革命期におけるプロレタリア革命(派)の戦略問題
――解体戦はいかに展開されるべきか?

党派闘争に関する部分を抜粋――全文はこちら

 1 路線討論のための問題の所在

 (1) 綱領確立を目指す路線討論を!

 (2) プロレタリア暴力革命路線の深化、発展を!

 (3) 革マルとの戦略的対峙下における死闘への突入
@ こうした課題を貫徹せんとしている我々にとって更に重大な課題が存在している。それが反革命的宗派革マルとの死闘の展開である。我々は七五年夏以後、戦略的対峙段階への突入を決定した。
 そして6・24報復を当面の主軸とする死闘へ突入していった。死闘とは、アジテーションの為の修飾語ではない。敵への階級的テロルを含む暴力的鉄槌の貫徹、及び6・24石井同志に加えられた虐殺攻撃を、我々すべてにかけられたものとして思想的現実的にうけとめ死をも恐れず闘い抜くことを意味する。そして、10月8日、6・24虐殺の当事者Aに対する階級的テロは爆発した。我々はまさに死闘に突入したのである。
A この反革命的宗派との党派闘争の死闘の真只中でプロレタリア革命戦略をいかに深化するかということが、重大な任務となっている。我々の戦線の中にも現下の党派闘争に対する批判的見解が出ていることは、決して軽視してはならないものである。出されている問題を正面からみつめ、プロレタリア革命の戦略戦術を全組織的に強化しなくてはならない。
 世界革命運動の歴史の中で、党派闘争が苛烈に闘われた例は沢山ある。ロシア革命の中におけるボルシェビキとエスエル、アナーキストとの闘争、スペイン内乱におけるスターリニストとアナーキスト、トロツキズム的傾向のPOUMとの党派闘争は、全面武装闘争=戦争によって決着がついている。だが、蜂起以前の段階で、このような苛烈な暴力闘争を含む党派闘争が闘われた例はほとんどない。ここに日本におけるプロレタリア革命の特殊性における困難性と複雑性がある。
 六〇年代一杯かけて、反帝闘争から逃亡しつつ、反革命的暴力的攻撃を戦闘的運動に加えてきた革マルは、七〇年代に入るや否や「小ブルバミダシ派の解体」――「暴力革命主義者の絶滅」を叫んで他党派破壊の党派闘争に突入した。この彼らとの党派闘争の全面化をプロレタリア革命路線の下に思想的、戦略的にいかにとらえかえし強化するのか。この問題が「戦略的対峙戦への突入」下において重大なことになって来ている。
B 日本階級闘争の特殊性は革マルという疎外され切った反革命宗派を生み出した。革マルとの党派闘争の全歴史をふりかえれば明白なように、又、革マルの思想と戦略が自ら明白に語っているように、革マルのプロレタリア革命派や他の「戦闘的潮流」に対する破壊攻撃は、一時的な、又は戦術的なものではない。それは彼らの生命線なのだ。階級的反戦闘争と全国学園闘争の真只中で、背後から早大解放派に加えられた反革命的暴力攻撃、青年協の闘争の只中で水道青年部に加えられた攻撃、6・24反革命殺人攻撃。
 彼らは我々の反革命宗派に対する闘争の体制の弱さにつけこんで、その他党派解体戦略を貫徹してきた。国家権力の大弾圧を条件としてなされるこの破壊攻撃を戦略的につかみきり、粉砕し、彼らを解体に追いこむことなしに、革命運動の前進はありえない。プロレタリア革命の勝利は、革命的労働者党の存在によってのみ可能となるのであり、その党派への破壊攻撃を許すことは、革命運動の放棄以外の何ものでもない。
C 今、深められるべき課題は次の諸点であろう。
「革マルの解体とは、一体いかなるものでありいかに貫徹されるのか」
「政治的闘争、軍事的闘争といわれるものの構造は、どのように推進されるのか」
「社共との闘争と革マル解体戦との関連は何か」
 これらが主要に深められるべきものである(尚、労働組合運動をめぐる党派闘争についての総括方針は、革命期における労働組合路線討論の中で提起される予定)。

 (4) 組織的討論を!

 2 政治(戦略)と軍事(戦略)の関連について

 政治ということは、階級社会における階級闘争についての概念であろう。階級社会において国家が成立しその国家権力を巡る闘争として政治闘争が闘われるのだから――。従って政治ということは、階級社会における「階級的力」=「普遍的力」=「共同体的力」についての概念である。ところでブルジョア社会では、階級社会は次のような立体構造をもっている。個別資本の下に包摂されている労働者は、精神労働は外在化しており、肉体労働という分業に感性的に隷属している。個別資本家は、資本の社会内力の下に、感性的、暴力的支配と精神的支配を行なっているのである。
 ブルジョア社会では、市民社会と国家が分離しており、個別資本の支配力は「国家権力」として「共同体的」に、普遍的に疎外されている(上都構造)。つまり幻想的共同性の下におけるイデオロギー的支配と公的暴力による支配である、つまり支配階級の政治力とは、この幻想的共同性の下に統一されているイデオロギー的支配と公的暴力による支配である(この関係は分業として存在するが)。
 プロレタリアートの政治力とは、この階級的政治的支配力に対抗して思想闘争と階級的暴力的闘争を階級的団結(共同性)の下に統一して「力」としてつき出される。政治力又は政治闘争とは、本質的にこの統一力をいうが、具体的な現象形態は思想闘争、暴力的闘争が相対的独自に分化してあらわれることはいうまでもない。
 闘争とは敵への対抗ということだから「組織面」を闘争としてあるのだから次のように要約しうる。
〈プロレタリア的政治闘争は思想闘争、暴力的闘争、組織的闘争の統一力によって実現される。〉
 ともすれば「政治的、軍事的」という形で使いやすいが、これは厳格にいえば誤りであって、多くの場合「政治」ということが「政治技術的」ということで使われている。
 このように整理してみれば、この間の批判、つまり「政治的解体方針が不充分ではないか」という疑問は、現下の我々の革マル解体戦略そのものの不充分性をいっていると理解すべきであって「政治技術が不充分だ」という風に理解すべきではない。
 政治戦略という用語を次の二つの規定としてつかんでおこう。第一は、その科学性からみた使い方であり、「洞察された必然性」である。第二に、敵との対抗としてみれば、「敵の全面的センメツ、解体の方策」である。このように整理すれば、我々はプロレタリア革命における「戦略」という概念をいかに使用し、またプロレタリア革命派の戦略の立て方がハッキリしてくると思われる。
 政治戦略というのは以上のことからいえば、軍事的闘争と思想的闘争と「組織的闘争」の統一体を表現する概念である。
 従って「プロレタリア革命の戦略」という時に、この政治戦略を意味する。「革マル解体戦略」についても同様である。そしてこの政治戦略の下に軍事戦略が存在する訳である。

 3 プロレタリア革命派の戦略

 4 戦略方針の破壊作用

 5 近代的ブルジョア国家の特徴

 6 階級闘争と革命闘争

 7 革命期における戦略・戦術

 (1) 問題の所在
@ ……
A さらにもう一つの重要なことは、一般的には各国階級闘争に共通化しているにしても、独特の強度をもって闘われている、日本における党派闘争の日本階級闘争の中での戦略的位置づけの問題である。
 この問題は、直接的対応のみならず、思想性、戦略、戦術の次元においても日本革命運動の死命を決するものとして、正面から「戦略論」としても問題にしきらなげればならない。いうまでもなくそれは、反革命宗派のみならず社共等を含むものである。

 (2) プロレタリア革命戦略における直接性と媒介性
@ プロレタリア革命の戦略は、いうまでもなく「帝国主義打倒」である。これは世界革命、永続革命としてのみ貫徹しうる。
 だが、このプロレタリア革命が貫徹されるためには、不可欠なものとして宗派の解体闘争が勝利的に推進されねばならない。何故ならば、反帝闘争一般のかぎりでは、様々な小ブルジョア中問階級の利害の下にプロレタリアートが収約されてしまう。従って反帝闘争をプロレタリア的に貫徹しきるためには、反帝闘争の断固たる推進と共に、小ブルジョアジーの利害を党派的に体現し、プロレタリアートを物理力にしている宗派との党派闘争によって宗派を解体しつつ、同時にその闘いを通してプロレタリアートをおおっている小ブル的なものを解体し、プロレタリアートの階級性、革命性を深化発展させることが不可欠になる。
A こうして、帝国主義打倒という方針にとってその展開構造を正確につかみとるならば、直接的在帝国主義との闘争と宗派との闘争は、本質的に相互媒介的な関連となっている。
 反帝闘争は、直接には小ブルとの闘争ではないし、また小ブルとの闘争は、直接には帝国主義との闘争ではない。この二つの相異はハッキリさせておかなくてはならたい。このうえに立ってこの相互関係をみれば次のようになる。
 第一に、反帝闘争の激化は、必然的にプロレタリア的な反帝闘争と小ブル的な反帝闘争の区別をひき出してゆく。
 第二に、こうして小ブルとその下に収約されているプロレタリアートの間の対立の激化をもふくめて、プロレタリア革命派と小ブル宗派との対立の激化がはじまる。それはプロレタリア革命派と小ブル宗派の党派闘争として、反帝闘争とは相対的に独自に闘われることになる。
 第三に、このプロレタリア革命派と小ブル宗派との党派闘争により、プロレタリアートの階級への形成と党への形成は深化し、従って新たなる深められた目的意識性をもってプロレタリア的反帝闘争が闘われることになる。
B このプロレタリアートの反帝闘争の中にふくまれている反帝闘争と小ブル宗派との闘争の直接性と媒介性は、プロレタリア革命運動にとって本質的な構造としてあるのだということをしっかりとつかみとらねばならないだろう。
 この場合、絶対にふまえたくてはならないのは次の点である。
 プロレタリア革命派以外のすべての党派は結局のところ「反帝―人民主義」なのである。この「人民主義」の中身は、いろいろであるが――。プロレタリア革命派にとっては、反帝闘争一般では、不充分なのであり、その闘いの真只中で小ブル的なものからプロレタリア性を独立させる闘争が必要なのである。従って小ブル派にとっては、自分の「小ブル反帝闘争」にすべてを従属させるということが「党派闘争」になり、本質的なところでは、戦略的な位置がないので、その党派闘争が激化すれば党派闘争と反帝闘争が同一化されざるをえなくなってしまうのである。中核の「K―K連合」「ファシスト」、革マルの「謀略論」「黒三角同盟」などがそれである。こうした政治主義的規定は、一般的に通用するように思えてもプロレタリアートの階級化、革命化には少しも役に立たないゴマカシである。またこれは、「反帝闘争」と「スターリン主義打倒闘争」とを並列化してしまっている「反帝・反スタ戦略」の別の表現でもある(完全な裏がえし)。
C 我々は日本革命における解体すべき主要な宗派として、社民、スターリニズム、反スタ・スターリニズムをあげることができる。この他に「反スタ・スターリニズム+ブランキズム」としての中核、「スターリニズム+ブランキズム」としての赤軍派がある。
 これらの宗派の解体闘争がそれぞれどのような構造をもって展開されるのであろうか。
 日本階級闘争において諸党派の政治地図をみてみるならば、次のようになっている。
 新中間層的な利害を代表している社会民主主義(協会派を軸とする)としての社会党は、没落しつつもなお総評を通して日本プロレタリアートの主力を支配している。たしかに民間は右派に制圧され、組織は官公労主軸となっているが、革命期が深まる中で結局戦闘力をもつ官公労が日本労働運動総体を依然としてリードしている。そして、この官公労の組織されたプロレタリアートを組合主義的に固定化しつつ社会党が支配している。
 社民化しつつあるスターリニスト党=日本共産党は没落しつつある都市小ブルの利害を代表し、同時にプロレタリアートヘの支配力をつよめんとして、総評への切りこみを策している。この社共は、既成の小ブル党派として、日本プロレタリアートを収約しているが、その構造は次のようになっている。
 すでに革命期の深まりの中での矛盾の拡大により戦闘的プロレタリアートは、社共の支配下から離脱しているが、一方でプロレタリア大衆全体の「戦闘化」は、反自民、反民社、反公明という点で、逆に社共を一定程度浮上させるという現象をおこしている。
 日本革命の命運は、マルクスやレーニンの引用を行なうまでもなく、大産業の組織化されたプロレタリアートの力に左右される。このプロレタリアートが杜氏及びスターリニストの支配の下にとどまるか、プロレタリア革命派へと発展するかが極めて重大な意味をもつ。従って社(共)を突破せんとする潮流にとっては、社会党の基礎及び社会党そのものの解体は戦略的な位置をもっている。日共にとっても依然として当面の主軸はそこにある。
 社会党解体の方針は、小ブル派にとっては、「加入戦術」と外からのゆさぶりの組み合わせである。これは、日共が伝統的にとってきた方策であり、又、革マル、中核がとってきた方針でもある。我々にとってこれは、分派闘争路線として定式化してきた(現在のそのあり方は別に提起)。
 ところで革命期の中で、すでに一定の大衆的基礎を背景にして社共と区別された潮流と党派の建設が現実化してきている。六〇年以降発生した「新左翼」といわれる諸潮流の分岐、再編も戦略的次元では一段落し、プロレタリア革命派としての我々以外、反帝・反スタの革マル、中核、第四インター、スターリニズムヘ屈服を開始したブンド諸派という状況になっている。
 この中でブンド諸派は(ほんの一部を除いて)ほとんどプロレタリア革命路線を放棄してしまっており、ゲリラ戦主義に埋没している。そして毛沢東主義、ベトナム労働党路線などのスターリニズムに屈服を深めている。
 しかし、革共同車マル、中核、インターの三派及び我々は、産業プロレタリアの組織化を、様々な闘争―組織方針上の差異はあるにしても、主軸にすえている。革マルは「イデオロギー主義+組合主義」として、中核は「大衆暴動主義+組合主義」、インターはあらゆる意味で本質的な中間派として――。
 こうして杜(共)の足下から、プロレタリア運動が独立を開始した段階では「社(共)から独立した闘争―組織の確立及び社(共)の更なる解体闘争」ということが、形は異なるにせよ、これらの党派の方針となっている。中核は六〇年代中期までの加入戦術を六七〜六八年段階で完全に清算し、反戦による外からのゆさぶりに切りかえた。革マルは党派的には加入戦術という形での独立を保ちながら、むしろ労働運動では社会党への加入戦術を強化している。
 世界的にも日本的にも社(共)の破産は既成事実である以上、「新左翼」にとっては、社(共)から独立した闘争―組織を確立しつつ、更に社(共)の基礎とその党そのものの解体闘争を推進することが革命期の方針となる。逆にいえば、社(共)からの党内独立と運動上の独立、更に社(共)への更なる解体闘争を唯一だし切った党派が日本革命の主流派として登場しえる。これは路線のいかんにかかわらず直面している問題である。
 この構造の中で六九・七〇闘争から逃亡した革マルが、闘った部分に対し、国家権力の大弾圧を条件として、杜(共)の左に突き出した闘争―組織への破壊攻撃を全面化したのである。これが後にくわしくみるように六九〜七三年革マルが「オセオセ」スタイルで図にのって拡大した党派闘争の構造である。
 社(共)の基礎、及びその本体の解体は、革命期に突入している現段階では、社(共)から独立した闘争―組織の確立ということが絶対条件となる。それは〈分派闘争路線〉の発展である場合でも〈加入戦術の延長と清算〉の場合でも同じである。だから革マルは、我々や中核をつぶしてしまえば、日本プロレタリアートの主力を自分達が支配できると思ったのである。しかも革マルは反帝闘争を市民主義、組合主義として固定化した上で、他党派解体攻撃を唯一の「革命運動」としている宗派である。この疎外構造は、正に日本的小ブルジョアジーの特殊性をもっている。
 後に詳しく述べるにしてもそれを要約しておけばプロレタリア人民の自然発生的闘争の中には、階級性、革命性が一滴もないとして、それから断絶したところで小ブルイデオロギー運動を推進する。
 しかも彼らは「基底体制還元主義批判」なるものによって思想の社会的基礎を問題にしないため、「イデオロギーの粉砕」=「イデオロギーの実体」としての他党派の暴力的破壊になる。こうして反帝闘争の市民主義、組合主義的固定化と他党破壊攻撃の全面化という方針が出てくる。ここに日本的小ブル党派の反革命性の特質があり、蜂起―内乱以前における党派闘争の死闘的展開の根拠がある。D 以上を要約すれば、次のようになるだろう。
 第一――反帝闘争と反宗派闘争は、本質的な媒介構造をもっている。
 第二――日本革命の勝利にとって、社(共)の解体闘争は依然として戦略的な中心軸である。
 第三――だが革命期においては、社(共)と独立した闘争―組織が確立され、それをもって社(共)にかかわることが問題次のである。
 第四――日本的小ブル宗派、反革命的宗派としての革マルはその特質からいって反帝闘争における改良主義と他党派解体攻撃を戦略としており、革命期に突入して以来、社(共)の左に突出する潮流の破壊攻撃を全面化した。
 第五――こうして我々は、当面反革命的宗派革マルの解体戦を、社(共)から独立した闘争―組織の確立と共に、勝利的に推進しつつ、社会党解体の戦略的高地を確保するための闘いという方針が展開されねばならない。

 (3) 革命期における帝国主義打倒闘争の戦略方針
A プロレタリア武装蜂超勝利――プロレタリア独裁樹立を目指して進む階級的革命派の政治戦略とは何か?
B 「蜂起の序章期」、「革命前夜」、「蜂起の時点」
C 「赤衛隊、赤軍建設――武装蜂起」からみた「階級的・革命的戦略、戦術」の展開
 ……
 E我々が今早急に更に深めるべきは、〈蜂起の序章期〉における、より「科学的且つ具体的な経済分析と政治過程の分析」と「方針の具体化」である。それは、ブルジョア議会制独裁の崩壊―中間政府の成立の問題、日本におけるファシズム運動の判断、そしてファシスト、反革命宗派と蜂起以前に闘われる暴力的軍事的戦闘の問題である。この点で我々は、先程述べたように階級形成の質をふまえて正確に推進しなければならないが、「死をも恐れず闘う思想性」と、必要に応じた「××の質的発展」については、頑強な意志一致を早急にかちとらねばならない。

 8 「蜂起の地平」をめぐる戦略的攻防と党派闘争

 (1) 「蜂起の地平」をめぐる戦略的攻防
@ 6〜7に書かれていることは、七三年段階でいったん総路線的に提起されたもののくりかえしと、七五年年頭の路線提起のくりかえしを含んでいる。これを行なう理由は、当時組織の基本骨格が極めて不充分だったため提起された方針が基本組織段階でほとんど討論されなかったか、読み流されたかの傾向があり、従って現在の戦略討論がその段階の討論の再論議を含むことはやむをえないという判断からである。現在の討論の中で「蜂起の序章期」あるいは「蜂起の地平」ということが再度討論にたっているが、これについては誤解のたいようにハッキリさせておこう。
「蜂起の序章期」という把握を行なったのは次の整理による。それは戦後第二の革命期ということは、階級決戦ということからとらえかえしたつかみ方ではある。しかし我々が暴力革命路線をとってきているその中味が、革命期に対応した形で深められたい限り一般論になってしまう。しかも革命期を更に階級攻防戦から区分し、それぞれの段階と任務を明白にしようという意図で使用された。いうまでもなくそれは「蜂起の前夜」とか「蜂起の時点」とかいう意味で使用されたことは一度もないし、そういう誤解を生む用語については革命期における戦略、戦術が相対的安定的とは区別された階級攻防戦であり、すでに部分的にあらわれている革命性の中味をソヴィエト運動と党建設を軸として階級的に発展させようという意味で使用されている。
 そもそも「ソヴィエト運動」という用語はレーニンがはじめて使用した言葉であり、「武装蜂起―プロレタリア独裁権力樹立」のための革命運動ということである。従って相対的安定期における運動ではない。明白に革命期の権力闘争の運動を指している。革命期のソヴィエト運動ということは、そのまま階級決戦を射程にいれた党―統一戦線の権力闘争を意味しているのである。なおこうしたことを前提とした上で、革命期の政治的、経済的区分の明確化とそれに対応した戦略方針の深化が今一層問われている。この点についての深化を行なった上で、これまでの提起も更に厳密にしてゆかねばならない。
A この段階の闘争は次の点で決定的な役割をもっている。相対的安定期における運動と区別されであらゆる闘争―組織を〈武装蜂起――プロレタリア独裁樹立を射程にいれた権力闘争〉=〈ソヴィエト運動〉として再編―発展させるか否かということである。これに失敗したり、敗北したりすればすでにこの段階でプロレタリア革命は破産、敗北したといっても過言ではない。
 従って「蜂起の時点」の問題を技術的なものに落としこめて現段階に幻想的にもってきて、逆に現下の任務を放棄してしまう「前段階武装蜂起」とか「先制的内戦戦略」は誤りであるが、我々が規定した「蜂起の序章期」の攻防が階級決戦の勝敗を決する質をもって闘われるのは当然である。
 従って、これをどのようにスローガン化するかは更に検討するにしても現段階で内部討論用に今までの用語を使ってあえて表現しておけば、「戦後第二の革命期における蜂起の地平をめぐる戦略的攻防」である。その中味を要約しておけば次のようになるだろう。
 第一――非合法・非公然展開能力をもった蜂起目指して進撃する党建設。
 第二――あらゆる闘争・組織をソヴィエト運動―プロレタリア統一戦線の強化・発展へと結合する。
 第三――革命期における暴力的・軍事鉗戦闘を組織的目的意識的に強化する。
 第四――反革命的宗派を集中環とする宗派解体闘争の促進。
 第一〜第四の中味は、戦略的な展開の中味であるが、これを現下における闘争、組織方針の順序としていえば、第四の闘争を通して第一〜第三の階級性・革命性を深化・拡大するということはいうまでもない。
B 現在の時期の確定と方針の確定をめぐって諸潮流の間に様々なブレが存在する。右のブレは議会主義的・平和主義的ブレであり、相対的安定期の運動の単なる延長を考えている。小ブル急進派のブレは、蜂起とか内乱とかいう問題を技術的・戦術的に現在の時点にひきよせて組織の戦略論の破産をくいとめようとする。
 我々にとって重要なことは革命期の厳格な把握とその推展の区分、及びソヴィエト運動の厳格な把握と展開である。ソヴィエト運動というのは、蜂起――プロレタリア独裁権力樹立を射程にいれた権力闘争をいうのであり、従っていうまでもなくその中には帝国主義及び反革命的宗派とのゲリラ的戦闘(防御と攻撃)を重大な要素としてふくんでいるのである。

 (2) 革命期における「ゲリラ的戦闘」=「戦闘行動」の位置と役割
@ 革命期の政治過程が、具体的にどのような経過をたどるかは歴史的な階級形成に大きく規定される。ロシア革命以前―以後では特に大きく相異がある。一七年ロシア革命の影響は両階級に激烈な衝撃を与え、日本では米騒動という大衆の自然発生的暴動に欠きた要因として働いた。イタリアでは既に一九二二年段階でファシストが勝利し、ファシズム権力下で二〇年代相対的安定期をすごす。イタリアファシズムの反革命的衝撃力は各国に拡大、独のナチズム、日本の軍部を軸とする三〇年代ファシズム運動、スペインファシズムの台頭に力を与えた、
A ファシズム運動の歴史的特徴は権力奪取への暴力的闘争という点からみれば次の様に要約しうる。
 第一に、革命期におけるプロレタリア運動の台頭に対して方針を失うブルジョアジーにとって代って反革命的抑止力として登場する。特に労組やストライキ破壊活動が重要な意味を持つ。伊ファシズムがロシア革命の衝撃と伊経済の混乱の中で闘われるゼネストを暴力でつぶし、それをテコとして大きく発展してゆくのが典型的である。
 さらに、この反革命テロルは、政党及び政党指導者への反革命テロルとして発展する。イタリア黒シャツ隊による左翼指導者の暗殺、ファシストの政権成立直前のナチ党と社民・共産党の暴力的衝突の恒常化等がそれである。
 第二は、このファシズム運動が帝国主義軍隊と結びつくか友好関係を形成するという点である。ファシズムの突撃隊は、イタリアにしてもドイツにしても独自に形成され、後で軍隊と結びつく形になっている。
 第三に、独自な党を作らず、軍部がそのままファシズムの政治組織、軍事力になることがある。戦前の日本、チリのピノチェト、インドネシアのスハルト、スペインのフランコ政権等のパターンがある。
B 革命期における区分を「蜂起の序章期」――「革命前夜」――「蜂起」とすれば、「序章」〜「革命前夜」にかけて、革命派と反革命派とのゲリラ好戦闘が開始されてゆく。この「ゲリラ的戦闘」というのは、その質、量において、限定された戦闘という意味であり、その中で決戦の質が準備されている。
 この意味で、我々は、これは「プロレタリア都市ゲリラ戦の現段階的貫徹」と呼んでいる。
 この「序章期」における「前段攻防」は戦争の論理ではなく〈双方の政治力の破壊のための戦闘行動〉の性格だが、この戦闘行動における屈伏―敗北はそのまま決戦における全滅につながってゆく。イタリアにおける二〇年〜二一年のファシストによる政党・組合・ストライキ・デモヘの暴力的破壊活動に対して左派が手を打てなかったため、そのまま二二年ファシズムの制圧の前になすべき術もなかった(もちろん、イタリアにマルクス主義政党が存在しなかった条件を考慮せねばならぬが)。こうして「序章期」における戦闘行動は厳格な路線の下に組織的に貫徹されねば勝利することはできない。すでに労組の争議拠点(全金本山や南大阪)での反革命暴力ガードマン、権力との攻防戦、スト権闘争への右翼ファシストの本格的対決等が激化しており今後一層熾烈になるだろう。
C 革命期への突入と決戦の準備という観点からみればイタリアよりもドイツ・スペインが多くの教訓を与えてくれる。理由は(特に)ドイツの場合強力な党派が存在していてファシストに敗北したからである。従って革命期における戦闘的攻防は党建設――ソヴィエト運動―戦闘行動と蜂起の質的準備の統一的視点からみてゆかねばならぬ。ドイツ共産党の敗北は大量の党員を有しつつもファシズム制覇前後の決戦期に対ファシズム戦略を完全に誤り、しかも組織プロレタリアートを社民の下に残したため、ストライキも蜂起も指導しえずナチスに磯城されるという大敗北を喫した。政治戦略の決定的な誤りであった。
D 序章期におけるゲリラ的戦闘行動の目的意識的貫徹は革命の勝敗に決定的な軍事的役割を持つ。蜂起という軍事的問題はそれより以前の攻防によりその質が準備され、また帝国主義問戦争による軍隊の崩壊――人民の武装というコースがほとんど考えられぬ以上、増々そうである。闘争と組織の防衛から開始されてゆく戦闘行動は、プロレタリア革命派の存立に関わるものであると同時に軍事的能力を鍛え上げてゆく唯一のものである。
E ロシア革命を担ったプロレタリアートは第一次大戦(大量殺りくを目的とする血みどろの帝国主義問戦争)の只中で革命化し、軍事的諸能力を身につけていった。ストライキやデモの暴力性と戦闘行動(武器を持ち職域戦として闘われるそれ)は明確に区別がある。前者は「死の危険」とは直接結びつかないが後者はそれを思想的に見つめ切り、それを突破したものにしか捉えない。武装水準を間わずそうしたものである。プロレタリア階級にとっても蜂起に勝利する軍事能力は敵味方の死をかいくぐってしか鍛え上げられない。
 本来的には味方だったはずのドイツ人民と戦争に突入し殺し合うことによってしか、軍事能力と革命性を身につげられなかったロシアプロレタリアートよりも、いかに苦しくともこの過程を目的意識的組織的に厳格にくぐり切れる我々の方がずっと「楽」なのである。しかしこの有利さは、逆に不断に軍事的なものに対する日和見主義を生む危険性も含んでいる。
 今までの叙述によって明らかたように、我々はストライキやデモの意味を過少評価してはいたいし、最大限に強化しなければならない。しかし、同時に革命期への突入は〈死を恐れず武器をもって敵を倒す〉という戦闘行動、戦闘能力が徹底的に強化されねばならない。これは反帝闘争、反宗派闘争の双方において不可欠の要素としてすでに展開されている。
 あらゆる思想性や運動の経過も「死を恐れず闘う」「長期投獄をも恐れず闘う」という点から再点検されねばならぬ。例え自己の任務が直接的には別のところにあるにしてもこの思想的同一性は早急に形成されねばならない。
 これを支える思想性は、最初に述べたような資本主義の本質(プロレタリアートの大量虐殺を周期的に行なうことによってのみ存在しえる社会)の正確な把握とプロレタリア革命は、武装蜂起――革命戦争によってしか勝利しえないという点についての厳格な一致である。

 (3) 党派闘争の展開とプロレタリア革命の戦略
@ (1)でみてきたことを党派闘争という点からとらえかえしてみよ
 すでに、戦略の直接性と媒介性の項(7の(2))で整理したように、日本階級闘争の一定の特殊性も含めて、反革命的宗派との攻防は、革命期における闘争上の戦略的位置をもっている。革マルという反革命的暴力を主要な手段として組織的な解体攻撃を加えてくる宗派との闘争は、日本プロレタリア革命の勝利にとっていかなる推進力となりえるのか?
 それは一切の小ブル性と区別されたプロレタリア階級の革命性を闘争―組織上、また思想上確立し、小ブル宗派を死闘を通して粉砕することにある。
 それがどのようなものであれ、プロレタリア永続革命の貫徹にとって、小ブル宗派との敵対と攻防は、いずれ必ずやってくる。ロシア、ドイツ、フランス、スペイン等において状況に応じて表われ方の相違はあるが。
「アジアにおける唯一の帝国主義」日本における革命は、スターリン主義、反スタ・スターリニズム、社民との苛烈な党派闘争を不可避とする。日本革命は「後進国」階級闘争の影をひきずりつつ闘われる「先進国」革命として、独特の世界史的位置の中で闘われるのである。従ってここで闘われる宗派との闘いはおそらく世界にも例のない複雑さと苛烈さともって闘われてゆくだろう。
 従って蜂起―内乱以前に闘われているこの党派闘争は、たとえ革マルによって戦端が開かれたものであれ、それを目的意識的にとらえかえし、勝利的に推進することによってのみ、日本革命の推進になりうるのだ。
A その質において重要なことは反革命的宗派革マルの反革命的テロ攻撃との対抗、粉砕を含めて、プロレタリア革命派の思想上、組織上の深化が、もっとも深い思想を背景として展開されているという点である。
 これは革命期における戦略的環である〈党と統一戦線〉あるいは〈党の運動を含むソヴィエト運動〉が暴力的戦闘の死闘的展開を内包してのみ維持され発展しうるのだということを示している。こうして〈党ーソヴィニト〉の運動(闘争―組織)がそのプロレタリア革命性を深化、確立するためには、軍事的要素を不可欠なものとして推進、発展せねばならない。
B 宗派との党派闘争が革命の質の深化・確立をめぐるものであれば、たとえ直接に反帝闘争でなくとも、そこで確立される党―統一戦線、およびその軍事的暴力性は、自然発生的な反帝闘争より、階級性、革命性において、さらに深く鋭いものをもってのみ展開可能となる。従ってそこで建設される闘争―組織上の質は、より目的意識的でより鋭い反帝闘争の準備となるのは当然である。
C 日本におけるプロレタリア革命派が、階級決戦以前に反革命的宗派との死闘を展開せねばならぬということは、日本階級闘争の世界史的位置からくる必然性である。これを避けて通ることはできない。例えば、他党派の暴力的な解体ということが一定の党派にとって偶然に行なわれたということと、市民主義運動、組合主義運動以外は、他党派の暴力的解体に全力を注ぐことを戦略としている革マルと対決することは異なる。歴史的にみても党派そのものの解体戦に踏みこんできたのは革マルであるということによっても明らかである(大きなポイントとしては、六八年の早大学館闘争への攻撃、七二年木下間題直後の組織骨格への攻撃、七三年神大夜襲、七四年四・三〇指導部中枢への攻撃、七五年石井同志への殺人攻撃 ―なお石井同志について彼らは、今まで数回名前をあげてきていた)。いうまでもなく、革マル解体戦については多くの不充分性があり、原則的な点での深化、戦略・戦術の整理が必要である。
D こういう意味で、革マルとの解体戦は、革命期における闘争―組織の階級的革命的試金石である。何故なら、反革命的宗派革マルと国家権力は次の点で相互協力的である。つまり一革命期においてプロレタリア大衆運動とプロレタリア的党派が小ブル派と区別された運動と党建設をやらない限り、それを放置し利用する。しかしそれが革命運動にふさわしいソヴィエト運動と党建設に向かう限り、粉砕し、職滅しようとする。従ってそもそも日本において反革命的宗派との解体戦は、党と統一戦線の任務である。逆にいえば、日本における党建設と統一戦線は、国家権力との死闘を通してのみ革命期型に再編しうる。
E そして、この革マルとの解体線は、反帝闘争の階級化、革命化を条件としつつ、思想・組織・暴力的闘争の三位一体的展開によってのみ勝利しうる。これはいいかえれば、総体としてのソヴィエト運動の目的意識的推進の中で展開される革命的労働者党建設とゲリラ的暴力的戦闘として闘われるのである。
 この闘争の目的意識的展開によってのみ(1)〜(2)で述べた革命期型の闘争が建設されるのである。

 (4) 「蜂起――内乱・内戦」か「内乱・内戦――蜂起」か
 プロレタリア革命はブルジョア国家権力の質とプロレタリアートの闘争の質からいって〈一時期に凝集された一斉武装蜂起〉としてのみ貫徹される。「前段階武装蜂起」とか「先制的内戦戦略」とかいうのは選夢想又はデッチ上げに外ならない。
 中国やアフリカ大陸、中南米のように前近代的土地所有、又は古い共同体が残存しており、近代ブルジョア国家としての統一性はほとんどないか、希薄である国においては地方的権力が残存している(土地所有を基礎にして)。こういう国では、一地方における革命戦争の持続はありえるし、そういう一定の長期における内戦の中で革命が完遂しうる。
 ところが、日本、アメリカ、ヨーロッパのように完成されたブルジョア国家では、一地方における戦争などはありえないし、「前段階における戦争」ということもありえない。それが実際、戦争として闘われる限りにおいて、内容的にも帝国主義軍隊の解体と同時でなければ、一挙的、全面的敗北をもたらすだけである。近代資本主義国家における戦争は一挙的全面的にしか勝利しえない。
「前段階武装蜂起」や「先制的内戦戦略」なるものをそのまま額面どおり受けとるとすれば、階級闘争がすでに革命戦争という形態をもっていて、その下に一切が従属させられていることを意味する。その意味でいえば、デモやストは全く補助的恋手段しかもちえていない。それどころか「内戦=革命戦争」が闘争の主軸にたっているとすれば、その主要な形態は「敵の殺傷を主要な手段とする敵戦闘力の殲滅」である。そういう意味での攻撃がなされなければならぬ。赤軍派の「前段階武装蜂起」は、このバターンを真面目にやろうとして完全に殲滅された。中核の「先制的内戦戦略」なるものは、革マルとの党派闘争を「対ファシスト戦」としてスリカエルことにより革マルとの戦闘を「内戦」としてデッチ上げているのである。確かに、革マルに対して中核は、かなりの殺傷を行なっている。しかし、それも内戦といえるものではなくて、より激化したとしても国家権力の許容の範囲で闘われているものに外ならない。この意味では、「革マル=ファシスト」という規定の誤りが中核の「内戦」デッチ上げの根本にある。
 内戦又は革命戦争は、厳格に「国家権力をめぐる攻防」上してのみである(革マルが権力についている場合は別であるが)。ここに中核の思想上、戦略上、の破綻がある。本当に中核が内戦をやるとしたら、今の水準の打撃を権力に向けただけでも一挙に殲滅されてしまうことは百も承知だからやらないのである。
 我々が提起している「ゼネスト――大衆的武装蜂起――プロレタリア都市ゲリラ戦」という場合は、「プロレタリア都市ゲリラ戦」は前二者との関連でのみ意味がある。つまり闘争の形態が内戦・革命戦争になった時の「正規軍の後方カク乱としてのゲリラ」というのではない。
 蜂起―革命戦争に向かって、敵に打撃を与えつつ、いかに敵の本質的矛盾を拡大し、味方の闘争力・組織力を発達させるかという戦略の下における戦術である。戦略上重要なのは次の三点である。
 第一に、「戦争」を思想・組織的闘争の手段に使わないこと。これは、「戦争を観念化」させるか「誤った全減の方針」の原因となる。「戦争は戦争」で「敵の殺傷を主要な手段とする敵戦闘力の殲滅」=「無制限の暴力の行使」である。赤軍派にも若干、イデオロギー闘争の手段にする傾向があったが、中核は極端になっている。中核は思想的に革マルに屈服しており、それを戦術的面での算術的一総和で補っているからである。その根本には「革マル=ファシスト」という規定に表われる路線上の破産がある。
 第二に、プロレタリア革命戦争としての「武装蜂起=内乱」=「革命戦争」は、一時期に集中されるものであり、「内乱―内戦」の発展の中で蜂起があるのではない。
 第三に、党派闘争と権力闘争を厳格に区別すること。

 9 革命期における戦闘についての誤れる一傾向

 (1) 現下における我々の飛躍について

 (2)「内乱・内戦→蜂起」−−「パルチザン戦(争)」の誤り

 (3)「革マル=小ブル反革命」規定について
〈1〉 内容規定とは「社民」とか「スターリニスト」とかであって、「小ブル反革命」といったところで内容を規定したことにはならない。例えば「社民」とか「スターリニスト」とかの規定はそれらの本質とその解体方針を引き出す。これらをも含めひとまとめにして「小ブル反革命」といっても解体方針が出てくる訳ではない。
 革命運動、革命党派に対する反革命敵対行動という点からいえば、歴史的にスペイン内乱におけるスターリニストのトロツキスト、アナーキストの虐殺、一九一八年の社民フライコールのローザ等スパルタクス・ブントヘの反革命虐殺という理由をもって、「小ブル反革命」と規定しようとしても中味をいったことにはならぬ。
〈2〉 我々は革マルについて「反革命的宗派」、「反スタ・スターリニスト」と規定してきた。「反スタ・スターリニスト」規定はスターーリニストに一面的、小ブル的に反発しつつも、根底においてスターリニストと同質のものを内包しているという意味である。革マルはスターリニストに対して近代小市民的「主体性論的」反発を行ないつつも、日本近代社会(ブルジョア社会)の独自の構造に規定された「旧い共同体」をその小ブル的自我の背後に「ゆ着」させている。
 「反スタ・スターリニスト」規定は勝手なレッテルではない。それは大衆運動面においては「宗教的右翼改良主義」として現出する。これが「のりこえの論理」の階級的規定である。
〈3〉 ところで社民、スターリニストを含めて、宗派は階級闘争の政治的過程でその内容をプロレタリア革命に対する反革命そのものとして展開する局面がある。一九一八年の社民権力がそれである。この場合、正確には「社民反革命粉砕」となるだろう。
 革マルの反革命性の全面展開ということは、革マルと我々の全面戦争を意味する。丁度、一九二一年のアナーキストの反乱とボルシェビキの戦争、一九一九年の左翼エスエルの武装反乱とボルシェビキの戦争のようなものである。この様な状況は階級情勢が革命そのものへと煮つまる段階でその前後に起こるであろう。現在の革マルの行動は、プロレタリア暴力革命派に対する反革命虐殺行動−−反革命テロルの開始と把握すべきであり、「反スタ・スターリニスト反革命の全面展開」とそれに対する「戦争としての闘争」段階ではない。現時点においては国家権力との関係をも含めてそうなのである。革マル解体闘争方針はその意味で先程規定した「階級的、革命的闘争」方針であろう。
 それでも次のごとき反論があるかも知れぬ。「反スタ・スターリニストと規定した上で、彼等は今、反革命行動にふみ切っている。そうした意味で小ブル反革命そのものなのだ」−−と。注意すべきは「本質」とその「現実化」の区別である。それは客観情勢の深化との関係で初めて問題になる。現在は議会制ブルジョア独裁期(その崩壊期)である。革マルがブルジョアジーに徹底的に利用されつくされたとしても、今の時点で革マルが我々に「反革命戦争」をしかけてくることはできない。できることは反革命テロルと思想闘争、組織戦であり、この政治的現段階における弾圧とその利用なのだ。「その様な判断は甘い」等の批判は間違っている。「甘い」「辛い」等は何らの科学的分析ではない。現下の帝国主義ブルジョアジーの弾圧は、ファシストのそれと異なって、我々の思想性、組織性、暴力性の統一的強化により本質的に粉砕し得るのであり、対革マル闘争もそこを徹底的に重視せねばならぬ。中核のごとく無理矢理「戦争」をデッチあげることは戦略的破産、思想的破綻を構造化せしめ、「蜂起−革命戦争」の本格的準備とその貫徹−勝利とは無縁のものである。現象的「左翼性」「急進性」に幻惑された「左翼小児病」「左翼スターリスト」が中核である。
 ロシア革命で最もマルクス主義的であったボルシェビキは、一七年革命までロシア革命運動の現象的「最左派」ではない。テロリズムの系統をつぐエスエルの方が「左」に見え、ツアー権力も一時は彼等を最もマークした。
 今、我々が革マルとの闘争を「戦争ではない」と規定する理由は、「戦争」規定することによっては、現在、最も集中的に強化されねばならぬ思想性、組織性、暴力性の統一的展開を放棄することになるからだ。万一、革マルの攻撃を「反スタ・スターリニスト反革命の全面化」と規定するとすれば、革マルとの現実的戦争にふみ切ると方針化すべきであろう。組合運動、自治会運動、思想闘争等は補足的なものとして、「戦争=殺傷を主要な手段とする敵戦闘力のせん滅」に全力を挙げねばならぬ。しかしこれは明らかに誤りである。
〈4〉 我々のとるべき方針、戦略的対時段階の方針は〈暴力的闘争、思想闘争、組織的闘争の統一的展開をもって革マルの持っている本質的矛盾を拡大深化させ、その政治力の崩壊を決戦に向かって促進すること〉にある。この段階の革マルを我々は〈反スタ・スターリニスト(反革命的宗派)の、テロルを軸とする反革命行動の展開期〉とみるべきである。
 繰返して強調するが、社民、スタ、反スタ・スターリニストの本質とその歴史的段階的展開の双方からの把握が必要である。本質からいえば、これらはすべて最後にはプロレタリア革命に敵対する反革命そのものとして立ち現われることは当然である。だが問題なのは階級情勢の中で、いかに歴史的段階的発展をとげるか−−なのである。
 我々は革マルを宗派一般と区別し特に「反革命的宗派」と規定し、それが反革命行動に踏み切っていると把握しているのである。こうした点を欠落させれば(「小ブル反革命」規定はそうである)対革マル闘争をめぐり、プロレタリアートとプロレタリア革命派が現時点で獲得し発展させてゆくべきものが押し流され、結局革マルに対する根本的破壊力を獲得できぬであろう。
〈5〉 帝国主義ブルジョア政府の崩壊またはその前後における政治状況にあって、国家権力の完全な許容の下に革マルが全面戦争をしかけてくることは可能性として存在する。国家権力が数千の部隊の相互絶滅戦を許容するということは、それ自体国家権力の崩壊状況の中でなければ不可能である。こうした情勢分析と政治過程の正確な分析−方針は更に具体的に煮つめ確定せねばならぬが、我々はいつでも決戦に突入し得る体制と思想性を形成してゆかねばならぬ。それなくして戦略的対峙戦の勝利的展開、更には我々の有利な条件の下、我々の主導権による決戦への突入とその勝利はあり得ないのである。

(略)

(七五年)

『中原一著作集 第三巻』