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機関紙『革命』12号(1968年4月1日・15日合併号)
70年を見つめた日本ブルジョアジーの攻撃は社会の最も深いところで進行している。学生戦線においては教育の帝国主義的改編がそれである。学費値上げ、学館・ォの自治破壊、校舎移転それにインターン制度の改悪等を環としたこの攻撃は、一般的な「教育の反動化」などと把握を誤ればとりかえしのつかぬ致命的打撃を以て歴史から報いられる他ないものとして存在している。なぜなら教育の帝国主義的改編は学園にファッショ的権力の基礎を培養してゆくものであり、70年代のファシズムの大波に抗することのできる階級的政治性を帯びた強大な学生の団結は、この攻撃に対決する社会運動の中でその形成の基礎を与えられるからである。その意味で今年の学園闘争の課題は唯一つ、これを個別闘争として徹底的に闘いぬき、70年闘争を支える不動のプロレタリア権力をうちかためること、これである。
ブルジョア社会における教育、とりわけ大学教育は、社会から全く独立したものではなく、「社会人」を送り出す場として深く深く資本主義社会の中に編み込まれ、その矛盾を背負ってのみ存在している。そして学生はこの大学に学ぶ「血と肉」を持った「受苦的存在」としてある。さてブルジョア教育とは何か、ということを明らかにする前に、教育一般の本質を把握しておかなければならない。ブルジョア社会であると否とを問わず、教育とは労働と並ぶ人間の最も本質的な活動である。すなわち、労働力に関して、労働とはその消費であり、教育は、衣食住、繁殖、養育とならんでその生産=再生産過程の一部をなすものである。そして、ブルジョア社会が「労働力の商品化」を基礎として成立している以上、教育もまたブルジョア社会においては「労働力の商品の生産=再生産過程の一部」として社会的分業の一環をなしていると把握されなければならない。
この「労働力の商品化」と呼ばれている資本主義社会の矛盾は、われわれこの社会に生きている人間の側からとらえかえすならば、私有財産社会=階級社会における個と類の分裂が、労働力すら商品という形で物化され普遍化されてゆくことによって極限まで深化されるという矛盾、即ち、一方での技術的基礎の革命性(生産力の革命的発展=人間の自然に対する関り合いが疎外された形でたえず深まってゆくということ)と、他方での旧式分業の再生産(プロレタリアートの社会的苦痛の激化)との「絶対的矛盾」(マルクス)なので
ある。それゆえ、学生が教育過程で受ける矛盾はプロレタリアートが生産点において現在直下にうけている社会的苦痛によって逆に規定されているということまた、学生の解放は労働者階級の解放と分かちがたく結びついているということもここにあきらかになる。
では教育工場=学校において、学生、学校経営者(=教育資本家)、教師(教育労働者)の関係はどうなっているであろうか。そのことを明らかにするためには、さきに一般的にその本質を把握されたブルジョア教育の内実がもっとくわしく検討されなければならない。「資本家のために剰余価値を生産する労働者、または資本の自己増殖に役立つ労働者だけが生産的である。物質的生産の領域外から一例をあげてもよければ、学校教師は、児童の頭脳を加工するばかりでなく企業家の致富のために自ら苦役するばあいに、生産的労働者である。企業家がその資本を腸詰工場にでなく教育工場に投じたということによっては、関係は少しも変わらない。」(『資本論』第一四章)とマルクスによって明らかにされたように、学校経営者は、自己の資本を以て労働手段にあたる学校施設と教師の労働力を購入し、労働対象にあたる学生の頭脳と肉体を整備加工するところの教育資本家である。それゆえ、教師は自己の労働力を賃金と交換し、剰余価値を生産する教育労働者であり、学生は教師によって生産された教育サーヴィスを授業という形で消費するところの、生産=再生産されつつある労働力商品に他ならない。この限りでは製パン工場において、工場主(ブルジョア)が自己の資本によって労働手段である工場施設と製パン労働者の労働力を購入し、労働対象たる小麦粉を加工してパンを生産するのとなんらかわりはない。では一体、どこが異なるのであろうか。それは生産=再生産される商品が労働力商品という特殊な商品であるということであり、このことが、ともすると教育に対する正しい把握をさまたげてきたのである。
すなわち、学生の頭脳・肉体は学生の人格と切り離して存在することができず、それゆえ、教育過程は製パン工場で労働者が一方的に小麦粉に労働を加えてパンを作るという場合とははっきりと区別されて、学生自身の自己活動に媒介されたものとしてある。ここから、教育があたかもこの世の汚辱から超越した「自由な」ものである、あるいはそうあるべきだ、という外観がうみ出されてくる。「教育労働者」の把握の誤りから「教授との共闘」なる主張が日共=民青の諸君より出されている現在、教育労働者の本質は何かということが決定的な問題として存在しているであろう。教育労働者はとりわけ大学教授はわれわれ学生に対しては、あくまでその頭脳・肉体を社会(ブルジョア)の要請に応じて整備、加工せざるをえない存在であり、現実にはそれが「産学協同」として行われている以上、「産学協同」の下手人としてのみ存在することができ、かくして、いかに学生に「理解のある」教授であろうとも、あるいは労働者として教育と研究との対立という形でその強制労働の矛盾を感じたり、賃金面で教育資本家「学校当局」と対立しようとも、学生の社会的苦痛からの解放を共に追求しようとするならば彼は「教授」としての自分に反逆せざるを得ないのである。そして、このことを大前提とするならば学生の教師に対する態度はすでに明らかである。このことは立ちかえって論じられるであろう。学校経営者(学校当局)は、教育労働を搾取し、その剰余価値を利潤としてうけとりつつ、資本家的企業として教育工場(学校)を経営する教育資本家であり個別的には独自の「利潤追求」のみをその関心事とするとはいえ、形成すべき生産物が「労働力商品」であることによりそれに対するブルジョアジー全体の(いわゆる「産業界の要請」)に制約され、これに答える形での労働力商品の生産=再生産を余儀なくされる。
それでは学生とこの学校経営者とは、上にみたように根柢から対立せざるを得ない支配=隷属の関係であるにもかかわらず、それがあたかも対等な関係であるかに見えるのは何故か。それは教育労働の特殊性(対象が学生の生きた頭脳と肉体であるということ)から教育工場でつくり出される製品が、さしあたり、教育サーヴィスであって、その教育サーヴィスを学生は商品として買入れ、消費する「商品購買者」として存在し、教育資本家はこれに対して教育労働者をつかって教育サーヴィスを生産させ、それを学生に売りつける「商品販売者」であり、この限りでは両者とも「平等な」商品所有者として存在しているからである。とはいえ、その教育サーヴィスの教師による生産と学生による消費とは完全に一個同一の過程においてのみ実現されるのであり、結局これを通じて学生は、教師によって労働力商品として生産=再生産され、かくして学生と学校経営者との関係は賃労働と資本との苛酷な関係に他ならないことが明らかとなる。
さて、われわれはここから学生とは何かということをさらにたち入って明らかにしてゆかなくてはならない。この問題を考えるにあたって、まずわれわれの前に提出されている事実をみなければなるまい。それは「何故学生は大学へ入って来るのか」という問に対する学生大衆の答である。いわく「よい会社に就職するため」、「特に目的はないが親が入っておけというし、入れば好きなことができるから」、あるいは「学問=真理の探求をするため」等々。これらの答の中で、現在の大学がいかなるものとしてしか存在しえないかということが何よりも明らかにしているのは、最初の「就職のため」という答えであり、それ以外の解答も意識するとしないとにかかわらず結局これに帰着せざるを得ない。この回答の中にこそ、現在の学生の受けている社会的苦痛がはっきりと示されている。「真理の探究のため」等々の答についてはのちに論じられるであろう。
学生とは教育工場としての大学で生産=再生産されつつある労働力商品であり、その意味ではまず第一に、商品としての自己をできるだけ高い値段でブルジョアに売らなくてはならず、その為のたえざる競争関係のまっただ中におい込まれ孤独と不安に日々さいなまれている存在である。そして、それは、労働市場で販売されることにより商品として実現され、学生は労働者として工場の中で不断の社会的苦痛を受けざるを得ない。とりわけ、工場の分業の中で、大学を出た学生は、精神労働者としての地位(職制)を任ぜられることによって、教育過程そのものも肉体労働者と対立せしめられた精神労働者の育成をその内容とせざるを得ない。こうして、学生は第二にますます肉体労働から疎外された「精神労働者」へとおとしこめられ、自己の普遍性をうばわれるという苦痛を不断に受ける存在なのである。学生が「イデオロギー的存在である」という場合、今のべたことの明確な把握を欠落すれば、「肉体労働から隔絶された」その意味で「疎外された」精神労働そのものを前提として、「だから学生運動は思想運動だ」(中核派)などという反動的な結論になってしまう。この「イデオロギー的存在」こそ、学生の苦痛の原因であり、否定され廃棄さるべき以外の何物でもないのである。
学生とはかくして「疎外された精神労働者」として競争関係の中に自らの青春をすりへらさなければならないものとして存在し、そこからの究極的解放はプロレタリアートの解放闘争と分ち難く結びついているのである。
以上の学生の存在の把握は何を明らかにしているだろうか。学生も「社会人」であるといわれていることの内容は、実は、学生も、さまざまな媒介された、特殊な形態を通してであれ、まぎれもなく、私有財産の最も発展した社会としての資本主義社会のまっただ中に生きており、そこで極限まで深化させられた「個と類」の矛盾を背負って生きているということなのである。このことをはっきりとつかみとっておかないと、学生の受けている矛盾を、「物質的なもの」と「精神的なもの」にふりわけ、前者を単なる収奪の強化などととらえ、後者を単なるイデオロギー攻撃ととらえるという二元論におちいり、したがって闘争の構造も「物取り」という面と「意識注入」という面との二つというふうに二元化され具体的には例えば学費闘争の中において学生自治の問題を提起できないということになってしまう。
学生は、自らの受けている社会的苦痛が激化するに従って、何らかの普遍性を求めざるを得ないブルジョア社会の安定(日本においては「戦後民主主義」を支えたもの)とは学生に「真理」を探究する「市民」としての地位(個人主議的)学生生活を与え、それを前提とした普遍として「平和・民主主義」を与えたのである。この「平和・民主主義」は「真理」とならんで各学生個人の「生活」を保障するものとして、日本国憲法、教育基本法、学校教育法等々「戦後民主主義」の法的表現となす法をつらぬく価値体系の最高のものとしてうたわれたのであった。60年安保闘争が結局「平和と民主主義」という「疎外された普遍」を防衛せんとする闘い(小ブル政治闘争)として存在したのは、各学園において、「真理」という疎外された普遍を追求する「学園生活」を防衛するという闘いが各個別闘争の内容をなしていたことと無関係であるどころか、そのことを基礎としていたのであり、小ブル的教育闘争(社会運動)によって形成された団結の政治的表現としてのみ、小ブル的政治闘争があったのである。そして、安保闘争を頂点に没落を開始した小市民的な政治社会運動の運命は、われわれが今何をなすべきかを明らかに物語っているであろう。
すなわち、学生の真の解放=普遍性の奪回は、学生からそれを奪っている当の原因そのものにあくまで対決する運動と団結においてしか実在しないということであり、それ以外の一切の運動と紐帯とは自らを分割し隔絶している原因の総体に現実に対決していないといういみで必ず「疎外された団結」として帰結し、その最も公然たる姿であるファシズムに包摂されてゆくのみである、ということ、これである。例えば、プロテスタント型宗教がそうであり、実存主義がそうである。これらは疎外された精神労働の強化ということを前提として自らの個別性を切りつめてゆくことを以てその奪われた普遍をとりもどそうとするものであり、現実における「疎外された普遍」それ自体の形成に対して消極的であることから、開始された激動期においては少数派としてとどまるであろう学生運動内部において、これに類する運動を行っているのが革マル派であることおよび、これらの延長上にはニヒリズムが存在することは、くりかえしわれわれが明らかにしてきた通りである。そして、七〇年へ向けてますます社会的矛盾が激化している現在、はじめにのべたように、学生は何らかの形で大衆的な「団結」を現実に構築せざるを得ず、中間的な、古い「平和と民主主義」を防衛するというスターリニスト(日共=民青、および構造的改良派)の一定の伸張と没落は、はっきりと公然たる右翼の大衆運動か、さもなくばわれわれの革命的団結の前進かという問題をつきつけている。すでに、国防部や自民党青年部、日学同等々の右翼が大衆運動を開始し、さらに創価学会も東洋思想研究会という形で学生運動への介入を本格的に開始している。学生運動全体がいまやこれらの運動との徹底的な闘いを経ることなくして一歩も前へ進みえないという情況を呈しているのである。そして、こうした右翼的大衆運動はブル
ジョアジー、大学当局の攻撃に応じたファッショ的権力基礎として存在しており一切の「左翼」が進行するファシズムの深部における攻勢に抗し切れるかどうかという問いを、歴史的課題としてつきつけられているといえよう。
ここで「学生自治」の間題も明らかにしておかなくてはならない。激動の現代において、これもまた、単なる学生の「ブルジョア的自立」を基礎とした自治(一般的な「自律」)か、否かと問題は立てられている。学生の自分とは、単に学生が自分の問題を自分で解決するという内容のものではなく、その問題を、自らの受けている社会的苦痛からの究極的解放としてとらえ、それへ向けて、社会の総体と対決してゆくことを内容としなければならない。とするならば、学生の自治活動は当然政治運動へと発展し、そこで同じ鉄鎖を撃ち砕かんとする労働者の闘いと結びつくことなしにありえないし、のちに教育情勢の分析でみるようにブルジョア、大学当局のいう「大学の自治、学生の自治」とは対立するものとなるであろう。
ただし、最後に注意しなければならないのは、個別闘争は個別闘争として資本の社会的権力の強化に反対する徹底した闘いなのであり、その闘いをぬきにしたところに、政治闘争への発展はありえず、逆に、政治運動の質は、それ以前の社会運動の質によって決定するから社会運動を革命的に闘えば、政治運動は自然に革命的な闘いとなるなどいうことにはならないということである。政治・社会運動の結合はあくまで構造の問題としてまず把握されなければならない。
ここで問題となるのは、政治というものが単なるイデオロギーの問題ではないということであろう。政治闘争は「普遍的」な課題をもって闘われるからといって、国家が「私有財産秩序の理念的表現である」からといって、政治闘争は「非現実」を対象とするのだということにはならず、逆に学生大衆が現実の普遍的対象に対決することによって自らの運動と団結の個別性を止揚してゆくことができるのである。そして、これを欠落させた場合、いくら個別の社会運動を「断固として」闘いぬいたとしても、それによって学生運動が階級的政治性を帯びることは金輪際ないといってよい。社会運動は政治運動の基礎をなすものであるというのは以上の点をふまえて把握されなければならない。同様に政治運動はそれをいかに「革命的」に闘ったとしても、各学園における生きた個別的団結を否定的に含んでいない限り、それ自身「疎外された普遍」たらざるを得ない。
かくて、社会運動と政治運動の結合とは、時間的に以前に闘われた前者が現在の後者の内容を決定し、政治運動の総括はこれを一切先行する社会運動の総括に求める、ということはできず、むしろ、論理的=構造的に前者が後者の基礎をなすということを根拠として実現されなければならないのである。
2年後に迫った1970年の安保改定へむけて日本ブルジョアジーの攻撃は全面的に激化している。1963年より顕在化した日本資本主義の構造的停滞は、ベトナム人民抑圧戦争を契機として一時的に「好況」という形をとっている。しかしその「好況」はなによりもベトナム特需により、対米輸出、対東南アジア輸出が増大し、米国の後退のスキをぬっての対欧州貿易が伸びてゆくということによって支えられ、それはこの構造的停滞の本質=資本の労働力商品に対する絶対的過剰をなんら解決するものではなく、むしろそれをもたらした日本資本主義の市場面(貿易の圧倒的な対米依存など)、金融面(自己資本率がきわめて低いことなど)での脆弱性、独占体制の未確立(いわゆるワンセット主義など)ということの表現でしかない以上、それは早晩より大なる停滞へと転化し、それに対する本格的対策の展開を日本ブルジョアジーは余儀なくされるであろう。それはすでに開始されている。すなわち日韓条約以降、外に対しては独自の従属的経済圏の形成、東南アジア一帯をまきこむ円プロックの形成を以ての過剰資本の輸出として存在し、内に対しては企業の集中合併系列化による過剰資本の処理、および農業・中小企業の「構造改善」による相対的過剰人口の創出を軸とした社会内分業の再編(産業秩序の確立)、それに対応した作業場内および国家機構内部の分業の再編(職務秩序・政治秩序の確立)として存在している。そしてこの「社会内分業」の一環として教育体系が存在し、それが「作業場内分業」の改編による労働の極限までの部分
化、専門化に応じて、そしてまた国家機構内部における軍事的=官僚的統治機構の帝国主義的改編という上からのファシズムに応ずる疎外された団結の形成をはかってゆくものとして、改編されつつあるのが現在の教育情勢なのである。
第三次産業合理化と称せられるこの帝国主義的分業(秩序)再編強化の運動はいかなる歴史的産物なのであろうか。敗戦によって壊滅的打撃をこうむった日本ブルジョアジーは、直ちに真の意味での敗戦国=米国のドルと銃剣によって、その復活をはかっていった。第二次大戦のかくされた本質=階級間戦争=の最も集中的爆発であった朝鮮戦争はこのとき彼らの絶好の足場となったのである。戦争による莫大な特需を獲得しつつ、日本資本主義は百万人の首切りとよばれる第1次産業合理化(旧い生産設備を基礎とした労働の社会的人員配列の改編)を行い、いわゆる「相対的過剰人口」の形成をなしとげていった。これをもって各個別の資本は社会的権力(資本が最も普遍的な私有財産=物化された類として、それに対しては単なる部分としてしか存在しえない労働力商品を包摂する力、政治=国家権力の基底をなすもの)=経営権を確立し、その上に立ってのブルジョア支配体制の再構築をはかっていったのである。こうして、第1次産業合理化(1948〜54年まで)において蓄積された特需=合理化資金と、産業予備軍(相対的過剰人口)=搾取材料とを基礎とし、改編された労働の社会的人員配列に応じて、1955年ごろより、日本資本主義は「生産性向上運動」と称せられる第2次産業合理化をおしすすめてゆく。これは「スクラップ・アンド・ビルド」といわれる技術的基礎の変革を、民間の設備投資を以て貫徹してゆくものであり、この第2次合理化こそ、この期の「高度成長」をささえたものであった。同時に1955年は先にのべたように、保守合同という、日本における「秩序党」の完成=ブルジョア議会独裁制の完成の年であり、そのもとで、戦後の「相対的安定期」が開花してゆくのである。
しかるに、1950年代末期は、多かれ少なかれ「高成長」をとげたヨーロッパ大陸諸国の相対的上昇によって、米国のドル危機、さらには老帝国主義国イギリスのポンド危機が、総じて国際通貨体制の動揺が始まり、1960年代に入ると、欧州大陸諸国に相次いで「構造的停滞」という底知れぬ泥沼の中へまっさかさまにおちこんでいったのである。日本もその例外ではない。そして、それを突破するために、プロレタリア人民に向け
られた最初の大きな攻撃こそ、原潜寄港―日韓条約の締結にほかならない。日本ブルジョアジーは動揺するドル=ポンド体制の中で独自のブロックを構築すべく東南アジアに対する資本輸出を行いつつ、その個別利害はベトナム革命としてつき出された世界プロレタリア人民の闘いを圧殺するという点での世界ブルジョアジーの共同利害に屈服せざるを得ない。かくして、日本の対外政策は東南アジア人民抑圧の階級同盟の盟主(いわゆる「アジアの盟主」)としての自己の地位の確立をはらんだ海外進出となるのであり、これを準備する国内の政治=社会秩序の改編が「国防」「国益」という一点においてなしとげられてゆこうとしているのである。そして構造的停滞を突破するための日本人民への攻撃が、第3次産業合理化とファシズムへの突撃である。社会内分業は先にのべたように、資本の集中、集積と相対的過剰人口の形成を軸とし、先行する第2次合理化における民間部門の改革によって、隘路部門と化した公営企業制度、公務員制度、財政制度等のいわゆる「公的部門」および「産業基盤」として資本家的生産の一般的条件をなす交通、通信、運輸、水道部門の変革、それに教育工場(学校)の変革を以て再編成されつつある。
そして、この中で、各企業内では激化する競争に耐えるべく資本の社会的権力の圧倒的強化による相対的および絶対的剰余価値の生産が「作業場内分業」の確立を通じてなされているのであるすなわち労働の徹底的な専門化、部分化それによるプロレタリアートの一層の不具化、奇型化(精神労働と肉体労働の更なる分間)であり、ここで血を吐くような苦痛を味わっている下部肉体労働者を統括するための職長、班長、作業長制度の導入による監督労働の強化であり昇進制度による労働の等級的位階制による職場秩序=軍隊的秩序=の形成、労働者の戦闘的団結の破壊、その根幹をなす資本所有、資本機能の一層の分離であり、それらを全体として物質的に保障する職務給、職能給等の帝国主義的賃金体系の確立なのである。そして、実はこの第3次合理化による職制層の肥大化と各個別の職場における労働組合の形骸化を基礎として、その集中的表現として労働者運動全体の急激な右カーブ(IMF・JCの台頭など)がもたらされてきたのである。この帝国主義的社民は、公明党という形で旧い中間層が自らの利害をかけて独自のファシズム的運動を展開してきた現在、たとえ今はそのスローガンが若干異なろうとも早晩これに屈服せざるを得ないものとして存在する。こうして社会的に形成される下からのファシズムは、同時に国家機構内部での分業(政治秩序)の再編確立をささえ、日本人民を公然たるファシズムの中へき込んでゆくであろう。
昨年の十一月十二日、佐藤首相は米国へ飛び立ち「日米会談=共同コミュニケ」において七〇年へ向けての日本ブルジョアジーの攻撃の一端をあきらかにした。とりわけ、沖縄問題に関して「国民が自らの国を守るという決心がつけば三年をまたずもっと早く帰ってくる」として、沖縄は「極東の安全と平和」のため日米共同で維持すると主張した。それを受けるかのように、暮れには灘尾文相が「これまでの学校教育で国防、安全保障の問題がタブー視されていたのはおかしい」と述べ「明治百年」にあたる今年の年頭には「国防教育」を日本全国の津々浦々に展開すること、そのために学校教育制度を根本的に変革してゆく気がまえであるということを宣言した。かくして、まず小学校教育においては、昨年四月の教育課程審議会(文相の諮問機関)の中間答申にもとづいて昭和四六年度から教育課程があらたまり、「神々の復活」が確定している。それに先立って神話には全くふれていない現行学習指導要領をもとにした最後の教科書として四〇年以来三年ぶりに改定され「今年の四月から使用される新版教科書、「明治百年」を強調し、日本海海戦の絵を「日本の艦隊は、この海戦で、ロシアの艦隊をやぶりました」という説明とともに掲載するなど、国防、国益の帝国主義的ナショナリズムを鼓吹し、他方憲法第九条の説明が短縮され、地方自治の「リコール制」などについての説明は全く姿を消しているのだ。また中学校教育についても、教育課程審議会は四〇年六月から教育課程の改定をすすめてきており、去る一月二四日、中間報告が発表された。
この報告では、中学教育の目標が「国家への愛情と社会責任の自覚」であるとされ、また、「生徒の個性、能力に応じた教育を」という形で、産業合理化への中学教育の適合がおしすすめられている。とりわけ、社会科の分野では、「政治、経済、社会的分野」を「公民的分野」と改め、歴史地理教育と合わせて「国家と民族」の一員としての意識を形成しようとしていることに注意しなければならない。これは「個人の尊厳」と教育基本法に主張されたブルジョワ的(私有財産を土台とした)個人の個別利害の保障を重んずる「市民」的紐帯が、日本帝国主義の本格的な確立とそれによる社会的不安の増大の中で諸階級、諸階層の対立によって、その幻想性を暴露され、階級闘争の進展の中に私有財産の廃絶へと向わざるを得ない団結の片鱗を見たブルジョアジーが、必死にその「私有財産」そのものを防衛するために打ち出した「疎外された普遍」としての「共同体」へとプロレタリア人民を包摂せんとしていることを物語っている。そして、これと共にうち出された、産学協同の強化は、こうしたファシズム権力の基礎を労働者を部分化し専門化しつつ作業場内分業(労働監獄)中へしばりつけることによって各職場にうちかためてゆこうとするものに他ならないこの「疎外された共同性」の形成は「公民的分野」の内容を見ればわかるように「マイホーム主義をぬぐおう」(平塚同審議会中等教育分科会長)という主張に示される、近代的な家族的紐帯さえも引き裂いてゆくものなのである。
こうした小・中学校における教育課程の改定につづいて、文相は高校教育の改編をも意図し、来年春には教育課程審議会の答申を受けて、昭和四十八年度からこれにもとづく新教科書を使用してゆこうとしている。これは、小中学校の教育課程との一貫性を保つことを大きなねらいとしており、したがって、「国防教育」が前面におし出されることは必至である。文部省はすでに、「国民としての深い自覚」をつちかうことにいちばん力を入れているといわれ、「国防」というナマの言葉をつかわずに「日本史」の元寇、日清―日露戦争などをテーマにしながら「身近な民族の独立国土の防衛といった問題を盛り込みたい」と主張している。また他方、高等教育は徹底したコース別に改編され、職業の数ほどのコースが設置されてゆこうとしていることにも注目する必要がある。これは中級技術者を社会=労働監獄におくり出す役割を社会的に与えられた高校の産学協同の強化として、単に経済的な問題のみならず、ファシズムとの関係で把えかえしてゆく必要がある。 こうして、小・中・高の教育課程が「国防教育」へと全面的に改編されてゆくと同時に、大学生に対しては、いままでのさまざまな形での産学協同の強化と共に、学生の自治の暴力的破壊の動きが破防法の運用を頂点として進められている。すなわち、すでに明らかにしたように、学生の受ける社会的再編―教育矛盾の現実形態は構造的に次の二つにわけることができる。すなわち、まず第一に、学生を労働力商品として職場秩序の中におくりこむということを直接にめざす教育改訂。これは、カリキュラムの改編、授業形態の改訂(マスプロ化、ミニプロ化など)、学部、校舎の移転等々である。また医学生に対しては社会的分業の再編に応じた登録医制、無給医制の強化等々である。しかるに、学生は単なる物ではなく、精神労働者として部分化され、競争関係の中におかれるならば、たえざる社会的苦痛を感じざるを得ずブルジョアジーとしては何らかの「普遍」の中へ包摂せざるを得ない。かくして、教育矛盾は第二に自治(自治会のみならず学館、寮、サークルなどの)破壊を中心とした学生が自ら疎外された普遍を形成してゆくような条件の保障=ファッショ的権力基礎の培養(サロンとしての学館の建設など)として存在している。法大闘争、羽田闘争以来、ブルジョワジー(その政治的表現である政府)は大学当局と一体となって、学生自治の暴力的=直接的破壊を露骨に行なってきている。国立大学協会(会長、大河内東大学長)学生問題特別委員会(委員長、奥田京大学長)は去る昭和四十年十一月に出された東大の「大学の自治と学生の自治」なるパンフレット(いわゆる「東大大河内★見解)にひきつづき、翌四十一年十一月三十日「学生問題に関する所見」(いわゆる国大協見解)を発表し、その中で、「万一、学生側の行動が、大学本来の使命の遂行を妨げるような事態を生ぜしめた場合には、やむなく警察の助力を求めるという遺憾な結果を生じないともかぎらない」としていたが、羽田闘争以来のわれわれの闘いの高揚に関して、更に「警官の学内導入はやむを得ない場合に限り、大学側から要請する」との見解を発表したものである。そして、これを受けて、警視庁は二月一三日管内各署長あてに「警官の学内出動基準について」という通達を発し、「大学内といえども治外法権区域ではないので、学内の治安維持は警察の責任だ」として、次の四つの基準★をうち出した。
即ち、@犯罪がまさに行われていることが外から現認できる場合A大学の責任者から一一〇番で警察に通報があり、学内での不法事案が客観的に認知された場合B負傷者が学内から学外へ運び出されるなど重要事案が客観的に認められる場合C大学側から要請があり、学内で警官の職務の執行が認められた場合である。こうして官憲の学内導入は大学当局の要請に待たずに合法化され、三月六日の衆院文教委員会では、灘尾文相が「大学は治外法権の場ではない。遠慮なく学内捜査をせよ」とまで語っており、「いままで警察も大学内捜査にためらう態度もあったが、大学自治を守るためにも、このさい積極的な態度に転ずるべきだ」として、大学当局と警察の一体化を公然化しようとしている。われわれはこのような攻撃に対して「大学の自治を守れ!」という叫びが全く無力なものでしかないこと、学生の自治に対する前述した根本的把握の上に立った、闘いこそが要請されていることを見ぬいた上で、ブルジョアジーによる自治破壊を粉砕してゆかなくてはならない。そして、そうした攻撃を物質的に保障するものこそ授業料を中心とした学費値上げに他ならない。今年度は国立大学授業料値上げを中心として七〇年へ向けた最終的な教育の帝国主義的な改編がなされようとしている。われわれはこれに徹底的に対決しつつ七〇年代へ向けての不動のプロレタリア的権力基礎を形成してゆかなくてはならない。
さらに教育労働者に対しては、教育公務員特例法(教特法)をはじめとした教育三法の改悪がなされようとしている。教特法改悪は、教育労働者は「労働者ではない」として労基法第三七条、三八条の超過勤務手当の対象からはずそうというものであり、これは教頭の地位の強化という攻撃にあらわれた学校における教育労働者に対する分割支配(専門化)を賃金面で保障する合理化攻撃に他ならない。さらに外国人学校制度改悪については、単に「排外主義イデオロギーの強化」などととらえるのではなく、さしあたり「朝鮮人」問題として爆発している最下層プロレタリア人民の闘いと団結を、その教育過程において粉砕するものであり、支配者は「朝鮮人問題」の中に現在の体制そのものをくつがえしてゆこうとする方向を敏感によみとり、これに死ぬほどの恐怖を感じているのである。われわれは教育労働者と結合して、これら教育三法の改悪に根底から対決する運動を「反合反ファシズム」の旗のもとに展開してゆかなければならないであろう。
さて、最初に学生の社会的存在とその究極的解放を可能とする運動と団結の本質を明らかにし、つづいて現代日本の学生の受けている社会的苦痛の現実形態を把握したわれわれは、今や、現実の闘いの方針を定立し実践しなければならない。社会運動で構築される革命的団結はその萌芽として授業料値上げ等々を問題とした大衆的組織として表現される。それは対策委員会を始源的な形としつつも、くりかえし、闘争委員会、さらには行動委員会へと発展させられてゆかねばならない。そして、この行動委員会の形成の通報は、単に社会運動を社会運動としてのみ闘いぬくのではなく、先にのべたような構造を以て普遍的=政治的課題との対決をなすことによって階級的政治性をおびた団結へと高められてゆくものであり、政治的課題(反戦反ファシズム)も追求してゆかなくてはならない。その組織的表現は「反帝学生評議会」であり、これこそ七〇年へ向けたプロレタリア統一戦線の実体的基礎をなすものとなる。これをテコにして、教育闘争を、共同闘争(全学連の下における全国教育共闘を通じた)を以て真に大衆的に闘いぬくこと、これこそわれわれに課せられた任務である。情勢分析で明らかになったように、七〇年にいたるまでにほぼ確実に発動される
破防法を前に、教育闘争を通じた革命的団結の構築に失敗するならば、来るべき安保闘争は闘わずして敗北するであろう。その意味で全国の同志の双肩に課せられた任務はきわめて重大である。
ではこの全国的な教育闘争の@は何によって可能であろうか。また、全国教育共闘の形成、発展は何によって保障されるのであろうか。それこそ拠点における極限までの闘いとその全国への波及である。すなわち、すでに述べたように、教育闘争は、各学園における個別の教育ブルジョアの社会的権力の強化に抗するものであり、その限りにおいて、他とは区別された各学園における個別的闘争対象をもつ。そして、それが普遍的政治闘争へと発展するというのは、観念的な問題ではなくてすぐれて実践的問題である。それは、個別闘争の課題をあいまいにして政治的課題へとすりかえたり、あるいは、個別闘争の中で同時に政治的課題も訴えればよい、ということではない。これは何よりも対象の現実的構造の問題である。すなわち、個別の課題を闘いぬく中で、対決している対象の総体へとくりかえしせまってゆくことであり学生の団結をたえず新たなる社会性をおびたものへと発展させてゆくことである。その意味でさまざまな闘争課題は、決して「学園民主化」等々のスローガンによって集約されることなく、「産学協同路線粉砕=教育の帝国主義的改編粉砕」「一点突破―全国展開」へと高められなければならない。教育闘争へのこうした戦略的方針はすでにすぐる早大闘争で実践的に把握されたものであり、昨年度の中大闘争、駒沢大闘争、関学闘争、東京女子大学闘争、東洋大闘争等々の中でますますその正しさを証明されている。
駒沢大学では学生自治権のファッショ的剥奪に対し、昨年の「学園民主化」をスローガンとした闘争が中途で挫折した後、現在、「産学協同路線粉砕」の旗のもとに、反帝学生評議会を中軸とした執拗な闘いが展開され、11名退学という不当処分に抗してストライキをかちとるという方向で組織化が進んでいる。また、関西学院大学では、五〇%の学費値上げに対決するストライキが七〇日間、反帝学評を中心に打ちぬかれ、二五名の大量処分と右翼の白色テロにも屈せず「教育の帝国主義的改編粉砕」のスローガンのもとに闘いが前進している。中大においても、エンプラ闘争による政治的流動状況の中で「産協路線粉砕」の闘いとしての学費闘争が勝利してきた。
こうした学生の闘いの深化は、当然にもブルジョアジーの恐怖をよびおこし、処分と同時に学生自治の全面的=暴力的破壊が、学内捜査という形での機動隊の導入を以て行われている。四月九日には、関西学院に開学以来はじめて警官隊二〇〇人が「強制捜査」を行ない、去る三月二十八日卒業式当日の官憲学内突入以来二度目の出動となったのである。
われわればこのような事態をただ客観的に見て当局と共に「導入の口実をつくった一部学生」なるレッテルを投げつける日共=民青諸君に対し、闘いがブルジョアジーの心臓部にその刃をむけたことの結果として把握し、ただちに反撃の体制を組んでゆくことを宣言するのみである。
最後に、諸派の教育闘争に関する見解を批判しておかなくてはならない。全国の学園において犯罪的な役割を果してきた日共=民青諸君については、すでに明らかにしたとおりである。彼らは学生の存在を「観念的であり、激しやすくさめやすい小ブル」ととらえ、学生の社会的苦痛の「疎外された」表現である学園生活防衛を至上のスローガンとし、それを日共の「指導」のもとに民族民主統一戦線の一翼に位置づけるというものである。ここでは、学生がきわめて皮相的にしかとらえられていず、否定し突破さるべき疎外が前提となっているのである。彼らの「教授との共闘」も、結局、共同闘争とプロレタリア統一戦線との把握なくしては、民主勢力(小市民の利害によって全体がワクをはめられている)の物理的補足物合唱隊≠ヨと学生の闘いをおとしめるものとなるであろう。構造的改良派諸君についても大同小異でその構造は前にのべたことにつきる。民青と一見正反対であるかのように見えてその実、その構造においては彼らと全く同じ方針しかもちあわせていないのが革共同革マル派の諸君である。これについては別項で詳細に展開されている【註・後掲】。革共同の片ワレ、中核派は、すでに基本的な点にはふれたが、学生を学問的良心をもって真理を追求する存在とし、ブルジョア社会から相対的に独立した地点にいるということによってそれが可能であるとし、学問の非学問化という攻撃の把握によってこの「良心」を基礎に闘争を展開しようしている。だがこの「真理への拝跪」や「学問的良心」とは一体いかなる代物なのか、それこそ、学生が疎外された精神労働の中に閉じこめられ、そこで競争させられていることを基底とした「疎外された」普遍の奪回に他ならない。とするならば、われわれのなすべきことは、それにのっかることではなく学生自身の此岸に現実的普遍を形成してゆくことではないのか?
中大闘争を闘いぬいたブント諸君はいや応なしに以前の主張をひっこめ、大学が社会の中でいかなるものとしてしか存在しえないかを問題とするに至っている。しかし、悲しいかな、剽窃はあくまで剽窃であり、あれやこれやの折衷で当面を糊塗しようとも論理的整合性を獲得しようとすれば自らの根本的路線の変更をなさざるを得ないことは明らかであり、今や、再び自己の本来の姿へ回帰して明大闘争で示された学内機構改革路線へ戻るか、さもなくば本格的な動揺を開始するかの岐路に立たされている。
ここでは、その具体的例証として社会運動と政治運動の結合の問題にふれておこう。ブント中大細胞の主張では「社会的組織の過程を通じて生み出された学生はブルジョア的エゴによる自己社会的存在の獲得(経済的―社会的)=自己の労働力をいかに高く売るかという一つの形態だが=と人間の解放への教育(研究―科学)の参与という内的矛盾につきあたる。……また教育手段の私的所有(教育資本)のメカニズムから収奪(教育―研究費の産出と自己還元)を通しての内的矛盾が形成される。かかる学生の内的矛盾は自然発生的であるが普遍性につらなる反抗を内的に準備するのである」となっている。
この「内的矛盾」なる学生の社会的苦痛に対する把握は全く誤りであるといわなければならない。すでにくりかえし、述べてきたように「人間解放への教育(研究・科学)」ということ自体、いかなる社会的疎外に対する「疎外された普遍」であるのかが明らかにされなければならないのに、これとブルジョア的エゴとが矛盾するなどといっているのだ。かくて、彼らの政治闘争との結合は、「これらを条件づけているものこそ帝国主義的再編を遂行しようとする資本制社会の現実的動向なのだから、かかる対決は拡大する」などといって学園闘争はその「個別的―階層的利害闘争」をこえて「社会的分業の廃棄」へ向うという形で主張される。これくらいのことは多かれ少なかれ「左翼」ならだれでもいうことである。要するに現在の社会の様々な矛盾は資本制社会そのもの矛盾だから国家権力の打倒にむかわざるを得ないということになるのだ。学生の矛盾を個と類の現実の矛盾としてまず把握し、その上で、教育研究そのものが、それを担う主体にとってどう意識されようといかなるものとしてしか存在しないかを明らかにすること、そして、教育と社会的分業の構造的連関を具体的に明らかにし、そのことによって学生の社会運動が政治闘争とりわけプロレタリアートの階級闘争と結びつかざるを得ないということをはっきりさせること、これがブント諸君には全く欠落しているのである。われわれのそれに対する積極的な内容はすでに展開された通りである。ブント系諸君の運動は遅かれ早かれその没落をわれわれによって促進せしめらるのみであろう。
おわりに、第4インター系諸君(「国際主義派」と名乗っている)のいう「学園管理」について触れておきたい。この「学園自主管理」とは単なる「戦術」(大学当局との物理的関係を変えるための)として把握されることは決してゆるされない。早大闘争によって定式化された教育闘争の戦術(クラス・サークル討論、クラス・サークル闘争委の形成―学部、全学闘争委の形成―その発展としてのクラス・サークル、学部、全学のストライキ行動委員会の形成―マッセンストライキの実現=学園自主管理、自主講座)における「学園管理」とは、一体いかなる内容を持たなければならないのか。それは、あくまで、各クラス・サークルにおける個別的団結を基礎としてその学部、全学における集中的表現としてのみ存在しうるのであり、「自主講座」も各クラス・サークルでの討論を通じて、学生大衆の共通問題意識として明らかにされたものを深化し、発展させるものとしてのみ存在する。このことの確認と実践のない第4インター諸君の「学園管理」は形骸化しやがて当局、官憲の一体となった攻撃の前に一挙に潰え去るであろう。
われわれは以上の点を以て今年度の教育闘争の根本的な方針とする。羽田―エンプラの闘いで火蓋を切られた70年闘争を支える真の意味で強固な団結の形成が、ドイツプロレタリアートの反ファッショ闘争の敗北および日本学生運動の60年安保における敗北を見、その誤ちをくりかえすことをゆるされていないわれわれに迫られているのだ。
全国の@@諸君、ならびに革命的学友諸君! われわれが必死であるとするならば、ブルジョアジーもまたそうである。いささかでも追撃の手をゆるめることは、彼らの勝利をまたたくまに可能とすることにもなろう。学生大衆の社会的再編の中から、ファシズム権力の登場★を粉砕する不動の団結=プロレタリア的権力の基礎を★うちかためつつ70年新安保粉砕へ向けてあくなき反逆の闘いを展開しよう。
(郡司信興)
【註】この号5面に掲載されている、中原一「革共同革マル批判―その3」