何故に議会へ登場するのか

70年代初頭における革命的プロレタリアートの議会に対する基本的態度

(一)

 いま、日本は「国民総生産(GNP)自由世界第二位」の“経済大国”を謳歌しつつ“軍事大国”への道を進み、「第二次世界大戦の戦勝強大国中心の戦後的国連を改組し、日本は国連安全保障理事会の常任理事国の席を要求する」などというまでに自分を世界に向って押し出してきた。だが、日本の人民大衆は、戦後的な政治的社会的諸関係が終りを告げんとし戦後的生活諸関係が激変してゆくという真只中で、労働苦、生活不安、貧困が消え去らないどころか、新たな姿をとって恐るべく拡大深化し、急激に蓄積されつつある。バラ色に描きだされた近代化は、まさに資本制生産様式の帝国主義的発達の突撃として、日本列島全土にわたって、そればかりかインドシナの奥地にいたるまで、恐るべき破壊作用をおよぼしつつある。
 だが、虐げられた日本と全世界の人民大衆の前衛として行動すべき労働者階級は、すでにこの日本において人口の圧倒的多数を構成するに至っているにもかかわらず、帝国主義ブルジョアに導かれた資本家階級への従属に抗して独立した階級として登場してその解決能力を展開するまでに成長しているとは、いうことができない。むしろ、そうではなくて、資本家階級の手に蓄積され彼らによって代表される驚くべき富と政治的社会的な力によって、新たな近代的帝国主義的国民統合の内につなぎとめて彼らに奴隷的に奉仕せしめんとする事態におかれている。しかもそれは、一方では「労働戦線の統一」の名において、他方では「人民の統一と団結」の名において、労働者階級の独立した階級としての偉大な登場にたちふさがってくる「運動」がいま執拗に展開されていることで加重されている。
 第一に、資本制生産様式の帝国主義的発達は戦後的な生活諸関係を激変せしめつつ人民大衆に恐るべき破壊的作用をもたらしつつあること、すでに断乎として推し進められている虐げられた人民大衆の前衛として行動する労働者階級の革命的台頭の苦闘はいまや急速な成長をとげなければならぬということ、しかも第二に、この虐げられた人民大衆を導く独立した労働者階級の登場を何にもまして恐れる支配階級は、いまや「沖縄返還」を大きなテコにしつつ、労働者階級を新たな国民的統合につなぎとめる大規模な運動の仕上げにとりかかっていること−−こうしたことこそ、いまや十年前の六〇年安保闘争の敗北が突き出した独立した労働者階級の革命的登場の課題が、その後の十年の苦闘を通しての七〇年安保闘争を貫ぬき通す、この階級の革命的成長のために、この階級が今日なしているあらゆる公然、非公然の共同の努力の前進を促さんとするものである。

(二)

 今日、資本制生産様式の帝国主義的発達の突撃によって戦後的な生活諸関係が激変し、働く大衆の深い苦悩が拡大深化し、諸階級の利害の対立が深刻な衝突へと至りつつあるなかで、むしろそれ故にこそ階級対立を隠蔽し、とりわけ、虐げられた人民大衆の前衛として行動すべき労働者階級の独立した姿をもっての登場を何よりも恐怖してその独立した登場を、IEとHRの併用だとか、帝国主義的ナショナリズムだとかによって、労働戦線の右翼的近代的再編だとか、「野党再編成」だとかによって、また近代的帝国主義的国家への国民統合の中に隠蔽し没し去らしめんとするあらゆる欺瞞策が進められているとき、諸階級の利害とその対立が政治的な姿をとって集中的に映現される議会に、革命的労働者階級の代表を送るということによって、今日の労働者階級と人民大衆の状態、その深部における営々たる歴史的闘争、その見解と意図を、対抗的な姿で鮮明に映し出し、それを一大増幅器にして、労働者階級の自主性=独立性の擁護と発展、虐げられた全人民を解放せずにはおかない階級闘争の発展、奴隷化した労働を永続化するための国家の転覆、働く階級が政治的支配について階級差別のない社会をつくるという労働者階級の階級形成の発展、働く大衆のこうした解決能力の発達を強力かつ急速に促し資本家階級の議会制独裁が爛熟から劇的な転落=ファシズムヘと向うなかで、議会を「解放の道具」−−それはただどこまでも圧倒的な多数者である労働者大衆の革命的階級的成長のための手段としてであって、議会活動に大衆運動を従属させたり、または、圧倒的多数者の階級運動ではないようなあれこれの小ブルジョア政治運動の道具にすることではむろんない−−として利用しつくして、ブルジョア独裁を打倒し、ファシズムの勝利を許さず、賃金奴隷の解放による全人民の解放という歴史的使命を全うせんとするものである!


1971年3月1日付
『解放』69号3面より