たてて大連合(野党連合)を構想した社会党は、参議院選挙に引きつづいて首都で大敗北を喫した。この責任を追求されて東京都本部をおろされた曽我祐次氏は、自から社研同志会(社研左派フラクション)を解消し、反戦改組、社青同東京地本問題解決を約束づけられ、同じく社会新報自主管理体制の鎮圧を任務づけられた森永栄悦氏と共に、中央委員会において中執に補充された。総選挙に向けて不利な要因を除去するための二人のロベスピエ−ル。この間の反動攻勢の前面にこの二人が立っていることは勿論である。
 官公庁、中小企業を中軸とする首都の労働運動は、政治闘争に過敏な首都の性格を受けて比較的その先頭を維持してきたが、今や左派組合は次々にその中央委員会を代々木に握られ、中執のみを持っている状況に転落しており、民間は全金に至るまでIMF・JCの手に落ち始めている。
 こうした状況の中で東京都本部はIMF・JCに席捲されつつある地評との正常化の名の下に、諸闘争を直接に制限している。そして首都で衆議院の議席二つという状況の中で、東京社研内の少数派は自己保身と巻きかえしを策して六日会なるフラクション−−その内実は社会主義協会向坂派なるものを作って、右翼的転身を図り、多数派から出されていた事務局長の引き降しを策した。
 〈六日会〉は、革労協の発足に恐怖して、東京都本部に理論小委員会を作らせ委員長および事務局長を握り、分析作業を秘密裡に行ない、都本部大会の議案作成と併行させ、三月七日、突如として、反党分子、党破壊者なる断定の下に、特別文書を作製、その承認を強要した。そして三月十五、十六日両日、湯河原で行なわれた都本部執行委員会の席上、運動方針討議の直前、これまた突如として、執行委員会での承認が要求された。「反安保実行委員会および青対部方針に関する重大な態度決定」として、それは「政治判断」にもとづいて打ち出されたものである。討論および採決は不適当であるとする強行採択の結果議案の空白部分は次のように埋められて行った。
 これに先立って開かれた東京社研総会は、江田派に身をすり寄せることによって追撃をそらそうとして、三月十三日連絡責任者が姿をくらますほど陰険なやり方で招集され、〈六日会〉はクーデター的に「社研決定」をとったのであるが、このほど「都活ニュース」に掲載されている多数派見解によれば次の通りである。
 ○社研は党内左派としての立場を堅持すること、このため3/13決定は再検討すべきである。
 ○この問題で、各地区での事前討議を行ない、その上で社研総会を開催すること。
 ○もし右のような措置をせず、3/13決定を貫徹するならば、もはや社研は左派の結集体とはなりえず、新たな右派と断ぜざるをえないし、活動的党員は、離反せざるを得ないであろう、と。
 ちなみに都本部大会の代議員の内訳は、社運研八〇、協会太田派八、六日会系五〇、都活五〇と推定されており、すでに社研を自ら分裂させた「左派」は社運研と結ぶことなしには、多数派どころか執行部を維持できない状況を迎えている。これまで左派の拠点と注目されてきた首都におけるかかる状況(大阪、京都は右派が握って久しい)、更に、農村部においては、旧平和同志会、農民同志会等の未分化な連合フラク的状況が崩れ、旧平同は安保粉砕同志会へと転化し、折からの日中正統本部への干渉に反撥し、農民同志会も最近全国フラクションを持って社会党再建委員会を作り、都活、全活を軸に星雲状況が作られつつある。自然発生的結合による、独立社民的状況への固定化の危険性を注意深く見守ると共に没入路線の裏がえしで「こんどは訣別だ!」とする第四インター系諸君の単純飛び出し路線をも止揚し、新興右派連合の帝国主義社民への道に抗する過程をも不断の分派闘争の現実的進行として展開せしめるであろう。社研・協会連合は、その依拠する基盤からの不断の分解の危機を孕むものである。その過程が急速に進めば進むほど右派四派は同伴者を失ってその幻想をはぎとられ、あからさまな反革命分子として労働者の怒りの反撃に会うだろう。われわれに背を向けた以上、社研・協会連合への追撃の手を緩めてはならない。

単産党員協の動向に注目せよ!
「新党」を巡る危険な動向

 要旨は次の通りである。「総選挙の敗北に伴って社会党の再建が論じられているが、再建という言葉はあたらない、新しい党を作るべきである。労働者が自から作る党として本当の同志を結合し、さし当りは社会党に注文をつけ、民社と統一できるような党を作ることである」と。これを裏書きするように、最近開かれた全電通中央委員会は「政治組織委員会」およびその下に「社会党支持委員会」を作ることを決定した。即ち、権利および実力としては党組織と同等であり、しかも、党の拘束力の外に自らを存在しめることにその狙いをもっている。三月に入って京都では全電通青行隊を軸に、支部地本に所属しない「社青同」が公然と作られた。こうして右翼解党は社会党に対しては再編のための解党を行いながら自らは着々と新党の基礎を固め、「左派」がこれまでの路線に固執するなら「日本労働党」を作り「一切の赤字を日本社会党に背負わせる。これまでの路線を放棄するなら包摂してやろう」という攻撃なのである。そしてこれらの動きは鉄鋼の宮田、全繊同盟の宇佐美などと結んで労働戦線統一への最後の課題として「帝国主義社民連合党」の攻勢となり、この片甚新党を突破口として押し進められようとしている。ここで語られる「労働者」とは「労働組合主義者」を指していることは言をまたないであろう。
 今こそ、われわれは労働者とは何かを真正面からかかげなくてはならない。テーゼ、および規約の中ですでに明かにしてきたように行動委員会運動の中から産み出され、社民内の古い桎梏を突破する分派闘争を通して成就して行くであろうと考えている。古い桎梏を突破する活動は、単に組織の物理的解体にとって有効であるからということを意味するものではない。もし、そうであるなら、分派闘争の必然性は立ちえず、「外からの解体」でも可能であるかに見える。
 古い桎梏を、突破する過程は「それが、どこからきており、何によって、支えられているか、どこから解体すべきか、敵はだれか、友はだれか」を知って行く過程であり闘う主体にとっては、いかなる幻想を自ら突破してあるのかを知らしめるのである。


1970年4月10日付
『解放』号外1面より