帝国主義社民への道か? 革命的労働者党への道か?
日本社会党の直面する重大な岐路について

社会党中央の「革労協批判」にこたえる

(一)社会党東京都本都の「革労協批判」の構造

 社会党都本部は、大会議案書に於て、革命的労働者協会(社会党・社青同解放派)の全面的(?)批判を提起した。これは、理論小委員会の提起をうけて、それをひきつぐ形で統制問題へと発展させようとするものである。
 その意気込みは、大へんなもので自己の一年間の闘いの総括などそっちのけで、規約違反をおかしてまでも、革労協を切るために、全国大会前に、都本部大会をひらいたほどである。さて、その革労協批判なるものは、ほぼ、次の諸点にしぼられている。
 第一は、「革労協は、社会党を社民(帝国主義に屈服したドイツ社会民主党と同じもの)だといっているが、そうではない。
 その革労協は、社会党を社民と規定しそれを解体するといっている。これは、革労協が社会党と別の組織であるということを証明しているものであり、革労協は、社会党によって解体されねばならない。」という事である。
 第二は、「革労協は、議会主義(?)を否定している。
 そして、武装したコンミューンによる革命を主張しているので平和革命を主張している社会党とは異なる。」というのだ。
 彼等のこのような「批判」の背景には、言うまでもなく、社青同東京地本のパージ、反戦青年委員会のパージという大衆運動の破壊策動が存在しており、このような大衆運動の中核たる革労協への破壊策動が中心目標である。そして、それは、再三、再四のべられて来たような労働組合の帝国主義的再編に対応した政党の帝国主義的再編の一環なのである。
 つまり、大衆運動としての反戦青年委員会運動、あるいは大衆的青年同盟としての社青同のパージを突破口として社会党の帝国主義的再編を目指しており、その中心的核としての革労協を、「議会主義−平和革命路線ではない」「社民の解体を言っているから−−自分では社会党は社民ではないといっているのに少々論理矛盾があるが−−革労協は社会党と別の組織であり、従って解体されねばならない」というのである。

(二) 社会党の綱領と社会党全国大会方針案を中心とした社会党の現状について

 大会方針案は「党の存亡の危機」感によってかかれている。「激動する内外の情勢と社会状況の変化、および新たなる反動勢力の攻勢に対して党が理論と行動の上で対応しえなかったこと、わが党の危機の実態はそこにあるのではないだろう。」
 「また、党内における発言と大衆に向っての発言のくいちがい、タテマエと本音の分裂があった事はいなめない事実である。」(以上、大会方針案)
 この点については、奇しくも、われわれと社会党中央とは、全く意見を一致させる事が出来る。(但し、そこからどちらへ向って出発するかは別であるが)
 要するに社会党中央は状況の変化に対応出来なかった事、そして「言う事」と、「本心」がくいちがっていた事、この点ではわれわれは、社会党中央の今までのあり方について、彼等自身と意見が一致する。これは、一体どうしておきたのだろうか?
 社会党中央にいる人間は伝統的に人間の性格として、たまたま嘘をつく事が好きな「性格破綻者」が多かったのであろうか?
 もしそうであるならば、それだけで彼等は全部自己批判してやめねばならない。何故ならデマゴギーはプロレタリアにとっては最も反動的なものの一つだから。
 しかし、われわれはそうは思わないのである。おそらく彼等もその点で意見が一致するだろう。
 要するに社会党は、本質的に対立せぎるをえない要素をふくんだ政党であったのだ。
 従って大衆運動の中では、革命的部分に媚びるような「タテマエ」をしゃべり、しかし、党内の官僚の間でお互いに反労働者的な「本音」をはいていた訳なのだ。つまり、労働著階級に対して、市民主義的官僚がそれを従属させる形で党は成立していた。
 この「矛盾」は随所にあらわれる。「労働者階級を中核とする広汎な勤労階級の結合体である社会党は、政治権力をその手に獲得し窮極的にこれを安定化する。」
 「ここに、わが党の階級的大衆政党たる特質がある」
 「……この意味において、わが党は、単なる議会主義に堕してはならない。我々は、院外の大衆闘争・院外の民主的組織が、我々の運動において有する重大なる意義と役割を十分に評価しなければならない。」(以上、綱領)
 この党は、労働者階級を中核とする党であって「議会を通して」「平和的」に、政権を獲得する事を目的としているが、その権力と現実のプロレタリア総体の関係は、一向に明確になっていない。つまり、権力は、一体誰が、どのようにしてもっているのかは、綱領の中では、全く不明確なのである。
 (実は、この点は今度の方針案の中の「プロレタリア独裁の否定」という点で「ハッキリ」する訳だが)
 つまり、現在、社会党の中で進行している事は、戦後二十年間の体制が−−労働者に対する市民主義的包摂の構造が−−「存亡の危機」に直面し、その再編に向って進もうとしているのだ。
 どの党員も、今までのままで社会党がよいとは思っていない。
 今までの構造の破産は、議案書もみとめている。そこに生まれてくるのは、「再編」なのだ。この再編は「革命的再編」か「帝国主義的再編」かの二者択一しかない。つまり「労働者の革命的独立か」、「帝国主義社民への労働者の再包摂か」の二者択一なのだ。
 これは、必然的に分派闘争として出現する。誰もが、現状を肯定してはいない状況で、この現状を勝手に帝国主義的社民の道へかえようとしておいて、それに対決する部分を「反党分子」よばわりするのは笑止千万である。
 今までの党のあり方は、変えられねばならない。それは、単にかわるという事ではなく、今までの労働者階級と市民主義的官僚との関係が破産し、それぞれ独立、純化しようとしているのだ。その過程は日本の戦後の「革新勢力」を支えて来た一、〇〇〇万の労働者人民全体をまき込んでの革命的分派闘争として出現する。我々がこの闘争に実力で勝利しないならば、労働者人民は再び帝国主義社民の中に包摂されてしまう。

(三)「革命的労働者党」の道と「帝国主義社民」の道は、具体的にどのように対決しているのか?

 今大会の議案書の性格は、直接的な大衆運動の次元での問題から言えば、反戦青年委員会運動への敵対が、一つの軸となっている。このことは、単に、反戦青年委員会運動にかぎらず、議案書が自らみとめているように社会党の今までの路線が、「状況にあわなくなってきている」のだ(要するに破産がバクロされたのだ)。それは社会党の政治運動の重要な一つである「反戦−平和運動」の総括とその方向性の上に立てられて行くべき問題なのだ。
 そういう意味で、この反戦青年委員会運動をめぐる問題は、戦後の「反戦−平和」運動の破産−−議案書はそれをみとめている、つまり方針が実情にあわずに、党の存亡の危機に立っているという形で−−をどう総括するかという問題として立てられて行かねばならぬ。それは、現在のベトナム戦争の性格をめぐるものを軸とした論争になって行くだろう。
 更に議案書は、反合理化闘争の「重視」とそれを軸とした労働運動強化を言っている。
 これについても、今までの社会党−総評の反合理化闘争方針が、どうだったのでありいそれがどのように破産し、それをどう克服して行こうとするのかが述べられねばならぬはずである。
 これ等の一切の具体的、実践的総括と方針をぬきにして、「青写真」だの「メニュー」だなどといっていてもはじまらぬ。
 しかし、我々が注目すべき点はこの「青写真」や、「メニュー」の話が、単に馬鹿気た思いつきのみではなく、いわば、あいまいだった社会党の内答がハッキリ帝国主義社民として再編する方向で出ていることである。社会党の綱領は、きわめてあいまいであるが、とくに特徴点は、権力の構造について明確な規定がなかったことである。
 あると言えば、あるようなものだが、言わば、あいまいになったままであった。しかし、今回の議案書は、ハッキリと「プロレタリア独裁」を否定している。
 これは、極めて重要なことである。しかも、プロレタリア独裁についてのスターリン主義的理解がまずあって、それに対して「言論・出版の自由」問題で出てきたブルジョア民主主義の次元からの「右翼的反発」を利用してこのようなものが出ている。
 スターリン主義のプロレタリア独裁は「プロレタリア総体の独裁」を、「党独裁」にスリカエている所に特徴がある。プロレタリア独裁(ソビエト独裁)下においても、複数党が存在する事はあたりまえである。
 一つ一つの局面では.粉砕の闘いが存在するにしても、原則的には、階級が下部構造的に消滅するまでそれに応じた党は存在するのだ。
 また、プロレタリア独裁こそ「労働者的団結−共同性」による支配だから、その中で労働者の個人の全面的発展はなしとげられる。まさに団結を通して個人の自立は推進される。
 「個人」と「全体」が対立するのは、分業(私的所有)の社会においてであって、それを越えて行くための団結が反合理化闘争の中で生まれてくるのだ。
 全く、混乱もはなはだしい。自分のブルジョア的頭の中でスターリン主義を批判しておいて、その批判がブルジョア的なものへのあともどりになっている。
 この種の決定的な問題をもう一つあげておけば、議案書は、「社会主義の計画経済は当然であるが、これに市場メカニズムも活用して計画と競争の調和をはかる」というのである(こんな事は網領には書かれていない)。プロレタリア的団結を否定すれば当然の帰結であるが、「競争」−−これは、分業を前提としてのみ成立する−−を前提とした「社会主義」などというものはどういうものかはあきらかである。それこそ「官僚主義の社会主義」である。
 分業(競争)をこえて行く団結こそプロレタリア的団結の本質なのであり、それがプロレタリア独裁の方そのものなのだ。
 この点も、社会党の綱領では、あいまいになっているものでありそれを今回の議案書はブルジョア的にハッキリさせたものである。言うまでもなく、われわれも社会党の綱領を止揚しなければならないと考える。
 従って現在の綱領でいいなどと少しも思っていない。
 しかし、そのような社会党の中から労働者は出発して来て、その綱領をこえて進もうとしている。一方、右派の議案書は、綱領を更に右翼的に進めようとしている。それは、正面からの対決を通して「解決」されて行くのだ。
 つまり、帝国主義的社民党の道か、革命的労働者党の道かという形で−−。
 われわれはあくまでも内容上の対決を正面から行なって行くだろう。もともと敵対する要素があいまいなまま「ゆ着」していたのがその「ゆ着」の構造が破産して、明確な対立になっているのだから−−。
 しかし、もし単に形式論争のみで綱領にふれるの、ふれないのという事でやりたいなら、そういう自分達も、綱領のワクをはみ出ている事を知っておく必要がある。

(四)革命派に対する矮小な批判を粉砕せよ!

 都本部大会の議案書は、われわれが、議会主義ではないといって批判している。
 つまり、「武装したコンミューン」で革命をやろうとしている事がけしからんというのだ。実は、これは反戦排除の問題につながって行く。反戦や全学連の闘いが暴力的だから、排除するというのだ。われわれは、これと、正面から対決する用意がある。言葉としての「労働者階級を中心とする階級政党」という事と、社会党の官僚が提起する路線が、もともと矛盾しているのだ。従ってこの矛盾の解決は、官僚的に解決するか、あくまでも労働者階級の立場をつらぬいて解決するかで異なってくる。
 前者はわれわれをのぞく一切の社会党内の潮流の解決の方向であり、後者がわれわれの解決である。
 六〇年三井三池闘争の中で労働者は、学年運動よりも、八年も早く大衆的に武装した。三井三池の社会党員は武装しなかったのか? 社会党は、三池の労働者や、党員に武装するなといったのか?
 労働争議を少しやれば、暴力的闘争はいくらでもある事に気がつくはずだ。
 この中にふくまれているものが全面的に発達したものが武装したコンミューンなのだ。
 革命が「平和的」に行われるのにこした事はない。現象的にみれば、一九一七年の十月革命は「平和的」に「出発」した。
 圧倒的に武装したプロレタリア大衆の前に権力が、闘わず屈伏した時、血を流さず、革命はやれる。むしろ中途半端な決起の方が「流血」の事態となる。
 都本部の議案書は、革労協は社民の解体を言っているから社会党と別個の組織であるという。
 今迄の内容によって明らかになったように、われわれは社会党という形で包摂されている労働者階級の階級的自立を目指す分派である。すでに何度ものべて来たように社会党は、対立する要素の「ゆ着」の中で、今迄、つづいて来た。すべての党員が−−議案書も−−みとめているように今のままでの社会党などというものはありようがないまでに破産がハッキリしている。
 右派は、この社会党を帝国主義社民の党へと再編しようとしている。我々は、革命的労働者党へと再編しようとしている。
 この構造の中で、我々を形式的にのみ社会党と別の組織であるという論理を使うならば、「日本労働党」を目指す部分も、社会党と別の部分である。
 この論理で言うならば、現在、社会党員などというものは、「右派」も「左派」も、革命的左派も、一人もいない事になる。
 また、形式のみ言うならば、「社会主義協会」などという「立派な」分派が社会党の中に存在している。
 我々は、社会党の中に現在、存在しており、その社会党の中から、革命的分派闘争をやりぬき、労働者の階級的自立を推進し、「革命的労働者党」を建設しようとしている部分である。
 つまり、社会党の中に現在、存在しており、その社会党の中から、右翼的分派闘争を「青写真」をもってなしくず的にやり、市民主義官僚の統制を強化し、「帝国主義社民党」を建設しようとしている部分の丁度、反対側にいる部分なのである。
 最後に、自己の破産を革労協パージでインペイし、右派ととりひきしようとしている「左派」の諸君にいっておくが、我々を統制問題にかける前に、週刊誌で、自民党との連合政権構想を語っている次期書記長候補(石橋)の統制にでも全力を集中した方が「生産的」ではないだろうか。


1970年4月15日付
『解放』52号2面より