|
|
全国の同志諸君!
六〇年安保と三池の闘いの中から、「労働者階級の解放は、労働者階級自身の事業である」(マルクス)という原則を、日本階級闘争の革命的前進の旗印として掲げつつ生み出された解放派、そして、七〇年安保闘争を目前に“日帝ブルジョア政府打倒! 労働者政府樹立!”の権力スローガンを鮮明にしつつ、革命的労働者党建設を目指して結成された革命的労働者協会(社会党・社青同解放派)、この解放派二〇年、革労協一〇年の党建設の営為は、今日、その真贋を問われ、新たな体制そのものの存在を賭した上からの階級攻勢をめぐる激動の前衛的推進力として登場しうるか否かという重大な試練を課せられている。
八〇年九・一五襲撃事件を受け、総務委員会の停止を宣し、組織の原則的統一、組織内に現われた宗派政治の全面的克服の闘いの呼びかけにもかかわらず、宗派主義に陥った一部のグループは、「総務委員会」をデッチ上げ、形式的・実質的組織分裂に突き進んだ。
我々は、単に、狭い「正統派争い」の道を拒否しただけではない。我々こそ、スターリン主義、社会民主主義の歴史的裏切りを根底から突破して、プロレタリア革命勝利への大道を切り拓くべく苦闘してきた党派である。その列内から宗派主義を生み出し、革命的プロレタリアート、先進的学生に反階級的襲撃を行う反動的グループを発生させてしまったという痛苦な現実を直視し、我々は、組織の抜本的再建の道を歩むことを決意した。
総務委員会議長の「九・一五声明」に続いて、総務委員七名の「ヨーロッパ問題に関する声明」を発し、又、東京、関西をはじめとする全国の同志の組織再建へのアピールが出され、革労協再建へ向けた全国代が開始された。
我々は、全国代を重ね、革労協の歴史的総括を深化してきた。この討論の積み上げの上に、全国的再建運動の組織的推進の為に、今年四月、全国代において「革命的労働者協会(社会党・社青同解放派)再建全国連絡会議」を結成し、革労協再建への本格的活動を展開することを決定した。
(中略)
「解放の通信」発行をテコに、革労協再建へ総進撃しよう!
『解放の通信』第1号1982年6月1日
〈八〇年九月〉九・一五の事態を受け、組織的声明を出すべく、総務委員有志を中心に、産別・県の代表者をふくむ会議がもたれた。組織的方向をめぐって、「KRK再建」「KF再建」「KRK・KFを前提にしない」という三方向の見解をふくみつつ、全国組織体制をとり、事務局、財政を決めた。(通称Ky会議)
〈八O年秋〉SP大会に向けたSP有志の集りがもたれ、「公然派閥」作りの話しが開始される。
〈八O年一二月〉在京Ky会議を開催し、組織方針の討論に入る。第二回会議開催要求にたいし、一部から「事前討論」という方向が出されて討論に応じる。ここで「KRK再建」と「KRK再建反対」の意見が正面から対立。総務委員有志、L中央再建委共同呼びかけの「二・一五KF政治集会」について討論開始。
〈八O年一二月〉関西現代杜、宗派グループを排除。
〈八一年一月〉総務委員有志会議(Ky会議内)がもたれ、とくに「二・一五中止提案」をめぐって討論された。この中で、注目すべき発言がいくつかなされた。
その一つは、…(略)…。
その一つは、…(略)…。
その一つは、…(略)…。
そして二・一五については後日、「二・一五=KRK再建の旗上げ」、「唯一の道」ということではなく、多くの再建の中の討論の部分であるという位置付けで、総務委員の一定の部分と合意する。
〈八一年二月〉二・一五政治集会は、Lの方針変更で活動家討論集会となった。この日、社会党の活動者会議が同時に行なわれた。
〈八一年三月〉ヨーロッパ問題に関する総務委員会有志声明。
〈八一年八月〉第一回KRK全国代開催。
〈八一年九月〉「日本社会党社会主義同志会呼びかけ文」全国発送。
〈八二年一月〉同志会会議開催。
以上のような経過を通して、まず、KRK再建か、再建反対かという対立が進んだ。
しかし、同志会については、当初の主旨である、公然党内グループとして形成していくことで、その対立をこえて結集して出発した。その中には、私たちと路線的に一致している人々、及び、「社会党変革論」グループが混在していることが前提的な事実としてあげられる。私たちは、行動委員会運動を否定したり、社会党以外の闘争を否定したりする「変革論」の傾向と異なり、分派闘争としてSPにかかわる方針でいる。
革命的労働者協会(社会党・社青同解放派)再建全国連絡会議
『解放の通信』第4号1982年10月15日
(「社民内分派闘争に関する戦略的一致を深めるために」の項から抜粋して要約)
『解放の通信』第6号1984年1月15日
一、全国の同志達へ“全協”への結集と、その強力な推進を行なうことを訴えます。
私達は、現段階における総括作業をまとめ、二度にわたり討論議案を発行してきました。
組織分裂が、同時にスターリン主義を生み出したという否定的事態でもあったが故に解放派の根本的な破産を同時に意味しているものとしてあった以上、根底からの再生こそが組織再建事業であると考えて進んできた。私達の到達している反省の地平が、党建設の事業に新たな光を照らしえているか否かは、更に論議を深めねばならぬであろうと思われる。しかし、これら作業が、もし新たな光を照らしえていると判断できるならば、更に内容を深めていく作業を共に進めようではありませんか。
確かに、分裂はヨーロッパ間題、内糾の政治利用を鋭い契機としていた。しかし、私達は、それが単なる分裂ではなく、解放派の組織破産であると把えてい、従って“再建”を課題とした。それ故に、今日私達が進めている組織再建作業が実りあるものにたるためには、私達の出発点的前提と、ならびに、歴史的な前提の両者を貰いた再建視点を確立することにあっただろう。それたしには、易しく再建できるものではないということを、皆実感をもって知っていたからです。
現時点で私達に問われていることは、“反省”から転じて、その“反省”において肥えられた内容を行動へ展開していくことにあると考えます。革労協について、考えれば、七五年大会を最後に全国党派としては約十年の崩壊の年月をすごして来ている。私達は、この悲しむべき遅滞を負債として、一年一年重ねてきた。
今こそ、日本の階級闘争の階級形成の遅れを全力で取りもどす覚悟において、私達は一人一人の力を総合しなければならない。日本階級闘争において解放派が切り拓いてきた地平を大切にするが故に、解放派の再建を願ってきた多くの同志の総結集を計るべき秋がきた。
二、私達、再建連絡会議は、組織方針として、「K・L組織統合(新たな政治組織・名称はKRKを継承)―そのためにK・L全国代、産別代を推進し、大会実行委員会運動を起こす」という方向を示してきた。
LSYの方では、「K・L統合ではなく全協を」という方針を、昨年来持ってきた。
私達は、今日的党派としては、まず宗派と対抗しつつ組織の再建を進めてきた部分の統合をなしとげ、同時に、宗派を除く、解放派の広汎な潮流結合の場を作るべきと考え、「K・L統合も、全協も」という方針を掲げて進んできた。
現時点において、すでに「K・L統合」方針を掲げ続けることは、現実的意味をもたなくなっていることを確認すると同時に、全協は、政治的統一戦線としての要素と、党内政治組織再建の準備組緒としての要素を持ちあわせていると考える。従って、私達は、この全協建設を全力で押し進めることを訴えるものです。
三、こうした全協の組織性格からするならば、「団体加盟」ということではなく、一人一人が主体的に参加することが望ましいと考えます。これは、全協か過渡的なものであれ、政治組織体として形成されていくために必要だと思われます。
四、全協の展開、地区協の組織化に全力をあげ、その進展に応じて、再建全国連絡会議は、発展的解消を遂げることになるであろう。
全国の同志諸君!
全協を推進しよう! 解放派を再生しよう!
労働者革命を目指し前進しよう!
一九八四年六月二〇日
『解放の通信』第7号1984年6月20日
一、われわれは八〇年の三里塚九.一五襲撃以後、革命的労働者協会(社会党。社青同解放派)の実質釣な破錠を直視し、たんなるヘゲモニー争いや正統派争いの道ではなく、真摯な総括にもとづく組織的再建をめざし全国的連絡組織を形成して活動してきた。
大衆運動を同時に進めながら、組識の再建については社青同中央再建委員会に結集する同志等との協同の道をとり、独自の任務としては革労協としての総括の深化を自らに課し、議論を組織してきた。
今や、「革命的労働者党建設をめざす解放派全国協議会」が発足した。この組織は協議体としての性格をもった政治組織再建のための過渡釣組識である。
当違絡会議は、八四年六月の通信七号で「全協」推進を呼びかけ、「その進展に応じて発展的解消をとげていく」としたが、今、その時期が来たと考える。
二、しかし、われわれは革労協の再建という任務を放棄するのでは決してない。現代日本における労働者党建設にとって、革労協の再建は依然として、重要な位置を持ちつづけている。
七〇年安保闘争の高揚の只中に結成された革労協の歴史は運動的にも組織的にも貴重なものである。とりわけ、労働者党建設の試行錯誤はいかなる党をいかにして建設しようとしてきたのかという具体的条件と切り離して論ずることのできないものである。その意味でレーニン主義を批判し、かつアナ・ボル対立を越えた地平に革命的マルクス主義の再生をきり拓いてきた解放派の闘い、その成果である革命的労働者協会(社会党・社青同解放派)の結成は前人未踏の事業であり、その栄光と苦難は万余の古典書にもかえ難い教訓の宝庫である。
この経験はたんに解放派の旗のもとに闘った諸個人にとってのみではなく階級闘争の只中に苦闘をつづける全ての人々にとって貴重である。このことを正面からみすえることなくして党建設の前進はありえない。
しかし、その上で、われわれが直接の革労協再建ということではなく、このように決意したのは解放派の党派性の究極点を「天上から地上への道の峻拒」ととらえているからにほかならない。
三、当組織としての総括に関わる文書活動としては、七号にわたる通信発行と二度にわたる『解放派再建作業の前進のために』という表題の討議資料パンフの発行がある。このパンフは無署名論文という形をとっているが、各同志の論文を組織討論にかけ討議資料として確認したという性格をもっている。
これらの作業は、われわれが迎えた破綻を総括するにあたり、結果した現象や、解放派の出発点的思想のみに還元するのではなく、われわれが実際にたどった歴史的過程総体(特に七〇年代)を理論的に解明するべくつみ重ねて来たものである。
この内容に関する討論はは全国的にもゆるやかなペースで進んでいる。ここに展開された質は多くの同志の討論の中で深化され、組織建設のなかにいかされなければならない。
われわれの作業はまだまだ不十分なものであり、ようやく糸口をみつけたにとどまるかもしれないが、この道を進む以外にはないと考える。
四、当組織はこの通信八号をもって解消する。そして、以後この構成員一人ひとりが、新たに多くの同志と共に、政治組織再建作業を進めるべく努力することを明らかにする。革労協の結成大会から第七回大会までの歴史を実質的に継承した政治組織の再建をめざした当連絡会議の精神はその一人ひとりの活動として引き継がれていくであろう。
全国の友人諸君のこれまでの支持・激励を感謝する。ともに革命的労働者党建設をめざし奮闘しよう!!
一九八五年六月一五日
『解放の通信』第8号1985年6月15日