都本部続開大会を全国分派闘争の勝利的出発点とし、全領域の組織化で六月ゼネストへ!

社民分裂期の分派闘争

 労働者階級は独立への党を形成することなしには、独立した階級として自己を形成し得ない。個別闘争の算術加算的な総和によって帝国主義ブルジョア政府打倒の全国政治闘争を突き出し得ないのである。「行動委員会運動の中からの党」と「党を産み出す過程を通して発達したゲリラ戦を闘い抜く」ものとして自己定立してきたわれわれは何故に、四月二〇日からの第三三回社会党大会にかかわったのか? 三度にわたる機動隊導入をもって、帝国の支柱への転化を強行せんとした党中央に対して、これ以上告発・弾劾の必要はないであろう。日本社会党は公然たる分裂の時代に突入したのである。議員−労働官僚−その親衛隊によって構成された戦後最悪の代議員構成で開かれた今次党大会は、労働者人民の普遍的利害どころか、党の利害をも代表せぬものとして構成されていたのであり、日本社会党は自からの大会決定すら遂行できない、過渡的空白状況の中にある。
 「労働者階級の解放は、労働者自身の事業である」と言うことの意味および実現形態・その過程が今日ほど、深刻に問いかえされるべき時期はない。党中央が帝国主義社民への転化の準備を完了し、自らを合同左翼反対派の一翼として規定していた第四インター系諸君の党からの召還が開始された。絶望した党員の脱党が全党的に始まっている。「新左翼」諸派は、社民の帝国の支柱への転化の、即ち、革命圧殺党の登場の事態を見ることができず、「いつまで社民にかかわっているのか」と冷笑するのである。
 だが、その党に労働者が構成されており、膨大な労働者がその党を支持している事実を無視することができず、総評を通しての労働者掌握力はナショナル・センターとしての地位の後退によってますます後退としているとは言え、社民民同がいまだ労働者本隊の支配的傾向を作り出している事実は依然として〈革命的再編〉を不可避の現実的課題と課しているのである。協会両派に見られる〈合法主義〉と「新左翼」の〈召還主義〉に抗して、労働者の階級的自立のための行動委員会運動(民同に向けて)および社民内での〈分派闘争〉を相互媒介的に推進しなくてはならない。行動委員会運動をプロレタリア統一戦線の推進軸にしようとしているように、党内の闘争もまたわが革労協を推進軸としつつも戦列の単純な同心円的な拡大ではなしに「東京都活動家党員会議」(以下都活)、「全国活動家党員会議」(以下全活)の革命的強化を図って行かなくてはならない。

六月決戦と党建設

 分裂時代の突入とは、七月に予定される中央委員会における右派五派の中執辞任、十一月党大会における帝国主義社民派と社共共闘派の分裂をさすものではない。社会党はイデオロギー集団であるより、実利集団である。「統一への良識」が生きながら腐爛して行くものの粘着力としてある。数次にわたる革命的党員の「排除」を通してますます革命から疎外されざるを得ず、その過程で「労働者党」としての生命を枯渇させて、衰退して行かざるを得ない過程に突入したことをこそ示しているのである。
 「三傾向を二極分裂を通して革命的に止揚し、革命的労働者党を建設せよ!」として党大会にかかわり社民内分派闘争の最終局面を断固公然たる闘いとして貫徹しようとしているわれわれは、自からを〈見える党〉として定立し、社民民同に対する反パツ力や、〈脱党衝動〉をも組織しつくし、特に左派的幻想をふりまく協会両派の挑戦に断固たる反撃と鉄ツイを加えなくてはならない。この過程で左派党員のプロ統派への飛躍を勝ち得なくてはならない。都活、全活のフラクション的限界を突破させ、「春闘沖縄実行委員会」の六月行動組織への発展を勝ち取り、闘争の地区反安保実行委員会の奪権と連合化を推進しなくてはならない。個別課題別の行動委員会の組織化とその地区プロ統的結合、さらにこの結合と発展のための〈地区活〉の組織化を推進しなくてはならない。特に拠点工場の同志は「社会党○○職場支部」としての〈ボルシェビキ化〉を達成しなくてはならない。
 かかる活動は、六月闘争を準備する不可欠な課題であるばかりでなく、工場からの反乱を地区ソビエト的に保証して行くプロレタリア統一戦線の任務であり、生産−消費を貫く労働者総領域の闘争の発展を基礎に、労働者が個別の闘いを突破し、〈労働者の普遍の課題に向けて自からを組織者とする党への結集〉従って〈階級としての自己形成のための〉不可欠の条件である。
 われわれが〈工場からの反乱〉を〈工場の党〉と言うとき、組研グループ(藻谷)の自閉した前衛主義(実際は個別の限界を突破し得ない)を他山の石としなくてはならない。かの長崎社研すらが全国党派との交通のうちにしか突破の環を見い出せず、大阪中電の深刻な分裂、わが東交労働者の分散状況を冷徹にとらえかえさなくてはならない。第二回全国反安保労研、全国行動委員会連台(準)を勝ち取ったわれわれは〈地区工代〉−〈地区プロ統〉−〈地区活〉への歩みすなわち〈党〉と〈ソヴエト〉への歩みを六月ゼネストヘの鉄火の中で鍛えあげなくてはならない。

インドシナ人民抑圧戦争−アジア会議−アジア太平洋圏安保第二弾攻撃を阻止せよ!

 全インドシナ人民抑圧戦争の進行の中で、反革命階級同盟の条約的保証である安保粉砕をかかげて闘うことは、革命運動の国際的結合の重大な闘いであり、アジア太平洋圏の産業再編、この搾取と抑圧の兵営的工場制度に対する闘い、そして工場からの反乱は、ますます死をも賭しての闘いと言う局面に突入せざるを得ないだろうニクソン・ドクトリンの拡大を余儀なくされた背景にはタイ、ビルマ、東パキスタン、西ベンガルでの第二戦線の拡大、インドネシア、フィリピン階級闘争の前進、なかんずく、インドシナ半島諸国が反帝同盟を結びつつあることへの恐怖である。それはもとより一国革命の総和としての、反帝ナショナリズムの限界を色濃くもっており、プロレタリアは成熟とともにそれを突破すべき桎梏と感じざるを得なくなるものではあっても、アジア太平洋圏の形成と真正面から衝突するものである。
 ニクソンは今、インドシナの軍事制圧と、他の極東地区の繁栄のための一層のドル流出を迫られる局面の中で苦悶しており、十五日からのアジア会議は、日米共同声明につづく、アジア太平洋圏安保への第二弾攻勢でありて、かかる実質上の安保再改訂を阻止し得えず、安保廃棄を口にするものは、「機動隊の導入に賛成しつつ、プロ独否定反対!」などと叫ぶ向坂協会と変るところがない。

帝国のもとへの党の死滅か、革命の党への前進か!

 われわれはかかる課題に答えず事態収拾の大会として開くことを許すものではない。大会は都本部執行部の階級的裏切の糾弾によって大会開催不可能になったのであって、不可抗力や、〈ヘマ〉などではないのである。執行部が、東京都本部続開大会はインドシナ人民抑圧戦争と安保の〈アジア太平洋圏安保の再改訂〉を阻止し、安保廃棄を勝ち取る方針の確定のための大会として開催すべきである。破産した議案を再び持ち出すなら、それによって引き出される事態は執行部および執行部支持派の責任である。
 わがプロレタリア統一戦線派は断じてこれを許すものではない。かかる事態が一片の階級的反省もなしにくりかえすなら、党官僚が「排除した」あるいは「除名した」と回状を廻そうとも、戦後社会党を批判的に継承した新たな革命的な社会党が公然と登場して、諸君の小市民的仮死状況にかわって、労働者党の真の意義を体現するであろう。
 10・11月闘争は確かに諸君の裏切りを許した。だが、6月闘争から諸君の逃亡を許すものではない。あらため弾劾するまでもないことであるが事態がどのように進展しようと、職場・地域で苦闘する下部党員との同志的結合をますます緊密化して行く努力を一瞬たりと言えども放棄するものではない。分裂させられた社青同東京地本が全国の同志に対して行ったとまったく同じ態度を堅持するものである。党官僚のインドシナ人民抑圧戦争反対闘争および六月闘争の指導放棄に対しては、ただちに地区闘争組織または職場・地域の実行委員会で闘うことを呼びかけ、この闘争の全都・全国結合を促進させ発展させる条件を公然たる大衆闘争として作り出そうとしていることを表明するものである。
 五月三十日の品川公会堂におけるわが革労協政治集会は、全革命的党員および革命的労働者の前に開かれており、資本主義の兵営的工場制度を基軸とする搾取と抑圧に抗して闘うものの、諸要求を佐藤帝国主義ブルジョア政府打倒のゼネストヘと結合させるために開催されんとするもので、一切の建設的批判を恐れず、自己批判をバネとして不断に発展するプロレタリアの政治集会として〈党〉と〈ソビエト〉の現段階的形成を六月ゼネストの不可欠の事業として断行するものである。
 今や、われわれの課題は、槍の尖端部分のように工場制度の諸矛盾およびそれを通してのアジア太平洋安保を、反合・反戦を両極とする社会・政治闘争の相互媒介的推進として闘い抜いてきたが、この闘争の一層の深化拡大のためにも、物価、公害、税金、住宅等の消費生活の中での社会的政治的諸矛盾に対する闘い、職場の日常の諸問題を工場制度との関連からプロレタリアートの〈シビルマキシマム〉を美濃部都政の如き去勢されたものではなく突き出であろう。
 「この闘争は重要であるにもかかわらず数人しかとり組んでおらずそのために入党したが党はとりあげてくれなかった」と嘆く膨大な党員の不満を耳にしつつも闘争基軸の建設のために取組めなかったわれわれは今こそ、かかるすべての諸要求をプロレタリア統一戦線の下に結合する作業を開始しなくてはならない。
 「革命期において人民のかかげるスローガンに余分なものは何一つない」と言うのは真理であろう。もはや耐えがたくなった抑圧の下で、もはや耐えがたい生活を告発するとき、重要なことは「その要求が、どのような発展過程を通して、どごへと導かれて行くか」と言うこであろう。
 定立されたかに見える路線が、現実の闘争によって改正補強されざるを得ないであろうが、わが分派闘争は、路線の定立とも言うべき第一段階を突破して、今、第二段階の〈党〉と〈ソビエト〉に向ってのプロレタリア統一戦線として、行動委員会の工場内委員会としての一層の定着(スト実を通して)と地区評議会への発展、この発展の不可欠の条件として実現された党としての公然化と闘争系列による横断化、大衆化を勝ち取らなくてはならない。従って実現形態から〈党〉を規定するとすれば「新しい社会党による古い社会党の革命的再編」の時期への突入と言うことができる。社青同中央委員会、五、六月闘争、七月社会党中央委員会、総評大会、そして十一月社会党全国大会、と、60年以降の全成果が問われる決戦的段階に突入したのである。
 一切の調停主義、単純訣別主義を超えて、闘争条件に応じての生きた組織化と、〈党建設〉への集中をもって、社民・民同の逃亡をファシストの組織的基礎固めの時期としてではなく、労働者階級の飛躍的前進を準備するものとしなければならない。


1970年5月1日付
『解放』53号4面より