『日本読書新聞』昭和44年12月8日(月曜日)第1525号

松本礼二 対談 滝口弘人
松本礼二 滝口弘人
まつもと・れいじ氏は1957年日本共産党港地区委員会を脱退後、60年第一次ブントに加盟。港地区労の争対部長等を歴任、現在は共産主義者同盟副議長 たきぐち・ひろと氏は東大中央委常任委員、全寮連初代委員長になるなど学生運動に参加し、その後は社会運動に携ってきた。60年には「安保反対国民会議」専従として活躍した。

労組的自主性を批判
運動主体の弱さを総括

 松本 総評・民同の「佐藤訪米抗議スト」に対しては総評・民同の立場からの評価を批判しながらわれわれの評価を下していくのが本来的だと思うのです。私なりに展開していけばまず第一に六十年の六・四ストとの質の違いをもたざるをえないのは、「日韓」以降の諸闘争にみられるように、現在の社会支配関係に対しての反抗の質が反映せざるをえないからです。社会党・社民がどのように意図しようとも、階級闘争の反映を職場も受けざるをえないから、過去の指令以下整然というスタイルでは処理できなくなっているのです。しかし問題なのは、そういう性格を付与されていながら、現実的には整然と行なわれたことに対して、何故整然とした形でしか集約されないかという革命主体の側の弱さとして把える必要がある。
 10・21スト形成へ向けて、従来の支配秩序のルールの枠内での労働組合のストとは質の違ったものを、ストライキ実行委員会などが提起しはじめているが、総評指導下の労組ストをどこまで質的に変えることができたのかという問題から11・13ストを評価するべきだと思うのです。その点でいえば労働組合そのものの評価が問われている、つまり労働組合の指令の下での闘争を行う限り、労組の枠を越えることはできないのではないか。だからスト実の意味は既成の労働組合の秩序を完全に否定するということなのです。だけど現実にはそのギャップを、六〇年以降成長してきた、労研・社研や反戦青年委員会が突破することができなかった。その弱さを総括することが、次は何かを問う場合の鍵になると思うのです。
 滝口 六十年の六・四ストは総評・民同の権威の頂点を示し、同時に没落を開始した時点での闘争だと思うのです。そういう意味では総評・民同が自らヘゲモニーをとって前進させていった状況だと思うのです。
 11・13ストは新しい労働者の下からの闘いに対する失われんとする彼らの権威を挽回する、でてきている大衆のエネルギーをもう一度自分の中に取り込みたいという民同は民同なりに権威をかけていたんですね。
 目のいろを変えた歴史的行為として佐藤訪米を現実に阻止しなければならないということでは、まったく気のぬけた姿勢だといわなければならず、足元から離れる積極的な大衆をふたたび囲いこみ再包摂したいということが大きな衝動となっている。
 そのことを逆にみるならば、労働者の自主性を回復しようとする新しい闘いが始まろうとしていることです。大きく転変する今日の工場・職場の現状と格闘し、世界史と関わる労働者の能力を示めす反戦闘争として自分の要求、自分の目的、自分の行為、それらを自分で決定していく労働者の自主性の回復が開始されているということです。彼らにとって民同とは桎梏ととして感じられつつあるということです。それが新しい闘いの質だろうと思うのです。
 もう一度労働者のおかれている社会的政治的な現状を自分の目で見直してゆき、工場の内部から政治権力に向けて労働者の人格的自由の回復としての反乱を開始し自分たちの運命をその手に握るということで六〇年安保敗北後長期の行動委員会運動をストライキ実行委員会へと転化しつつ、努力してきたのだといえますね。このスト実、行動委は単なる打撃機関ではなく同時に労働者が自立する組織的方法だということが大切です。
 松本 僕は再包摂作業と下部から自らの基盤を消失していくということからくる大衆迎合、それが結果として政治的体制内運動になる二面をもっていることについて闘う主体が評価を与えておかないといけないと思うのです。
 もう一つの問題は、滝口さんから出された工場内の権力を作りつつ「権力」に接近する。これが労働者の自主性の回復だということに対して、後のスト実との関係で非常に大事なので言わせてもらえば、六〇年から十年の間に労働者の自主性がどのように表現されてきたのか、歴史的にふりかえってみれば、六十年直後は長崎造船社研、大正炭坑、電通労研といった労働組合内左翼反対派としての主張しか提起できなかった。その一定の運動が六五―七年を通して労働組合内左翼反対派だけでは駄目になってきている、何故ならば労働者の自主性といっても労働組合的自主性である限り、階級的敵対的関係が尖鋭化し権力闘争の段階に入った場合、そういう労働組合的自主性というのは果して有効性をもちうるか否かという問題として把え返さなければならないのです。工場内労働者権力といった場合スト実の性格規定にもかかわるが、労働者の自主性というのは権力へ接近する自己主張でなければならず、生産点における労働者の即自的な要求なり、不満なり、労働現状だけからの運動提起だけでは労働組合的自主性でしかなく、階級的労働者の自主性にはならないのです。つまり労働組合内左翼反対派の自主性ではなく、労働者が権力闘争に関る自主性とは何かという問題が問われていると思うのです。
 滝口 反安保のストライキは、いまどういう意味をもって現れようとしているのかということとしてみると、政治的大衆ストライキを断固たる団結によって突出した闘いとして作りだすということです。そのことは工場内の反乱ではなくて、“権力へ向けた工場からの反乱”といっているんですが、その問題はヨーロッパ労働運動やあるいは労働組合論の抽象の中から直接的に適用するのではなく、現在の闘いに登場している労働者の闘いへの現実的な衝動をどう意識化するかという問題だと思うのです。
 それは一言で云えば自分の労働を自分で支配する、厳密にいえば自分たちの共同による自分たちの労働の支配、本来の解放の意味なんだけれども、それが現実の闘いの新しい質であり、衝動にしていると私たちは把えるのです。
 何故権力に労働者が関るのか、労働者の権力に対する関りとその他の人たちの権力に対する関りはどう違うか、あるいは権力樹立のソヴィエト運動、労働者評議会運動というのは小市民のそういう種類の運動とどう違うのかという点が一つ非常に大切なのです。権力の関りの問題からいうと、権力をたんにゲバルト主義的に理解するのでなく、ゲバルトであると同時に支配階級にとってのマハトと理解するということなのです。それは労働者にとって何を意味するか。これは自分たちの協同による自分たちの労働の支配、だからこそそれを有産階級の共同体に対抗して労働者階級の共同体を実現し、自分たちの共同体における自分たちの労働の支配を実現していかなければならないということです。だから工場から開始されてゆく反乱は、不可避的に労働者にとっての幻想的共同体(支配階級にとっては別に幻想でもなんでもなく唯一の共同体なのだが)である国家に対して“自分たちの協同による自分たちの労働を支配する”ということで対抗してゆくのだから解放のために政治権力と真向から対決せざるをえないという構造なのです。
 その発展の形態は二通りの方向があります。反戦青年委員会は後者の方向から組織され、「反戦」からエネルギーをくみ出している。行動委員会としては労働者の隷属状況の直接的現状から出発する。

旧い団結が桎梏
世界史的課題への任務

 この双方からの運動の発展が、労働者の闘いが政治闘争へと発展してゆくと理解しているのです。組織問題でいいますと、萌芽的に六一年から行動委員会運動を問題にし、六三年暮の東京交通局合理化闘争のなかで輪郭をとったのですが、ソヴィエトの現在的萌芽としての行動委員会運動ということに対して、当時「職場からの離脱」「ソヴィエトは革命的激動期に現れるものであって、現在的運動というのは空論だ」という批判がありました。しかし労働者の闘いにとって重要なことは、特にドイツ革命の過程では労働組合がソヴィエトを粉砕するように見えるのですが、そういう時に労働組合ではもう駄目だということでソヴィエトの問題にすりかえてはいけない。たしかに労働組合運動と実現されてゆくべきレーテないしソヴィエトの形成の運動とは区別される。どういう点で区別されるかというとレーテないしソヴィエトは、労働組合の「第一の資格」というべきものに留まらない。普遍的な政治的社会的運動の担い手になっている。そして自分自身の団結が権力基礎になっており権力へ向う団結の形成になっているという点で、労働組合とは本来の性格は違うが、その間に万里の長城を作ってはならない。
 そのことは組織の構造から云えば工場に基礎をおきつつ同時に地区的に結合して権力闘争の構造をもっているということだろうと思います。
 支配階級の共同体に対する労働者階級の共同体の違い、つまりソヴィエトと議会の違い、党の問題にしても労働者の党と凡ゆる有産階級の党とどこが違うのか、それは決定的に重要な点だと思うのです。違いは簡単なことのようですが、働く階級が自分の労働を自分の意志の下におくということ、働く階級が同時に支配する階級になる、肉体労働に携る人が同時に精神労働に携る、精神労働と肉体労働の分離の止揚の萌芽をもっているということであり、従って労働者の党とよぶ場合それは労働者が自らの支配のもとに労働をおくという意味をもって、現実に働いている人たちが党を構成する。ソヴィエトも現実に働いている人たちが自らを共同体員として構成する、ですから社会革命に不可避的に関らざるをえないわけで、その完遂はソヴィエトなしには不可能だということが労働者権力の自立の問題であるのです。そうした視点をもたないとゲバルト主義的な権力への対抗になってしまうんです。
 松本 いろいろな問題が出されましたが、かなり異論があるんですね。一つだけ問題にしたいのは、労働組合とソヴィエトの関係から現在の労働組合は駄目だ、だからソヴィエトだということではなくて、その間に万里の長城をおいては駄目なんだということなんです。ソヴィエトとは権力へ向う機関、ある段階では蜂起の機関、従って政治革命の機関として形成発展するとすればそのソヴィエトの主要な主体とは一体何であるかという問題で、労働組合との関係が明らかにされねばならない。滝口さんの言われている万里の長城をおいてはいかんということの意味は理解できるが、労働組合の変革という表現を使用することによって、ソヴィエトの評価、性格規定に一つの問題を提起してきている。六五年以降、反戦青年委員会は生れ成長してきた、これは現実の階級関係と階級的交合関係としての政治運動を通して形成されてきたのであり、これは職場からでてきてはいない。にもかかわらず、職場が一定程度の基盤としての問題をもったとするなら、支配に対する否定を明らかに政治焦点を通して展開しようとした反戦青年委員会が10・21闘争からスト実という形で到達した階級的危機の段階における組織形態を模索しはじめるということだと思います。労働組合との根底的な違い、労働組合のなかにスト実があるのか、労働組合にある意味で附与するかたちを通してスト実が登場してきたのか、この点は非常に重要なモメントになるだろうと思うのです。

権力への団結を形成
労働者解放への二形態

 さらにつけ加えれば、賃金闘争ではなく反戦闘争とよばれているものを階級闘争の機軸におくとしたら、新しい労働者の団結形態は何かというところからみていかないと、賃金闘争にもスト実がある、それは労働組合とどう違うのか、左翼反対派、戦術左翼でしかないというところに落ち込む危険性がある。階級関係に肉薄できる新しい団結形態というところから労働組合をもう一度評価しなおしてみるべきだと思うのです。そこから七〇年代階級闘争への糸口をみつけることができるのではないかと思うのです。変革という言葉を使うのであれば労働者個々の主体の変革が現実の運動から問われるのであって、組織的な労働組合を変革するという幻想はもつべきではない。否定とはいわないまでも、資本制生産秩序のもとにおいてのみ存在を可能にする労働組合というその発生の根源を問うところまできている。
 滝口 六〇年代の闘いからいきますと長い間組織主義と一匹狼主義のようなものが二律背反のように対立してきたと思うのです。「鉄の団結」かさもなくばアナーキズム的な個人かといった対立をずっと胎んできたと思うのです。労働者個々の主体の変革は第一に今日の工場の近代化、専門奴隷労働の単純化から出発しなければ労働者としての変革にならぬ。第二に労働者個々は闘う団結においてのみ自分を変革する。
 それは小ブル的運動の根本的性格で、団結や組織と個人の発展が一致しない、もし一致するなら官僚になって何か偉いことができるように感じたときなのです。
 ところが、いまスト実運動を通してもう一度再構築されようとしている青年労働者の反戦闘争、反安保闘争は本来の労働者の団結の回復において一人一人が発展できる萌芽をもっている。一人一人はそう意識していないかもしれないが。労働者の出発点的な団結の回復が、労働者にとっての本来的な労働組合の回復がいまはじまったともいえるのです。
 松本 六〇年代労働運動全体についていま語りきることはできないが問題はほぼ出はじめていると思います。
 戦後二十数年たって、これまでの労働運動が何故流動してきているのか、幹部不信から反幹部のみならず幹部否定という職場からの自己主張を通した運動が行われつつあるという、いってみれば戦後の団結形態が流動してきている根本原因とはいったい何なのかを把えていかなければならない。この視点から六〇年代を総括していく基軸が導かれると思うのです。
 僕らが経験し実践してきた六〇年代の始まりは、安保闘争ですが、国労新潟、日産、日鋼室蘭というブルジョア支配の貫徹に対して、最後の労働組合的左派運動が敗北していく過程を通しながら、全国的に体制内労働組合にいく条件があったときその右傾化をどのように阻止していくかということそして安保そのもののもつ意味から政治的認識を深めるという運動を通して六十年安保闘争は、明らかに六十年代労働組合運動に対して一定の問題を提起した。ここから労研・社研運動の出発はあるわけで、そういう問題意識のなかから生れてきたものなのです。現実の社会関係における労働者の役割ないしは労働者の任務、そして労働者の組織という視点から新左翼が問題をたてるようになったのは六五年からだと思うのです。
 反戦青年委員会の形成と労働組合運動の関係で先ほどだされた何故労働者が世界から出発したのかが問題になるわけですが、反戦闘争というのはたしかに反戦平和という次元、従ってブルジョア的なところからであったかもしれないが現在の反戦闘争の位置・質はブルジョア的な意識では闘えない。何故ならベトナムという現実の流血を通した焦点に対してどのように階級的に関るべきなのか、帝国主義的支配、侵略と反革命、帝国主義的再編に対してどのように自己を対置するのかという問題の焦点として反戦闘争が提起された以上、必然的に世界的な反帝闘争としての質をもたない限り、発展の基軸を見つけ出すことはできないし、反戦闘争が反戦平和というブルジョア的なところから出発しながら反帝闘争という次元にまで自己を政治化していく過程だと思うのです。その段階から始めて職場をみるという視点、職場をたんに即自的不満からみるのではなく、全世界的な反帝闘争という枠から職場の問題をとらえていくことによって、青年労働者が職場の桎梏に対して何を対置するのかという鋭い問題意識にまで普遍化できたと思うのです。
 そこから反戦青年委員会の現実的な階級関係から押し出されてくる任務の問題がスト実としてより具体的に出てくると思うのです。スト実の任務は拠点での山猫ストに限定されるのではなく、現在ではヘゲモニーの問題として山猫スト以上はできないかもしれないが、しかしそれはマッセンスト(大衆的政治スト)への意識的な萌芽形態であるし、その地域的総結合がマッセンストという表現になるとすれば明らかに山猫ストというのは既成のルールを逸脱するものとしてある。
 滝口 六〇年代の闘争は、政党の問題としても労働組合の問題にしても、戦後の労働者の発展の条件だと思われていたものが、桎梏となるということを深め拡大していった時機だと思うのです。いままでの団結が労働者一人一人にとって発展の条件ではなく、桎梏になるということが11・13のストでもみられたように労働者の運動の擡頭を再包摂しようとして現われているのです。
 現在の旧い団結を突破していくためには、党の問題に結びついていかなければならないわけです。よくフランスの五月革命は党の問題だと異口同音にいわれますが、私達にとって今の旧い団結が桎梏となっており、それを突破し発展の為の団結を作り拡大し再生産する者にとって党とは何か、労働者一人一人の発展にとっての党とは何か、党の在り方自身が問い直されていると思うのです。一言でいえば、行動委員会運動あるいは労働組合を出発点から作り直し、その労働組合の限界を超えていくような運動、こういう行動委員会運動の出発点というのはあらゆるイデオローグあるいは党にさえも依存しない、そういう意味では労働者が不可避的に自ら作る団結であるといえます。それを全国的にも全世界的にも発展させていくという意味をもって労働者党の課題がたつ。あくまでも生ける労働者諸個人が団結を通じて人格的自由を回復し、発展するのだということが大切です。例えばフランスの五月革命では行動委員会として拡大した、たしかにスターリニスト社民的な頂点から呼びかけられているがしかし、極端化してその限界を突破させていくというテコになったのはやっぱりフランス行動委員会運動だったわけです。その労働者の新しい団結の出発点を練り直す運動の拡大再生産を結びつけ発展させるものとしてのプロレタリア党の課題があったと思うのです。七〇年代へ向っていまの萌芽を拡大再生産、発展させていく為には、行動委員会のなかからの党の形成が不可避の課題だと思います。

(文責・編集部)

本文中の斜体部分は校正箇所。その原文は以下

離れる ← 離れると
桎梏と ← 、、と
階級的労働者 ← 労働組合的労働者
適用 ← 適合
担い手 ← 相い手
専門 ← 専問
そう ← そうに
いま ← い、ま
語りきることは ← 語りきることには
行われ ← 行はれ
全国的に ← 全国的

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