1970年の社会党による反戦・革労協パージへの闘いの経過、 71年の選挙闘争についての記事・論文を集めてみました。
論文(★)は別ファイルにしています。

気が付いた誤植、不適当な表現は特に断らず訂正しています。

ドキュメント/34回社会党大会闘争(11・28〜12・2) 34回社会党大会闘争(11・29)
写真は、11月30日、弾劾集会に結集した1200名の部隊とその先頭に立って大会会場へデモする13人委員会の同志たち
『解放』63号1面より
34回社会党大会闘争の火蓋を切った社会文化会館での成田委員長(中)の糾弾集会
『解放』63号6面より

年・月・日 表  題 <<出来事>> 署 名
69年11月11・13−17安保粉砕・佐藤訪米阻止を通じて反安保実行委を革命的に転化・強化せよ
11月17日<<社会党中央、羽田現地闘争中止>> 
70年1月★社会党の敗北と社民内分派闘争路線の現段階
−−総選挙闘争総括の中から新たなる革命的労働者党建設の展望を切り拓くために−−
 
70年2月 四月社会党大会へ、全国の革命的党員は全国大結集を全力をあげてかちとれ!
社会党の帝国主義的社民化を許さず革命的労働者党へ再生するために
アピール
 
3月3日<<中央本部書記7名指名解雇>> 
70年3月社民解体の旗色を更に鮮明にせよ!
“三月テルミドール”と分派闘争の新たなる局面にあたって
木野吉男(革労協社会党委員会)
70年3月社民内分派闘争が頂点に
労働者党建設の道は何か?
革労協社会党委員会 木野吉男
70年3月党の重大な存亡の危機にあたって同志諸君に訴える! 社会党全活会議
70年4月★“反戦パージ”と社会党の没落高見圭司
70年4月★日本社会党の歴史的転換と革命的労働者党創設の現段階
4月10〜11日<<第34回都本部大会>> 
70年4月大会中止の責任は執行部にある
執行部は議案書を白紙撤回し、総辞職せよ!
第三四回都本部大会代議員有志
70年4月★帝国主義社民への道か? 革命的労働者党への道か?
日本社会党の直面する重大な岐路について
社会党中央の「革労協批判」にこたえる
 
4月20日<<第33回全国大会 “反党的組織「革命的労働者協会」の排除に関する決議”>> 
70年4月社会党の帝国主義社民への転化の都本部・全国大会に反戦・社青同東京地本実力で弾劾貫徹 
70年5月★都本部続開大会を全国分派闘争の勝利的出発点とし、全領域の組織化で六月ゼネストへ! 
70年5月意見書
日本社会党東京都本部執行委員会殿
社青同東京地本執行委員会
5月16日<<都本部書記局員7名の解雇、革労協関係党員13名の統制委付託決定(都中執)”>> 
5月17日<<第34回続開都本部大会>> 
70年5月 声明 反党的・反人民的続開「大会」の強行に抗し、全力で闘おう!
我々は屈辱的な今大会を認めない
闘争宣言 解任され、自己批判すべきは現執行部だ
代議員有志
都活
解雇反対闘争委
70年5月社党都本部続開大会強行・書記局員解雇・プロ統派統制処分に抗し都本部占拠に突入! 
70年5月帝国主義社民の中枢機関を解体せよ!
分裂期の分派闘争を都本部無期限占拠闘争をもって革命的に貫徹せよ!
革労協社会党委員会
70年6月日本社会党の「革労協」排除策動を粉砕し六月決戦の中で断乎たる党建設を! 
6月21日<<反安保実行委員会中央集会>> 
70年6月21日中央集会に革命的分入 青ヘル七〇〇 
70年7月反戦青年委・革労協の排除を許さず帝国主義社民に死の鉄槌を!
6・21闘争の意義と成果を発展せしめよ
革労協社会党委員会
10月12日<<“革労協”12名の除名、都活代表世話人の1名の1年間の党員権停止(中央統制委決定)>> 
10月19日<<目黒総支部組織解体処分(都本部統制委決定)>> 
70年11月中央統制委による「13人委」の除名処分・都本部による目黒総支部の「組織解体」処分を粉砕し、日本社会党の心臓部に迫る分派闘争を展開せよ! 
70年11月★革命的労働者党への衝動を孕んで分派闘争を闘いぬけ
帝国主義社民粉砕! 新中期路線粉砕! 社会主義協会(向坂派)解体!
革労協社会党委員会
70年11月帝国主義社民化の完成を粉砕し党の解体的再編を! 
70年11月社会党目黒総支部への「組織解体」攻撃を粉砕し更に大胆な分派闘争を! 
70年11月★社会党34回大会を大衆的実力をもって弾劾せよ!
プロレタリアの戦闘宣言
革労協社会党委員会
11月30〜2日<<第34回全国大会>> 
70年11月新たな“死”の生み直しと生きた共同性の激突の五日間 
70年11月★日本社会党分裂期に突入
今こそ、二極分裂を通して、三傾向を止揚せよ!
 
70年11月“新中期路線”の推進者、成田−石橋ラインを打倒し、革命的労働者党へ前進せよ!
労働者階級への敵対者、帝国主義社民粉砕の闘いを推し進めよ!
13人委員会
70年12月声明・除名決定は不当であるばかりでなく無効である13人委員会
70年12月★社会党三四回大会に対する闘いの総括と当面する分派闘争の方針 革労協社会党委員会
71年3月★革命的プロレタリアートの公然たる議会進出にあたって 
71年3月★何故に議会へ登場するのか
70年代初頭における革命的プロレタリアートの議会にたいする基本的態度
 
71年3月同志高見圭司を先頭に全国36名のプロレタリア戦士の公然たる議会進出をかちとれ!! 
4月<<統一地方選挙>> 
71年4月ソヴィエト運動の発展をめざして統一地方選前半を階級的に闘い抜く! 
6月27日<<参議院選挙>> 
71年8月★統一地方選・参院選闘争の諸結果と我々の任務 革労協社会党委員会

以下のものについては、準備中として掲載を予告してきましたが、別の機会にしたいとおもいます。
71年10月社民内分派闘争を拡大せよ!
日本社会党の帝国主義社民化に対決し、分派闘争の第二段階を勝利的に前進せよ!
革労協社会党委員会・沢 広一
72年2月日本社会党第三五回大会の批判
何に向っての「再生」であるのか?
志村二郎
72年3月戦後第二の革命期と“労農派マルクス主義”の役割り
社会主義協会(向坂派)批判
志村二郎
72年5月都活の再建をテコに社会党内分派闘争を強化せよ! 革労協社会党委員会・今村久志


11・13−17安保粉砕・佐藤訪米阻止を通じて反安保実行委を革命的に転化・強化せよ

 革命的労働者協会は、佐藤訪米阻止闘争へ圧倒的労働者大衆を組織する歴史的任務をもつ。突出した闘う部隊を突き出す事にとどまらず、労働組合の機関でと、羽田闘争への限りない運動をやりきらなければならない。
 反安保実行委員会に対する我々の基本方針と、より広汎な労働者訪米阻止闘争への結集について方針を提起する。
 反安保実行委員会は全国中央も東京も、佐藤訪米抗議闘争として、11月16日の代々木公園の10万人集会をもって打止めとする。その理由は極言すれば反安保実行委員会の中心である労働組合組織=総評と中立労連が11月17日現地闘争を行わないと機関決定をしているからである。社会党は第45回中央委員会において遠慮がちに「訪米の意図を阻止する」方針を決定した。東京都本部は10月の臨時大会において我々下部党員の運動を持った突き上げによって、11・17現地阻止闘争を非暴力実力闘争を基調とした方針を大会決定した。
 反安保実行委員会は、簡単に報告すれば、社会党「総評、中立労連を中心とする社会党系諸団体によって構成される反安保カンパニア共同闘争の組織である.その基調は平和と民主々義を守る闘いとして安保条約廃棄闘争をすえること。その運動は国民大多数が参加できるものであること.現実の安保体制と闘うこと−−基地撤去の闘い、ベトナム反戦、沖縄返還、日中国交の闘い、労働著の生活と権利を守ること、憲法を護る闘いなどをひとつ一つ闘っていくこと−−「安保条約廃棄をする政府を樹立」することに反安保闘争の集約を闘いの勝利の展望をもつ……。
 極言すれば60年安保闘争を原型とし、闘いを議会闘争の補充物としての大衆闘争としている。したがって、議会、選挙を意識し、反戦青年委員会をゲバルト主義者、暴力主義として、加盟を認めない。もちろん、全学運との連帯を拒否する。
 68年12月に中央段階で結成されたのち、69年に入って各県で組織され、県(都)内での地区ごとに地区案行委員会を組織する。毎月23日を行動日とする。
 この一年間、基地撤去闘争を中心に組まれてきたが、まさに形骸化した動員運動にとどまっている。
 東京においては(地方の各県では反戦腎青年委員会が参加している)東水労、東交、動労青年部が反戦青年委員会の公の加盟を主張したが、結局は社会党都本部の妥協もあって、中央と同じ型で出発した。
 地区実行委員会と都実行委の関係は支持協力関係と云う形で、地区運動の独自性を認める関係とした。しかし、労組の支部決定のカベ=青年問題−地区反戦青年委員会の参加拒否によって、一方においては東京段階での参加全体の地区下部組織(支部、分会)中心にとどまっている地区と、一方において、この間の反戦闘争を闘った仲間=団体、党、反戦青年委員会それらを支持する労働組合によって構成されている地区に分けられる。
 我々は総評・中立労連が反安保政治カンパニア組織を作り闘おうとすることを評価する。しかし、反安保を闘おうとする全組織、個人を入れないこと、特に闘う部隊=反戦青年委を加盟させていないことを明確に批判しなければならぬ。現在、中央段階において団体共闘の現在の情況を考える時、我々は次の方針を基本として党員諸君に提起する。
 地区反安保実行委員会=地区における社会党=総評=中立労連の参加の仲間・労働者の中にくり返えし自分の切り開いた闘いの内答と組織をもって参加すること、具体的には反戦青年委員会の参加を主張し、連帯の共同行動を行うこと。我々は常に独自闘争の行動委員会運動によって反戦青年委員会の一層の純化と大衆化をかちとり、その地区反安保行動委に関わることである。
 常に突出する部隊が独善化するのではなく大衆化を切り開くことが大切である(地区反安保実行委の県段階での結合の組織化)。
 佐藤訪米に対して中央は抗議としている。この決定は地区の下部組織への制約をもつ。このカベによって阻止闘争の提起は、カンパニア組織として決定を見ないが、我々はくりかえし討論し、下部から上部への闘いを起さねばならぬ。
 東京での努力は、11・17佐藤訪米阻止現地闘争実行委員会として地区反安保実行委による闘いから一歩後退しつつも大衆組織として現実の力となってきた。
 革労協はこの組織をより大衆的にしてゆき、社会党の中央決定と総評・中立中央決定を越えた大衆組織参加をかちとる闘いを最後まで追求せねばならない.
 社会党中央執行委員会は11・17佐藤訪米に向けて次の主旨の行動方針を出した。
 イ、前日16日まで佐藤訪米抗議(訪米の意図−反動性を暴露し阻止できる国民多数を結集)を盛り上げること。
 a11・13スト貫徹支援
 b11・15全党員総決起集会
 (一時、九段会館)
 c11・16、反安保全国実行委員会10万名集会(11時、代々木公園
 d当日まで街頭演説を続ける
 ロ、当日17日は
 a佐藤の羽田出発時間に党幹部の駅頭抗議演説
 b大田区民会場(大国区、多摩川六郷土手)で現地抗議集会とデモ(早朝六時)
 我々革労協(社会党・社青同解放派)はこの中央執行委員会行動方針を次の如く理解する。
 まず、佐藤訪米が70年安保粉砕闘争の事案上の決戦であるにもかかわらず、全党あげて党中央執行部から各県(都)の執行部が全党を指導し、全党員が死力を尽して大衆を自力で訪米阻止の闘いを組むことによって70年安保闘争の展望を切り開くという基本姿勢がないことを示さざるを得ない。その理由は、目前の衆議院選挙をどう行うか−退潮の社会党をどうくいとめるかに主力が注れているからである。
 佐藤訪米阻止闘争は選挙にマイナスであり、とりわけ、実力阻止などは、学生の暴力と同じであり国民に誤解を与える、佐藤訪米の「意図を阻止する」と云う方針にする、その運動は工場生産点の実力ストライキを土台として国民多数に支援されるようなこととして、阻止と言うことより抗議に力を入れることとなる。
 極論すれば選挙勝利のテコとする佐藤訪米を議会主義約に集約しているのだ。「安保条約を廃棄する政府樹立」こそ獲得目標としていることからすれば当然であるが下部党員にはすべて選挙集約をもって、そのワク内での闘い、国民支持におしこめられて佐藤訪米が労働者に与える犯罪性に対しての闘いをけずりおとしている。
 これに対して革労協は次の方針を立てる。
 佐藤訪米に対して、鮮明に実力阻止の闘争を社会党が貫徹すること。その理由は全ゆる機会に提起して来たのでゆずることにしたが、社会党が日本・沖縄労働者階級に断固階級的責任をもち、帝国主義と闘うプロレタリア解放を目指さんとすれば、極めて当然の主張として訪米阻止となり、その闘いを全労働者の団結の今日的姿として生産点ストライキと、街頭スクラム闘争を党が組織しなければならない.このことを労働者党員が中心になってやり抜くこと。この闘いなくして、70年安保闘争の主体を築くことはできない。
 我々は、確信をもってそのことを党中央から全国の党員諸君に訴えなくてはなちない。何故なら、戦後二十四年、日本階級闘争の主流の座にあった党は、日本ブルジョアジーの帝国主義的発展、深化の中で労働者の一人一人が労働者階級の運命を真に解決し切ることが、二十四年間の旧態依然とした方針でいいかどうか−労働者階級にとって、歴史的事業を担う社会主義として、まさに全党あげて考えねばならぬ時代に入っているのだ。そのことは党幹部に委ねていることはできない。社会党は年老いた幹部のものではない。まさに、日々、合理化と戦争とファッシズムの中で、一見華やかに見える背後で絶望的隷属におとしこめられてゆく下部労働者に対してその解決の今日的闘いの道と、その根本の打倒、帝国主義政府打倒を答えなければならないのだ。
 過去二十四年間選挙に対して、社会党は、戦争に反対し、平和と民主工義を守る党として、広く労働者、国民に支持され、1/3の勢力を国会で獲得して来た。しかし、帝国主義ブルジョアジーは工場、教育と消費生活総ての面で、労働者を分断させ、生活と思想の再編成を強行した。
 ここに社会党の基盤は、総評・民同の基盤の崩壊と同じ速度で崩壊しつつあり、選挙の敗北となってあらわれた。
 我々革労協は、世界資本主義国間の再編の中で、帝国主義的に再編成されていく日本の下部構造と上部構造の中で、増々社会的苦痛と悲惨に陥められてゆく労働者に目をしっかりと据えた社会党へと闘いを推し進めねばならない。
 佐藤訪米の議会主義的集約断固反対!の佐藤訪米阻止闘争の闘いから共同のプロレタリアの運命を共同で切り関く大衆闘争の中での築かれゆく団結、共同体を創り出し、その中から、社会党の展望を切り開かねばならない、かかる党にしてこそ、帝国主義ブルジョア政府−自民党政府打倒の今日の選挙戦の闘いが展開されるのだ。

1969年11月15日付
『解放』43号3面より


★社会党の敗北と社民内分派闘争路線の現段階
−−総選挙闘争総括の中から新たなる革命的労働者党建設の展望を切り拓くために−−
(別掲)

1970年1月15日付『解放』47号3面、2月1日付『解放』48号4面、2月15日付『解放』49号4面より


アピール
四月社会党大会へ、全国の革命的党員は全国大結集を全力をあげてかちとれ!
社会党の帝国主義的社民化を許さず革命的労働者党へ再生するために

 全ての労働者諸君! とりわけ、全国の革命的社会党員諸君! 革命的労働着協会(社会党・社青同解放派)は、ただひたすらに労働者階級の解放をめざし日夜奮闘している同志に心から訴える。

進行している危機とは何か

 我々は、そのことを真剣に苦闘し、突破を試みんとすればするほど、現在進行している党の「危機的状況」を鋭く見つめざるを得ない。
 我が愛すべき党中央が、スーパーマーケットの店開きのように、“あれやこれや”と並べたてる、「再建案」の無内容さは、今更驚くに値しないことは勿論であるがその“二番せんじ”の如く見える無内容さの中にはらまれる帝国主義社民党への変質をねらう「危険な動向」を見なければならない。すなわち、一方では労働戦線における「七二年戦線統一」へ向かう帝国主義的労働運動への突撃の動きであり、もう一方ではそれと不可分に結びついた党内石橋グループ、山幸派にけん引された「新党構想−−日本労働党構想」への急ピッチな傾斜である。
 この帝国主義的労働運動−帝国主義的社民党が何処へ向かっていくのかについては、電機労連の「七二年沖縄完全返還」への転換、鉄鋼労連宮田の「自主防衛論」に象徴的に示されるように、単なる「西欧型」への転換としてではなく、世界的に進行するブルジョアジーの危機の時代においては、帝国主義ブルジョアジーへの全面的屈服から、更にはその強力な推進者となっていくことを(かつてのドイツ社会民王党の変質過程は様々な現在の特殊性の中に貫かれる本質的同一性としてある)見ておくことが必要だろう。
 様々な粉飾をもって語られる「国民政党論」「柔軟路線」「党の近代化」「国会戦術の転換(阻止から修正へ)」ETCの行きつく先をはっきりと見つめようではないか!
 しかし、進行している“危機”とは、単なるこの動向だけではない!
 それは、衆院選における「大敗北」の大ショックの中で必死に声を振りしぼって成田委員長が「綱領は正しかった。基本路線は正しかった。」という声明を出したことに、そして岩井総評事務局長がやせ犬の断末魔の叫びにも似た「階級路線を堅持する。」という声明を発したことに代表される「左派」の動向である。
 党内「左派」−−総評主流派が「理論左翼・行動右翼」という言葉に代表されるように、結局は、一歩一歩ブルジョアジーの攻撃に屈服せざるを得ない内容しか持てないことは、佐々木派の中から産み落された山幸派が、今や江田派すら一瞬のためらいをするほどの「右派」になり岩井の基盤である国労が助手廃止反対闘争の敗北を受けて「七〇年代は電通型労働運動でしか生きのびられない。」という方向に流れついていくことに象徴される。

社会党の革命的変革に着手せよ!

 「国民政党」に対して「階級政党」を、「柔軟路線」に対して「階級路線」を対置している「左派」が、結局のところ、その叫びの大きさ、アドバルーンの高さに反比例して、一歩一歩、「右派」に押し切られていくばかりでなく、自分白身もそういうものへと変質していく構造でしかないことの中に、もっと深い「危機」が進行していることを見落してはならない。
 派閥利害の調整機関に過ぎない「江田小委員会」から出されてくる「小委員会案」が、そういう「左」「右」の妥協の産物に過ぎず、真剣に党の現状を突破し、社会主義革命を担う党への変革をかちとらんとしている下部党員には何らのエネルギーにならないことは当り前のことであるが、愛すべき党中央は、そういう「左」「右」が唯一“一致するもの”として「魔女狩り」を全面的に開始せんとしている。
 −−「反戦青年委員会との絶縁」「書記局からの反戦派のパージ」「派閥の統制のきかない反逆者のパージ」等々として現在的に現われている攻撃は、「反戦派への攻撃」という性格を取りながら実は、労働者運動の全領域、全階層に貫かれるものであり、帝国主義ブルジョアジーへの屈服を拒否し、巨大な姿をもって登場せんとする労働者階級の“階級として行動する党”へ自らを形成せんとする衝動=社会主義革命(労働者革命)への熱情の抬頭に対する攻撃である。
 様々な「反戦派」の「不充分性」をあげつらい頑強なセクト王義として「左派のポール」を死守せんとする我が悲しむべき同志(協会向坂派に代表される)が早晩、自らの主観的意図とは反して、破産を宣告され、自らの選択を迫られていくことは明らかである。
 我々はこの間、党中央−民同幹部の様々な裏切りにもかかわらず社会主義革命=労働者階級の解放を、その末端において真剣に追求している全ての党員同志達と共にただひたすらにそのことを真剣に断乎として苦悩し、格闘してきた一員として、全国の同志に呼びかける。
 派閥の利害調整機関に過ぎない党中央−頂点からの変革という幻想をキッパリと断ち切り、自らの力による党の革命的変革=革命的再生へ向けて活動する党員の末端からの結合を、首都を突破口に、全国的に、あらゆる地で、あらゆる領域で全面的に開始せよ!と。
 我々はこの事業をわい少なセクト主義へ貶し込めてはならないと考える。党内党や、加入戦術派や様々なセクト主義者のフラクションに貶し込めることは、この歴史的な事業を敗北に終らせるであろう。
 この事業は、一言で言うならば「日本における社会主義革命を担う党の建設」であり、それは「労働者が階級として行動する党−労働者階級の党を産み出す」偉大な事業である。
 この事業を、単なる党内の人々のみでなく、日本社会党への一票をたくしたあらゆる働く人々が、そして党の現状に絶望し、意識的「棄権」として自らを表現した人々が、期待をもって注目しているばかりでなく、小ブル党が、帝国主義ブルジョアジーが、「危機感」をもって注目しているのだ!
 我々は、唯、ひたすらに、この事業を働く階級の、その最も断乎たる部分として、全ての労働者諸君と共に、全ての党員・同盟員諸君と共におし進めるであろう。

何をなすべきか

労働者の古き団結を打ちやぶる新たなる共同体形成へ!
党員は労働者総生活の新しい苦痛と要求を掘りおこし発展させる行動委員会運動に唐手せよ!

 革命的党員は常に新しい時代の深部の階級対立を見つめきり、大衆のプロレタリアートとしての自立の闘いを断固として押し進めなければならない。
 七〇年闘争は「反戦、反合理化、反ファッショ」の闘いであり、帝国主義ブルジョア政府打倒へのプロレタリアートの独立、権力の構築の時代である。しかもそれは非合法下の闘いとなる。
 何故、非合法下の時代でも闘うのか。それは、極論すればこうだ。労働者解放を、資本の抑圧の鉄鎖を断ちぎり、人間の無限の発展をかちとるためには闘い、やりとげねばならないからだ。われわれ自身が労働者階級の一員なのだから今我々が為さねばならないことは、帝国主義下の労働者の解放闘争を断固としてやりぬくことである。それは、先にのべたごとく、帝国主義と共同運命化することを断じて拒否し、苦痛をあくまで突破する闘いである。競争にかわる団結=古い団結にかわる新しいプロレタリア的運命を共にする共同体をもって、まさしく帝国主義運動として展開されるものと闘う、それはインテリゲンチャーなどによる入れヂエではなく労働者自身の現状を見つめきる闘いから始めなければならない。
 革命的社会党員の中でえてして行動せず、党形成への現在的団結をつくる生きた闘いをつきつけず社民ナンセンスを言い続けてきた人がいる。革命的社会党員とは生きている労働者の生き生きとした闘いを、反戦・反合闘争=政治闘争・社会闘争を、同時的にすすめ革命闘争へと労働者の階級形成を押しすすめきるためには何が必要か? それは古い団結を打ちやぶり新しい革命的、労働者権力的団結共同性へと発展するものでなければならない.全国の同志諸君に大胆にまず呼びかける。六月政治闘争をストライキ闘争を背景として中央権力闘争として下部からつくりあげることを!
 それは、全国の同志が、今かかわっている闘いを一歩、共同体の問題としてふかめ、その地区結合をはかる、地区でのいわゆる議員党的つながりから、労働者の総生活の発展のための闘いの結合、それを社会的に、政治的に表現する闘いへとたかめる沖縄闘争との結合だ。かさねて、まず、第一になすべきことは、労働者自身の現実の不安・不満、要求の実現のために党員が闘うこと、この闘いの地区、全国の闘いの大衆結合をなすことである。この闘いを党中央機関へ、その機関全体化へ、労組運動の右傾化への革命化として行動委員会運動をたてるがごとく、党機関そのものを変革することである。それは激しい非妥協の反労働者部分とのやりきらねばならない分派闘争である。反戦青年委員会、反安保実行委員会を、行動委員会運動をもってよりプロレタリア的に発展させよう。
 次にこの闘いを通して、つくりあげられる理論、普通的な思想、革命への思想化の闘いである。党員は固定であってはならない世界史的人間であり世界をかくとくするものであるのだ。
 自ら闘いをつくることは共同体への出発である。
 沖縄解放闘争をおしすすめ春闘を反安保春闘として中央権力打倒へのゼネストを労働者自身の発展のために闘いとろう
 七〇年一月〜六月までの時期のブルジョアジーの攻撃の性格は七〇年代の帝国主義と政治社会秩序の「安定」を責伝し「沖縄返還」問題を一つの突破口としてアジア太平洋圏の盟主としての国内体制を固めることである。

四月党大会を下部党員の大会に

 その軸は沖縄全軍労の闘いを本土の労働者が沖縄解放闘争としてどれだけ、帝国主義ブルジョア政府打倒闘争として闘うかである。この闘いが一つの反合闘争を土台とする春闘と一直線上に立ち、六月政治ゼネストヘの限りない奮闘を苦闘としつつも発展する道である。党員は全国の拠点の反合闘争を押しあげ、沖縄・春闘を一体のものにしようではないか。七〇年代の日本プロレタリアの運命とそれを切り開く生きる原点を全軍労の闘いは、我々につきつけた。答えなければならない。それが四月党大会であり、四−六月闘争だ。
 党全国大会は四月行われる。代議士全員を代議員にせよなどという議員党まるだしをやりはじめた。われわれは、この四月大会に全国の革命的党員と党の進路を革命的に見つめる労働者、学生、農民、市民と連帯して、総力あげて全国結合の力で結集しなければならない。
 七〇年闘争は勿論のこと、われわれ革命的労働者協会は全国組織分派として七〇年代の日本革命のために、世界革命のために、四月党大会へ、もっともオーソドックスに正々堂々と臨むであろう。全党員諸君! 大衆闘争を生き生きとした歴史にこたえる安保粉砕、沖縄解放、三里塚空港建設粉砕、教育闘争、反合春闘を全力をあげて闘いその労働者的道義性をもってもとより反戦青年委員会運動放棄に対しても、闘いぬき、革命的社会党への生き生きとした生命を守り発展させるであろう。
 全国の同志諸君
 今こそ、社会党員として誇りをもって革命闘争の歴史に公然と登場せよ!

1970年2月1日付
『解放』48号1面より


社民解体の旗色を更に鮮明にせよ!
“三月テルミドール”と分派闘争の新たなる局面にあたって

木野吉男(革労協社会党委員会)

 三月三日社会党中央執行委員会は二月二七日付をもって、書記局六七各の解雇および希望退職者の氏名を発表した。これに対して中央本部青対部長、高見圭司氏を始めとする七名は反戦派に対する不当解雇は、帝国主義社民の完成過程の開始であるとして受けとめ、ただちに反撃を開始した。
 さらに三月一一〜一二日開催された東京反安保実行委、地区代表者会議は〈反戦青年委を加盟させている地区反安保の出席は認めない〉状況の下で開催され、一方的に常任幹事会の「反戦青年委員会を加盟させている地区反安保の東京反安保からの排除、山崎一派を社青同東京地本として認める」決定を一方的に押しつけた。これらの上に立って三月一二日間催きれた社会党中執は「反戦の育成強化は誤りであり、社青同(山崎一派)を中心に新たな反安保護憲組織の確立」を決定した。
 こうした党中央の動きと呼応して、わが革労協の出発に恐怖して作られた理論小委員会は三月七日「革命的労働者協会(社会党・社青同解放派)の戦略戦術組織について」なる検事訴状の如き報告文を執行委員会に提出することを決定、三月一四、一五日の執行委員会は反対一、保留数名の確認すら行わず満場一致として統制委員会に付託することを決定した。
 これら一連の策動は、二つの点でわが革労協のみならず全労働者階級の闘争に敵対するものである、
 第一に、四月二〇日から開催される社会党全国大会を「帝国主義社民の完成祝賀会」に変えようとしていること、第二に、四月厳戒体制の下に労働者階級を売り渡そうとすることにある。
 しかも、これまでわれわれに敵対しつつも、社研左派を自称してきた曽我一派は社研同志会を自から解消し、さらに下部同盟員の突上げに動揺して昨年の四・二〇および一一・一七佐藤訪米阻止現地闘争実行委員会に参加した山崎一派は、再び反戦闘争からの脱走を開始した。
 四−六月の工場からの総反乱に対する死活の挑戦が挙党一致の「神聖同盟」をもってかけられたのである。「新しい政党、革労協は、社民の外部に存在するのでなく、社民の内部に存在しているのである。社民とは社会党のことである。新しい政党、革労協は、社民の内部に存在しているのである。社会党は、革労協によって解体されるのである」とヒステリックに書きたてられた訴状は、社青同東京地本がメッセージを送ったとして、これの指導する反戦および、これを救援する救援会およびその中心活動家を送り出している日本婦人会議への干渉を強めようとしている。この社民版逆ドミノ攻撃を死力をふりしぼって突破しなければならない、わが不退転の分派闘争は、われわれをして破防法攻勢にさらすであろう、冷静、大胆に前進せよ、それがどのように重大な事態であろうとも、すでに予測されていた事態を突破することなしに新しい闘いの地平は拓かれない。

1970年3月1・15日付
『解放』50号1面より


社民内分派闘争が頂点に
労働者党建設の道は何か?

革労協社会党委員会 木野吉男

 三月一七日、ブルジョア・マスコミは、一斉に祝砲をうち鳴らした。江田新ビジョンの公表をさしとめたかに見えた成田執行部は、ついに社会党議員懇談会の要求にほぼ屈服し、四月二〇日に予定されている全国大会を前に、わが革労協に所属するおよびそれを支持する党員に対する統制処分および反戦青年委員会、日中正統本部への“絶縁”と強制的召選命令をもち出すべく確約したことを、わがことのように喜びをもって書きたてているのだ。
 「東京新聞」は社説「注目すべき民社新方針」と題して四段抜きで報道しているが、「社会・民社両党が何よりも考えてみなければならないのは、衆院で三五〇人に近い自民・公明両党の連合勢力に対抗するため、どのようにして革新勢力を結集するかの課題である」として、「佐々木民社党書記長がさきに〈社会党はマルキシズム的階級政党から脱皮すべきだ〉との談話を発表し、続いて西村委員長が〈すみやかに民主社会主義の潮流に合流すべきだ〉(同盟大会)と提唱したのは、このような判断に基づくとみて間違いあるまい。新方針案も〈民主社会主義の道をわが党のみがセクト的に独占するものではない〉といいさらに〈他党勢力への強い呼びかけも必要〉を強調している(中略)。これらの呼びかけは、社会党内の“議員懇談会”グループなどを的にしていると思われるが、さきに発表された“江田ビジョン”も前時代的なマルキシズムヘの訣別を明らかにしている点で、この考え方と本質的に違わないとみるべきであろう」として、さらに「政党と労働組合の社会的機能が異なることを考えるなら、革新政党を結集する努力と労働戦線統一の問題とは、あくまで切り離して取扱うのが筋道であろう」と、帝国主義社会への連合党への利害調整に介入すると宣言したのである。

 山幸グループと麻生等の「浅沼会」は12月総選挙前にすでに“蜜月”に入っており、関西民労懇の進展と呼応して、関西ではすでに片山甚市(全電通副委員長)の提唱する片山新党への具体的着手が明るみに出てきている。要するにそれはIMF・JCの政党レベルにおける進行過程であるといい切ることができる。全電通はさきの中央委員会で政治組織委員会の下に社会党支持委員会を作ったが、これは社会党の右翼的改編(帝国主義社民への純化)をおしすすめるために作られ、自らを民社の体質改善を含めた連合党を作り上げるものとして位置づけ、議員懇談会(院内総務)プラス労働組合主義者党なる英国労働党型の国家の新たな支柱たらんとしている。
 議員と労働官僚による戦後社会党の二十数年にわたる遺産の横どりは、必然的に、これ々を桎梏として突破せんとして公然と開始されたわが分派闘争の展開にむき出しの憎悪と恐怖の頂点に彼らをして立たしめている。
 高見圭司氏を先頭にすでに仮借なき闘争に突入した“反転パージ反対闘争”に対して機動隊導入、統制委員会の発動がもくろまれつつある。
 また、社会党規約第三一条に違反して強行されようとしている東京都本部大会は、折りから全逓中郵への自動読み取り区分機の導入と日を同じくしているのである。こうしてマスコミ、治安当局、党および労組官僚によって仕組まれた“極左狩り”運動は、民社大会に近づくこと6日間、この間に、四・二八を“社共共闘最後の日”としつつ、これを突破した闘いを破防法適用を含む、厳戒体割下においこむことによって70年闘争を圧殺するものとして準備されつつあるのだ。ノスケの登場を白日にさらすべき我々の闘いは、10・11月闘争の中で生み出された「全都活動家党員会議」との連帯を深めながら、生活の全領域の対象化(過渡期闘争要綱は次号詳報)をもって、労働者党のあるべき姿と、それへの敵対として、あらわれる帝国主義社民への死活を賭けた全面対決として展開されんとしている。
 この間の党内闘争を通じて、左派の拠点と目されてきた東京都本部において、東京社研をして事実上、分裂させた都活系と六日会系(向坂派フラクション)は大会代議員教を二分し、官僚的保身にうき身をやつす六日会系は、右派と連合することによって辛うじて多数派を形成しようとしている。
 この屈服は、必然的に党派的展開力を喪失させるものとなるであろう。こうして、“消す者をも消す”過程の進行の中で、社青同中央本部に居坐りつづける山崎一派は、自らの消されつつある過程を自覚することができず、かえってこれを傍観することによって“極左排除”を自らの延命の条件にししようとしている。
 闘いの鉄火は今や、ブルジョア社会の欲する生活に幻惑された貧弱な頭脳の青写真ならぬ黒写真をあぶりぶり出した(江田新ビジョン)のみならず、背走者の末路をも映し出している。
 山崎一派の社青団からの追放過程に全国社青同の革命的再生をもたらすであろう。ここには“消されたはずの者”の生きつづける過程が、即ち、真にその名に値するプロレタリア党を古い左派および古い党の嵐の上に、鮮烈な旗色をもって巨人の如く直立することを予示しつつ、局面としてはきわめて困難な一時期、耐え難いほどのきびしい試練の時期をもたらすであろう。死をもみつめざるを得ないような反動を自ら引き起し、それを突破することなしに達成された革命など、かつて世界にあり得なかったし、今後もあり得ようわけがない。
 社会党の歴史的転換における二つの道、即ち、帝国主義社民の道か、これとの非妥協的な闘いを通しての革命的労働者党への道かこの問は、帝国かコンミューンかの問に直結している。反労働者的な部分からの反党分子呼ばわりを恐れるものではない。われわれを反党分子と呼ぶものこそ右翼解党分子である。
 全国の社会党員、社青同同盟員諸君! 大衆闘争が必然的に要求するもの一切を公然と突き出せ! そのことの貫徹力と解決能力を文字通り自らの共同を通じて獲得しよう! すべての職場に労研・行動委員会、スト実を! 帝国主義ブルジョア政府打倒への労働者階級の全面的組織化に向けて、拠点工場およびこれを包んで前進する地区的共同の真赤なベルトをつくり上げよ!
 生産と消費の労働者の全生活領域を見つめ、課題を引き出し、闘う主体を全面的に発達させてゆく条件を作りだし得るか否か、革命の現実性の体現者としての〈党〉は同時に階級の総過程を知りつくすことをもって始めて、労働者の階級的自立への媒介者たりうるのだ!
 パノラマ的に労働者の生活の総領域を見ることは学者にも可能であろう。だが、そこから実践的課題を引き出すためには、文字通り血まみれの闘いを共にしなければならないのだ。行動委員会が労働組合の階級的強化を問題にしなければならず、社会党の解体的再編を焦眉の急とするのは、古い桎梏をこえる力はどのように外で作られたかにみえても、結局は古い桎梏の内部でこれを通さなくては産みだされることはない。今日社会党の内外でとりわけその内部で闘い抜くことは全労働者の課題である、すべての労働者はわがブロ統の旗の下、社青同の革命的再生、反戦青年委の一層の拡大強化、救援会、弾粉行動の一層の強化、ゼネストと権力基礎の形成をめざす行動委員会の前進をテコに、四・一九の沖縄全軍労との連帯にはじまる六月への不眠不休の闘いの血路を切り拓くべく共に闘いぬこう!

1970年4月1日付
『解放』51号2面より


党の重大な存亡の危機にあたって同志諸君に訴える!
社会党全活会議

 日米共同声明にもられた、日米支配階級の帝国主義的意図を阻止するために日夜闘っておられる同志諸君に、党の体制内への転落をはばむため、全国大会に向けて大同団結するようよびかける。
 議員懇と総評民同を二つの翼とする主体性なき中央執行委員会は総選拳後の敵権力の攻撃に屈し、大衆闘争を通じて党を建設するという「道」の立場をかなぐり捨てて急速に右傾化している。そしてこの右傾化への屈服を拒否して党の階級的強化を貫徹しようとする活動的党員に対しては、反戦や日中といった大衆運動を排撃する攻撃をかけてきている。
 中執が準備し、ひとにぎりの派閥首脳郡が積極的におしすすめているこの解党的策謀を絶対に許してはならない。資本主義による人間破壊−自然破壊がますます進行する中でこれと闘い、人間解放をめざす社会主義革命闘争は、日本社会党の階級的戦闘的強化なくしてはあり得ないからである。
 議会主義に堕した共産党や民社党、また新左翼がこれにとって代りえないことは明らかである。
 私たちは、党中央のこの歴史的・反動的転換に対する公然たる闘いを開始するため、三月二十九日東京に結集し、ここに全国の同志諸君に訴える。
 △党の体制への転落に反対して階級性を強化し、闘う党を建設しよう。
 △日米支配階級の抑圧と侵略と闘い、安保体制を打破しよう。
 以上のスローガンの旗のもとに四月十九日(日)午後六時、文京区民センターに結集しよう。

 三月二十九日

1970年4月15日付
『解放』52号2面より


★反戦パージ”と社会党の没落
高見圭司(別掲)

1970年12月刊
『われ一人のリープクネヒトにあらず』所収


★日本社会党の歴史的転換と革命的労働者党創設の現段階(別掲)

1970年4月10日付
『解放』号外1面より


大会中止の責任は執行部にある
執行部は議案書を白紙撤回し、総辞職せよ!

第三四回都本部大会代議員有志

一、今大会の意義について


 今大会は、先の総選挙敗北に至る従来の党のあり方を謙虚に総括し、党が、日米共同声明にみられる政府の帝国主義的意図をバクロする闘いを、大衆の先頭に立って闘うという方針を、全国の労働者人民の前に明らかにするものであるべきだった。それは、同時に、七〇年安保闘争を真けんに闘うことを通じて強固な党組織をきずくという路線の確立であるはずであった。そのことによって、議員党的体質の生んだ諸々の党の弱点を克服できるし、又、そのことが真に労働者人民の期待にかなうことでもあろう。
 しかし、議員党的体質のしみこんだ旧幹部は、総選挙敗北のショックで正しい対応能力を欠き政府権力財界の圧力に屈し、党大会に対して誤った方針と規約違反の非民主的運営によってのぞもうとしたのである。

二、大会の経過について
 かかる背景で開催された今大会の経過は、我々一般代議員および党員にとって全く不可解な点が多い。
 第一に、都本部大会は全国大会の直後に聞くという党規約三一条を無視して、全国大会直前に招集されたが、その理由が全く明らかにされていない。
 第二に、三月二五日に配布された議案書には、たとえば反戦青年委員会の問題に関して「中執の新方針を支持して……地区反戦との関係を解消する」と書かれているが、中執の新方針案が決定されたのは四月一日の中執であり、しかもその内容は「従来から党と関係のある反戦の中で、当面、青年党員活動とする」となっていて、明らかに食いちがっているし、全体に過去一年の運動の総括なしに、反戦、社青同、救援センター、日中正統等の大衆固体との絶えんをうち出している。
 第三に、大会前日になって、突如、会場が代々木区民会館から全共運ビルに変更された。しかも、社会文化会館(都本部のある場所)が空いているにもかかわらず三二万円もかかる高級会場に変更された。
 第四に、会場変更当日、警視庁と某都本部執行委との間に数回連絡があった事、大会第一日目は早朝から会場に十数名の公安刑事が配置され、独自に一室を専用して対策本部をおき、私服が何回も某執行委との連絡にあらわれたこと、更に、うらべ委員長が警察に警備を依頼する意図はないと声明をしたにもかかわらず、第二日目に会場前で開場を待っている代議員・傍聴者を威圧するように機動隊約三〇〇名が出動してきた等の事実にあらわれているように党幹部と警察との間に打ち合わせが行なわれていたこと。
 第五に、大会二日目の朝、突如として、大会書記局員八名の解任と入場禁止を、大会機関にはかることなく書記長名で発表し、理由を問われても「大会運営に不都合だから」という以外に何ら具体的な理由を明らかにしなかったこと。
 これらの間題点について、大会開会前より多くの代議員、党員から追及が行なわれたにも,かかわらず何ら納得しうる説明のないままに、強引に大会開催が強行された。このやり方に憤慨した代議員や傍聴者の抗議の中で、大会第一日目は実質的討議なく閉会が宣せられ、第二日目は朝十時から同じ場所で開くという予告にもかかわらず、朝突如として、大会中止の発表が行なわれた。このため、代議員や傍聴者はどこへ行ったらいいかわからず、はなはだしく混乱におちいったが、正午ごろになってようやく、執行委員長と議運委員長から別々の場所で、大会中止の発表が行なわれた。この間、執行部側より、全共連ビル守衛に対し、入口を開けないようにとの指示が、くり返し行なわれたという説明が、守衛の人達の口から伝えられている。
 これらの経過をふり返るならば今回の大会をめぐる一切の責任は都本部執行部にあり、彼らが反戦や救援会、日中正統運動等、あらゆる大衆運動から遠ざかろうとする党右傾化の陰謀に加担し、派閥的な小細工を使って、大会を引き回そうとした規約違反の党運営とその思想性に根本的な問題があることは明らかである.それにもかかわらず、大会混乱の責任が、愛党精神にあふれる代議員や傍聴者にあるかの如き説明がされるとすれば、それは全く不当であるといわねばならない。
 よって、大会中止の責任は執行部にあることは明らかであり、執行部は議案書を白紙撤回し、総辞職することを要求する。

 一九七〇年四月十二目

1970年4月15日付
『解放』52号2面より


★帝国主義社民への道か? 革命的労働者党への道か?
日本社会党の直面する重大な岐路について
社会党中央の「革労協批判」にこたえる
(別掲)

1970年4月15日付
『解放』52号2面より


社会党の帝国主義社民への転化の都本部・全国大会に反戦・社青同東京地本実力で弾劾貫徹

 四月二〇日午前八時、日本社会党第三三回全国大会において、社会党の帝国主義社民への転化を、反戦、社青同東京地本・革労協などのパージをテコになしとげんとする策動に対して、我プロ統派の青ヘル部隊三〇〇は断乎たる粉砕の闘いを貫徹した。すでに去る四月十〜十一日の都本部大会に対するこの我々の闘いに恐怖し、帝国主義社民への道をひた走らんものと、「大会を守れ」という、排外主義的キャンペーンに奔走し、前夜からの警視庁公安部との〈接触〉をも辞さぬ党官僚に抗して。
 帝国主義社民への転化をもって〈腐爛状況〉からの脱出を図った社会党中央は、わが協会を革命的推進力とする「全国大会弾劾闘争」に恐怖して〈見殺し〉にしつづけてきた三池労働者までかり出して党大会自衛隊と称する官僚防衛隊を組織したが、これが道義的に解体されると見るや、機動隊を二度にわたって導入し、労働者大衆と自からを遮断した。
 こうした帝国主義社民への〈命賭け〉の跳躍を図った社会党中央は、「排外主義」を煽りたてることによってその主導権をめぐる暗闘を陰ペイし、「挙党一致体制」を意図したのであるが、議員懇と「会場外に排除された」都活、全活を両極とする解体的分派闘争の発進を前に、社会党分裂の時代への突入を予告され狼狽しつつも遺産相続をめぐってハイエナの如き人事争いに終始したのである。
 労働戦線統一に照応する政党再編成を右派、社共限定共闘をもってこれに対抗しようとする協会向坂派、右傾化阻止の挙党一致体制を主張する社研中央派は、社会党の終息に直面して、「執行部総辞職」、「執行部信任決議」を応酬して、〈同床異夢〉の新執行部を選出して、そのむごたらしいセレモニーを終えた。
 右派はすでに七月に予定されている第四八中委において江田を筆頭に総辞職し、十二月の第三四回大会までの短期間の左派の単独執行部を出現させ、これを奪取することによって、一九七二年の労働戦線の統一と帝国主義社民連合党(民社・社会)を一挙的に確立しようとしている。
 この結果をもって、今や、新たにわが革労協へのより一層の集中攻撃が関始されている。世界同時革命の展望を切り拓く四−六月闘争の突破口としての四・二八を闘い抜かんとする労働者人民への弾圧攻撃としての反戦・社青同・革労協パージをあくまで粉砕し、最後の最後まで社会党の帝国主義社民への転化に抗し、革命的労働者党の建設に向け、総力をあげ前進しようではないか!

1970年4月15日付
『解放』52号1面より


★都本部続開大会を全国分派闘争の勝利的出発点とし、全領域の組織化で六月ゼネストへ!(別掲)

1970年5月1日付
『解放』53号4面より


意見書
日本社会党東京都本部執行委員会殿

日本社会主義青年同盟東京地区本部執行委員会

一、続開都本部人会での発言、傍聴についての要請の件
 貴党第三四回大会の続開大会が来たる、五月一七日開かれる由、つきましては、去る四月一二日大会第一日目終了時、当社青同東京地本特別執行委員樋口圭之介と、貴執行委員各位との交渉結栗、約定された四点の遵守をここに改めて強く要請する次第です、

(1)大会会場での社青同東京地本(五辻活委員長)の発言を極力保証するため、都本部執行委員会は大会運営委員会にあらゆる努力を払う
(2)傍聴については、これを最大限保証し、椅子、机等を取り払う等の技術的措置を含めて誠意ある態度を示す。
(3)機動隊、私服警察官等の官憲との連絡はもちろんその導入を図る等の労働者政党にあるまじき行動をとらない。
(4)貴執行委員会との交渉時における言動について、交渉者はもちろん交渉を見守っていた党員についての態度追及を行なわない。

二、都本部青対委員会の早期開催についての要請の件
 ながらく分製下にあったわれわれ社青同東京地本も、去る昨年九月の第九回全国大会以降、全国同盟との階級的連帯の道が格段に開かれることになり、ここに、第二地本である、東京地本(斎藤一委員長)なる組織に対しても、復帰の呼びかけを行ない、組織の解散を要請することになりました。つきましては、この正常なる首都社青同組織の階級的前進のための措置に対して、協力を一段と要請するとともに、あわせて、この正常なる組織問題の解決について一部党員の誤解、及び万が一の妨害行動等の事態を避けるため、速かに都本部青対委員会を開催されるよう要請します。
(なお、組織問題の解決についての正確なる手順、方針についてはあらためて報告させていただきます)

三、都本部青対担当書記解任内示について撤回を要請する件
 聞くところによれば、都本部書記局においては、青対担当書記石黒忠氏をその任より解くとの内示を行なわれるとのことですが、われわれは、そのような事態があろうとは思われません。
 首都の青年運動の発展にとって適切かつ配慮をもった指導を行なわれてきた石黒氏の解任なる処置には全党員ひとしく異議を唱えられることであることは明白とおもれれますので、先ず、その事実の有無について質したいと思います。
 同時に、石黒氏の業績を高く評価するが故に、万が一解任なる余りにも不当な措置がとられた場合は、撤回を強く求め、断乎として粉砕することをここにその意を強く表明するものです。
 なお、この件に関して、書記長代行今正一なる人物は、日木共産党東北大学学生細胞所属党員であった前歴を隠して社会党に入党した人物であり、したがって党員としての行動を今日、一切凍結されるべき人物であります。かかる人物には執行委員は勿論のこと、書記局人事を扱う資格はないことは当然であります、したがって、速かにかかるペテン師的人物を党外に追放される処置をとられるとともに、この旨を今正一氏にお伝え下さい。
以上
一九七〇年五月一五日

1970年5月15日・6月1日付
『解放』54号2面より


声明 反党的・反人民的続開「大会」の強行に抗し、全力で闘おう!
社会党都本部第34回大会代議員有志代表

 私達代議員有志は、続開された社会党東京都本部第三十四回大会に対し、不参加の態度と本大会を認めないことを決定した。ここにその理由並びに意志を内外に声明する。
 今次続関大会は、総括なしの方針転換、規約違反、会場変更などの原因で延会のやむなきに至った前回の大会の欠陥を克服し、階級政党らしい姿勢を正すことによって党再建の課題に応える大会として成功させられなければならなかった。
 私達は、前回大会の混乱について執行部の責任を追求し、総辞職と議案書の撤回を求める一方、続開大会の成功のため
<1>大会場は社会文化会館とすること。
<2>党員の傍聴をできるかぎり多数認めること。
<3>機動隊導入等、警察力の行使は絶対に行わぬこと。
を建議してきた。しかし、執行部並びに議長団はこれらの申し入れをことごとく黙殺した。このことは極めて遺憾であるが、召集された続開大会において問題点を明らかにし徹底した論戦をして党の体制変質に抗して闘う決意であった。
 しかるに執行部は、
<1>前夜から東京地評傘下労組員を動員、派閥的指名動員により、会場内に「警備隊」を多数配置し
<2>議案書に反対又は批判的代議員を除く、全ての代議員約百二十名を前夜八時に召集していつでも開会できる体制で宿泊させ
<3>正規の受付時刻、当日午前八時に会場に到着した私達に対しては、玄関を封鎖し、二台の宣伝カー(都本部・地評)をもって通路をしゃ断し、窮屈な宣伝カーの中をくぐりぬけ、交付場所に到るという屈辱的な差別を平然と行い
<4>これに抗議し、玄関前に整然と待機した代議員、傍聴要求者及び大会に抗議する反戦青年委員会の青年らに対し、機動隊二百名を導入して暴力的に排除する挙に出た。
 そのうえ、前夜全日通会館で開かれた執行委員会は、七名の党オルグ及び書記の一方的解雇、並びに十三名の党員を、過ぐる都本部全国大会における言動を理由として統制委員会に付託することを決定した。
 このような傍聴者のしめ出し、代議員に対する一方的差別、国家権力による党員排除等は、今大会が、明らかに、常軌を逸した反党的・反人民的大会であることな暴露した許しがたいものと断ぜざるをえない。
 よって、午前十時三十分、私達は協議の結果、本大会への不参加の態度を決定し、全日通会館をひきあげた。
 思えば、二度にわたる大会の混乱は、全て提出された議案と、執行部の姿勢に原因がある。反戦・社青同・救援・日中等を切り捨て大衆と大衆闘争に依拠した党建設の道を放棄し、右翼的労組幹部と議員集団によって、労働戦線統一と革新戦線統一と革新政党の再編統一の波にのみこまれ、体制内化していく坂道を、急速に転げ落ちはじめたことを、今大会は明らかにした。
 既に指摘した諸問題も、この本質的なことがらの現象形態にすぎたい。
 私達は、党がこのような道を選択したことに対し、心底から、それを阻止し、ますます大衆に依拠して闘うことによって、党の階級的前進をかちとることを決意すると共に、全ての活動家党員が、共に闘うことを訴える。
 一九七〇年五月一七日

1970年5月15日・6月1日付
『解放』54号4面より


我々は屈辱的な今大会を認めない
反対派粛清の暴挙を許すな!
東京都活動家党員会議

 本日、日本社会党東京都本部は警察権力に懇請し、都活(都本部活動家党員会議)に結集する代議員、党員傍聴者を排除して機動隊に守られて大会を強行した。この大会は、さきの全国大会と同様、総選挙の敗北を議会主義的観点のみから総括し、闘う勤労大衆に依拠した党建設の道を放棄し、70年闘争を現実的に闘っている反戦青年委、社青同、救援センター等を排除し、革命を忘れた体制内政党に転落する方向に大きく踏み出したものである。
 我々は、大衆闘争を通じて社会党を支えてきた部活の排除という右翼的方針は勿論、機動隊に守られた今回の屈辱的な大会そのものを認めることはできない。(中略)。
 我々は、闘う社会党に期待し注目している労働者市民とともに、日本帝国主義と対決する大衆闘争に全力をあげ、社会党の右傾化を阻止し、革命的な政党へと党の再生をかちとる決意である。右声明する。
 一九七〇年五月一七日

1970年5月15日・6月1日付
『解放』54号4面より


闘争宣言 解任され、自己批判すべきは現執行部だ
日本社会党東京都本部書記局員解雇反対闘争委員会

 労働運動再編の波の中で、ナダレをうって開始された党の右傾化の尖兵と化した党都本部は今や、一切の党運営のルールをふみにじり、規約違反、前大会決定違反を平然と冒しつつ、反対派を抑えつけるためには「反党分子」のレッテルはりのみならず、警察権力によって反対派代議員、傍聴要求党員、反戦等を物理的に排除し、門を閉鎖したまま大会を開くという暴挙に出た。そして、右傾化に対する我々書記局員七名に対して次の如き笑うべき薄弱な根拠によって解雇を決定した。
 即ちある者は「4月の都本部大会に於て、パンを買いに行き、そのパンを反帝学評らしき人達が食ベていたこと」によって「反執行部的行為」とみなされ、又、ある者は「運営委員長が代議員有志と説明会を行っていた席上、質問演説をした」という理由で首切りに該当するとされた。更に、「執行部原案批判の文書が書記局内においてあったこと」を理由として七名の書記局員が「集団的」に執行部決定に反したときめつけられた。
 しかも党三役は「君達の言分もきこう」と我々をよんでおきながら、事実行為に関する我々の説明に一切耳を傾けず、既に下した結論について全く再考する考えがないことを公然と口にさえした。(中略)。
 まさに、そのことによって、我々の解雇は、同時に我々がこれまでかかわってきた反戦・反安保の大衆闘争に対する攻撃であることが明らかにされたのである。
 告発さるべきは、党の右翼的転換であり、解任さるべきは現執行部なのだ。
 我々七名は、固いスクラムのもとかかる腐敗した執行部を弾劾し、根底的な自己批判をさせるまで、断乎たる解雇反対闘争を、党員支持者大衆と共に闘うであろう。
 右宣言する。
 一九七〇年五月一七日

 社会党東京都本部書記局員解雇反対闘争委員会の提起した四項月要求
一、七名の書記局員の不当解雇を全面撤回せよ!
一、都本部大会への機動隊導入を自己批判せよ!
一、物理的に排除された代議員・傍聴者を入れて、大会をやりなおせ!
一、この間の党運営について執行部は根底的に自己批判して、総辞職せよ!

1970年5月15日・6月1日付
『解放』54号4面より


社党都本部続開大会強行・書記局員解雇・プロ統派統制処分に抗し都本部占拠に突入!

 日本社会党は、今や明確に、帝国主義社民=帝国の下への党の死滅の道を歩みはじめた。
 さる五月二七日、全日通会館における都本部「大会」は、四月一〇−一一日の「流会」大会における確認(@機動隊導入を行わないA傍聴は極力みとめるB社青同東京第一地本の説明をみとめるC処分はしない)をことごとくふみにじり、一六日前夜から、賛成派代議員を会館内に泊り込ませ、向坂派を中心に「大会防衛隊」を張り込ませ、書記局員の首切りと反対派党員の統制処分を強行するという犯罪的策動の下に、抗議に向かった代議員、党員、労働者へ戒厳令をしくという暴挙をもって開始された。
 一七日午前八時、篠つく雨の中を会館前に結集した都活代議員、党員、社青同・反戦の労働者、反帝学評の学生二五〇名は正面入口の閉鎖と二〇〇名の「防衛隊」、二台の宣伝カーをもって排除され、都本部を糾弾する抗議集会を開いた。都本部中執は、十時過ぎ、これに対し、警視庁と結託、一五〇名の青ヘル部隊を官憲をもって、暴力的に排除するという挙に出たのである。
 この暴挙に対し、都活の党員、代議員、百名は、権力と一体となった都本部のファッショ的な行動を糾弾し、ついに、大会をボイコットし、社会文化会館の都本部に結集、十一時より翼賛大会としてはじめられた続開「大会」を一切みとめず、都本部の自己批判を要求して、無期限の都本部占拠闘争への突入を宣言した。
 十八日朝、坂口総務長は「正午までに退去せよ」と団交を要求する書記局員らに通告、直通電話線を切るという挙に出て来たが、本部にだれ一人姿を見せず、都庁内の政審の部屋に亡命し、ひたすら追求の目を逃げまわっている都本部「中執」に、今、都内各地区では、下部党員の間に抑えようのない怒りが燃え上がっている。

1970年5月15日・6月1日付
『解放』54号1面より


帝国主義社民の中枢機関を解体せよ!
分裂期の分派闘争を都本部無期限占拠闘争をもって革命的に貫徹せよ!

革労協社会党委員会

はじめに

 第34回都本部続会大会は、機動隊による代議員、傍聴者の排除をもって自滅の道を選択した。現在執行部派は都庁に逃亡し、プロ統派のイニンアの下で都本部書記局は自主管理され、六月ゼネストのための「スモルヌイ女学院」に転化しつつある。
 「革労協を排除し得ないならばわが党は彼らによって解体される」という〈ドゴールか?革命か〉張りの危機意識を煽りたてて作り出された帝国主義社民の〈神聖同盟〉は「JC路線か、社共共闘か」の対立をはらみつつも、JC路線と言う極に吸引され、帝国の下に包摂されようとしている。
 そしてわれわれもまた「過渡期的空白」の中で一挙的に、わがプロ統派を極に、総反乱を準備しなくてはならない、支部、総支部段階の機関、基本組織内部に於ける公然たる分派闘争を基礎として、社民最後の砦たる民同党員協の内部における「ダラ幹追放闘争」を断固として闘い抜かなくてはならない。
 関西ですでに一定の伸長を見せている全電通型の右翼解党運動と党内秩序派たる協会・社研連合の「左派社会党再建路線」を粉砕して、まさに脱出としてではなく反乱としての「古い桎梏」の爆破のために総力を結集せよ! 調停主義者の一切のマヌーバによって闘争を一瞬たりと言えども弛緩させてはならない。今からわが革労協を推進軸とするプロ統派と右翼解党運動・党内秩序派の左派社会党再建運動との対決は、非和解的な、従って分裂期の分派闘争の段階に突入したのである。ローザの轍を踏んではならない。分派闘争に関するボルシェビキ的諸原則とマッセンストライキに関するローザの諸原則は正しく結合されなくてはならない。〈いつでも分離し得る党〉の公然たる建設、地区プロ統協議会を推進軸とするゼネスト委員会の結成を、即ち「闘いと建設」を二つながら断固として押し進めなくてはならない。

一、書記局員解雇と革命的党員の統制付託は何故に行われたのか?

 右翼解党派および党内の秩序派は、労働者自立連動の高揚の前に遠からず、追放される自己の宿命にパニック状況に達し、自ら国家権力の胸中に救出されようとしているのである。スターリニストに限らずプロレタリア運動への〈官僚的寄生集団〉は安定期においては闘争の妨害者に過ぎないが、革命的高揚を前にすると血の弾圧者として登場せざるを得ないのである。吸血鬼は自からの死を血の海でかざろうとするものである。
 11・16闘争からの逃走への追撃の中で、「都活」を登場せしめていらい、危機意識にかられた協会・社研連合は〈六日会〉なるフラクションをもってわれわれの敵対を開始し、その推進軸たるわが革労協排除および「同調者」の遮断のもくろみが着々と進行している。
 そして五月十七日の都本部第44回大会の続回強行を前にして書記局員七名の解雇、革労協関係党員なる断定の下に十三名の同志に対する〈統制委員会付託〉を決定した。「大会破壊分子からの防衛」のためにかき集められたJC路線の尖兵たちは、「デモ隊との接触以前に機動隊を導入する」との約束の下にかき集められたもので、いまや東京都本部は事案上JC派の戒厳体制の下にある。〈六日会〉は〈当事者能力なき主流派〉として、正面の敵となってわれわれの前にたち現れてはいるが、都本部占拠をめぐって二極への分裂と激突のジリジリした緊張の過程がやや緩慢なテンポで高められて行くであろう。

二、機動戦による占拠から占拠による機動戦へ

 五月十七日、大会場から実力排除された「都活」代議員および傍聴者、反戦、社青同および反帝学評は、抗議集会ののち、ただちに都本部書記局無期限占拠に突入した。自から道義性を解体させられた右翼解党派および党内秩序派は五月十八日、卑劣にも電話をもって「解雇通告と退去通告」を行い電話の切断を強行した。「危機の三日間」の実力防衛をもって占拠態勢を確立したが、都庁に亡命した執行部は、退去を前提とした団交の受諾、従って実質上〈団交拒否〉を行ってきた。不当解雇反対闘争委員会は都庁「亡命執行部」への攻撃および占拠闘争の防衛のみならず「地区活」の建設をもって「帝国主義社民の中枢機関解体」の長期戦の態勢を確立した。
 そして「都活」の独立社民ないしは左翼社民としての限界を突破させ、分裂期の分派闘争を更に一歩鮮明化するために、統制委員会付託反対闘争委員会を結成し、革労協および革命的党員の除名のもくろみに公然と敵対する闘いへと不退転の決意をもって、不当解雇反対闘争委員会との共闘関係を明確化した。帝国主義社民の巣窟に全日本プロレタリアートの真紅の砦が構築されつつある。
 われわれはこの砦をプロ統派の開かれた砦で日本革命の「スモルヌイ女学院」として実力防衛し抜き、頑強に全館をバリ封鎖し、六月ゼネストの出撃拠点にしなければならない。頂点への攻撃で達成されるものは中枢神経の解体であり、すべての権力問題がそうであるように、その社会的基礎へのゲリラ戦的追撃こそ決定的な鍵である。従っていま開始されたこの闘争は、全国分派闘争の極であり、不屈な旗である。すでに地区党および地区プロ統としての地区活への介入等をもって「いつでも分離し得る党」としての分裂期の分派闘争が開始されているが、民同「党員協」への攻撃、とりわけ官公労運動の内部での全逓、全電通の党員協内部の公然たる分派闘争を開始しなければならない。そして、このことを通して、戦後革新勢力総体とりわけ、総評の去就を注目し、全国社青同からの山崎一派の追放等、断固たる全面攻撃を展開しなくてはならない。社民の死活を賭した攻撃を前にして、これに勝ち抜き、七月中央委員会−−八月総評大会−−十一月全国大会への帝国主義社民の遁走を、文字通り一握りの裏切り分子の脱走へと孤立化させなくてはならない。左翼反対派内部の第四インターの如き、召還主義と〈分裂回避〉による党内左派としての定着に固執する〈合法左翼主義〉に抗して「社文闘争」と「地区活建設」をテコに都活、全活を革命的に強化し、〈見える党〉としての骨格を公然と浮び上がらせなくてはならない。

1970年5月15日・6月1日付
『解放』54号4面より


日本社会党の「革労協」排除策動を粉砕し六月決戦の中で断乎たる党建設を!

一、通達第一号の醜悪な意図

 五月二十三日、わがプロ統派の書記局占拠によって都庁に逃亡した自称東京都本部執行部は、組織委通達第一号なるセクト的文書を各総支部宛に発表した。組織整備と「革命的労働者協会(社会党・社青同解放派)」の排除及び規律に関する行為についてと題するもので、内容は次の通りである。
 『党の運営に大会以降、革労協問題をめぐって、党規律に反する行為が出てきた。党の運営は、大会が最高の機関決定であり、何人も犯すことが出来ないものであり、党員は大会の決定を実践するルールを守らなければならない。
 以上の情勢により、総支部は次の事項を行うこと。
 1、組織の再点検を行い、六月末日迄に総支部は大会を終了する事、六月以降遅れる総支部は、その都度連絡されたい。
 2、「革命的労働者協会(社会党・社青同解放派)」に参加する者は各支部で点検し、党と二重加盟は許せぬので加盟党員に対して革労協の離脱を勧告し、説得し聞き入れない者は統制委員会に上申せよ。
 3、地区反戦加盟は党として認めないので加盟する党員に離脱を勧告する。
 4、救援センターとの関係は、都本大会以降、連携をもたないので、総支部は救援センター加盟党員に脱ける事を勧告する事
 5、略
 6、都本部大会以降、情宣活動及びオルグの不足などによって党の運命を熟知せず革労協その他に力をかす者があるならば充分その実態を明らかにし適切に措置せよ!
 7、以上三項−五項にわたるものは、勧告を受け入れない者は六月末日をもって統制委員会に上申せよ。
 これは本部組織通達第一号(曽我組織部長)による五月一四日の反党的組織「革命的労働者協会」の排除に関する決識(第三三回定期全国大会)を守り、党各級組織の規律を保持し、党組織を防衛するための措置について に基づくものであり
 二、党各級機関がとるべき当面の措置について
 党各級機関は、大会決議を守り、その具体的措置をとるため、次のように組織点検されたい。
 1、各都道府県本部は、総支部、支部に対し、党が示した「革命的労働者協会」に対する見解とその態度について周知徹底する措置を構ずることにより、組織の点検を実施する。点検の基準となるものは、大会決議文である。
 2、組織点検のなかで、革労協に加盟する党員が発見された場合は、目的意識的に加盟したのか、その実態を充分認識せずして加盟したのか慎重に調査し、説得して革労協を離脱させるか、または党から排除するかの措置をとる。
 なお、革労協は非公然の組織方針をとっているので、この点を留意し、対応されたい。』
 機動隊によって防衛し、労働者階級から遮断された自滅の道を大会において選んだ、中央および都本部官僚は、今やその醜悪なる意図を明瞭に示した。かつて安保共闘・原水禁等を共産党のセクト的引き廻しを理田に分裂させ「高揚する大衆運動から自から身を引いたように、「何故に裏切られたのか」の総括を通して一歩一歩自立的に前進してきた大衆運動を、そこにわが革労協が媒介していることをもって絶縁なるものを決めるのは逃亡の正当化に外ならない。即ち東京都本部自称執行部は、社青同東京地本同盟員に対して革労協に参加しているものと断定して「離脱を勧告し、説得し聞き入れない者は統制委員会に上申せよ」と指示している。
 しかも本部通達によれば「革労協は非公然の組織方針をとっている」として、あらかじめ所属の有無については、機関の判断にゆだねているのである、そしてこの措置を、地区反戦、救援センターに参加する党員にまでエスカレートしようとしているのである。

 二、今こそ大衆運動の全領域で対決を

 インドシナ人民抑圧戦争は、今やタイにまで戦火を拡大しつつあるが、日米共同声明、ニクソン・ドクトリンの示すものが、反革命階級同盟内部で日帝の比重の変更をもたらさずにはおかないものであり、韓国とならんだ日帝の資本輸出の拠点であるインドネシアのマラッカ海峡からの英連邦軍の撤退を控え、「72年沖縄返還」と連関しつつ実質上の再改訂を進行させつつあるのであって、固定期間終了後の自動延長とは、単なる現状維持を意味するものではない。即ち、70年代は、海外派兵・双務安保への危機を孕む時代なのである。まさしく六月決戦がそのことに対する労働者階級の不退転の決意の下に闘い抜かれようとする時まさしく六月決戦からの逃亡の正当化と後方撹乱として打ち出されたわが革労協をはじめとするプロ統派に対する攻撃は、党大会における癒着に示される資本と一体となった攻撃であって、あたかもそれは都本部占拠の機動隊による排除の口実のための解雇を通告された七名に対する除名処分(一度も喚問されていない)と軌を一にするものである。
 かかる攻撃に、防衛主義的にではなく、まさに攻撃的に対応しなければならない。すでに見てきたように自らの提起した運動が議会内的な集約を越えて発展せんとするとき、分裂、召還、逃亡をくりかえす社民に対して、断固として反戦・救援会に示されるようにプロ統派のイニシアを一つ一つ確立していくことである。他のすべての領域の運動を一切、切り捨てて労働組合運動に切り詰める協会両派、選挙の票田以外は何とも考えられぬ社研グループの「保守主義」と都市問題の体制的処理によって延命を策する社運研「近代主義」は、共に爛熟期にあるブルジョアの議会制独裁を補完するものに他ならない。即ち、階級的戦闘的労働運動の前進と、公害等、都市問題でのプロレタリア的解決能力の開示、それを通して衆議員二議席に凋落したわが哀れな都本部をして、統一地方選を迫いつめ、官僚的な支配力を木葉みじんに粉砕すること、これこそが、我々「革労協」に与えられた、重大な今日的任務に他ならない。

 三、「反独占国民戦線」と「プロレタリア統一戦線」

 われわれは、六十年安保における前衛神話の崩壊を通し、裏切り史観にもとずく指導部主義等の実はスターリニズムの裏返しにしかすぎない小ブル運動に対し、まさしく「存在が意識を決定する」ものとして「労働者階級の中から」生み出される運動が党を指向すべきものという原理から出発し、ただ労働者の「階級への形成の媒体としての党」を見つめ、反合・反産協路線の展開のなかでの社会的権力との対決、また政暴法や憲法公聴会、大管法、日韓、原潜、ベトナム反戦等々の政治課題にとりくみ政治支配権力との対決をすすめながら、行動委員会運動に結晶する労働者階級の政治支配能力がいまや総領域総過程を問題にしきることを必然とするまでに到達した。
 この過程が、当初は社会的諸矛盾に最も敏感に反応しやすい青年運動を通してあらわれたのは根拠のあることであったが、ともすれば単純な反幹部闘争に矮小化されがちな、従って部分的にどれほど熾烈であっても総体としては社民民同に呑みこまれてしまっていた初期の苦闘から、現在の、青年という階層の運動においても実は直接的工場生活のみならず消費生活を問題としてたてなければそれ自体の発展も見えず、従ってもはや民同運動にはいかにしても包摂させられないことを民同自体も認識せぎるを得ない段階に到達したことを示すのが行動委員会およびそれを基軸とするプロレタリア統一戦線の公然たる登場である。
 このことを確認するならば、われわれは新たな提起を見ざるを得ない。すなわち、われわれの運動が発展すればするほど旧い団結がますます巨大な桎梏となり、旧い運動から生み出されてその意義を受けつぎつつそれを桎梏として突破するものとしてのわれわれの運動は、社民・民同との対決を不可避的なプロレタリア人民の総領域総過程に及ぶ分派闘争としてより巨大な規模でおしすすめなければならないし、そのことは逆にますます激化する社民・民同のわれわれに対する攻撃自体がわれわれの発展に照応するものとしてあるということにほかならない。従って社会党の没落と帝国主義社民への転化の公然たる開始という現段階は一層鮮明な分派闘争の断平たる推進の時期であり、その分派闘争の内容はといえば、労働者の階級としての政治支配能力(全人民の矛盾を解決する能力)の総領域・総過程における明示であり、これは地区内共同がまさにソヴィエトに向かうものとしてあるという点において、「反独占国民戦線」や民主連合政府などと明確に区別されて現実の権力基礎までを問題にしきったところの革命性に裏づけられた統一的運動の構築と展開に他ならない。
 いいかえれば、社会党の没落とは単に死滅を意味しないし、帝国主義社民への転化とは単なる戦術の変更でもない。護憲運動や原水禁、反安保などをふくめて、彼らなりに壮大な運動として新たな団結に敵対してくるのである。即ち「反独占国民戦線」の純化であり江田書記長の「公害」問題は七〇年代の社会党の最重要課題であるとの発意はこのことを明確に示している。
 巨大な「労働組合」官僚機構と議員と堅く結びついた帝国主義社民は、下からの一切の自立的な大衆運動を抑圧し、しかしながら、大衆の要求を彼等の共同体(労組と議員組織)の下に秩序づけ、それなりに解決を図ろうとする。
 今日、我々が、最も注目しなければならないことは、「反独占国民戦線」という小市民秩序が、文字どおり、労働組合の反動化を軸としながら、打ち固められていく現実であり、その過程を通して、鋭くその秩序を引き裂く部分に対する弾圧と排除、敵対の進行なのである。
 すでは、蜷川選挙の「勝利」を通じて、日共は、各地区、学区毎に彼等の統一戦線を定着せしめることに成功し、人をして「二重権力」状況と言わしめる程である。
 だが、我々は、これが、アイジットの率いるインドネシア共産党の道であり、プロレタリアートの秩序づける統一戦線こそが一切であるとの原則に立ちつつ、それ故「反独占国民戦線」の純化と打ち固めを粉砕しつつ、同時に、「民族民主統一戦線」に対抗する隊列を、この社会深く構築せねばならないのである。
 第二回安保労研、四月闘争の突出を経て、我々は、この社会に生ける諸個人の総過程に及ぶ資本主義体制の恐るべき破壊的作用を見、かつそれに対抗する革命的運動を引き出すべき任務を自らに課し、そのことを通して、農民、学生、都市小市民等のプロレタリアート以外の各階層の矛盾を発見し、従って、それらと結びつく衝動に駆られている。
 労働者としての揺がぬ独自的利害=苦痛=欲求を今こそ突き出し他の諸階層の欲求と結びついていく運動を実現する結合体=共同体=プロレタリア統一戦線の本格的構築の基礎をこの六月安保決戦の中で、「六月共同闘争委員会」として形成しつつある我々は、このプロレタリア統一戦線の巨大な進撃をみつめつつ、反独占国民戦線を総領域、総過程において下部末端から掘り崩し打ち破りつつ、同時にその媒介である日本社会党を内部から公然と破壊して行かねばならない。
 都本部大会−党大会−続開都本部大会を丹念に、かつ精力を傾けかかわって来た我々は、社会党、社青同を貫く革命的分派として、プロレタリア統一戦線の有機的構成部分としてあると同時に、その牽引者として任務を自らに課して全国的な党内闘争の貫徹と、それによる、社民的秩序の根底的破壊の作業に進まねばならぬ。
 我々の進撃に恐怖した社民官僚どもは、自らの団結を防衛するため、党内からの排除とそれによって、彼等の下に囲い込んだ大衆と我々との遮断をネラッテ、卑劣な攻撃をかけて来た。
 大衆の生きた実践的結合体=プロレタリア統一戦線のため、反独占国民戦線の下への大衆の秩序づけを許さず、社会党内分派闘争に全力を挙げてかかわろうではないか。
 日本社会党の爆破を通しての巨大な革命的労働者党建設をみつめ全力を挙げて六月決戦を闘い抜け!

1970年6月15日付
『解放』55号3面より


21日中央集会に革命的分入 青ヘル七〇〇

 60年安保の「固定期限切れ」を翌日に控えた6月21日、東京代々木公園で、この10年間の労働者の血の苦闘を「国民主義」で枠づけ、自分らの「反独占」という利害の物理力たらしめることを目的にして、社会党総評中央は「安保廃棄要求中央集会」(主催=反安保実行委員会)を開こうとしていた。しかし、これをもはや桎梏以外の何ものでもないと確信した多くの労働者の支持のもとに、プロレタリア統一戦線=青ヘルの部隊は「中央集会」に対する革命的介入を遂行し、安保決戦勝利への道と、それへの反プロレタリア的敵対物が何であるかを全大衆に明らかにした。
 この集会に賭けた民同どもの意気ごみはものすごく、関東中心に一県から約一〇〇〇名の動員がかけられ、東京では組合の根こそぎ動員がおこなわれた。60年安保敗北以降、とくに日韓以降、労働者運動の革命的再生と同時に、本格的な帝国主義的労働運動の展開がIMFJCという形ではじまり、総評・中立労連を貫いて一〇〇万の労働者をかっさらい、社会党の総選挙での敗北にみられるように旧い組合官僚の足もとが音を立ててくずれ落ち、また他方で、60年当時国民会議のオブザーバーという地位に甘んじていた日共が、彼ら自身豪語するように、もはや社会党と「対等」だというほど勢力をのばし、更にその背後に公明党を中心とするファッショ的大衆運動が不気味な成長をとげつつある中で、もはや独力でストライキ闘争を組織しきれなくなった社会党・総評中央は、21日の集会を自分たち独自の闘いとして文字通り命運をかけて、安保唯一の最大のヤマ場と設定し、起死回生をはかったのである。午前8時には社会党・総評の民同幹部の息のかかった国労・全逓・全電通などの部分が三〇〇名ほど“大会警備団”として組織されて、演壇付近に、“戒厳令”をしいていた。
 われわれプロレタリア統一戦線派(東京地区反戦、反帝学評など)七〇〇名は、八時すぎ、演壇横で集会を開始した。民同はそこをどけなどと官僚的な、妨害を加えたり、“警備団”を用いてわれわれを暴力的に排除せんとしてきたので、青ヘル部隊は直ちに抗議を含めて、午前十時演壇に登り、ここから全国の労働者に対する真摯な訴えをつづけた。この間、さらに民同幹部とのもみあいがつづいたが、午前一〇時四〇分ごろ、岩垂総評国民運動部長は「君たちとは思想的に相いれない。話し合ってもムダだ。ここは君らの来る場所ではない」として「すぐ演壇を降りろ。さもなければ排除する。」という恫喝を加えてきた。ここで彼らはまた“警備団”を組んで来たが、激しいもみあいの末、我々が粉砕していった。
 われわれは後にものべるようにこの集会を「粉砕」すること自体を目的にしたのではなく、あくまで全国から結集した無数のプロレタリア人民に民同への警戒と共に安保決戦を闘いぬくことを訴えようとしていた。
 そのころ、主催者側はもはや自力で対処できなかったと判断し、谷木反安保全国実行委事務局長が口頭と文書で正式に機動隊に出動を要請した(後になって、彼らは待機を要請しただけなのに、機動隊が勝手に実力行使に入ったなどといって、闘う労働者の怒りをやわらげようとしている)。そして徐々に演壇周辺で機動隊の配置が実施され、一一時半には二〇〇の犬どもが一挙に演壇上に乱入し、われわれとの激しい闘いとなり、権力は不当にも二十八名の同志を拉致した。
 この問、青ヘル部隊は何度も頑強なスクラムを組んで犬どもと激闘し、会場に集った多くの闘う労働者も「主催者は権力と手を結ぶな」と叫んでスクラムを組み対抗していった。
 このころ、主催者側は総評宣伝カーを仮舞台にしてやっと開会の格好をつけたが、予定の議事次第を一切省略し、水口事務局長のあいさつのあと、安恒総評政治福祉部長が気のぬけた大会宣言を読みあげて集会は打ち切られた。
 その後、国会、新橋、恵比寿の三コースにわかれてデモに移ったが、われわれ青ヘル部隊も国会コースのデモストレーションを闘いぬいていった。しかし、政治中枢への突撃と、労働者大衆とのむすびつき−労働者大衆自身の闘いの発展と、この二つの予想された事態に恐怖した権力は不当にも、われわれの隊列だけを全体からきりはなそうと無茶苦茶な弾圧を行なってきた。われわれはこれに力あるかぎり闘い、日比谷公園までの闘争を貫いた。
 この日の闘いは、まず第一に、6・15が切り拓いた安保決戦の政治的突破口を、安保粉砕・帝国主義ブルジョア政府打倒−プロレタリア政府倒立へむけて、全面的におしひらき、全日本プロレタリア人民総決起へ波及させ、議会主義・反独占国民主義更には帝国主義的経済主義、組合主義的政治への収約を突破してゆく闘いであったといえる。また第二に、今日、日本社会党の帝国主義社民への転化に対応して、反安保実行委の右傾化が念速に進行しており、東京段階でも、反安保実行委幹部から「板橋、文京、練馬、三多摩、目黒、大田等の、地区反戦を正式に加盟させている地区反安保実行委は、東京反安保実行委とは無縁である」との声明が出され(三月下旬)、職場・街頭で今まで最も先進的に闘ってきた労働者を切りすて、安保自動延長以降の「終了通告政府樹立」運動の大合唱に一切をとじこめようとする社会党・総評幹部の官僚的自己保身は目にあまるものがあった。われわれの闘いは、労働者の革命的前進に対するこうした桎梏を、まさに桎梏として暴露しぬき、決戦勝利へむけた革命的団結を更に打ち固めてゆくものであったといわなければならない。

1970年7月1日付
『解放』56号2面より


反戦青年委・革労協の排除を許さず帝国主義社民に死の鉄槌を!
6・21闘争の意義と成果を発展せしめよ

革労協社会党委員会

 アジア太平洋圏安保の発動を許すな!
 6月21日午前9時、おりからの小雨をついて、六月共同行動委員会(東京反戦・全国行動委員会連合(準)・社青同東京地本・革労協・全学連・反帝学評)の青ヘル兵団は、演壇下を目指し、会場内をデモ。
 大衆的な熱気が感じられない集会場の中で、唯一、熱気をはらんだこのデモンストレーションに対し、帝国主義社民・労組官僚どもの狼狽と自警団の敵意が、ありありと見える。階段際に陣取った六月共同行動委員会の部隊が弾劾集会を開始。こうして、拡散されていた代々木公園内に強力な磁場が作られつつあった時、広がってゆく円陣に恐怖した自警団が階段の旗手を突き落して、あからさまな敵対を開始した。これに激昂した大衆は、いっせいに抗議、事態を大衆の前に明らかにすべく、東京地区反戦青年委員会五辻世話人・社青同東京地本山田書記長を先頭に、演壇にかけあがったのである。
 われわれの行動は、大衆運動への敵対と圧殺への断固たる正当防衛であって、この行動は断じて意図された集会破壊ではないのである。
 6・14の赤坂見附における青ヘル兵団の正規軍的激突をもって火蓋を切られた、七〇年安保の公然たる出発=発動粉砕−自動延長粉砕・アジア太平洋圏安保粉砕の闘いは、6・15のプロレタリア統一戦線の現在的形成である「六月共同行動委員会」の総力をあげた政治的突出を作り出し、これをテコとする6・18の官僚統制を突破した労働者実力闘争の革命的結合を勝ち取った。6・21の主催者の意図は、朗らかに、こうした闘いを〈去勢された数量〉をもって消し去ろうとする大衆物理力主義、官僚的宿生者の、その故の醜悪な官僚統制であるのだ。
 社共のみならず、両革共同の6月カンパニア主義の底に流れているものは、大衆運動の自立的形成と自己展開への恐怖である。
 自からの欲求に始源をおき、その実現のためにその制約者と闘うことを通して(それは生活の総領域、総過程を含んで)、制約者の結合としての権力を見、これを打倒して行く闘いの発展の中に諸個人の生き生きとした要求を一切削り落すことなく結合させ、団結のための必然としての規律と集中をも自からのものとしたわが青ヘル兵団の突出は、65年代後半の闘いの自然な発展としてあったに過ぎない。
 むしろ、攻撃的意識性の未成熟をいまだ限界として孕んでいるこの闘いを、萌芽のうちにつみ取るものとして、わが革労協の「排除」に奔走する帝国主義社民と、そのバックグラウンドたる民同は、この日また、「反戦青年委員会・反帝学評の、正式参加と発言要求」を機動隊導入をもって暴虐に拒絶したのである。
 主催者は、自から開催した集会を自ら破壊したのである。こうして常習化した権力依存は、一つのことを象徴的に表している。安保条約はアジア諸国人民の革命闘争に対する軍事的敵対を頂点とする人民抑圧の支配階級同盟であった。これを廃棄するとして結束された集会が国家権力に守られてしか強行できなかったことは、自らの闘いが権力の許容する範囲内の文字通り、「護憲主義者の闘い」であることを示している。
 「安保廃棄を通告する政府」なるものは、かかる階級同盟下で出現する政府であり、帝国主義軍隊の解体を明確にし得ないままの非武装中立は、実際上、非武装にはなり得ない。また、そこに進み得ないものが何故に安保を廃棄し得るであろうか。
 日米共同声明、ニクソン・ドクトリンによって再改訂の衝動を孕んで発動された70年安保は、帝国主義ナショナリズムの枠の内での「沖縄返還闘争」が許容されているように、自主防衛を基調とする双務安保への再改訂に無力であるような「安保廃棄」(−−全逓の宝樹すら、廃棄は口にする!)は、むしろ、許容されていると言うべきである。
 即ち、「条約の廃棄」なのか、「同盟の粉砕=政府の打倒」なのか、このことが「沖縄返還」なのか、「沖縄人民解放」なのかと言うことと同様、峻別されなければならない、闘いの進路をめぐる課題である。60年の再改訂の時期から、われわれが一貫してかかげてきた「反革命階級同盟粉砕=帝国主義ブルジョア政府打倒、プロレタリア政府樹立」のスローガンは安保廃棄のためのもっとも現実的なスローガンとして、全プロレタリア大衆の前に突きつけられなければならない時代に突入したのである。
 革命を無限大の彼方に置いて、それへの過渡として安保を闘うのだと言う部分は、すべて現実の闘いによって押し潰されるか、醜悪な敵対者ならざるを得ないことを示したこの日の闘いにこめられた象徴的、歴史的事件を、今こそ、全大衆の前に鮮明に突き出されなくてはならない。

1970年7月1日付
『解放』56号6面より


中央統制委による「13人委」の除名処分・都本部による目黒総支部の「組織解体」処分を粉砕し、日本社会党の心臓部に迫る分派闘争を展開せよ!

 四月全国大会をもて帝国主義社民への急カーブを切りはじめた日本社会党は、十一月全国大会をもってプロレタリア統一戦線を消さんとする“国民戦線”という右翼小ブル路線の“新中期路線”を打ち固める方向に急速に動いている。中央統制委員会の十二名に対する“除名”処分と目黒総支部をはじめとする都活系下級機関に対する“組織解体”攻勢は、社会党の帝国主義社民化を完成する策動のもとにおいて加えられているものといわなければならない。十一月社会党全国大会の帝国主義社民完成策動を粉砕するため、都活、全活の団結のもと断乎として闘い抜け。

 五月十七日社会党東京都本部続会大会の前夜、大会会場の全日通会館でもたれた都本部執行委員会は都本部オルグ六名、書記一名を統制委員会に付託することを決定する一方、社会党内において革命的闘いを推進してきた十三名の党員を統制委員会に付託することを決定した。十二名については、六月はじめ統制委員会への召喚状が速達で召喚日の前日に発送され、そのため召喚状を召喚日の前日、又は当日自宅でうけとったため、又中には召喚日が、既に経過した後で受け取ったため十二名全員それに出席することが出来なかった。
 その後約一週間して十二名全員に対して“除名”の通告書が郵送された。除名の理由は、個々人によって多少の違いがあるが、ほぼ次の数項目のうちどれがが根拠となっていた。理由は@都本部大会(四月一一日)で大会中止に至らしめた実行行為(執行部監禁、つるし上げ、傍聴席での携帯マイクによる大会妨害など)A革労協政治集金に出席したこと、“解放”紙に論文を書いたことB雑誌などで党解体を主張したことC三多摩分室に執行部を監禁したこと、などである。
 十二名は、この東京の統制委員会決定を認めない立場から直ちに中央統制委員会に規約にもとづいて提訴した。
 中央統制委員会では、十二名ははじめて九月三日に召喚され(一名は獄中、他の一名は七日に出席したのでこの日は十名)全員それぞれ大衆闘争に関わっている立場から中央と東京都執行部の「反戦、革労協パージ、機動隊導入」に対する弾劾を展開し、中執の成田、江田及び都本部執行委員との次回統制委員会における対決を要求した。ところが、中央統制委員会は、十月十二日総会を開き、十二名の再度の召喚を退けてほぼ全員“除名”を決定しに模様である。
 十三名委員会=日本社会党不当処分粉砕闘争委員会は結成の際確認した五原則(@都本部大会を認めず再開せよA執行部は総辞職せよB機動隊導入を自己批判せよC七人の解雇処分白紙撤回D十二名の除名白紙撤回)を貫徹しつつ十一月全国大会に向けて、都活、全活の団結のもと断固として闘い抜くことを確認している。
 さらに、この13人委の除名処分と呼応しつつ、去る十月十九日付で都本部統制委員会(佐野進委員長)は、東京都目黒総支部に対し、八月二十五日開催の第七回都本部執行委よりの「査察申請」を受け、34回都本部大会のボイコットとその後の大会の否認行為などの「党規律違反行為」および財政などの「党組織運営の機能喪失」を理由に、目黒総支部を組織解体」し、「今後は都本部組織指導部の指導による再登録に従わない党員は除名処分とする」ことを決定した。闘うすべての労働者党員諸君! この犯罪的攻撃を許してはならない!
 十一月党大会を目前に、帝国主義社民完成へ向け、一挙的にかけられて来たこの13人委への除名処分、目黒総支部の解体攻撃と対決し、社民内分派閥争の重大段階を全力で闘い抜け!
【詳細は次号】

1970年11月1日付
『解放』62号3面


★革命的労働者党への衝動を孕んで分派闘争を闘いぬけ
帝国主義社民粉砕! 新中期路線粉砕! 社会主義協会(向坂派)解体!

革労協社会党委員会(別掲)

1970年11月1日、11月15日・12月1日付
『解放』62号4面、63号3面より


日本社会党34回全国大会に向け、全日本の労働者人民・革命的党員に訴える
帝国主義社民化の完成を粉砕し党の解体的再編を!

 全国の労働者とりわけ革命的党員諸君!!
 発動されたを70年安保の下への絶望的従属過程を準備すべく奴隷からなりあがった奴隷管理人による外見上は独立の党大会として、第34回社会党全国大会が強行されようとしている。
 右翼反対派は四月党大会に勝利するや《議員懇》を媒介とした解党的策動から一転して、調停主義官僚集団勝間田派と古典的合法左翼社会主義協会を前面に押し出して全党的再編に乗り出した。東京におけるIMFJCグループと六日会(社研から右翼的に脱走)の下への社研中央派の包摂過程はその集約的表現である労働戦線の帝国の下への統一と帝国主義社民の下への反帝社民の敗走過程は、産業報国会−大政翼賛会への合法左翼政党の再編過程を想起させるものがある。アメリカにおける保護貿易主義の労働運動の台頭、日本における塩路−中曽根ラインによるニューライト労働運動の登場等、繊維問題に象徴される経済的利害の部分的衝突と暴力的調整(倒産、合併、人員整理)の中で、日米の反革命階級同盟は支配階級としての団結と競争、このますます拡大されて行く矛盾からの出口を、制御可能な民間、野党による対米圧力を作ろうとし、一方文化「革命」後の対日政策の転換から『中間地帯論』に逆戻りした中国への《国交同復国民運動》を要求するところとなって反帝ナショナリズムの帝国への抱擁の条件が拡大されつつある。
 こうして中国国交回復を政局転換の実現のテコになるかの観を呈するにおよんで、日本社会党の内部的対立は解消されようとしている。勝利した左派の幻想の下での対立の解消、これこそ戦後二十五年の日本社会党から労働者党的要素の最後の一っかけらをも窒息させる挙党一致体制=革命からの疎外過程の行きつく先である。
 巧妙な死化粧は死者をして生ける如く飾るものである。そして政権への執念は転位された《現実》として凶暴にもわれわれのひきつける《現実》へ敵対するであろう。
 十月十二日付をもって“革労協容疑者十二名”と都活世話人比留間長一氏に対する一年間の党員権停止、十月十九日目黒総支部解体を決定した。
 踏みにじられるたびごとに強力になって行くわがプロレタリア自立運動は、一切の党派の六月闘争からの逃亡に抗し、プロレタリア統一戦線の意識的形成の担い手として、六月共同行動委員会(昨年のスト実運動の地区ソヴィエト的定着をめざして組織された行動委の地区連合体)の建設をもって、工場からの総反乱を準備しその総力を帝国主義ブルジョアジーののどもとに突きつけた。
 プロレタリア自立運動の自衛と前進のために苦闘するわれわれはその帝国主義社民への深化を断乎として許さない隊伍を作りあげるであろう。分裂か屈服かの恫喝に属することなく、戦線逃亡者への怒りの銃口、密集した隊列をたたきつけ全国で苦闘する革命的党員とわれわれとの間のいかなる遮蔽物を爆破し、社会党の革命的・解体的再編=革命的労働者党への陣痛期を不屈な微笑をもって闘い抜くであろう。
 すべての革命的党員は首都に総結集し、労働者反対派を排除して連合政府党へ歩み出そうとする日本社会党の死への行進、第34回大会の強行に対決する強靭な隊伍を共に組もうではないか。

1970年11月15日付
『解放』63号1面より


社会党目黒総支部への「組織解体」攻撃を粉砕し更に大胆な分派闘争を!

 10月19日、帝国主義社民とその同伴者は、この間の社会党内分派闘争の最先端を担ってきた社会党目黒総支部に対し、「組織解体処分」という彼らの本質をむき出しにした攻撃を加えてきた。
 4月党大会において帝国主義社民の完成過程の第一歩を公然と踏み出した日本社会党は、様々な、「左右分裂」へのはかない期待をにべもなく押しつぶし、11月30日から3日間にわたって開催される第34回全国大会では、勝間田派の“新中風路線(新中期路線)”の下に一切の牙を削り落し、すっぽりと帝国の利害のもとへ包摂されんとしているが、このような中にあって、4月都本部大会、全国大会及びそれ以降、都活系党員活動家の文字通り中核となって分派闘争を推進してきた東京目黒総支部への「組織解体統制処分」という攻撃は、社民内分派闘争が、ますます「帝国主義社民への純化か? 革命的労働者党への止揚か?」という二者択一を現実的な課題とする重大な段階へ突入したことをはっきりと示している。
 すでに、7人委、13人委員会への「除名処分」に締き、都活世話人比留間氏への「除名処分」(中央本部統制委で一年間の「権利停止」処分)をはじめ、全都のあらゆる総支部で「魔女狩り」が続けられ、目黒に続き、文京、品川、台東、江東、東村山等の先進的総支部に対し「解体」攻撃が噂されつつある。
 4月党大会以降の社会党内分派闘争は、6月安保闘争を一つの結節点としながら、それまでの都本部、中央本部段階を主戦場とした段階から、各総支部、産別党員協へ主戦場を移し、より具体的な、より豊富な、より深い内容をもつてこの数ヶ月展開されてきたが、その過程では、品川、渋谷等数ヶ月にわたり「帝国主義社民への完成祝賀」総支部大会を粉砕してきた例をはじめ、各戦線において、「執拗に心臓部へ迫る分派闘争の追求」と「公然たる分裂の準備」を一つのものとして闘い抜かれてきた。
 この間の帝国主義社民勢力の攻撃のエスカレートは、一切の楽観は許されないが、にもかかわらず我々のこの間の分派闘争の展開の中で、「切っても切っても、不死鳥の如く甦る革労協を結び目とするプロレタリア勢力の登場」に対し、悪夢にうなされた彼らの苦しまぎれの最終方策に他ならず、このようなことをもってますます彼らはその醜悪なる本質を全プロレタリア人民の前に暴露せざるを得ないであろう。
 「社研再建」を始めとする一切の中間主義的幻想や失望に基く離脱路線に振り回されることなく、今こそ大胆に、執執に日本社会党の最終的な局面に喰いつき、全力をあげての分派闘争な展開しようではないか!
 以下、今後の各地に於ける闘いの参考に、この間の目黒総支部内及び目黒総支部と都本部との対応の経過を明らかにしてみたい。
 日本社会党目黒総支部はここ数年間の苦闘の成果として、三つの拠点職場支部を軸に、従来から活動家党員によって総支部権力が確立され、日共の公然たる右翼的社民化の中では地区に於る戦闘的階級的運動の全都的センターの位置を占めてきた。
 4月都本部、全国大会の帝国主義的社民化をめざす方針転換に対して目黒総支部では二度にわたる総支部委員会で「反対」の態度を決定し、意見書を提出する一方、大会代議員は5各全員を都活系活動家党員で占め、全都のポールとして活躍してきた。
 この道義性を持った活動の展開に対し、区議会議員7名中6名を中心とした少数脱落派(帝国主義社民勢力)はもはやまともにはたちうち出来ず、4月下旬以降スゴスゴとあらゆる機関活動からの召喚を開始し、「党費・新報代の未払い」を唯一の武器とする小汚い攻撃を加えてきた。もっとも、もともと地区のあらゆる大衆運動や機関活動にとって彼らは無縁な存在であったから「兵糧」を除く一切の問題は何一つ痛手をこうむる心配はなく、6月安保闘争をはじめ地区のあらゆる政治−社会運動はより一層深化拡大されつつ担われてきた。更に、「党機関による選挙闘争」への第一歩として総支部委員会で満場一致決定された『議員公認基準』を履行しない脱落派6名の現職区議会議員候補については、この基準を達成しない限り公認しないことを決定し、都活系2名の候補の推薦をかちとってきた(このことが彼らにとっては路線をめぐる問題とは比較にもならない関心事なのだが……)。
 一方4月党「大会」で「成立」した都本部“今”体制は、「党規律」や「党規約」をふりかざすのならとっくに「除名」を決定しなければならない目黒総支部内少数脱落派と盟約を結び、総支部権力の奪権に浮身を費したのであるが、少数脱落派の余りのふがいなさに総支部内では一指も触れることができず、脱落派に「統制査察申請」を提出させ、それをもって都本部が乗り出すことによって事態の好転を策したのである。
 この「統制査察申請」の理由は何回かの討論の中で目黒総支部側からことごとく粉砕され唯一「都本部ですでに除名処分の決定されたS君(13人委の一員)を依然として執行委員の任に当らせていることは党規律違反である。」という理由をもって「解体」の恫喝を加えてきたが、都活−地活に結集する党員を軸に、七〇万円に及ぶ党費未払いという攻撃に屈することなく活動家党員の団結はこの七ヶ月に及ぶ苦闘を通じて逆に一層深化拡大され、この恫喝に対しても断同たる原則的態度を貫いていくことを意志一致して闘い抜いてきた。
 このことに対し、都本部−脱落右派は、すでに6ヶ月に及ぶ党費未納によっていつでも「除籍処分」が決定されることに対し恐怖に見まわれ、討論を一方的に破棄し、10月19日、都本部統制委員会における「組織解体」処分を決定したのである。そして翌20日に予定されていた第28回総支部定期大会の中止を電報で通告してきたが目黒総支部はこの不当な攻撃を認めない態度を堅持し、予定通り定期大会を脱落分子のボイコットにもかかわらず圧倒的に成立させた。この定期大会では、「組織解体」攻撃を絶対認めず、戦闘的階級的旗を断固としで守り抜くこと、更には脱落分子の中心をなしている区会議員6名の「除籍処分」を満場一致決定し、新たなる執行部体制を確立した。
 都本部は数日後「組織解体と再登録手続き」を全党員に通知してきたが、目黒総支部では直ちに中央本部統制委員会へ提訴を行なう一方、脱落分子の支配する支部内にもオルグに入っていった。この過程での地活の討論では「中央本部への提訴は決して中央への幻想をもつことではなく、最後の最後まで社会党にかかわり切る大胆な分派闘争を展開する一環として行なうのであり、基本的には総支部内の個別問題に終らせることなく都活、全活を中心とする全都、全国の闘う党員、支部、総支部との連帯をより強固にうち固めていく」ことを意志一致した。
 案の定、中央本部統制委員会は11月9日、「10月20日の総支部大会を無かったことにし、以前の状態に戻して話し合いを継続する」という中間的な裁定をしたに過ぎない。
 現在、目黒総支部は再びこのことに対する態度をめぐって討論を開始しているが、11月党大会をめぐる帝国主義社民への完成過程の中に「左」「右」の対立もすっぽりと包摂されつつある中で、断固として戦闘的階級的プロレタリア勢力の突き出しをやり切ることによって、「心臓部へ迫る執拗な分派闘争」と「公然たる分裂の準備」を一つのものとして闘い抜くことの中にのみ、革命的労働者党建設の巨大な一歩を切りひらかれることを確認し、闘い続けるであろう!!
 全ての労働者・党員同志諸君! 共に闘い抜かん!!

〈資料 1〉

 一九七〇年十月十九日 日本社会党東京都本部統制委員会
 委員長 佐野 進
目黒総支部所属党員各位殿

 八月二十五日開催の第七回都本部執行委員会より目黒総支部統制査察について申請をうけ十月十九日開催の第十七回本委員会で左記のとおり決定致しましたので、御通知申しあげます。

主文
一、党規約九十五条、ならびに九十七条にもとづき、十月十九日をもって、目黒総支部を組織解体とする。
一、従って今後は、都本部組織指導部の指導による再登録に従わない党員は、除籍処分とする。
処分理由
一、総支部執行委員会は、左記の如く党規律違反の行為に出、都本部執行部の再三にわたる指導にもかかわらず違反行為を改めていない、従って組織解体−再登録によって民主主義的中央集権制にもとづく、総支部再建をかちとるべきであると判断される。
1去る五月十七日開催の第三十四回都本部定期大会の総支部代議員となった総支部委員長、同書記長をはじめ中心指導部が大会をボイコットしたばかりか、有効に成立した都本部大会を誹謗、否認する文書を発行し、郡本部執行部の再三にわたる指導を、うけた八月六日の時点まで都本部大会を否認し続けた。その後においても反安保目黒地区実行委員会の構成団体等にみられるように基本的に組織的原則を無視する態度を改めていない。
2都本部統制委員会の除名した○○○○君を都本部統制委員会通達を無視し、再三わたる都本部執行都の指導にもかかわらず、総支部執行委員の一員として総支部運営にあたらせている。
3○○君については、都本部統制委員会が除名処分した後の六月二十三日夜、明治公園で開催された「全国反戦」全共闘、べ平連等の主催する集会に“個人として”参加し、同夜逮捕され、引続き検事拘留をうけ、同君の下宿先でもある総支部事務所が捜索されたが、総支部執行委員会は、この事件に関し、同君に対して注意を与えたと称して指導上の責任を回避し、この後においても執行部の一員として待遇を与えている。
二、総支部は左記の諸点に示されるように党組織運営の機能を喪失しており、組織解体−再登録以外に再建の展望を見出し得ないもの判断される。
1社会新報目黒総分局の上納金は、昭和四十五年二月以降納入されておらず、滞納金は六十九万余円に達している。総分局への分局等からの収納すべき代金については、前年度八月の未収もあり、百六十部の郵送分の代金徴奴の明細は全く不明である。総分局の再建は抜本的な対策を必要とする。
2総支部の財政帳簿は、金銭出納簿のみであって、財政の内容を詳らかにするものではないが、未収入党費、未払金、借入金等を総合的に勘案し、十月十九日現在の都本部への未納党費五十五万余円(一般党費三月以降、議員党費四月以降)を早急に処理して、総支部財政を確立しえる状況にない。
3総支部執行委員会が、一名の議員をのぞく、区会議員団や十三支部と対立し、党費、新報代の納入を故意にとどこおらせるに至ったり、党活動(総支部)に参加させるよう指揮しえず、支部会議の開催すら指導できない状況にある。
(原文では○○部はは実名)

〈資料 2〉

一九七〇・一〇・二四 日本社会党東京都本都
 組織委員長  佐々木幸一郎
 組織指導部長 柏渕 光男
 目黒総支都所属党員殿

 目黒総支部の組織解体にもとづく組織再建方針について
 貴殿が所属する目黒総支部は、同封の都本部統制委員会通達によって明らかなように、第一に組織規律違反の諸事例と、第二に執行能力の喪失を問われ、十月十九日付をもって組織解体と決定されるに至りました。この統制委員会決定にもとづき貴総支部の組織再建について、十月二十四日開催の第十二回都本部執行委員会は、つぎのような方針を決定いたしました。
 党員各位は、このような結果を生じるに至った事態を深刻に反省し、護憲・民主・中立の社会党政権樹立にむけ、七〇年代闘争と間近かに追まった統一地万選挙を闘い抜く強固な党組織の再建をめざし、この方針にもとづいて行動されたい。

一、再登録について
 目黒総支部所属全党員に対し、「再登録」を実施し、同時に再建の決意を表明するために「目黒総文部再建決意書」の提出を求める。
二、再建準備委員の任命について右の再登録を実施するにあたって、都本部は目黒総支部所属党員の中から再建準備委員を任命し、この委員の構成になる準備委員会のもとで、都本部の指導にもとづき再登録ならびにその他組織再建の執行を行なう。再建準備委員は、旧目黒総支部三役以外で、都本部の再建活動に積極的に協力する党員の中から都本部が任命する、
三、再建準備委員会の任務について
<1> 二度と今回のような組織解体を繰返えさぬためにどのような総支部に再建するのか、これまでの総支部のあり方について都本部とともに徹底的に総括を行ない、今後の再建方向をきめ、必要な準備活動をすすめる。
<2> 都本部の指導にもとづき、党員の再登録をすすめる。
四、再建大会について
右の議事項を完了した後、再建大会を開催し、新体制を確立する。
註 再登録用紙及び「再建決意書」については、都本部で用意したものを用いる。
以上。    .

1970年11月15日・12月1日付
『解放』63号3面より


★社会党34回大会を大衆的実力をもって弾劾せよ!
プロレタリアの戦闘宣言

革労協社会党委員会

1970年11月26日付
『解放』号外1面より


新たな“死”の生み直しと生きた共同性の激突の五日間
社会党の帝国主義社民化を弾劾し、労働者人民は立上がった。

11月28日−街宣開始!

 われらが〈メイフラワ号〉が土曜日の西銀座に到着「社会党を資本家に売り渡す、新中期路線を弾劾せよ!」横断幕がガードレールにしばりつけられる。無届街頭政治集会だ!除名反対のタスキをつけた同志が集ってくる。同志高見圭司の公然たる第一声は、磁場のように大衆の足を街上に釘付けにする。解放号外が青ヘルメットの諸君の手で売られている。吉田議長、革命的議員運盟(準)の玉川同志は、説得力ある実体バクロを進める。こうして移動の激しい路上集会がまるで冒頭から一定の同意を前提とする室内集会のような熱気のこもった密集を作り出している。開かれた党創出はこうして巨大な一歩を進めたのだ!
 ビクトリア良潤氏、もののべ氏がかけつける、インターの大合唱だ! 帝国主義社民の弾劾は分派闘争の焦眉の課題であるばかりでなくこうして現実を廃棄せんとする一切の働く都民の共通の任務として受けとめられ、そのるつぼの中に、剣としてきたえられる、べき〈党の萌芽〉は公然と投げ込まれたのだ!

11月29日−成田委員長糾弾!

 まだ初冬の星が輝いている。班編成された我々は中継点に向う、午前九時、公害メーデー会場の原宿に青へルがもう一隊。「公害闘争のブルジョア調停運動化を弾劾せよ!」同時に第34会社会党大会への弾劾が続々詰めかける労働者人民に呼びかけられる。
 中継点に到着。緊張した待期連絡体制は良好、いよいよ出発だ! ホロ付トラックに乗込む、路上はなんと静かなことだろう。
 一時四十五分社文到着。各県代表者会議に突入、一気に委員長席に詰め寄る。革命的党員十二名の党規約にもとづく除名撤回の大会提訴を大会で審議せよ! 発言要求・自警団の招集を撤回せよ! 周章狼狽し興奮した抵抗に同志吉行が血まみれとなる。原宿部隊合流、一階ロビーの浅沼銅像前での大衆団交がこうして開かれた。

11月30日−大会第一日

 九時、会場到着、木柵の前に白ヘル終結、議事運営委員会への会見拒否! 抗議弾劾開始。
 警傭責任者伊藤英治は口答で「君らの大会提訴は議運で審議されている。弁明の機会があるだろうから、ここ以外の場所で待期されたい」と報告がある。
 三十分後、警傭隊を密集させるため入口を放棄して玄関前に集結、私服が中庭を我がもの顔でのし歩いている。白ヘルピケ隊の前での弾劾開始、「諸君は何を防衛しているのか! 新中期路線による大社民党への転落に加担するのか」彼らの道義的解体を極度に恐怖する奴隷管理人たちはふるえた声で党の宣伝カーから協会向坂派の言葉で反論、論破されるにおよんで次第に白色テロリストの顔付をあからさまに示し始める。帝国主義社民の親衛隊はわれわれとの敵対のためにのみかき集められたことを証明。
 五時三十分、清水谷公園は早くも全学連部隊が到着、続いて反戦部隊続々結集。都活世話人佐藤敏正氏、日本婦人会議東京都理事の宮本さん、石川島の戦闘的第一組合の同志到着する。正面スローガン「革命的労働者党に向って前進せよ!」が公然と掲げられる。「卑劣にも我々の会場到着を恐れて日程をくりあげて散会」の報告、ナンセンスのどよめき、デモは出発から機動隊の包囲を突破して戦闘的なジグザグで貫徹される。プロレタリア統一戦線の現在的形成を「ソビエト的結合を軸とした工場からの総反乱をブルジョア政府に突きつける」ものとして展開された六共委デモにつづいて、革命的労働者党への開かれた巨歩、11・30デモはそれへの組織総路線の熱気ある、同意をもって、かつてない密集した隊列を権築した。

12月1日−大会第二日

 「都活のビラが没収された。増野君が警備隊につれこまれた」。十三人委を先頭に急行、前日とうって変って弾圧的姿勢、大会提訴却下はすでに代議員である。×県青対部長のT同志からの報告あり。警備隊はそのことに口をつぐみ会場地下での暴行をもくろむ××が「会場に入りたければ入れてやる」と発言。「暴行されるにしても議場に肉迫できるのだ!」と決意した同志高見は不屈に微笑しつつ出発つづいて加藤、玉川、佐々木同志等が不敵にも立向った。官僚主義者には愚行と見えるだろうがわが革命的党員の同志たちは〈近くの旅館〉で〈大会指揮〉をとっていた向坂逸郎をはじめとする協会向坂派と区別されて安全地帯からの大衆物理力的操作を拒絶して先頭で闘い抜いたのだ。まさにこの行為そのものが労働者階級の吸血鬼たちへの怒りの鉄槌である! 集団リンチの密室は血まみれの弾劾の前にバクロの演壇へと転化された。

12月2日−大会二日目

 「君らの排除策動は破産した。我々は社会党が労働者の党だと強弁する限り根底から解体再編する執拗な闘争を続けるだろう!」、〈極左〉を血祭りにあげる以外に〈左派〉たり得ない中央派は成田親衛隊になりさがり、特に大会終了時点の永続的闘争宣言集会で恐怖が極点に達するや〈鉄前衛団〉として己を醜悪にも完成させた。
 社青同委員長を自称する盛山はノスケヘの道を突進せんとして白ヘル部隊を激励、一たんは密室に運びこんだS同志の堂々たる態度をそれ以上さらすことを恐れ、更らに自からの、「大衆」からすら見えない場所で報復に出ようとし、ついには「人質扱い」にして何事かを獲得しようとして破産するや〈釈放〉して逃げ去ったのである。
 この敵対の性格こそは、まさに〈死に至る病〉として彼らの組織を解体しつくすまで不断にくりかえされる帝国主義社民の最後の傭兵として、社民民同の期待される戦士の絶望的抵抗、突撃へとエスカレートして行くだろう。
 敵をしてますます密集せしめよ!まさに労働者階級の自立への宿敵を正規戦としての大衆闘争の爆発的前進をもって醜悪な宗派防衛隊として完成せしめよ! ゲリラ戦までが正規軍をおびき寄せるために行われることを瞬時も、忘れるな!
(K)

1970年11月15日・12月1日付
『解放』63号1面より


★日本社会党分裂期に突入
今こそ、二極分裂を通して、三傾向を止揚せよ!
(別掲)

1970年11月15日・12月1日付
『解放』63号1面より


“新中期路線”の推進者、成田−石橋ラインを打倒し、革命的労働者党へ前進せよ!
労働者階級への敵対者、帝国主義社民粉砕の闘いを推し進めよ!

日本社会党統制処分粉砕闘争委員会(十三人委)

 社会党党員、社青同同盟員、婦人会議会員諸君!
 すべての労働者、人民諸君! われわれは、第三四回社会党全国大会に対して、我々に加えられた“除名処分”の撤回を、党規約九九条の“大会提訴”権を行使して要求してきた。
 われわれの“除名処分”撤回の要求は、ただ社会党の党籍を回復すればそれで足るというものではなかった。
 われわれの要求は、今春の党全国大会・都本部大会における“反戦青年委員会、社青同、救援運動”の排除“日本婦人会議、日中正統本部の解体”など革命的社会党員が闘い抜いている大衆運動を切り捨てることと、そのために、我々十二名と革命的労働者協会(社会党・社青同解放派)を“いけにえ”とすることで、社会党の帝国主義社民への転化を遂げようとする一切の企みを粉砕することであった。
 四月の党都本部大会、全国大会以来八ヶ月の間、我々は、都本部統制委員長、佐野進なる名をもって“除名”通告を受けて以来、党規約に基いて中央統制委員会に提訴し、更に中央統制委員会の“除名”決定の不当性を主張すべく、この全国大会に提訴しつつも、同時に、社会党を帝国主義社民化、更に言葉をかえていえばヨーロッパ型の大社民党構想のもとに転化せしめようとする江田派・議員懇はもとより“左派”と自称する“社会主義協会向坂派”や佐々木派などと称するエセ“左派”の内実を暴露しつつ闘ってきたのである。
 とりわけ、第三四回全国大会において、街頭宣伝・ビラ入れはもとより“公然たる行動をもっての暴露”の闘いとして成田委員長との大衆団交を実現し、そして大衆的デモンストレーションをもって闘い続けてきた。“公然たる行動をもっての暴露”の闘いの中昧は何かと言えば、簡単には次の三点である。
 その一つはもとより“社会党の帝国主義社民への転化を粉砕せよ!”ということである。
 帝国主義工場制度の破壊的作用のもとで、その苦痛をもたらす資本の“奴隷の鎖”を断ちきるべく闘いぬかんとする労働者階級とその労働者党〔としての台頭に対して、帝国主義社民〕を補完者としつつ、私有財産擁護の最後の醜悪な擁護者、ファシズムを国家権力をもっての上からと、小ブルの危機意識を利用した下からの運動として押し進める。
 今年六月二三日発動された70年安保とは、このようなプロレタリアートが帝国主義ブルジョア政府打倒・労働者政府樹立を現在直下の政治、社会運動をもって突き出すことに恐怖する日米ブルジョアジーの反革命人民抑圧の階級同盟として歴史のなかに押し出されたものなのだ。従って、今われわれ労働者階級の立っている歴史的位置とは、戦後第二の革命期のなかで、三島由起夫事件が予示したようにファシズムとプロレタリアートの“労働者革命”との熾烈な階級決戦の段階に突入したということである。
 われわれは、このような歴史過程にあって帝国主義ブルジョア政府を補完する帝国主義社民を粉砕しきらねばならず、更にその過程は、同時的に“沖縄奪還”とか“反独占、反自民”とかを言いながら根底的には帝国主義社民に同伴する反帝社民を解体し止揚するそれでもある。
 それは根底的にファシズムと実力をもって闘い抜くところのコンミューンとしてのソビエト運動をもって、現在的には、沖縄、反軍、入管、労災公害そして反合闘争を闘いつつ強大なプロレタリア統一戦線を構築し、それを労働者階級によって秩序づける革命的労働者党を突き出すことの中で成しとげられるであろう。
 われわれは、第二に、労働者階級の工場制度の根底から突き出されるプロレタリア統一戦線を消し去らんとする“反独占・反自民の国民戦線”という「新中期路線」が民社党化の路線であるからには、それを粉砕しなければならないということである。
 第三には、国家権力ともブルジョアジーとも何ら根底的対決の実践も、経験もない“社会主義協会向坂派”のプロレタリア統一戦線への敵対を解体し、同時に、佐々木派と称する“新中期路線”の推進者を解体止揚するということである。
 われわれの主張とは、以上の観点に立って“反戦”“革労協”などのパージを許さず、われわれの除名を許さないということをもって、帝国主義社民、反帝社民を労働者階級・人民の前に行動をもって暴露することである。
 社会党三四回全国大会第二目目に、われわれは、一二名の被処分者の代表として五名が、われわれの大会提訴の件がどうなっているのかを直接聞くべく大会会場に赴いたのだが、大会警備隊と称する“協会向坂派”約百五〇名の中に強引に引きずりこまれ、殴る、蹴る、突くなどテロ、リンチを加え、全治一カ月の傷を負わせた。
 このきたならしい“協会向坂派”を利用して、テロ・リンチを見て見ぬふりをしている現成田、江田執行部は、道義性の上でも、彼等の腐敗ぶりをさらけだしてしまった。
 にもかかわらず、われわれはこのテロ、リンチを“傷害事件”として告訴させようとした官犬の手をはねのけ、“協会向坂派”がかつて社青同盟員を権力に売り渡そうとした態度と反対に、あくまで社会党における分派闘争、労働者階級の内部の闘いの過程にあったものとしてとらえ“協会向坂派”をプロレタリア大衆の闘争をもって弾劾しつづけるだろう。
 さらに、われわれは、帝国主義社民が存在する限り、また、反帝社民が労働者人民に幻想をふりまくものとしてあるかぎり、彼らの本質を暴露し抜くであろう。
 この五名が、約三〇分におよぶテロ・リンチを受け大会会場柵外の道路に押し出されたのち米田大会運営委員長が一片の紙を手に持ち、われわれのところに現われ、「諸君の大会提訴は却下され、したがって除名は決定した」旨を伝えて来た。われわれは、その内容についての説明を求め、更に同伴してきた警備担当中執の高沢氏にテロ・リンチの責任を明らかにせよと迫ったが、何ら回答することなく白へル警備隊の数名に伴なわれて逃げ去った。彼らのわれわれの追及から逃げる姿は、みじめなものであり、何者か“こわいもの”から逃げ去る姿であった。それは、労働者階級に背を向けて逃亡する帝国主義社民を象徴している姿ではないか! われわれは、帝国主義社民、反帝社民がプロレタリアートの桎梏として立ち現われる限り、プロレタリア統一戦線に基礎づけられた社会党内分派闘争を頑強に闘い抜く。そして、われわれはここに行動委員会運動と分派闘争を両軸とするプロレタリア統一戦線の生きた闘いをもって、いっさいの階級闘争の、歴史を引きつぎつつ、革命的労働者党をめざして突き進むことを宣言する。
 われわれは“都活”“全活”のもとに革命的党員の団結をつくりあげ、全国に生きた社会党員の運動を突きつけ、つなぐであろう。更に一方、醜悪な“協会向坂派”の破産した指導部を突破して全国社青同の再建をかちとるであろう。
 全国の闘う社会党員諸君!労働者階級の解放をめざして、社会党25年の闘う歴史をひきつぎ、革命的労働者党への限りない前進をかちとろうではないか!。

 −−日本社会党第三四回全国大会閉会にあたって
 一九七〇年一二月二日

1970年11月15日・12月1日付
『解放』63号5面より


除名決定は不当であるばかりでなく無効である
日本社会党除名処分粉砕闘争委員会(13人委員会)

〈戦闘宣言〉

 武装した親衛隊に守られながら血のついた椅子に座っている中執諸君! 資本の特使として「共産圏」外交にもぐり込んだ石橋書記長を警戒せよ! 江田氏も驚くほどのしたたか者と知っての上でのことならば石橋に票を投じた者すべては「自覚せる反革命分子」だ。現在直下の情勢を見るに郵政当局は宝樹体制をすら下村体制と取りかえようとしており労働四団体の合体を進めるだけでなく中立労連の解体を策し石川島を同盟へと分裂させ春闘におけるガイドポスト導入を契機に全戦線を西ドイツ型の労使共同決定方式にもって行こうとしている。中執諸君のアルコールやけした顔の上にゴーデスベルク(西独社民の綱領)の鐘がなっている。野党連合政権の幻影に向って目隠しドライバーが疾走しようとする新中期路線の前方には公明党がバリケードを築いて待ち構えている。想起せよ! 合法無産政党の屈辱の歴史を。諸君にはカウツキー、ベルンシュタインの道はおろかケレンスキーの道も閉されているのだ!
 革命的党員議君! ぼくらを統制したと称する「官僚共」を拒絶せよ! 諸君の大多数が痛苦な沈黙の後に公然とプロレタリア統一戦線の戦列に立つ日を確信している。党内左派の母斑を残しつつも挙党一致に「ノン」と答えた左派三派諸君との公然非公然の協同を進める意志のあることをここに公然と表明する。諸君の先遣隊として、革命的労働者党に向って前進したぼくらは、日本プロレタリアの正常な息子としてその全歴史を血肉としてジュピターの如く奇怪な資本制社会の心臓部で闘い抜くであろう。
 右翼解党派成田−石橋ライン、その親衛隊であり「マルクス主義中央派」を夢想する武装宗派向坂派を解体せよ!
 全国の革命的党員諸君! 統制処分に屈するな! 都活・全活の旗の下、労働者自身の手によって階級のまっただ中に建設される革命的労働者党に向って前進せよ!

声明

 一、われわれは日本社会党々員であり、革命的再編のため闘い抜く

 日本社会党規約第五八条によれば「中央本部統制委員会の決定は中央執行委員会に通告され、ただちに効力を発する。その執行については中央執行委員会が責任をもつ」と明記されており、今だに「発生した筈の効力」は中執によって「執行」されていない。しかもこの「執行されていない」事実は、単なる手落ではない。即ち規約第九九条によれば「統制処分について不明なときおよびその処理を不当とするときは、順次上級統制委員会または各級組織の委員会大会に提訴することができる。ただしその決定があってから三十日以内とする」となっておりわれわれは中央統制委員会を通じて大会提訴を行ったのである。
 まさにこうして中執の「執行責任」は「大会提訴」にもとづく「審議と決定」に委ねられ、それを経た後にしか貫徹し得えなくなったのである。
 然るに、日本社会党第三四国大会議事運営委員会(以下議運)は、規約の厳格な解釈およびかつて西尾除名にあたって弁明の機会を与えた慣行を無視して、一方的に却下、大会での審議は行われなかったのである。中執の本件に関する執行要件はこれによって失われたのであり、次期大会が正式に審議するまで執行不能となった。
 われわれは一九七〇年十二月二日以降も依然として日本社会党の断固たる一員である。

 二、大会警備隊によるテロ・リンチに対する中執の政治責任を追求する

 大会警備隊は大会に承認を求める以前、即ち十二月二十八日午後九時集合の指令をもって、中央執行委員会が独断で召集したものである。これは大会を冒涜する執行権の乱用である。それのみならず、大会警備責任者高沢(現教宣局長)、伊藤(前青少年局長)の中執は、その責任を放棄し、その行動はH中央常任委員を現場最高指導者とする社会主義協会(向坂派)の私兵としてそれであり、かかる宗派自警団に対して、成田委員長の激励の辞は自から宗派の代弁者として醜悪かつ不謹慎な態度といわなくてはならない。
 十二月一日大会の何らの承認も得ることなく警備隊長として振舞った三多摩の某は、議運委員長への会見要請を無視して、集団リンチを指揮し、血まみれになっての抗議弾劾によって姿を現わした議運委員長は「却下された」旨を報告するのみで、われわれの質問に答えず逃亡、その大会第三日目ではその目で見た暴行の事実を否認した。
 また十二月二日、大会終了時点において「除名反対」のタスキを以って身分を明かにしたわが闘争委員会代表団とこれに同調する革命的党員、社青同同盟員二十数名が「除名決定の無効」を帰途にある代議員に訴え、その行動が終了して駅に向っている途上、武装襲撃を行った。
 その際、前日のリンチで走れなくなっていたS君(国分寺総支部所属)を喫茶店の中まで追いかけ「こいつは泥棒です」と偽って從業員の手を借りてつれ出し、肋骨、腰椎骨折、足首骨ヒビ、大腿部挫創などの重傷を負わせた。
 大会終了後に無抵抗な一党員を凶器で乱打する集団リンチ、しかも大会会場に監禁し、自らの「大衆」からすら見えない場所に移すなどその間三時間に及んでいる。これが大会警備として容認されるべきであろうか、大会終了後であるからと言うならば警備員全員が統制処分に付せられるべきであり、大会執行部の責任であるとするならば全中執なかんずく、高沢中執は辞任して全代議員ならびに全党員にその責任を果さなくてはならない。
 そもそも大会警備隊は何故に必要であったのか。
 武装敵対によってしか断行し得ない程の反労働者的転換を合法化し、代議員に威圧を加え、党員の傍聴を一切遮断し、われわれの正常な手続による大会提訴の却下のためのゲバルトとしてのみあり、赤尾敏の襲撃、および警視庁警備一課、同公安二課の私服警官数十名を実力で排除することはおろか、「退去通告」を行わないのみならず、緊密な打ち合せを行い。その様子は新聞にすら次のように報道されている「木製楯、竹槍、鉄パイプなどついて凶器準備集合の疑があるので撤去されたい」(サンケイ)との事実があり。いかに「凶器準備集合罪にならないのは政治力だ!」と強弁しようとも、その政治力こそが、権力との癒着をはらむ危険極まるものである。これこそ新中期路線(民社党への接近路線)の反労働者性をあますところなく示している。
 支配階級との闘争においては、武装闘争どころか実力闘争すら反対する彼らによる、党内−階級内部の矛盾に対して暴力をもって臨む護憲主義者の本質は“帝国の左の手”として階級を絶えず国民に解消する穏健ボナパルティストのそれである。
 中執に対し、我々は一連の大会警備隊による集団リンチ事件の政治的責任を追及する。われわれはもとより刑事事件として「告発」する意志はまったくなく治安当局の一切の介入を断固拒否するものである。しかし、中執が誠意をもって、自己批判しないならば、革命的党員および階級的に自立をとげんとする労働者階級の実力弾劾がまさに怒りの鉄槌となってうち落されるであろう。
 革命的党員諸君!
 資本の敵意とファシストの白刃が待ちかまえていようともプロレタリア解放の大道を歩もうではないか、今こそ第一インターの栄光を現代的諸条件を踏まえて再生させ、鉄鎖にかえて全世界を獲得しようではないか。
 万国の労働者団結せよ!

 一九七〇年十二月二日

1970年12月15日付
『解放』64号1面より


★社会党三四回大会に対する闘いの総括と当面する分派闘争の方針
革労協社会党委員会(別掲)

1970年12月15日付
『解放』64号2面より


★革命的プロレタリアートの公然たる議会進出にあたって(別掲)

1971年3月1日付
『解放』69号3面より


★何故に議会へ登場するのか
70年代初頭における革命的プロレタリアートの議会にたいする基本的態度
(別掲)

1971年3月1日付
『解放』69号3面より


同志高見圭司を先頭に全国36名のプロレタリア戦士の公然たる議会進出をかちとれ!!

 全日本の労働者、人民諸君! 労働者、人民が資本の圧政に抗して、武装した自治権力(パリコミューン)を樹立し、かつ敗北してから一〇〇年の歳月が過ぎた。が、我々は今なお、重たい鉄鎖の下に呻吟している。資本制生産様式の帝国主義的発達のもたらす破壊的作用は、労災、公害等、直接的に生産過程において労働者個人の肉体および精神をおびやかしているばかりでなく、抑圧と反抗の集約的表現をとるに至っている。資本の、“豊饒の海”の中で、自然をも含めて、およそ人間的なるものは骨化されつつある。「諸君は人肉を喰い、そのルイルイたる白骨の上に繁栄を築くのか!」(もののべ・ながおき)このラジカルな突きつけこそ、三里塚闘争の原点であり、帝国主義工場制度の破壊的作用の全社会的広がりに抗する労働者階級の生産と生活の全領域にわたる闘いの原点である。反合闘争を発射点として構築されてきたプロレタリアートの解放への自覚的独自勢力=プロレタリア統一戦線の全歴史とその到達点の波及力を問われる、即ち、虐げられた全人民の前衛として行動するプロレタリアートの解決能力が鋭く問われている現在、われわれは革命的プロレタリアートの公然たる議会進出に向けて以下の諸点に凝縮して方針と任務を提起するものである。
 帝国主義ブルジョア政府の打倒とプロレタリア権力の樹立を真正面から掲げるプロレタリアートの独自候補の議会への進出は、ブルジョアジーの治安出動訓練への対極をなす、勝利への示威行動である。議会が資本家の枢密院と化し“労働者党”を潜称する社会党(成田一派)と日本共産党(代々木派)は、議会主義へと身を切りちぢめることによって議会内反政府党ですらないことを、社党第33回大会および日共第11回大会で証明していらい、“よりましな悪”への一切の幻想、反議会主義のもっとも消極的手段たる“棄権”による慰撫を越えて、議会制独裁への叛乱から労働者権力の樹立に向けての革命的介入を公然と開始すべき時代の到来が告示されているのだ。
 資本制生産様式の帝国主義的発達の基軸をなす帝国主義工場制度の廃絶を期して展開されてきた産業合理化反対闘争を発射点とし、工場からの総反乱を基礎としてコミューンとしてのソビエトを現在直下の急務として自覚するプロレタリア統一戦線の樹立を日程にのせつつ追究し抜いてきたわれわれは、今こそ、階級闘争の鉄火の中にその全歴史を投げ入れて、不死鳥でありや、否やを問おうとしている。
 歴史が闘われている緊急の中で不屈とは、人間の歴史が今日のために用意してき言葉であることをガッシリと受けとめなくてはならない。
 われわれは、現在、参院選全国区に立候補する同志高見圭司を先頭に、この間“社会党反戦派”としてわれわれと共に闘い抜き今回立候補する、現文京区議玉川洋次氏をはじめ、大田区議選立候補予定者加藤弘巳氏、文京区議選立候補予定者○○○○氏、目黒区選立候補予定者宮本尚美氏さらに、宮城県仙台市議立候補予定者○○○○氏の六氏を強力に推せんしプロ統の総力をあげて今選挙闘争を、闘い抜こうとしている。
 さらに、われわれは、現在の日本社会党の帝国主義社民への転化に抗して、党内外において闘いを継承している多くの戦闘的党員の内部から全国で三六名の立候補予定者をも、厳密な政策協定の上に断乎として支持し、共にこの選挙闘争を闘いぬかねばならない。
 爛熟した議会制独裁の永久化を目ろむ、比例代表制への準備たる『公職選挙法』の改悪に示されるように、革命的プロレタリアートの議会進出に対して、帝国主義ブルジョアジーのみならず“中道革新連合”への野党再編成運動に端的に示される新旧中間層の敵対は、秩序派の地域自警団、議会主義者の選挙後援会、労働官僚、敵権力の抑圧攻撃となって立ちあらわれているのだ。
 秦野の選対作りの名による自警団の公然化と、美濃部の“革新都政推進”の名によるブルジョアの脅威に対する防壁は、ブルジョアジーの弾圧を緩和し、福祉行政を前進させるかに見えながら、むしろシビルミニマムすらが支配階級の公害投資の枠内での効率を高めるに過ぎないのである。
 七〇年代の初頭における今回の参議院選および統一地方選は東京都知事選に象徴的に示されるように、革命と反革命が、その布陣の完了を競い合うものとして、対立する諸階層が連合した政治戦線として自己を表現する。即ち、政党選挙から、“連合した政治戦線選挙”への過渡をなすものにならんとしている。諸階層、諸政治勢力の革命と反革命への布陣の完成、従って戦後第二の革命期の議会的反映の時にあって、小市民の尾として辱められてきたプロレタリアートは、今こそ、成熟段階と傾向の違いをこえて、現時点におけるプロレタリアートの協同利害という一点において、その統一の威力を発揮しなければならない。

(○○○○、原文は実名)

1971年3月15日付
『解放』70号1面より


ソヴィエト運動の発展をめざして統一地方選前半を階級的に闘い抜く!
−−東京区議選、宮本尚美氏の議会進出をかちとる−−

 全国の労働者、学生同志諸君!
@ すでに本紙上で明らかにしたように、われわれは今東京区議選において、五名のプロ統派立候補者を推薦し、その選挙闘争の主要な一端を担って闘いぬいた。「社共共闘」という新たな「反ファッショ人民戦線」の流れに抗して大田、目黒、文京、板橋を中心にあらゆる地域で、ターミナルで、工場街で、そして個人演説会をはじめとする諸々の集会で、プロレタリア人民の利害を真正面から掲げつつプロ統運動の歴史の中でもかつてない密度と広がりをもって展開された。この闘いは、一方において、日共目黒地区委員会による宮本候補への「トロツキスト=暴力分子」攻撃や、社会党「都本部」名の『社会新報』(号外)による「革労協批判」、さらに、加藤候補の選挙闘争を担った社会党大田総支部所属7名の戦闘的・革命的党員への「除名」攻撃や、民同の組合機関をもっての公然たる選挙妨害等、スターリン主義党と社民党からの悪らつな妨害策動に遭遇したが、それを打ち破りつつ他方でプロレタリア大衆の熱狂的な支援と強い注目を生みだすことによって、すでに選挙活動の過程そのものにおいて、ソヴィエト運動の前進のための広範な基礎を獲得した。さらに、われわれは、宮本尚美氏の目黒区議会への進出をかちとることによって目黒に於けるプロ統運動の一層の発展のための大きな条件を確保すると共に、惜しくも「当選」に主らなかった他の四候補の、しかし階級的に闘いぬかれた選挙闘争を通じて、われわれは南部労働者地帯と北部の地のいたるところに、革命的労働者運動の無数の前進基地を打ち立てた。
 ソヴィエト運動の発展をめざして、ただそのための大きな条件を獲得するためにのみ、労働者階級の戦士を議会におくり込む組織的な闘いの第一歩としてあった今区議選をめぐる闘いは、こうしてわれわれに大きな成果を与えたと同時に、他方われわれの闘いをさらにプロレタリア大衆の心臓部に、階級の底深く成熟せしめられなければならないこと、そういうものとして本格的な労働者党の、活動領域に真剣に前進しなければならないことをも鋭くつきつけた。

A 以下略

1971年4月15日付
『解放』72号1面より


★統一地方選・参院選闘争の諸結果と我々の任務
革労協社会党委員会(別掲)

1971年8月1日・8月15日付
『解放』79号5面より


以下のものについては、準備中として掲載を予告してきましたが、別の機会にしたいとおもいます。

社民内分派闘争を拡大せよ!
日本社会党の帝国主義社民化に対決し、分派闘争の第二段階を勝利的に前進せよ!

革労協社会党委員会・沢 広一(別掲)

1971年10月15日付『解放』82号3面、10月15日付『解放』82号3面より


日本社会党第三五回大会の批判
何に向っての「再生」であるのか?

志村二郎(別掲)

1972年2月15日付
『解放』89号4面より


戦後第二の革命期と“労農派マルクス主義”の役割り
社会主義協会(向坂派)批判

志村二郎(別掲)

1972年3月1日付『解放』90号4面、3月15日付『解放』91号4面、4月1日付『解放』92号4面より


都活の再建をテコに社会党内分派闘争を強化せよ!
革労協社会党委員会・今村久志(別掲)

1972年5月1日付
『解放』94号4面より