革命的労働者党への衝動を孕んで分派闘争を闘いぬけ
帝国主義社民粉砕! 新中期路線粉砕! 社会主義協会(向坂派)解体!

革労協社会党委員会

 一〇月一二日の社会党中央統制委員には「一二名の東京都本部統制委員会の除名処分を追認する」という決定をおこなったもようである(除名理田の作文のところで若干の対立があり、公表が遅れている)。ここには一一月全国大会へむけて、江田、佐々木の対立を孕みつつも、結局のところ勝間田派・中間派的な集約をもって帝国主義社民化の急カーブを切り“反戦、都活、革労協パージ”を貫徹せんとする意図が読み取れる。帝国主義的工場制度の発達は反帝社民の社会的基盤崩壊を通して帝国主義社民と革命的労働者党へと二極への分解傾向をもって進む。わがプロレタリア統一戦線がやり遂げねばならないことは、この二極分解の傾向をば、行動委員会の地区的結合をもっての現在的ソビエット運動と、社会党、社青同の分派闘争とを相互媒介的に断固としておし進めることだ。そして、このソビエット運動と分派闘争の相互媒介的同時的推進は、七二年沖縄解放闘争への鉄火の坩堝をくぐり抜けることによってのみ革命的労働者党を産み出たすことができるのだ!

(一)社会党全国大会への動き

 反帝社民への旗振り人江田三郎は、労働戦線の右翼的再編を慎重ににらみながらも、七二年“日本労働党”(宝樹構想)への布石を打ちつつある。江田は、日共の社会党への触手を振りきりつつ、民社・公明との野党連合を進める展望をもつ政権にありつける西欧型社民とそれの基盤としての“反独占国民戦線”を構想する。この構想の上に一一月社会党大会では負けても損はないと踏み委員長に立候補し、反帝社民に乗った成田と対立するであろう。
 江田の政権にありつける社民党と国民戦線の内実は、右翼的労働戦線と、市民主義的“市民運動”を物理力とする“革新自治体首長”の数をふやすことの二本柱とする。この路線は、すでにマルクス主義と訣別した一九五九年の西ドイツのゴーデスベルク綱領が採択されてのち西ベルリン市長ブラントを先頭とする“革新首長”と右翼的労働戦線によって政権にありつけることを可能にした実績をもち、江田らにとってすこぶる魅力あるものなのである。
 ところで、江田の委員長実現阻止に執念を燃やしている佐々木派(社研)、協会(向坂)派などの“反帝社民”はどうであろうか? 今や彼らは江田ら帝国主義社民の攻勢に押しまくられ反帝社民という呼び方さえはばからざるをえないほどだらしのない存在になり果てつつある。往年の“左翼バネ”は無いのだ。むしろ、今年の都本部・全国大会で“反戦、革労協パージ”を率先して成しとげた彼らは自ら“左翼バネ”の基盤をぶった切ることで急速な凋落を経験しつつあるのが実状である。
 “反戦パージ”に度を超してやり過ぎたと感じ“機動隊導入は誤りであった”という全国社研会議で確認をした時には、すでに東京の社研は分解して協会(向坂)派と右翼的議員集団の利害集団である“六日会”に権力は移り、“六日会”は江田派と蜜月関係にすべり込んでいたのだった。一一月大会で一割の代議員をもっている東京が、かつての圧倒的社研派代議員から中間ないし江田派系ヘその勢力が逆転しそうな現在、曽我組織局長らは目の色を変えて東京杜研(曽我派)の再建に奔走している。一方、協会(向坂)派は曽我に対抗して別の社研づくりを進め曽我派と協会(向坂)派は、陰微な対立をくりひろげている仕末だ。
 一〇月一三日ひらかれた全国社研の全国代表者会議(総会)ではこの“反帝社民”の骨抜きぶりが遺憾なく発揮された。すなわち“新中期路線には賛成である”ということを確認したというのである。
 旧民同左派秩序と農民など旧中間層の急速な分解没落過程のなかで、それらに基礎をもって五〇年代の“左翼バネ”を発揮してきた“反帝社民”の頭部は、反帝民民(日共)と同じく、疎外された意識の内部で疎外そのものを見ることができず、方向喪失に陥り、帝国主義社民に対しては惰性的に反発を繰り返えすが、結局のところ吸引されざるをえないのである。江田と成田の委員長争いなどという芝居は“新中期路線”という舞台でやられ石橋正嗣(自衛隊段階解消論=実質は温存論の政策提起者)を書記長にすることに両者賛成というに至っては勝間田的な中間集約の見えすいたつまらぬものでしかない。彼らの方向喪失と分解過程のなかで、彼らの影響下にある大衆を解放することができるのは帝国主義工場制度のもとその解体的作用によって最も精神的・肉体的苦痛を“受苦”しているプロレタリアートとそれが“熱情”をもって突き出す“革命的労働者党”の実践によるほかない。なぜなら、このようなプロレタリアートのみが疎外を疎外そのものとしてつかむことができる存在だからである。帝国主義社民、反帝社民そして反帝民民の階級的基盤は新旧中間層=小ブル層にありしたがって現実を科学的に根底的に把握することができないのに対してプロレタリアートとその団結と共同性こそは現実を唯一根底的に、したがって料学的につかむことを可能とし、それ故に、現実を革命的に変革することができる階級主体なのである。(江田論文と協会向坂派批判については詳しくは近刊『解放』誌二号の堤十郎論文を参照されたい)

(二)“新中期路線”による反動的収拾策動を許すな!

 社会党中央執行委員会は今年九月“一九七〇年代の課題と社会党の任務−新中期路線−(第一次草案)”通称“新中期路線”を発表した。
 この“新中期路線”の性格の特徴点は帝国主義社民の反共国民戦線路線と反帝社民の社共国民戦線路線の妥協・折衷のごたまぜであり“反独占・反自民の国民戦線”に基盤をおく“全野党共闘”の“国民連合政府”によって“安保廃棄を通告”をするというものである。この路線は、新旧中間層に基盤を置く、まぎれもない右翼小ブル路線である。プロレタリアートの共同・団結による独立を基軸に他の小ブル諸階層をプロレタリア的に秩序づけつつ帝国主義ブルジョア政府打倒−労働者革命への階級的統一戦線とその政治社会革命路線とは明確に敵対するところのプロレタリアートにとって解体・粉砕さるべき対象である。
 このような基本的性格を抑えた上で、いくつかの特徴点をその内容に則して指摘しよう。
(1)プロレタリア統一戦線を消さんとする「国民戦線」
 第一には、一九六四年にだされた「日本における社会主義への道」と六八年の「中期路線」(=七〇年闘争路線)を引きついで出されたのが「新中期路線」であるが、驚くべきことは「七〇年闘争路線」の総括なしにこれが出されていることである。「七〇年闘争路線」では、“安保廃棄通告の政府”をつくって“七〇年安保を廃棄する”という方針が出されていた。日米安保体制は今年六月二三日をもって“自動延長”されたという事実から、当然、路線の敗北または破産の総括がなされるのが労働者階級人民に対する責任ある最低のことではないか。総括抜きの方針提起などということは党員に対しても大衆に対しても無責任きわまる態度というほかはない。もっとも“総括”と称してさまざまな状況に、“対応できなかった”とということを指摘するだけであり、根底的な総括というものではありえない。ここに疎外された意識で疎外された事象の表面をなでまわす見本がある。
 第二に、「後退から反撃と前進へ」と項を起して、「七〇年代闘争」は「帝国主義復活と軍国主義化の危険、国家生活と人間性の破壊」の攻撃と「中立・非武装と人間性と民主主義に基く平和と繁栄」による防衛という対立構造を彼ら疎外されっぱなしの頭脳の中に描きあげた上で「勝利の鍵」を提起する。それは「労働戦線の統一強化」、「地域住民闘争」、それと「革新諸政党」との「共同闘争」による「院内における民主的多数派の結集」を中味とする「独占資本とその政府・自民党に対決する」「国民戦線」の成否にかかっている、という。
 ここには小ブル中間主義者の凝縮した“イデオロギー”と政治路線が語られている。「国民戦線」なるものは、労働者階級の政治社会革命=労働者革命への衝動をもった全運動をねじまげ、抑圧し、
簒奪しつつ消そうとする路線である。ここでいう「平和と繁栄」とは資本とその国家権力の秩序を突き破らんとするプロレタリアの運動に対しては“労資協調”と“社会福祉”をもって秩序内に繋ぎ止め、したがって資本のもとへの隷属をブルジョアジーに代わって強制するものなのである。
 帝国主義工場制度の今日の改編過程というものは、日米安保体制をアジア・太平洋圏安保・反革命階級同盟の展開を突き動かし、労働者階級人民をしてブルジョア秩序の最後の醜悪な全有産階級を警護する反革命=ファシズムに完全に敗北し屈服することによって帝国主義的再編を許し血の海に溺れさすのか、それとも労働者階級のコンミューンとしてのソビエット運動をもって政治社会革命=労働者革命による労働者政府の樹立か、という戦後第二の革命期のなかに投げ込んでいるのだ。小ブル派の路線は、この“新中期路線”のように“プロレタリア統一戦線”をもっての労働者革命にとってその阻害者となり果てるのである。右翼小ブルは明確な敵対者であり左翼小ブルも労働者革命への桎梏者へと転落する傾向を孕むものだが、当面は部分的な足引っぱり者としての役割りを担う。
 第三には「国民戦線」の中味についてである。さきの全国社研(佐々木派)の全国総会では、労働戦線の統一問題について“新中期路線”が「階級的・民主的統一のためには、資本からの独立と戦闘性、全労働者の統一と未組織労働者の組織化」という文句が入っているから賛成であるということを決めたと言われている。全くのところお笑い草である。こんな文句ならば江田論文でも「戦線統一の努力のなかに資本の介入を許してはならず、統一はあくまでも自主的主体的でなければならない」とし「零細企業の底辺層労働者との連帯性」と書いているのであるから、全国社研の諸君も江田との違いはないではないか、岩井総評前事務局長は統一のための四原則のなかに“戦闘的”労働運動という言葉を入れてJC派と区別立てをしようとしたのだが、JC派のボス連中も岩井提案の四原則に賛成であるとして積極的に総評四原則を活用しつつあるという事実のなかに、言葉としての“戦闘的”とか“資本から独立”などと書いてみたところで結局のところJC全民懇の後追いでしかないのだ。
(2)帝国主義軍隊尻押しの「国民警察隊」論
 第四には市民運動を物理力とした革新団体とは何なのかということだ。美濃部の東交、東水合理化、機動隊増員の承認、屋艮の二・四ゼネスト抑圧と中城湾域三ヶ村民のコンビナート建設反対運動圧殺、そのネタ本が飛鳥田公害政策(企業との頂上取引き路線)などは日共・ブルジョア政府の小ブル的補完物体制の安全弁でしかない。
 第五には「形骸化しつつある議会制民主主義回生」とは日共の「国会の民主化」と同質のものであり全くのブルジョア議会主義のつっかえ棒の役割りを果すことでプロレタリアートの労働者革命への運動を抑圧する口実でしかない。
 最後に指摘しておかねばならないことは「自衛隊」と「安全保障」についてである。これは社会党の「非武装・中立」の核心をなしている。自衛隊について「直接侵略に対処する目的をもつ違憲の自衛隊を国民警察隊に切替え@そのときの革新政権の安定度A自衛隊=国民警察隊の掌握度B平和中立外交の進展の度合C以上と関連する国民世論の支持の度合の四つの条件を勘案しながら漸減し非武装化をはかっていく。」ということである。
 ごの内答は自衛隊を“国民警察隊”に名称変更しても階級抑圧軍隊という本質において何ら変らないということなのだ。帝国主義ブルジョア政府の暴力装置=軍隊・警察は、プロレタリア自身の武装によって解体されるほか“非武装化”などできるはずもない。
 この四条件の“度合い論”なる珍論は石橋正嗣代議土が私案として出し、数年前の全国大会で葬られたものなのである。この案に最も強く反対したのは全国社研=佐々木派であったのに、数年をまたず、この案に賛成し、帝国主義社民に屈服してしまっている。
 この石橋が次期書記長に据ることに江田派はもとより、佐々木派は反対しないもようであることは、いよいよもってこの屈服の具体的証しでなくて何であろう。
 安全保障は国連に守ってもらい安保条約は革新政権によって通告すると同時に、「日米相互不可侵条約」を結び「中ソ朝との同様の条約をつくることにより個別的ないし集団的平和保障条約を形成してゆく」とある。この“通告論”も日共と同質のものだが漫画的幻想というほかはない。安保条約の破棄は一片の通告でできるようなものではないで労働者政府の実力樹立によってのみそれは可能なのだ! 労働者政府の樹立そのものはアジア太平圏における日米を中心とする反革命階級同盟の破棄であり、したがって日米安全保障体制の打破の宣言となろう。
 沖縄解放についていうならば、「沖縄返還」または「奪還」論という民族主義的七二年返還論とそれにもとづく国政参加選挙という欺瞞的方策によって解放されるものではなく沖縄の労働者階級人民じしんのソビエット運動による解放が、本土労働者階級のソビエット運動との階級的連帯によってのみ果されるのだ。“新中期路線”では「七二年の沖縄返還」は「東アジアの平和基地としての沖縄の経済開発を推進する。」としているが、これは、まさしく日本帝国主義のアジア太平澤圏の産業再編に対応した“前進基地”たらしめようとしていることであり、日本帝国主義者の狙いと同じものではないか。
 全国社研の中には協会(向坂派)がその右翼的一角を占めている、協会(向坂派)は、“日本における社会主義への道”という議会主義、組合主義を中味とする、“平和と民主々義”への“平和革命路線”を原則的に支持し、その上で六八年の“中期路線”を主体的に担わんとした部分であった。そして、その当然の帰結として、“新中期路線”をも支持するであろう。
 このような中間主義的であり、かつ帝国主義社民化に道をひらく“新中期路線”を支持する協会(向坂)派とは一体何者なのか? それはまぎれもなく帝国主義社民の同伴者たらざるえない。彼らの最近の“軍事方針”にもとづく、ゲバ棒振りまわしによる、わがプロレタリア統一戦線への敵対は、帝国主義社民かそれともプロレタリア統一戦線かという二者択一を迫られ崩壊の危機に立った民同左派、講壇社会主義者の小ブル的恐怖の表現でしかない。そして、彼らは全国社青同指導部の崩壊のなかで最も醜悪にその幻想的権力にしがみつさ自己保身に凶暴な情熱を燃やすのだ。

(三)“小ブル社会主義者”協会(向坂派)を解体せよ

 帝国主義社民に同伴する醜悪な“小ブル社会主義派”としての社会主義協会(向坂派)についてさらに触れておこう。
 社会主義協会(向坂派)が多数派であった社青同中央指導部は、さる七月の中央委員会において総括方針が否決されたことと、そして反戦派執行委員全員の辞任によって執行部の半数を割り事実上崩壊してしまった。ところが、社会主義協会(向坂派)の九名の残留執行部は、指導部としての崩壊を認めようとせず居直りを続けているのである。それも、もし社青同中央指導部の崩壊を認めるとすれば、協会(向坂派)の唯一の大衆組織の崩壊を認めることになり、急速に彼らの組織的基盤は崩れ去ってしまうことになるからである。もうすでに、彼らの、社青同中央指導部の多数派を誇ってきた過去数年の過程は反戦青年委員会の登場、そしてより労働者階級の深部から突き出されてきた行動委員会運動の登場によって彼らの依拠する民同的社会基盤の解体の過程でもあったのである。社青同中央の崩壊は実はこのような過程の結果にすぎぬものなのだが、彼ら協会(向坂派〉にはこの冷厳な現実を直視することができない。したがって、彼らはもう一度工場制度の根底から運動をやり直して出発するという唯一の彼ら自身を救うと同時にブロレタリアー卜として発展を遂げることのできる道を自ら閉ざしてしまうのである。
 そして、彼らは、没落せんとする小ブルの危機意識をむき出しにプロレタリア統一戦線を敵視して「軍事方針」をたて、持ちなれない棍棒を振りまわすのである。
 そして、旧い民同の組合主義的秩序と社民の議会主義的秩序を“平和と民主主義を守れ”という色あせた小ブル平和主義者の旗を掲げることによって帝国主義社民の尻押しに汗を流すのだ。
 彼らは、一一月三〇日からの第三四回社会党全国大会においては“社会党を守れ”と称して、社会党の帝国主義社民化の完成に手を貨す先兵となるにちがいない。帝国主義社民の深化を粉砕せんとよるわがプロレタリア統一戦線に対して敵対することをもって、彼ら協会(向坂派)は、崩壊した社青同中央指導部の体制を帝国主義社民と民同組合主表者の支援のもとに建て直そうという、あさましい魂胆をその胸中に秘めている。
 彼らと、彼らのもとに囲い込まれている若き労働者・学生諸君を解放するには、わがプロレタリア統一戦線の力をもって彼らを解体するほかはないであろう。
 当面わがプロレタリア統一戦線に敵対してくる社会主義協会(向坂派)について彼らの路線を明らかにし、その小ブル社会主義の本質を暴露しておかねばならない。
(1)“一国社会主義路線”に無自覚
 協会(向坂派)の“革命路線”は彼らの『社会主義協会テーゼ』のなかに全面展開されている。その路線は「平和革命路線」というものであり、それは主要には一国社会主義、議会主義そして組合主義によって構成されているといってよい。
 まず「平和革命路線」の国際的国内的条件が備わっているとして国際情動をつぎのように分析する「かくして社会主義の世界体制の強化、発展、帝国主義諸国における労働者階級のインターナショナリズムの成長、アメリカの経済的政治的威力の退潮、世界における平和運動の拡大強化、このような国際関係の発展は各国における社会主義の実現を容易にし、わが国における国家権力の平和的な移行の一般的な条件となる。」(協会テーゼ)
 この分析について問題なのは個々の問題と、この分析の方法論についてである。
 まず個々の問題について簡単にふれてみよう、
 「社会主義の世界体制の強化・発展」という認識は彼らの今日のソ連邦無条件支持の根拠となっているものである。この根拠は二つの事実をもって崩れ去る。一つは一九五六年のポーランドとハンガリの両「社会主義国」における労働者人民の反乱→労働者権力への衝動をもっての闘争が、ソ連軍の虐殺による“労働者革命”の圧殺という血ぬられた歴史のなかに、今日の“ソビエット連邦”なるものが実は“コンミューンとしての”ソビエット”とは無縁の労働者階級に対する官僚的抑圧の構造をもってその支配を貫徹している、ということである。二つは戦後のソ連を中心とする東欧の経済的分業によって、その商品の弾丸が、一国社会主義路線”に貫徹された東欧経済体制を解体しつつ資本制秩序のもとに包摂しつつ進行する過程のなかで、一九六八年夏チェコスロバキアの西欧との接近に対して、ソ連は武力をもって弾圧することによってしか、それを止められなかった、チェコをはじめ東欧の“社会主義諸国”の西欧資本主義への接近に対して武力をもって恫喝する当のソ連そのものが、実は西独との提携へ向い、また日本ブルジョアジーとの共同でシベリア開発の大計画を進めるのである。ここには、強力な商品の弾丸の前には“一国社会主義路線”は切り崩され資本主義に包摂されざるを得ないことが明らかとなっている。
 協会(向坂派)はこの冷厳な事実を見ることができないのだ。
 また「帝国主義諸国における労働階級のインターナショナリズムの成長」とは一体何なのか? “一国社会主義路線”にもとずく“ソ連邦支持”のインターナショナリリズムなのか。ここには、マルクスが一八六四年に書いた「国際労働者協会規約の考慮の基礎」の全文に表明されたインターナショナリズム、そしてまた、一八七一年のパリ・コンミューンに現実に突き出された真の労働者階級の国際主義が、彼ら小ブル社会主義者によってまたもや踏みにじられていることを示している! ここには、また、マルクス去って後、国際共産主義、労働者運動の歴史のなかでコンミューンの原則がふみにじられ、したがって労働者階級のインターナショナリズムが蹂躙されてきた痛苦な歴史的総括はない。
 「アメリカの経済的、政治的威力の退潮」ということで、アメリカ帝国主義は崩壊しつつあるとでもいうのであろうか。アメリカ帝国主義はたしかに経済的危機に直面しているかに見えるが、実のところ全世界のブロレタリア革命への国際的反革命的抑圧同盟の盟主としてその政治的経済的再編のイニシアティブを握りつづけ、国際的なブルジョア反革命=ファッシズムという密集した団結の中心でありつづけていろのだ。彼ら協会(向坂派)は、国際的なプロレタリア革命と反革命の現実の階級闘争が見えないのである。
 「平和運動の拡大強化」とは、小ブルの平和へのお祈り運動なのか。プロレタリアートにとってブルジョアジーとの“平和”はありえない。無力な小ブルの“平和運動”のもとヘブロレタリアートを繋ぎとめておくことは、資本の鉄鎖のもとへの隷属関係の隠蔽いがいのなにものでもない。プロレタリアにとってはブルジョアジーと食うか食われるかの日常不断の闘争と、この階級闘争の延長としての階級抑圧反革命戦争に対しては労働者革命をもって答えるのだ。
(2)現象論的把握
 このような分析の方法論とは何なのだろうか。それは小ブルによって生み出される形式論理であり個々の目に見える現象を本質においてではなく、現象それ自体としてバラバラにしてとらえるものである。この特徴的な例は、一九三〇年のソ連邦共産党第一六回大会におけるスターリンの政治報告に見ることができる。スターリンは“現下の政治矛盾の構造”として“@帝国主義と帝国主義の矛盾A戦勝国と敗戦国の矛盾B帝国主義と植民地主義の矛盾Cブルジョアジーとプロレタリアートの矛盾D資本主義国とソ連邦との矛盾、というように分析してみせたのであった。この分析は実践的にはどのようなものであったであろうか。それは、その前年の一九二九年七月に開かれた第一〇回プレナム(第三インター拡大執行委員会)においてマヌイルスキーの報告によって定式化された“社会ファッシズム論”をより鮮明に突き出すものとして提起されたのである。
 知られるように、この“社会ファシズム論”なるものは、ドイツ共産党の頭をしめつけ、社会民主党を主要打撃の対象とし、つまりファシズムの手先は社会民主党であるということからナチよりも社会民主党攻撃に全精力を傾注した結果、ファッシズムの勝利を保証しドイツプロレタリアートをかの第二次帝国主義戦争の血の海に投げ込んだことの原因ともなっている。
 ドイツプロレタリアートのファシズムに対する完全な敗北ののちこの“社会ファシズム論”は取り下げられ“反ファッショ統一戦線”という“人民戦線論”が、コミンテルン第七回大会(一九三五年)ブルガリア共産党のデミトロフによって提起された。
 このデミトロフの“人民戦線”も全世界の共産党の“統一戦線戦術”として普遍化されたのだが、それは“神を信ずるものも信じない者も”という言葉に象徴されるように、ブルジョアジーもプロレタリアートも共に手を取り合ってファシズムに対決し“祖国”を擁護しようという、いわばプロレタリアートの階級としての独立を抑圧しつつ小ブルの“祖国擁護闘争”に包摂させ平準化させる反動的な内容をもつものであった。
 “社会ファシズム論”が極左方針とすれば“人民戦線”は右翼的方針といえよう。
 ここには、ブルジョアジーの私有財産擁護の醜悪な最後的国家権力としてのファシズムを打倒する“労働者革命”の階級主体としてのプロレタリア統一戦線は消し去られているのだ。
 まさに、スターリンの個別的現象的なのっぺらぼうな現状認識は実は帝国主義的工場制度の発展がもたらす破壊的作用がブルジョアジーをファシズムヘ、そしてプロレタリアートを労働者革命へと押し上げ、最後の階級対階級の決着を迫る革命期に突入するという資本制社会のダイナミックな過程についての本質把握を欠落させていることからでてくろのである。
 このように、スターリニズムとはかくのごときプロレタリアートによる根底的把握を得さしむるところからではなく、小ブル社会主義者の疎外された形式論理によって現状を眺めまわすことによって立てられた戦略戦術をいうのである。
 協会(向坂派)の世界的事象のあれやこれやの現象把握は、日共と同じく、科学的認識の根拠であるプロレタリアートの感性をもってではなく、小ブルの疎外された意識を一歩も超え出ることのできないところに要因がある。
 このような小ブルとしての把握は協会(向坂派)に止まらず、日共社会党そしてフルチョフの“平和共存路線”に共通しているものなのだ。
 ただ、社会主義協会(向坂派)
こそ正真正銘の“小ブル社会主義者”の典型であり、プロレタリア的団結にとって有害であるから、わがプロレタリア統一戦線は彼らの思想的、実体的解体を徹底的にやりとげねばならないことを表明するに止める。

(四)革命的労働者党への萌芽を突き出せ!

(1)社党全国大会へ総結集せよ!
 帝国主義社民への改編と進化を遂げんとする日本社会党は来る一一月三〇日から三日間、東京都下九段会館で第三四回全国大会を開く。
 マス・コミでは江田一派を中心とする右派と、左派の佐々木派で対決する様相をもって突き進んでいるように書き立てられはじめている。
 すでにのべたように、一一月社会党全国大会は、マス・コミのいう左右の激突ではありえない。たしかに帝国主義社民と反帝社民の部分的対立を含んで進行してはいる。しかし、それは“反独占、反自民の国民戦線”という新中期路線によってプロレタリア自立の運動に敵対する方向において共に突き沈みつつあり、したがって、われわれは社会党総体を対象化しきって、その解体再編−二極分解を押し進めなければならないのだ。
 この十年のあいだ、行動委員会運動をもって階級的労働運動の再生を現在直下に進めることに基礎づけながら、社会党、社青同の分派闘争を闘いに闘い抜いて来たのは、わがプロレタリア統一戦線のほかにはない。
 いま、全国の、いな全世界のプロレタリアートが日本の階級闘争と社会党の再編に注目している。
 わがプロレタリア統一戦線の分派闘争は、この社会党の再編過程のなかで現実に浮び上がらざるを得ず、そして歴史的な闘争として位置づけざるを得ないものとしてあるのだ。
 新左翼の一部には社会党、総評は自然に崩壊するものと思い込み彼らとは関係ないものとして映っている。しかし、彼らがいかに観念の中で社会党−総評を消そうとしても現実には消すことができない。一旦職場に身を置けば、社会党−総評、そして日共はプロレタリアートの自立し運動に現実に敵対して立ち現われるのだ。
 しかも、社会党は、今や、七〇年安保発動のもと帝国主義社民として、いっそう露骨なプロレタリアートに対する梏梏として再編されんとしていることから目を背けることはできない。
 人間は現実の格闘をすり抜けて前へ進むことはできない。
 プロレタリアートの現実の格闘とは資本の権力との格闘であり、同時に資本の権力と癒着した社民スターリニスト官僚どもとの現実の格闘を抜きにしてプロレタリアートは解放への道を進むことができない。
 新左翼諸党派の諸君はプロレタリアートを云々するが、現実の社会党における分派闘争の蓄積をもたない。彼らがこの分派闘争の意義を、手がかりが無いからといって消そうとしても現実の運動では消すことができないのだ。だから彼らは、わがプロレタリア統一戦線の分派闘争を内心強い関心をもって注目せざるを得ないのである。
 もとより、われわれの分派闘争とは、われわれの党派的利害という狭い量見でもって進めているのでもなければ、他党派への優位性を云々するためにかかわるのではない。われわれの分派闘争は現実のプロレタリアートが限界づけられた階級的未成熟性のなかにあるとはいえ、またその故に社民、日共のもとへのプロレタリアの隷属から、階級としての自立・独立・解放の運動の一環として闘い抜くのである。
 したがって、われわれは、社会党の帝国主義社民化はプロレタリアにとって粉砕さるべきものとしてその貫徹にむけて持てる一切の力量を傾注して闘い抜くのである。
 第三四回社会党全国大会に対して、わがプロレタリア統一戦線はプロレタリア運動の前進にとって避けられない重要な節となる闘争として、持てる全力量を傾けて闘い抜かねばならないのだ。そしてわれわれは社会党の帝国主義社民化粉砕に向けてすべての労働者、学生の結集を呼びかけつつ公然たる。そして大胆な闘争を展開する。
 この分派闘争をくぐり抜けることは、日本プロレタリアートの階級的歴史性を継承し、発展せしめることによって革命的労働者党の萌芽を突き出し鍛えあげることなのだ。
(2)三スローガンを突き出し貫徹せよ!
 一〇月二〇日の目黒総支部大会に対して都本部及び統制委員会と称する今一派(=協会《向坂派》と右翼的議員集団の癒着した六日会派)は、都活系指導部と目して当該総支部解散と大会散会を一片の、電報をもって通告してきた。帝国社民、悪質な反帝社民に抗して闘い抜いている部分が指導性をもち、または強力な活動家集団をもつ目黒をはじめとする品川、大田、江東、江戸川、台東、渋谷、文京そして三多摩の東村山をはじめとするいくつかの総支部機関または党員に対して、今一派は執拗な攻撃をかけてきている。しかし都活、地活に結集する党員の強力な反撃はいくつかの総支部を機能麻痺、こう着状態に陥らしめている。一一月全国大会の代議員選出ができない状況にあって今一派の焦りはひどくなっている。焦りの最初の行為が目黒総支部執行部の解散である。
 われわれは今一派の攻撃に対して都活、地活の団結と闘争をつよめ、全活の再結集と団結の強化に成功をもって粉砕しなければならない。
 とりわけ都活は都本部大会、全国大会の“反戦、救対、日中、革労協排除”という帝国社民の攻撃に抗して闘い抜いてきた。そして闘争過程では反帝社民を粉砕する実践的四原則(@都本部大会を認めず、やり直せA執行部は総辞職せよB機動隊導入を自己批判せよC書記オルグ七名の解雇白紙撤回)を確認し闘ってきた。しかし最近都活の中に反帝社民が都活を解体せんとする触手が延び、ごく一部の諸君の中には部活のこの四原則を何とか忘れよう、薄めようとする者さえ出はじめていることは残念なことだ。都活の団結とは一般的な帝国主義社民反対を唱えれば良いというものではなく、都活が闘って確認した四原則を貫徹し抜くという具体的実践にこそある。ましていわんや、都活の四原則の内容を薄め、または消し去り“東京社研=曽我派”の再結集に血道をあげることは断じてありえない! 曽我派の再建に手をかすことは、たとえ都活の形式を残したとしても、都活の団結を解体し“新中期路線”を支持し帝国社民の伴奏者となり果てることだ。
 われわれは一一月全国大会に向けて、都活、全活の団結を強めるには、四原則を前提としつつも、新たなる帝国主義社民化に抗する闘争として、さらに三つのスローガンを突き出さねばならない。
 それは第一に「帝国主義社民を粉枠せよ!」、第二に「新中期路線を粉砕せよ!」そして第三に「帝国主義社民に同伴する協会(向坂)派を解体せよ!」の三つである、都活、全活の原則的確認の上での団結が基軸に据えられれば、部分的には帝国主義社民と対決するために、反帝社民と共同闘争するということがあり得るのである。
 たとえば全国大会代議員の選出については、総支部、都本部段階で都活の四原則とその上での全活への三原則を断固として突き出しその原則を承認し大会で闘い抜くことを決意した革命的党員とは積極的に連帯すべきであり、そのような意味での反帝社民の良心部分との共同闘争はあり得るのでありむしろ積極かつ大胆にこれを推し進めなければならない。この場合あくまでもさきの原則の確認の上でなければならず、一般的五原則で“左派連合”といったものであってはならない。
(3)沖縄人民解放闘争を経て党へ!
 帝国主義社民粉砕の全国的分派闘争の過程は東京の突出的闘争をはじめとして各県・各総支部で推進しなければならない。そしてこの分派闘争は革命的労働者党への衝動を孕んだ闘争である。
 同時に、この分派闘争は全国社青同の解体的危機に抗して社青同の全国的再建の闘争と不可分の相互媒介的関係をもって推進されなれねばならない。しかも社会党・社青同の全国を貫く分派闘争はプロロレタリア統一戦線の独自的な行動委員会の地区的共同=コンミューンとしてのソビエト運動の根源的大衆的展開に基礎づけられた闘争と運動がなければ、革命的労働者党を生み出すことはとうてい出来ないのだ。
 さらにここで強調されるべきは全国社青同の再建についてである。階級的青年政治同盟としての社青同は、革命的労働者党を突き出す萌芽として巨大な歴史的重荷の任務を刻印されており、またそれを引き受けざるを得ないということだ。全国社青同こそは革命的労働者党と社会党内分派闘争にとって不可欠の槓杆でなければならない。このようにプロレタリア統一戦線の独自のコンシューンとしてのソビエト運動に根源的に基礎づけられ媒介された社会党・社青同の全国的分派闘争の総体は、現在直下、日常不断にプロレタリア統一戦線を飛躍的に押し拡げ、それを秩序づける革命的労働者党を突き出しつつも、その未成熟性にたえず限界づけられて苦悩している。しかし革命的労働者党は分派闘争にかかわる部分の寄せ集めで可能となるものでもなく、ましてや観念の上で産出されるものではあり得ない。
 このことは、わがプロ統のソビエト運動が沖縄人民解放を基軸として反軍、入管、行動委員会運動さらに来春の地区的共向をもって闘う統一地方選挙と参議員選挙の過程をくぐる中での成熟にこそかかっている。とりわけ七二年沖縄をめぐる闘いの現実的展開において問題にされねばならぬ。
 しかし、七二年を決戦と見て、それまで分派闘争も慎重にということで右翼的に対処する事は誤りだ。東京の場合、あるいは社青同の問題として言っても、帝国主義社民又は反帝社民との激烈な格闘を挑まなければならず、その過程で、社会党で言えば革命的総支部・支部の結合をもって闘い抜くことによって独自の日本社会党総支部・支部を名乗り切りつつ“あたかも党そのものであるかの如く”公然たる突出を遂げてゆかなけれぱならないであろう。
 当面、われわれは入管・叛軍を押し出し、11・15、11・22を闘い抜き、さらに、11・23全国社青同大政治集会、そして11・29〜12・2社会党全国大会闘争を貫徹する。
 多くの諸党派が、六月決戦をカンパニアに押し流し自己崩壊をとげつつある今日、またもや彼らは沖縄人民解放への凝縮された実力をもっての闘争を構えることができないなかで、わがプロレタリア統一戦線は鮮明な方針と実力をもっての密集した闘争を展開しつつあり、さらに、帝国社民・反帝社民さらには反帝民民の反帝ナショナリズムをもっての帝国主義ナショナリズムヘの屈服を暴露する闘争として、社会党全国大会における“帝国主義社民化粉砕!”を断固として闘い抜くのだ。
 新左翼の反帝ナショナリズムとしての“沖縄奪還論”は“国政参加・一体化粉砕!”というわれわれの突き出しの前に無力な実体をその破産をさらけだしている。
 わがプロレタリア統一戦線の十一月の沖縄、入管、叛軍を凝縮して突き出すその力を、さらに帝国主義社民、反帝社民に突きつけ、“沖縄返還論”をはじめ彼らのいっさいの反プロレタリア性を暴露し抜く闘いこそ、最もリアルなプロレタリア的闘争として浮びあがらせることができるのだ。
 そして、全国的分派閥争とソビエト運動は、沖縄解放闘争をくぐってはじめて全国的不均等性を均質化することを可能にし、公然たる革命的労働者党への飛躍を準備し、成し遂げることができるであろう。


1970年11月1日、11月15日・12月1日付
『解放』62号4面、63号3面より