革命的労働者協会(社会党・社青同解放派)結成宣言・暫定規約・テーゼ



革命的労働者協会(社会党・社青同解放派)結成宣言

 労働者諸君!
 日本の戦闘的な労働者、人民がヴェトナム人民抑圧戦争に反対する闘争の国際的協力のなかから成長してきた一〇・二一国際反戦統一行動を、日米安保とNATOの同時的粉砕に向けて戦いつつ、十一月佐藤訪米を実力で阻止せんと突進している今、われわれは、革命的労働者協会が結成されたことを、ここに公然と宣言する。
 「対外政策のための闘争は、労働者階級解放のための闘争の一部を形成する。万国のプロレタリア団結せよ」!と呼びかけた国際労働者協会=第一インターナショナルが創立されて、すでに百年余経つ。また、「世界共和国であった」といわれるパリ・コミューンの蜂起百周年が目前に近づいている。すでに「解放派」の名で知られて来たわれわれは六〇年安保闘争とその敗北後一〇年の苦闘をかみしめ、全世界の傷つき倒れた無数のプロレタリア大衆の遺灰を受けつぎつつ、今日における産業合理化と帝国主義的ナショナリズムの突撃のための七〇年安保、すなわち「アジア・太平洋圏」安保を粉砕してゆく闘争を、働く階級の政治的支配能力を獲得する闘争として全面的に発達した人間になるための闘争として、プロレタリア解放闘争として、戦い抜き、国際労働者協会の原則を、この現在において革命的に蘇らせ貫き通さんとする精神をもって、ここに「革命的労働者協会(社会党・社青同解放派)」という全国的団結にむすばれている。
 わが革命的労働者協会=解放派は、労働者階級を安保粉砕の行動に奮起せしめなければならない。もしわれわれがこの義務をおこたるならば、支配階級は途方もなく強化拡大した国際的抑圧の同盟によって戦争とファシズムを突きつけつつ労働者に更におそるべき搾取と隷属を強いるであろう。そして、この歴史的闘争の真只中で、労働者を政治的尻尾におとしめんとする全ての党派が、労働者階級の巨大な体躯をもってする直立によって足もとから打ち破られ、戦う巨万の労働者大衆を革命的に独立した党へと構成し、それとともに万国の労働者階級の同盟を推し進め、かくして、労働者階級による政治権力の獲得と奴隷化せしめられた労働の解放をなし遂げてゆかねばならぬ。日本の戦う労働者を心底から鼓舞した「フランスの五月」の労働者階級は新たな復活の兆候をすでに見せんとしている。次は、日本の労働者階級が国際労働者階級の心をゆさぶらなければならない。日米安保とNATOは、こうして労働者階級の国際的協力によって同時的粉砕に向う関連にあり、それはまた、「社会主義」諸国や後進諸国の労働者階級の顕在化を、強力に促さずにはおかない。
 労働者階級が明確な姿で国際的な連帯を結べば結ぶほど、それは、腐れ果てた旧社会に対して一つの新社会が擡頭しつつあることを証明するものである。
 この新社会の開拓者こそ、あの国際労働者協会がそうであったように、わが革命的労働者協会でなければならない。
 この擡頭する新社会とは何か? それは、今日の戦いを戦い抜かんとする労働者にとって、何を意味するのか? いったい、労働者は何故に戦うのか? 自からの労働を自から支配するために! 奴隷化された労働から労働を解放するために! 労働者の社会的隷属状態を終らせ、あらゆる人が労働者となり、階級支配を廃止するために!
 今日、工場制度そのものの帝国主義的改編の下で、労働者のあらゆる個人的自由が消し去られ、この恐るべき強制労働の牢獄は、労働者にとって、もはや耐え難い点にまで達しつつある。「自分の労働を自分で支配する」!――これは、すでに労働者の反戦闘争、すなわち対外政策のための闘争のなかから突き出され、今日のプロレタリア的反安保闘争のモットーとなろうとしている。だがこれは、労働者が現実的衝動を意識して戦い抜くためのものとして、「自分たちの共同による自分たちの労働の支配」を意味するものとして、いまこそ鮮明に引き出されなければならない。
 まず第一に、こういうことがある。自分の労働に立脚する私有、すなわち自分の私有する生産手段を自由に使用する労働者、「自営」の生産者は、いたるところで打ち亡ぼされて、驚くべき資本の集中、生産手段の集中が突き進んでいる。それはこうだ。協業形態でのみ現実の労働たり得る労働、生産手段の多数の労働者の社会的結合にとってのみ生産手段たり得るものへの転化、それとともに、世界市場網への諸国民の組み込みと「資本主義体制の国際的性格」(マルクス)が発達する。
 この資本主義体制の国際的性格は、「社会主義世界体制」によって破壊されるどころか、今日ではこの「世界体制」そのものが、個々の「社会主義」諸国の独立化、さらに、それら諸国内部でも諸機関、諸企業の独立化と大規模な交換によって媒介されるに至り(「市場制社会主義」!)、ついには貿易依存度の高いチェコの離反へソ連、東欧五ヶ国軍を繰り出して、タガをしめ直させる程のものである。個々の労働者から引き離されて、個々の労働者に敵対せしめられ今や耐え難いまでの苦痛を強制しつつある「社会的労働」、「社会的労働手段」の恐るべき発達。それとともに「資本主義体制の国際的性格」がますます強烈に発達する――これこそが、SDR発動に見られる戦後の国際的信用制度の劇的な動揺に表現されている国際貿易に媒介された国際分業の再編成=拡大再生産として、全世界の労働者階級におびただしい窮乏と労働苦を蓄積せしめているものである。七〇年安保はまさにそのためのものに他ならない。
 こうして今日、無数の労働者大衆から引き離されかつ彼らに敵対せしめられているこの世界的規模での生産力が、しかもいまや単に後進諸国のみならず先進諸国の労働者大衆にも耐え難いまでの苦痛を強制するに至りつつあるのだからこそ、歴史がまさしく現実に労働者革命の時代に突入しつつあることを告げ知らせているのである。
 だから、「戦後世界体制の根底的動揺」という能う限りの大ゲサな文句を使いながら、実は、その中に私的特殊利害、または民族的利害の衝突しか見ず、結局の所「競争の外観」をなでまわしているに過ぎぬ見解を吐露することによって、労働者をも、自分の労働力は自分で勝手に売るのだという労働力商品の流れにそのまま乗っかって闘わせ、それを「自立」だなどと夢想させようとする小市民的思慮浅薄を思っても見よ!
 したがって、第二にこうである。労働者が「自分の労働を自分で支配する」ということは、自分の労働力を自分で勝手に処理することでは決してなく、労働者が「自営」の生産者になることでは、なおさらない。ところが、かの世界に首までつかっている人達にとっては、結局の所それこそが至上の理想であり、彼らを前に駆りたてる当のものである!
 彼らの坊主主義的な組織主義と一匹狼的な個人主義の無限の葛藤を見よ。これに反して自分の労働力を自分で勝手に売る「自由」を放棄し、自分たちの労働力を自分たちの共同によって処理しようとする団結、このプロレタリア的団結を開始する賃金労働者を前に突き進めるものこそ、「自分たちの共同による自分たちの労働の支配」であり、雇用労働を自由な共同労働に変えんとする人間の現実的衝動である。
 この「自分たちの共同による自分たちの労働の支配」は、いかなる戦いとして展開せざるを得ないのか? この道こそ、戦術的には、断乎たる団結による突出した戦いであり、戦略的には、自由な共同労働の実現をさしあたり国民的規模で開始せんとするからこそ不可避となるところの、現存国家(多数のものの労働を少数のものの富にする状態の永遠化のための)との真向うからの衝突と、その所産としての労働者階級の政府、すなわちコミューンの樹立、その発展がもたらすところの労働者大衆の世界的団結による世界的生産力の獲得、これである。労働者階級の普遍的な政治的社会的運動に向うところの、この「自分たちの共同による自分たちの労働の支配」、「自分たちの共同の意志のもとでの労働」に駆られる闘争は、現在の直下で、すでに精力的に開始された。七〇年安保粉砕に開かれた反産学協同の学園バリ・ストとして。反産業合理化の労働者ストライキ実行委員会として。さらに、労学連帯委員会として! それに駆られつつしかも決して個別的に実現されることのできない自由な共同労働! 労働者、学生の資本のもとへの社会的隷属状態に抗する闘争が、この状態を永遠化するための国家権力との血みどろの衝突に至るに、何の不思議があろうか! そして労・学共闘のはらんでいるものこそ、自由な共同労働への衝動であり、精神的諸力能が労働者から分離し敵対せしめられている状態を、連帯において止揚せんとする傾向である。
 いまや、公的暴力による大学制圧は全く一般的となりそれは労働者の上に急速に拡大せんとしている。「挑発」は、一時的に公的暴力の顕在化を引き出すことしかできない。それは政治的反動、密集した敵を生み出すことはできない。政治的反動は、個々の偶然的な要因によってではなく、革命的階級の反抗の所産でのみあり得る。賃金労働者階級が「自分たちの共同による自分たちの労働の支配」への現実の衝動を強めるとともに、これに火を点ぜんとするものへの徹底的な戒厳令が引き出される。地下に追われた「全く何もできない」もぐらを見つめて、支配階級は自分が打倒されるべき対象であることを、全労働者階級の前にあからさまな姿で名乗り出さしめられる。かくて、戦後の「議会制民主主義」は、「なしくずしファシズム」などではなくて、ファシスト国家へと劇的に転化する時点へと急速に近づきつつありまた所有階級の諸国の深まりゆく対立にも拘らず階級闘争の革命的爆発に対抗せんとする限り反革命階級同盟の拡大再生産によって国際的な人民抑圧戦争を準備しつつある。今日の「共産党」は、一方では「反動」を嘆きながら、他方それを引き出した「挑発分子」こそが悪いとすることによって、その反ファシズム=民主主義は密集した敵を生みだす真の階級闘争に対抗しているのだということを、自ら証明しているのである。
 「自分たちの共同による自分たちの労働の支配」を推進的動機とし規定的目的とする今日のわれわれの闘いは、それ故に、単に佐藤内閣打倒ではなくて、日本帝国主義ブルジョアジー(日本独占ブルジョアを中心とするブルジョア階級)の支配の打倒、そういうものとしての自民党政府の打倒、簡単化して「日本帝国主義ブルジョア政府の打倒」でなければならない。現在の「自民党政府打倒」論は、つまるところ「安保堅持の自民党」を打倒するというものであってブルジョアジーの支配の打倒を意味せず、また現在の「日帝打倒」論は、日本帝国主義ブルジョアジーの支配の打倒(その意味でのみ正しい)と、日本における金融資本段階にある資本主義そのものとしての日本帝国主義の打倒(その意味では誤りであり、資本主義体制の国際的性格からしてこれは世界革命によってのみ実現される)とをあいまいに重ね合せているものである。現在の戦いのラディカル(根本的)な性格こそが資本家階級の政府の打倒を実際の目標に据えつける必要を突き出しているのだ。
 そして「自分たちの共同による自分たちの労働の支配」の戦いを原動力とした闘争によるこの資本家階級の政府の打倒は、それ故にこそ、自由な共同労働の実現を国民的規模で開始してゆくべき労働者階級の政府を樹立してゆかなければならぬ。ことに現在ブルジョアジーの支配の終りがファシズムの始りたろうとする歴史的瞬間が近づきつつある時、労働者階級はこのファシズムへの転化を許さない唯一の戦いとして、ブルジョア政府の打倒にすぐ引き続くプロレタリア政府の樹立を明確に展望して戦い抜かなければならぬ。この政府の樹立は、かつてブルジョアジーが政治権力を獲得した時のように、出来あいの官僚的軍事的統治機構をそのまま手に入れてこれを利用しさえすればよいというわけにはゆかない。この機構を破壊して武装した労働者大衆によるコミューンを実現しなければならない。このことは単に「議会制民主々義」の有無によるのではなくて労働者革命の本性に由来するものである。すなわち、自由な共同労働は、自分たちの労働を自分たちの共同体の、他人との共同の意志のもとにおくことである。だからこそそれは精神労働と肉体労働の分離を止揚するものである。
 本質的に労働者階級の政府であるコミューンは働く階級が同時に支配する階級なのだからこそ決定と執行を分離できないものでありそれ故に労働を解放することをまさに余儀なくされている。かくして「コミューンはどこまでも発展性のある政治形態であった」し「生産者の政治的支配と、生産者の社会的隷属状態とは併存できない」(マルクス)。
 「自分たちの共同による自分たちの労働の支配」の欲求とそれを実現していく全面的に発達した人間への傾向は、今日の工場制度のもとで芽生える。それは資本に対抗する労働者の真剣な団結において育つ。ただ他人との共同においてまた共同を通じてのみ労働者諸個人はその資質をあらゆる方面にわたってのばす可能性を手に入れる。労働者は世界史的存在として発達しなければならない。革命的労働者協会は自由な共同労働のためのそうした団結である。「アジア・太平洋圏」安保粉砕を働く階級の政治的支配能力を獲得する闘争として戦いぬこう! 「各人の自由な発展が万人の自由な発展の条件となる新たな協働体」は、永続革命=世界革命の戦いの団結において、すでに現在の直下にある!

一、産業合理化反対! 産学協同反対!
一、安保粉砕! 沖縄人民解放!
一、日本帝国主義ブルジョア政府の打倒!
  プロレタリア政府の樹立!
一、永続革命=世界革命!
  万国のプロレタリア団結せよ!



革命的労働者協会(社会党・社青同解放派)〈暫定規約〉

 一八六四年九月二八日、ロンドンで創立された『国際労働者協会』(第一インターナショナル)の規約前文に、こう、書かれている。
 「労働者階級の解放は、労働者階級自身によってたたかいとられなければならない。労働者階級解放のための闘争とは、階級的特権と独占のための闘争ではなく、平等の権利と義務およびあらゆる階級支配の廃止のための闘争を意味すること、
 労働する人々が、労働手段、すなわち、生活の源泉を独占するものに経済的に従属していることが、あらゆる形態の奴役やあらゆる社会的不幸、精神的堕落、政治的依存やの根本原因であること、
 それゆえに、労働者階級の経済的解放が大目的であって、すべての政治運動は、一つの手段として、この目的に従属すべきであること、
 この大目的をめざすあらゆる努力がこれまで失敗に終わっていたのは、各国におけるさまざまな分業のあいだに連帯性が欠けていたことと、諸国の労働者階級のあいだに兄弟的同盟のきずなが欠けたことのためであること、
 労働の解放は、局地的な問題でもなく、また、一国的な問題でもなく、現代社会に存在するあらゆる国々を包括し、また、それを解決するために、もっとも進んだ諸国の、実践的、また理論的な協力にまたなければならないような社会問題であること、
 もっとも工業の進んだヨーロッパの諸国で、労働者階級がいまのように復活していることは新しい期待を持たせるとともに以前の誤りを繰り返さないように、厳粛な警告を与え、いまなお、連絡のない運動を、即時結合することを要求していること、を考慮し、
 以上の理由により、国際労働者協会が創立された。」
 第一インターナショナルの規約第七条にとり入れられたハーグ大会の決議は、次のようにいっている。
 「所有階級の集合的勢力との闘争において、プロレタリアートは、その勢力を独立の政党に組織し、所有階級によってつくられたあらゆる旧政党と対抗することにより、はじめて、一階級として行動することができる政党というようなプロレタリアートの組織は、社会革命の勝利を達成するために、とりわけ、その究極目標たる階級の廃止をなしとげるために、なくてはならぬものである。産業の戦野ですでに達成された労働者階級の諸勢力の団結は、搾取者の政治的権力との闘争の際に、労働者階級の手中にある梃子として役立たなければならない。土地と資本の貴族は、彼らの経済的独占を永続化し、擁護するためにまた、労働を奴隷化するためにいつも、彼らの政治的特権を利用する。それゆえ、政治権力の獲得が、プロレタリアの主要義務となるのである。」
 一九七〇年の前年の今「アジア・太平洋圏」安保粉砕闘争の真只中で、六〇年安保闘争の敗北後の十年の苦闘をかみしめつつ、『国際労働者協会』の原則を、この現在において革命的によみがえらせ、貫き通さんという精神にもとづいて、われわれは、この規約をもつ。

 第一条 本協会は、労働者階級の保護・発展および完全な解放をめざして、労働者階級の自然発生的な運動を結び付け、統一し、それを共同のものにすることを目的として、日本社会党・社青同の内部から、日本における革命的労働者階級の一構成部分として、小市民的諸勢力との癒着を絶ち切る分派闘争を通じて、労働者階級を独立した党へと組織するために創立されたものである。
 第二条 本協会の名称は「革命的労働者協会」(日本社会党・社青同解放派)とする。
 第三条 本協会は、毎年○月都道府県の代議員からなる定期大会を開催する。定期大会は、本協会の総務委員会を選出する。必要な場合には、総務委員会は定期大会のほかに臨時大会を召集することができる。定期大会は総務委員会の一年間の活動に関する公式の報告を受ける。大会は労働者階級の共同の努力を明らかにし、本協会の活動の成功に必要な方針を討議し、決定する。
 第四条 総務委員会は、東京におく。総務委員会は、事務処理の必要に応じて、議長・書記などのような役員を互選する。総務委員会は、本協会の全国中央部であり、諸組織の全国的な結び目として、一地方または一部門の労働者が、他の地方、他の部門の同じ階級の状態や運動の情報にたえず通じ、本協会の一組織で提出した全般的に利害関係のある問題を、すべての諸組織の検討に移し、共同の実際的措置が必要とされる時は、各組織が一致して行動を起こすように活動すべきである。総務委員会は、必要だと思われる時はいつでも、本協会の諸組織にしめすべき提案を発議するものとする。総務委員会は、機関紙・誌、通信、通達を発行する。
 第五条 本協会の成員は、三名以上をもって細胞を構成し、各細胞は、細胞の代議員からなる定期大会で選出される都道府県委員会及び地方委員会によって代表される結合を持つ。ただし、北海道委員会および東京都委員会は、地方委員会として取扱うことができ、また、必要に応じて、総細胞・地区委員会の組織や機関を持つことができる。各委員会は、議長・書記などのような事務処理に必要な役員を互選する。本協会の各成員・各組織・各機関は、直接、東京の総務委員会と連絡することを妨げられないのは、自明のことである。
 第六条 総務委員会は、労働者の産別委員会・学生委員会・農民委員会などを組織する。産別委員会は、労働組合が労働者階級の解放に向って進むあらゆる社会的、政治的運動を支持し利己的なものどころか、ふみにじられた大衆の解放のために、階級として行動するように推進し、学生委員会・農民委員会などは、学生運動・農民運動などを革命的労働者階級に結びつくよう、推進しなければならない。
 第七条 総務委員会は、労働者階級を独立した党へと構成するために社会党委員会・社青同委員会を組織して、本協会の全成員の全国的な分派闘争を推進し、日本共産党やその他の小市民的諸党派との党派闘争の展開とともに、労働者階級が小市民的諸勢力の政治的尻尾になりさがっているような結び付きを断々固として拒絶してゆくよう推進しなければならない。
 第八条 本協会のすべての成員・組織および機関は、資本の絶え間ない攻撃に抗して、相互の競争を団結にかえようとし、この団結において一人一人が発展せんとしている労働者の真剣な運動、すなわち、「行動委員会運動」を普及させ、それらを結び付け、発展せしめるために最大の努力を行なうべきである。
 第九条 本協会への加入と成員の行動の責任については、都道府県委員会が責任を負うものとする。本協会の原則を承認し擁護し、加入を認められたものは、本協会の大会が決めた一定の加入金と会費を納めなければならない。本協会の成員は、誰でも、被選挙権がある。
 第十条 対外政策のための闘争は、労働者階級解放のための一般的闘争の一部を構成する。本協会は、労働者階級の国際的協力のために邁進しなければならない。
 第十一条 この暫定規約は一年間の闘いの経験によって、その正しさを検証し、一九七〇年○月の定期大会で確定規約を制定するものとする。

※ この暫定規約は、第二回大会において――
 第五条について、地区総細胞を基本組織とし、職場・学園細胞を分肢とするという趣旨の改訂。
 第九条について、地方委員会として取扱うこととした場合の北海道委員会および東京都委員会は、その下のブロック別の地区委員会を他の府県委員会と同等のものして取扱うという趣旨の補足。
 以上をもって、正式の規約とされた。



革命的労働者協会(社会党・社青同解放派)〈テーゼ〉

      {I}
{1} 「産業の発達とともに生活向上を!」――これこそ、今日の「産業平和」と「ナショナル・インタレスト(国益)」の鬨の声である。だが、労働者のありのままの状態はどうか? 「プロセス・オートメーション」、「メカニカル・オートメーション」、「オフィス・オートメーション」などの一般化する今日の工場(教育工場、病院工場、マスコミ工場などをふくむ)の内部での“労働生活”は――そこでは、恐るべき労働強化とともに、労働者のあらゆる個人的自由の圧殺され果てつつある状況がある。それでは、あり余る「自由」の爛熟が謳歌される工場の外部での“消費生活”は――衣・食・住をみたし、生み育て、教育を受け、治療を受ける生活はと言えば、「クリーピング・インフレーション」のなかで、賃金奴隷としての生命の生産および再生産(労働力商品の生産・再生産過程)にすぎないものとして、資本の見えざる糸を通じて、ますます強力にあの強制労働の牢獄である近代的大工場から逃れ去ることができないようにつなぎ止められつつその「自由」は、ますます、単なる外観・豪華な仮象にすぎなくなっている。こうして、労働者生活は、いまや、あらゆる方面にわたって一変しつつあるが、それは、まぎれもない〈資本家のもとへの労働者の社会的隷属の深化・拡大〉として〈労働者生活全体の帝国主義的改編〉というべき過程の進行にほかならない。そしてあらゆる搾取の強化は、結局のところ、労働者の社会的隷属状態に帰着するが、一方における富の、他方における労働苦、生活不安、貧困の蓄積は、労働者への抑圧手段・過剰化手段・窮乏化手段としての生産手段と労働指揮権の集積として、資本家のもとへの労働者の絶望的隷属の深化・拡大として八幡・富士の合併などが指し示す大独占株式会社の驚くべき発達の中で、それは、新たな実現の形態をもって貫徹しつつある。産業は発達するが、労働者の生活向上はほんの見せかけにすぎず、それどころか、労働者諸個人にとって現実的制約=苦痛が増大しつつある。
{2} 賃金、それは労働力商品の生産費であるが、今日、どんな労働力が生産されなければならないのか? 賃金の金額をめぐる攻防は大切である、しかし労働者の社会的隷属状態こそが問題とされなければならない。そして資本が求める労働力商品が何であるかは、教育・学校制度にはっきりと見てとることができる。教育工場である学校において、賃金労働者である教師が生産するものは、教育サービスであるが、それを買って教養を身につける学生は、教育を受けることによって資本に隷属している。つまり、それによって資本に売らねばならない労働力商品を生産する。「産業と社会の要請」をふりかざして、戦後教育は画期的な改編期にありまたも、「教育は社会によって規定される」(『共産党宣言』)ということが、いま、激烈な姿で証明されつつある。そのスローガンは「産学協同」でありその真の意味は〈産業合理化への教育の適合〉にほかならず、その現在的な内容は、「多様性に基づく教育」なるものにつき出されている。すなわち、いまや帝国主義的工場(制度)の発達とともに、新たな帝国主義的教育(制度)がすでに始まっており〈分業と教育の帝国主義的改編〉というべき事態にある。“オートメーション”と“近代的労務管理”に鋭い特徴がみられる工場の帝国主義的改編とともに「教育の機会均等は、戦後あまりにも形式的平等であったがこれからは、多様性に基づく平等の教育でなければならない」と称する教育の帝国主義的改編が急激に進行している。「適性の早期発見」、「職業の偏見を打破せよ」、「各人は各人の能力に応じて」、「女性は女性の特性に応じて」と叫んで、専門奴隷と職業白痴、部分機械への隷属の道を突進する「多様性に基づく教育」は、諸個人の徹底的な精神的不具化、部分人間化のための〈労働力商品の生産・再生産過程〉の帝国主義的改編として、競争の強制法則を通じて、分業への諸個人の包摂=従属を深化・拡大するものである。
{3} 〈産業合理化〉は、資本の今日的運動である。それは、スターリン主義者がいうような「生産力の発達ではなくて労働強化だ」などではなく、また、社会民主主義者がいうような「組織された資本主義として社会主義に導く」などではない。それは、独占的株式会社の形態で強制労働の牢獄である大工場が発達し、労働者の不断の抵抗の増大と労働者革命が実際問題である時代での、国家の干渉のもとで、労働の技術的諸条件(機械体系)と労働の社会的条件(人員配列)の一方ないし両方を変革することを通じて、資本家のもとへの労働者の社会的隷属を深化・拡大する運動である。「産業再編成」という名の現在の日本の産業合理化は、先行した突撃のような資本主義的技術革新を受けて分業体制を再生産する運動であり、世界市場を前提とし、都市と農村の徹底的分離を基礎とし、かつ、それらに反作用してゆく。この産業の変化とともに、種々の職業が興亡し、特に交通(通信)・運輸部門の発達および農業の急激な変化などにつれて、諸階級の状態が大きく変化しつつある。だが、専門への隷属によって特徴づけられる分業に包摂され、特殊な労働(特に精神労働において)に癒着している諸個人が、相互に激しい競争において磨滅しつつあるもとで、他方あらゆる精神的なものを引き離されて自分に敵対せしめられ、どんな特殊な専門などももたぬ徹底的に単純化された労働にたずさわる人たちにおいて、かえって普遍性への生き生きとした欲求が、全面的に発達した人間への傾向が、この帝国主義的工場制度のもとで、再び、強力に芽生えはじめた。それは「労働節約的」(労働者節約的)な存在の状況のなかでの闘いにおいて、労働しつつ思索することを真剣に開始した・
      {U}
{4} 人間は社会的動物である。ただ、社会の中でのみ、個別化しうる動物である。人間は実践においてのみ、その存在を変化させる。そして、ある特定の仕方で生きている特定の現実的諸個人は、彼らにふさわしい特定の社会的および政治的関係を結ぶ。労働者の団結は、資本に対する最も重要な手段であるばかりではない。もっと重要なことだが、それは同時に、あらゆる官僚制への突破口であり、労働者諸個人が自主的にふるまうための方策である。労働者はこの真剣な団結において、また、団結を通じてのみ隷属から自立し自分の素質をあらゆる方面に伸ばし、人格的自由を手に入れる(諸個人の自主性の回復=全面的発達=自由な発展=人間としての結合)。賃金の維持にしかすぎない部分的団結から、労働者が普遍的団結に進みうるのは、団結において労働者諸個人が発達するからである。団結―実践―諸個人の発達―意識の変化―新たな団結。これが労働者の発展の道である(また、学生などが、自分たちの団結を労働者の団結の一環へと構成してゆくことができる道でもある――ただし、労働者の闘いを見ることを通して)。この〈労働者階級の革命的独立(階級の独立=諸個人の自立)〉の道を通ってのみ、労働者は自分の限界をみずから乗り越えることができ、自分の視野を拡大し、自分たちの惨めな状態の真の原因を洞察することができ、当面の要求を永続的に高め、普遍的な社会的政治的運動に向い、政治的支配能力を手に入れて、「各人の自由な発展が万人の自由な発展の条件となる新たな協働体」を実現する。実践的必然として、そうなるほかない。われわれは、全力をふりしぼって、ただ、この道を、最も断乎として推進しぬくのみである!
{5} 〈行動委員会運動=評議会運動〉は、本来的なものとしては、工場制度の足もとで、この資本に抗する断乎たる団結において、同時に、諸個人が自立し、発展してゆくための組織的運動である。それは官僚制的となった労働組合をはじめとする大衆組織の真の意味を汲みつくし蘇らせ、社民とスターリニストによって貶められてきた工場委員会運動の真の意味を復活させ、プロレタリア的団結を出発点から拡大発展せしめるほかはない、資本に対抗しての大衆の団結する運動である。「フラクション」は、党なしに存在しない。だが、この行動委員会は、逆に労働者党の基礎でありそれ自身で存在する。
 そして、労働者のこの出発点的な団結が労働者諸個人の全面的発達のための条件をなすのだからこそ、すなわちこの団結において、またこの団結を通じてみずからの精神的諸力能を開発させる可能性をはじめて手に入れることができるのだからこそ、したがってまた、これによって労働者が結合した目をもちはじめ、知識をわがものとしはじめるのだからこそ、行動委員会は労働者が自分自身の運命をその手ににぎる能力があることを証明するための出発点をなし、労働者党は、ここにおいて、その真実性、すなわち、現実性と力とをためさなければならない。この労働組合を出発点から生み直すものとしての行動委員会は中世の都市コミューンがブルジョアにとってもったと同様の意義を、プロレタリアートの階級的組織化にとって持つ。これを「サンジカリスト」といって罵倒することしか知らぬ連中は、自分自身の反プロレタリア的、宗派的貧困を恥も外聞もなく、さらけだしているにすぎない。
 その他、この“行動委員会運動”をあれほど非難したり、無視していた連中が、今日では、日共の「民主化行動委員会」から、ほとんどの“新左翼”のそれらに至るまで唱和しだした。我々は、工場委員会運動が今まで去勢され、貶められ、骨ぬきにされて、名のみの、単なる補足にされてきたことを忘れてはならない。労働者諸個人の自由な発展のためにこそ団結があるのだということを労働者階級の名誉と歴史的任務の達成のために、これら、似而非「行動委員会」屋に突き出してゆかなければならない。あらゆる工場に行動委員会を!
{6} 労働者階級の党は、労働者の団結の出発点を内部から結びつけ、統一し、秩序づけ、発展させるものである。部分的団結のなかで、階級的・政治的に発達した諸個人を党へと構成し普遍的団結へと結びつけ、推し進めるものである。団結における諸個人の発展をカッコに入れるものだけが、本質的に、大衆組織の外に、大衆組織に対して党を打ちたてようとする。それによって、結局、階級運動に敵対する宗派運動になり下る。すなわち、階級運動と区別されたところにのみ、自分の存在理田をうちたてることができるものとなる。それらは、一般的に、大衆闘争と大衆組織の発展が党を生み出すことを否定する。党は、その外から、その上からやってこなければならないとされる。伝統的なスターリニスト党がそうであるばかりか、トロツキスト党も、スペイン革命の中でスターリニストへの敗北から同じ結論を引き出し、「外」なる党からフラクションによって降りてくるとする日本の「反スターリン主義運動」も、根本的にそうである。
 『革命の中の革命』のドブレは「少なくとも、ラテン・アメリカの革命では」というひかえ目な言い方で、“前衛党によって革命的大衆闘争が始まるのではなく、革命的ゲリラ戦が革命党を生み出す”(この表現は、意味が必ずしも明確ではないが)というふうにして、「定説」に反対し、ほぼ、カストロとゲバラ主義者は、この道を強調する。これは、明らかに、一歩前進である。しかし問題は、だれのゲリラ戦かということにある。ほかならぬ労働者のゲリラ戦がその団結の中での諸個人の発展を通して、その不充分さを知り、闘いを前進させるため新たな団結として生み出すものこそが、革命的労働者党である。それによって、労働組合(または、行動委員会運動)が不要なものとして消え去ればいいのではなくて、むしろ、その発展のためにこそ、必要とされるものである。この団結の拡大再生産の道を党自身についていえば、旧い党が、はじめは労働者諸個人の発展のための条件をなしたにしても、それが固定されるや、その団結は、諸個人にとってもはや、発展のための条件ではなくて、かえって、桎梏を意味するものとなり、変化した諸個人にふさわしい団結へと不可避的にとってかわられる。労働者階級が階級として行動するための新たな党の出生は、旧い党の意義を受けつぎつつ、それを桎梏として突破する、不可避的な分派闘争であるほかはない。かくして、革命的労働者党建設の原則は、〈行動委員会運動の中からの党〉であり、その実現方法は、〈全国的に組織された分派闘争〉である。旧い団結は、もし、闘いの前進が必要とする新たな団結を見出し、再生産され続けられないとすればその団結における諸個人は、発展することはできない。
      {V}
{7} 行動委員会運動(または、労働組合運動)は、資本との直接の攻防戦の向うに、階級の共同の敵を見出しはじめるや、党を生み出し、また、党によって行動委員会は結びつけられて発展し、党が行動委員会運動を普遍的な社会的、政治的運動へと系統的に推し進めることによってはじめて、現実に断乎たる階級運動として発展することができる。こうして、階級対階級の闘争、政治闘争が発展する。この闘争の中で、来るべき決戦に必要なあらゆる要素(労働者の数・団結・知識)が結合し、発展する。それは、常に、〈階級の共同の要求=階級の独自的要求=階級の歴史的使命〉を、一段また一段と鮮明にすることによってのみ、団結を発展させることができる。
 これはただ、敵を密集した敵として生み出し、それとの対抗を通してのみ、前進する。六〇年安保闘争での労働者階級は、ほとんど全く、自分自身のスローガンの下に闘うことができないままに闘い、かつ、敗北した。六五年の日韓闘争は、「日韓=反合」として、われわれが、わずかに頭を出しかけて敗れ去った。六七年以降の、七〇年安保闘争の序曲をなす反戦闘争は、現存社会の根底を攻撃してゆく度合に応じて、それだけますます、闘いは同時に反ファシズム闘争としての性格を帯びざるをえない。もし小市民的急進化の一層の進行にもかかわらず、労働者階級の政治的支配能力の獲得に遅れをとるならば、その結果は、限りなく深刻である。今日における革命的労働者党の欠如の悲惨を見つめて、労働者階級の階級への形成、したがって、党への構成を急がなければならない。
{8} 労働者は、〈世界史的個人〉である。資本家のもとへの労働者の社会的隷属に抗する闘争によって、支配階級に属する諸個人の発展のための国家が、被支配階級の諸個人の発展にとって、ますます、「一つの全く幻想的な共同態」として、〈桎梏〉として、立ち現われる。労働者階級は、これに抗する普遍的団結において諸個人の全精力を発展させつつ、この国家を転覆してコミューンとしての共同体をもち、プロレタリアートの革命的独裁を打ちたて、社会革命を完遂してゆくことによってはじめて完全に解放されるが、この政治権力の獲得と社会革命の遂行は、ただ、労働者階級の代表と称する人たちが権力につき、彼らによって遂行してくれるのでは、全くない。労働者階級の解決能力の展開は、同時に労働者諸個人の全面的に発達した能力の展開としてのみ、可能であり、この能力は、資本に抗する現在直下の団結において、すでに育ちつつあるのでなければならない。そして、労働者の社会的隷属状態は、ただ、世界的にのみ、廃棄できるのであるから、労働者諸個人が、世界史に関わる能力を身につける世界史的個人としての全面的な発達なしに、この労働者階級の世界史的任務を、どうして遂行できようか? 労働者のこの、このような全面的に発達した人間への傾向は、すでに感知されはじめている!
{9} いま、闘いの顕在化している舞台では、急進的小市民が先頭に立っているように見える。そして、日本の中間層の現状と左翼運動の現状では、当面の左翼化は、小市民の急進化として進行するという事態が、当分、続こうとしている。これは国際的にもそうである。だが、後進国の戦闘的農民から、さらに、先進国の小市民的急進化という事態の中で、「先進国プロレタリアートは神話となった」とどんなにいわれようと、それはそれだけ、その資本家のもとへの社会的隷属が深化・拡大しているからこそであり、小市民的急進化の中から登場する先進国プロレタリアートは、それゆえに、どんな旧い革命も知り得なかったような〈根本的革命〉として現われるほかはない。そして、後から登場したものが真の前衛として、旧い革命を包摂し、導き、「一つの組織だった世界革命」として、完全な共産主義の実現に向うことができる。われわれは、この歴史的使命の断乎たる推進力となることに自分自身を徹底的に据えつけなければならない。「それはモーゼが砂漠をこえて導いていったユダヤ人に似ている。新しい世界を征服しなければならないし、新しい世界にふさわしい人物に席をゆずるべく、消えてゆかなければならない」(マルクス)
{10} 産業合理化と帝国主義的ナショナリズムのための七〇年安保=「アジア・太平洋圏」安保粉砕!
 日米同盟を軸とする国際的反革命階級同盟に抗して、強大なプロレタリア統一戦線を形成しつつ働く階級の政治的支配能力の獲得のために戦おう!


(『解放』四〇号 一九六九年九月)